7-95 新しい自分15
今度は逃げられないようにパストールの監視をつけられたバローを見届けると、悠はノワール家を辞去した。その中庭で悠を待っていたかのように一人の青年が進み出た。
「しばらくぶりだな、ユウ殿」
「アグニエルか? ……ふむ、時間を無為にはしていないようだな」
「サリエル様の御為でありますれば」
会っていない半月ほどの間にアグニエルは更に精悍さを増しているように見えた。体も引き締まり、立ち姿にも一本の芯が通っているようだ。
「『絶影』は開眼したか?」
「もう一息といった所だと。しかし、才能の補助も無しに開眼されたバロー師には頭が下がる。自分がいかに『剣聖』に胡座をかいていたかと思うと、恥ずかしくて合わせる顔がないわ」
「才能などとは死ぬほど努力をした人間にだけ許された言葉だ。大抵の人間はそこまでの努力は出来ず、自分で勝手に上限を定めているものだ。「自分はこんなに努力しているのに」とな。本当にやっているのなら、そんな愚痴を吐いている暇などあるはずがない。何年掛かろうが成し遂げたい、譲れない物に掛ける情熱を努力という。途中で腐るなよ、アグニエル」
「決して怠らんよ。俺に火をつけたのは貴殿だ。いつかもう一度手合わせを」
「俺はいつ何時であろうと構わん。楽しみにしていよう」
立ち去る悠の背後でアグニエルはその背中に頭を下げた。悠もそれを察して振り返る事はない。語るならば剣と拳で存分に語らえばいいのだから。
悠の姿が見えなくなるまで、アグニエルが頭を上げる事はなかった。
翌日からは忙しく立ち回る事になった。まずはマーヴィンをノワール家に紹介し、予告通りに厳しい仕事に就かせたのだ。
「この歳になって馬の世話から始める事になるとは思っておりませんでしたが、与えられた仕事はしっかりこなしてみせましょう」
「精々頑張ってくれよ。冬の馬の世話は大の男でも泣きが入る重労働だ。元冒険者だってんならそれなりに体力はあるだろうと期待させて貰うぜ?」
「粉骨砕身の覚悟で働きます、御当主様」
そちらはバローとレフィーリアに任せるとして、新たに加わった者達の教育もこの日から始められた。
「私は実践派ですのでドンドン練習させますよ。最初はゆっくりでいいので、確実に発動させる事です」
全くの素人であるソフィアローゼは『覚醒儀式』を済ませるとすぐにハリハリから直接魔法の使い方を学ぶ事になった。意外だったのは、オリビアも唯々諾々とハリハリに従った事であろう。
「……」
「ふむ、オリビア殿は中々筋がよろしい。今までの癖が抜けずにもっとてこずるかと思ったのですがね」
ハリハリの説明通りに魔法を構築するオリビアはまだまだ遅いが一応の手順は最初からこなしてみせたのだ。後は反復練習をする事で以前を越える力を得る事も可能であろう。
そこには悠への深い信頼感が根底にあったからだ。悠が嘘偽りを言うはずが無いとオリビアの心に刻まれているからこそで、何一つ疑う事無く鍛練に邁進出来ているからであった。
……ただ、オリビアが自分用に用意された紙束にはよく変わった走り書きが残されていた。
「うんうん、ちゃんとワタクシの言った事を書き留めていますね。……ん?」
ハリハリが端の書き込みに目を凝らすと、それはこんな事が書き込まれていた。
【今日からユウ様のご指示で魔法を一から習う事になりました。私の神様であらせられるユウ様は教師として魔法を司る天使ハリハリ様を天より遣わされ、無知蒙昧な私に魔法の奥義を賜られました。同じく迷える子羊であるソフィアさんと共に、神への感謝を胸に日々精進して行きたいと思います】
「……」
サイケデリックな絵が添えられた走り書きに沈黙し、ハリハリはページを捲って端の方を見るとやはりまた書き込みがあった。
【やはり神様の眷族は皆神聖な方々でした。朝食をお作りになられているのは食を司る天使であらせられるケイ様で、その御手より作り出される料理の数々はまさに天上の逸品。ソフィアさんもしきりに頷いていたので間違いありません。こんなに幸せになっていいのでしょうか? ああ、早く私のこの幸せを世界の人達に分けて差し上げたい!!】
「…………」
ハリハリの背中に冷たい汗が滴り落ちる。何故かとても恐ろしい物を見た気分になったのだ。いつから自分は天使になったのだろうと、思わず自分の背中に羽が無いか手をやったが何も無くホッと溜息を漏らした。
そして、そんなハリハリの様子をジッと見つめていたオリビアと目が合い、ビクッと仰け反った。
「……お、オリビア殿……何か書きたい事があるのでしたらそれ用に紙束を上げますので、講義のノートには書いちゃダメ、ですよ?」
「……」
コクコクと頷いたのできっと伝わったはずだとハリハリは汗を拭ったが、こうして渡した紙束が後日膨大な量の聖典に生まれ変わる事をハリハリはまだ知らないのだった。
こうした身の回りの事だけではなく、悠に寄せられる要望ややるべき事は山積みである。まずはまたフォロスゼータの地下に潜入してパトリシア王妃から情報を入手しなければならないし、ミーノス、ノースハイア間で正式に交渉が開かれる事が決定した為、秘密裏にルーファウス達やラグエル達に交渉の場を用意しなければならない。そしてそこにもう一つ、仕事が舞い込んで来たのはそれから数日後の事である。
「野外実習?」
「そう、野外実習さ。といっても一番の目的は共同作業を行って皆の団結を図ろうというものなんだけどね。色々意見を交わし合った結果、それが一番距離を縮めるのに有効なんじゃないかって。流石に全学年同時は無理だし、下の学年は危ないから高等学校の生徒だけにするつもりだけど。簡単な採取や野営、料理なんかをさせて、団結心を育もうなんて考えているんだ。一部はアルトの発案なんだよ」
そう嬉しそうに語るローランの言う通り、オランジェに呼び出されたアルトは率先して意見を述べ、修正を加えながら今の話しに落ち着いたのだ。アルトは弱い魔物の討伐もパーティー単位でやってみてはどうかと提案したが、流石にそれは危険だという事で今回は見送られていた。
「ついては、ユウに当日の護衛と周辺の魔物の間引きを頼みたいんだ。出来るかい?」
「少々込み入っているが、せっかくアルトが提案してくれた事だ、俺も手を貸すのに否はない。竜気を調節してバラ撒けば、2、3日なら弱い魔物は近付かんように出来るぞ」
「それは有り難い! 一番の悩み所が生徒への危険を防ぐ事だったからね!」
「それで、決行はいつだ?」
悠が尋ねるとローランは指を折りながら答えた。
「えーと、来週の頭だから8日後だね。それまでに何とか頼むよ」
「了解した。後で該当する地域を教えてくれ。念の為に下調べもしてこよう」
「元々そんなに危険は無い地域を選んだつもりだからね。危ない物はあまりないと思うよ」
学校の話が一段落すると、ローランは表情を改めて悠に問い掛けた。
「それはいいとして……ユウ、ラグエル王のご都合はどうだい?」
「3日後の夜がいいそうだ。ミーノスからの使節団がノースハイアに到着するのが4日後だからな。その前に事前に交渉をしておきたいという事だろう」
「そうか……ルーファウス、3日後の夜に予定は?」
「特に無いな。強いて言えば夜にのんびりしている暇など私達には無いからいつも忙しいと言った方がいいと思うけど」
「違いないね。ヤールセン君がノースハイアの件に掛かりきりになっちゃってるからなぁ……」
ミーノスとノースハイアの公的な対談の日程も決まり、既にそれぞれの国が動き出しているのだ。
「ま、色々と話し合う事はあるけど、結局はアレだね、アライアットにどう対応するかって話が主題だよね」
「特にノースハイアは一度アライアットに抗議文の一つでも送らんと体裁が悪いそうだ。その辺りは俺の関知する所では無いがな」
「割と茶番だからね。元々戦争してたんだから、攻められたって文句を言う筋合いも無いし。それでもやらない訳には行かないからこそ戦争が止められないんだよね」
「謝って済むなら20年も殺し合いをしてはおらんだろうよ。それに、アライアットからすれば元々は自分達の土地だという思いもある。まさに茶番だな」
「ミーノスにとっては対岸の火事だからあまり口を挟める事では無かったはずなんだけど、聖神教が公爵家にまで入っているとなれば黙って見過ごせないし……」
ミーノスの事に話が及んだ所で悠は以前捕らえた人物の事を思い出した。
「そう言えば、タルマイオスからは何か情報は絞れたのか?」
「まぁね。というか、別に拷問なんかしなくても嬉々として喋ったよ。自分が如何に優れていて、神に選ばれた血族である自分達は下々の上に立って先導しなければならない云々とかどうでもいい部分を省くと9割くらいただの無駄話だったけど。尋問官がぼやいてたよ。黙らせる為に拷問したいと思ったのは初めてだって」
「結局、分かったのはタルマイオスは独自に力を求めていたって事くらいだね。いつか父親の力が自分の物になったらミーノスの王として君臨するつもりだったらしいよ。国教は聖神教で。あと、それを吹き込んだのは悠の報告にあったガルファという名の宣教師に間違いはないね。特徴が一致するし、ガルファの反応からも裏付けられる。アライアットとの戦争の前に国内の掃除がいると思うけど、そこはメロウズの報告待ちかな」
現在タルマイオスは死刑を待つ身である。王の暗殺を実行に移したのだから当然の処置であるが。
「全く、外にも内にもやらなきゃならない事ばかりだ。平和は未だ遠かりし、か……」
「それも後一歩の所まで来ている。……人間社会に限った話ではあるがな」
「人間なんて、この広い世界の5分の1くらいだからねぇ。しかも一番弱いのにこんなにてこずっているんじゃ先は長いよ。……はぁ、ミレニアと花と子供を愛でながらゆっくりお茶でもしたいなぁ……」
それでも倒れるまで働かなくても良くなったのは人員の増強があったからだ。ようやく新体制に慣れ始めた職員官吏の効率も徐々に上がってきているのである。
「愚痴っても始まらないさ、ローラン。まずは近い所からこなしていかないと。ユウ、当日は迎えを頼むよ」
「心得ている。夜の鐘(午後六時)が鳴る頃に迎えに来よう」
心機一転し励む者、己の思いを貫く者、それぞれの思惑はあれど、時は平等に流れていくのであった。
恐ろしい事にまだ7章は終わらないのですよ。
合流する辺りから7章を前編・後編に分けようかと現在画策しております。
オリビアの壊れっぷりがヤバイのは目を瞑って頂けると……。




