7-79 令嬢救出10
フォロスゼータでガルファが怒髪天を突いている頃、悠達は本拠地である屋敷に到着していた。
「王妃殿下ならともかく一令嬢を探す為にわざわざここまで人を寄越すとは思えんが、念には念を入れてすぐにここは引き払うぞ。朱音、また雪を降らせて隠蔽出来るか?」
「出来ます! ……けど、ちょっと時間が掛かるかも……」
「じゃあ一緒にやろうよ朱音ちゃん~」
「『氷雪乱舞』の事? でもまだあれは練習中よ?」
「良いではありませんか。親和性の低い複合属性を2人で使うのは難度が高いですが、しっかり練習してきたお2人ならきっと出来ますよ。魔力の量はユウ殿に視て貰えばいいですし。メイ殿の助けがあれば『四方対極烈破弾』すら成功させられたのです。そろそろ次の段階に進んでもいいかと」
神楽の風属性は正の属性、朱音の水属性は負の属性に分類され相性はあまり良くないが、複合属性として成立させる事は可能である。相反する水と火などに比べればまだ難度は低い方だ。子供達に師事するハリハリはそろそろ実践してもいい頃合いだと考えていた。
「……そうね、せっかく練習したんですもの、実際にやってみなきゃダメよね! やるわよ神楽!!」
「うん、悠先生よろしくお願いします~」
「了解した。2人は俺が安全な場所まで運ぼう。気負わずにやるといい」
やる気になった朱音と神楽の顔に喜色が浮かんだ。『竜騎士』の悠に乗せて貰って空を飛ぶ事は娯楽の少ないこの世界で数少ない楽しみの一つであった。
屋敷を仕舞い、『竜騎士』となった悠が2人を脇に抱えて空に舞い上がり屋敷の跡が残る雪原を見下ろす位置で静止した。
「行くわよ!」
「いつでもいいよ~」
そして2人は慎重に魔法陣を構築していった。水属性に関わる『魔法言語』を朱音が、風属性に関わる『魔法言語』を神楽が担当し、2人で一つの魔法を組み上げていく。それを監督するのは悠の役目だ。
「朱音、もう少し魔力を抑えろ。神楽はそのまま固定。…………よし、釣り合ったぞ」
朱音にも神楽にも悠に返答する余裕は一切無く、ただ2人で視線を交わし合うと、完成した魔法を解き放った。
「「『氷雪乱舞』!!!」」
悠に抱えられた朱音と神楽の間から豪風が雪と共に吹き付けられた。局地的に発生した吹雪は屋敷のあった場所を瞬く間に雪で満たし、忽ち周囲と変わらないほどに雪を降り積もらせていった。
時間にしてたった10秒ほどで数メートルもの雪を積もらせた朱音と神楽が額に汗を浮かべて手を下ろした。
「や、やったわ!!」
「ふへ~疲れたぁ~」
「よし、上出来だ。ご苦労だった。脇に抱えて飛ぶのも居心地が悪いだろう、背中に移ってくれ」
悠の労いを受けた朱音と神楽はお互いに会心の笑みを交わし、いそいそと悠の背中によじ登った。前に腰掛けた朱音は眼下の雪原に目を向けて呟いた。
「静かね……明かりになる物が無いからあんまり見えないけど、こんなに静かだとまるで私達しか居ないみたい……」
舞い上がった悠の背中から見るアライアットの雪原は既に夜の闇に包まれ、朱音の視力では見通す事が出来ないが風の音すら吸い込まれてしまうような雪原が広がっているかと思うと自然の雄大さに心を打たれ、いつになく穏やかな目でただただ溜息をついた。……が、相棒の神楽はそんな感傷は感じていなかったようだ。
「あはは~。雪って積もってるとでっかいケーキみたいだよね~」
ロマンの欠片も無い台詞に朱音がガクッとバランスを崩した。
「……あ、アンタねぇ!! たまには食べる事から離れなさいよ!!」
「私だって雪は食べないよ~? あ、でも甘いシロップをかけたら美味しいのかな~? 今度朱音ちゃん出して~?」
「その辺の雪に砂糖でもかけて食べてなさい!!」
キツめな言動の割にロマンチストな朱音だが、神楽のロマンは食の方向にしか発揮されず交わらない。しかし、だからこそ2人は決裂するような喧嘩をする事も無く今までやってこれたのかもしれない。
「全く神楽は……まぁいいわ。今回は私も活躍出来て気分がいいから見逃してあげる!」
「悠先生にごほうびも貰えたもんね~」
「人の命が掛かった重要な任務だったが、2人のお陰で助かった。これからも俺を助けてくれるか?」
「「もちろんです!!」」
そこだけは息もぴったりと合わせ、朱音と神楽はしっかりと頷いたのだった。
ミーノスのいつもの場所まで飛んだ悠は早速本日最後の仕事に取り掛かった。即ち、ソフィアローゼの診断と治療である。どのような治療になるか分からないので、部屋に居るのは悠だけだ。
今回の治療はいつもの治療とは少々毛色が異なるものである。毒に冒されている為まずは毒を抜く事から始めなければならないのだ。
「俺達『竜騎士』は大抵の毒は効かんし、最悪該当部分を破棄して『再生』で作り直せばいいが、普通の人間でここまで全身に回っていては本来は自然治癒に任せるしかない所だ。さて、『万能薬』とはどの程度効果があるか……」
《栄養性弱視に加えて中毒性弱視による視力の喪失、代謝の低下による消化不全、ATP生成量の不足、右肺機能停止、腎臓、膵臓、肝臓、脾臓、十二指腸、胃、小腸、大腸、全て軒並み正常稼働率の半分以下。……まともに動いている場所なんて殆ど無いわね。むしろよく今日まで生きていられたと思うわ。唯一、脳だけは何の疾患も抱えていないみたい。血圧は低いけど心臓も全体から見ればマシね》
「まずは『万能薬』を投与する。以後は様子を見てレイラが方針を示してくれ」
《了解よ》
個室のベッドに寝かされたソフィアローゼを抱き起こし、濡らした脱脂綿で口の中を潤してから悠はその口に水差しに入れた『万能薬』をほんの少量ずつ注いでいった。『治癒薬』と違い、注射用に試していない『万能薬』は迂闊に注射する事は出来ないのだ。
殆ど意識の無いソフィアローゼだったが、体が水分を欲していた為か、口の中の水分を少しずつ嚥下していく。
小瓶の中身を全て飲み下した事を確認すると、悠は再びソフィアローゼをベッドに横たえてじっと様子を観察した。
僅かな変化も見逃すまいとソフィアローゼを見つめる悠の目からは何の感情も読み取る事は出来ないが、それだけに不純物の一切混じらぬ真剣さがあった。
変化が生じたのは投薬から15分ほどが経過した頃の事である。
《あ……効いてきたみたい。体内毒素が分解されていくわ。へえ、『万能薬』だなんて大層な名前だけあるじゃないの。特定の毒に効く薬って訳でもないでしょうに》
「体に害になっている物質だけを分解しているのではないだろうか? 『治癒薬』といい、部分的には他の世界の医療技術を凌駕しているな……」
悠とレイラが話している間にも、ソフィアローゼの体内毒素は次々と分解され、一時間が経過する頃にはすっかり一切の毒素は取り払われていた。
だが、これはソフィアローゼが健康を取り戻した事を意味しない。毒が消滅しても傷付き機能が低下した内臓が回復した訳ではないのだ。内臓には自力で再生しない物が多く、『治癒薬』では傷は塞げても器官を元通りにする事は出来ない。
だがここから先、悠だけに行える治療が存在した。
《さて……効果があったのなら、この子にも覚悟を決めて貰わなきゃならないわね……》
「ああ……一応本人に話しておかねばならんだろう。クリストファー殿を呼ぶか」
悠は立ち上がると治療の結果を待つクリストファーの下へと足を向けた。ソフィアローゼと話すにも、知らない場所で知らない者しか居ないのでは無闇に警戒させてしまう事になりかねないからだ。
悠が広間のドアを開くと、治療の結果をそわそわと待っていたクリストファーが即座に立ち上がって悠に詰め寄って来た。
「ユウ殿! ソフィアローゼ様は!?」
「案ずる事は無い、毒の除去はもう済んだ。だが、ここから先はソフィアローゼ殿本人にも聞かせたい話になる。その際、顔見知りが居れば話の通りも良かろうと思ってな。悪いが一緒に来て貰えんか?」
「分かりました、一緒に伺います」
クリストファーが即答すると、悠は広間の他の者達にも声を掛けた。
「もし今日治療に入る事になればかなりの難事になる。恵、湯を沸かしてくれ。それと清潔な布と糸、加えて新品のナイフの用意も。智樹は生理食塩水を10リットルほど作ってくれるか?」
「すぐに取り掛かります!」
「10リットルですね? 了解です!」
恵と智樹は悠の指示に従って厨房へと走っていった。
「ユウ殿、一体何をなさるおつもりなのですか?」
「それはこれからソフィアローゼ殿にも一緒に説明する。突拍子も無い話かもしれんが、俺を信じてくれと言うより他に無いな」
クリストファーには悠が何をするつもりなのかが分からなかったゆえの質問であったが、信じてくれと頼まれれば大恩ある悠を信じる以外にクリストファーの選べる選択肢は無かった。
「……私はユウ殿にお縋りする以外の道は御座いません。お話を聞かせて頂けるのでしたらユウ殿のお考えに添います」
「ご理解痛み入る。他の者はもう寝るように。それとシャロン」
「はい、何でしょうか?」
最後に悠はシャロンに向けて謎めいた忠告を口にした。……いや、それは忠告というよりも警告と言うべき口調であった。
「もしすぐに治療する事になったら絶対に今晩は部屋を出てはならん。絶対にだ」
「部屋を? ……理由は分かりませんが、ユウ様が出るなと言うなら絶対に出ません」
「不自由させて済まん。これはシャロンの為でもあるのだ。では参ろう」
謎めいた警告を残し、悠はクリストファーを伴って再びソフィアローゼの下へと戻っていった。
『万能薬』は魔法毒以外(シャロンの吸血鬼化など)全ての物理的毒素に効果を発揮しますが、飲んだら即死する様な毒に対しては無力です。本気で毒殺を試みる場合、即死系の毒を盛られる事が多く、案外役に立たない事も多々ありました。また、内蔵機能を破壊する毒素に対しても毒自体は分解出来ますが、駄目になった内臓器官自体は治せないので結局手詰まりになってしまう事もあります。
つまり、言うほど万能では無いのですが、とにかく毒であれば何にでも効果があるので最高クラスの毒消しとして一般には認知されています。
ローランも万が一の為に常備していた物を悠に贈った訳です。




