7-78 令嬢救出9
「ふぅ……王妃殿下に失礼な事をのたまうのは実に心が痛みますね……」
「白々しいぞ、はりー。生き生きしていたではないか」
「おっと、謂れなき誹謗中傷。ワタクシの本心を理解してくれるのはやはりユウ殿だけですか」
ハリハリが存在しないリュートを鳴らすジェスチャーで悲しみを表現したが、生憎幻聴を患っている者は居なかったので誰にも伝わらなかった。
《ハリハリは調子に乗り過ぎだけど、パトリシアの精神状態が活性化した事は確かよ。あのままだと自殺でもしかねない状態だったし、今接触を持っておいたのは間違いじゃないわ》
「クリストファー殿も臣下として納得出来ないものもあろうが、緊急性を考慮して俺とハリハリを殴る程度で堪えてくれんか?」
「ワタクシもデスカァ!?」
愕然とするハリハリにクリストファーは苦笑した。
「確かに、臣下としては王妃殿下に対する無礼な言動は看過出来ませんが、今の私はノースハイアに、ノワール侯に降っている身の上ですし、今暴言を吐いたのは『悪魔』のラクシャスとハリベルですから、ユウ殿とハリハリ殿に怒るのは筋違いと言うものでしょう?」
「……クリストファー殿が出来た方でホッとしましたよ。ユウ殿もお人が悪いですね」
「たまに釘を差しておかんとお前は暴走しがちだからな」
悠の言葉に周囲の者達はうんうんと頷き、ハリハリは袖で涙を拭うフリをしたが、またも誰の共感も得られなかった。
「さて、漫才はこの辺にしてそろそろ帰るぞ。始の作業ももう終わる。この穴はまた後々利用させて貰うとしよう。クリストファー殿、ソフィアローゼ殿を預かろう」
穴を埋め戻した子供達が合流して来たので悠はこの場で出来る事は全て終えたと判断し、フォロスゼータを去る事にした。
ヒストリアが掘った穴を降り、氷で蓋をした出口に辿り着いた時、ふとシャロンが頭上を仰ぐ。
「どうした、シャロン?」
「……ユウ様、誰かがダーリングベル家を訪れたようです。複数の反応が敷地内に侵入しました」
「思ったよりギリギリのタイミングだったな……。もう少し遅ければソフィアローゼは違う場所に連れて行かれたかもしれん。毒を盛られていた事を考えれば放置されていた可能性もあるがな……」
「ロッテローゼ様の遺言を無事に果たせて肩の荷が下りました」
危険な局面であったが、何とかソフィアローゼを救い出す事が出来た事にクリストファーが大きな溜め息をついた。もし悠達が手を貸してくれなければ十中八九、ソフィアローゼは命を落としていただろう。
「上の連中が失踪したソフィアローゼに躍起になっている間に俺達は抜け出すとしよう。朱音、よろしく頼む。それと始、この硬い岩盤を再現するのは骨だろうが、出口の表面だけでいいから外から見ても分からないように隠蔽出来るか?」
「この穴を全部じゃないなら大丈夫です」
始は自信のない事を安請け合いするような性格はしていないので、安心出来る返答と考えて良いだろう。
朱音が氷蓋を取り除き、『水中適性』を全員に掛けると、水中に没した悠達は出入り口を塞いで帰途を急いだのだった。
「おかしいな……」
久々にダーリングベル家を訪れたガルファの口から最初に発せられたのは疑問であった。
「ガルファ様、如何なされましたか?」
新しく付けられた部下の問いを煩わしく思いながらも情報の共有はしておかなければならないので、以前なら取り繕った微笑みで諭したのだろうが、今のガルファにその様な心理的余裕は無く、感情を乗せる事無く言葉を返した。
「屋敷を訪れた者はおろか、屋敷から出かける者の足跡もない。最低でも丸2日以上はここから出入りした者は居ないようだ。それに、この冷える時期に火を焚いている様子もない。どう考えてもおかしいだろう?」
「言われてみれば……煙突から煙が上がっておりませんな……」
ガルファに指摘されて初めて部下達は屋敷の異常に気がついたようだった。ガルファからすれば信仰心ばかり過剰で低脳な者よりも実務能力に秀でた手足が欲しいのだが、所詮自分以外の人間などこの程度のものと感情を割り切った。だが、聖務と言い渡されていた部下達はガルファの想像を遥かに超えて愚かであり、目の前の出来事に心を奪われ、ガルファが止める間もなく暴挙に出た。
数名の男達が険しい表情で屋敷の敷地内に飛び込み、勝手に屋敷の中に押し入るのを見てガルファは驚愕のあまりしばし呆気に取られてしまったが、慌てて副隊長に当たる男の胸倉を掴んだ。
「な、何をやっているのだ!? 私はまだ命令を発してはいないぞ!!」
「は? いえ、しかし、我らはこの家に異端の疑いがある者が居るとしか伺っておりませんし、万一にも取り逃がす訳には……」
「今この屋敷に居るのは老人と病人だけだと報告書に記載されていたはずだぞ!! どうせ大した抵抗は出来んのだから、まずは逃げられぬように包囲すべきだろうが!!」
こんな事は基本中の基本だろうに、副隊長は言われて初めて気が付いた表情でそっと顔を逸らせた。
なぜこんな暴挙に出たのかと言えば、聖務において功績が著しいと認められた者は死後神の国にて優遇されるという教えが聖神教に存在するからだ。とにかく手柄を挙げさえすればいいという時点で思考停止しており、他人を出し抜く事しか頭に無いのである。冷静に考えればそのような利己主義者に徳が積まれるなどという事がおかしいと分かるだろうに、硬直した信仰心しか持たない者達は聖神教でも数多い。
「馬鹿が!! これでダーリングベルの当主を発見し損なったら貴様らに責任を取らせるぞ!! どうせ報告書もまともに読んではおらんのだろう!?」
胸倉を捻り上げるガルファの剣幕に怯んだ副隊長は必死に自己弁護を始めた。
「と、ともかく捕まえさえすれば良いのでしょう!? 我らが押し込んでから逃げ出そうとしても所詮は病人と老人、逃げられるはずもありません!! そ、それにこの雪です、今から逃げたとてすぐに足跡で追いかけられます!!」
「……偉大なる聖神様に祈るがいい。もし取り逃がせば、貴様らには厳しい罰を与える。私が一度言った事を翻すなどと期待するなよ……」
「ひっ、ヒイッ!?」
仮面の奥から放たれる恐ろしいまでの殺気に副隊長は今度こそ言うべき言葉を失い、胸倉を放されると弾かれたように屋敷に向かって蹴躓きながら駆け出した。
「……糞が、これだから神に狂った馬鹿は好かんのだ! 半死人共を捕まえるという楽な任務から試して結果的には良かったな。重要な任務でこんな奴らは使えん。今を乗り切ったとしても近い内に処分してくれよう」
誰にも聞こえないように愚痴を漏らすガルファからは神に仕える者の敬虔さは微塵も感じられなかった。それもそのはずで、ガルファは聖神など信じてはいない。あのシルヴェスタの如き俗物が教主になりおおせるような宗教に信仰心など抱けるはずも無く、聖神教に入信したのはアライアットで聖神教がアライアット王家よりも力を持っていたからに過ぎない。全ては自分が頂に至る為の道具だ。
そしてここにもガルファが弄んだ、壊れかけの道具があった。まだ正式では無いが、ロッテローゼが死んだ事で家督は自動的にソフィアローゼの物になる。それを防ぐ為にわざわざ長い間少しずつ毒を飲ませて弱らせて来たのだが、ソフィアローゼは病弱な体に反して案外しぶとく生き延びた。ガルファとしても服用してすぐにのた打ち回って死ぬ様な強力な毒を盛る訳にもいかずやきもきしていたのだが、既に自分は教主の後ろ盾を得ているのだから多少強引に事を進めても構わないと考え、実行に移したのである。
精々ソフィアローゼには悲しそうな顔の一つでもくれてやって自分が教主に直々に慈悲を請うとでも言えばあっさり騙されるだろう。そしてまずはダーリングベル家の財産を我が物にし、更なる飛躍を目指すのだ。異端審問の罪で取り潰された家はそれを摘発した聖職者がその全てを得ると聖なる法で決められているのだから。
先ほどはあまりの非常識さに怒鳴ったが、ガルファもこの期に及んでソフィアローゼを取り逃がすなどとは殆ど考えてはいなかった。しかし、あれだけ脅しておけば多少は言う事を聞くようになるだろうと、冷笑を浮かべたガルファの笑みが消えるまで後10分ほどの時間を必要としたのだった。
勿論、踏み込んだ部下達は死後2日以上は経過していると思われる老人の死体以外には何も発見出来ず、捜索の心得の欠片も持たない愚か者達によって屋敷は荒らされ、裏庭すら踏み荒らされて僅かに残っていたかもしれない悠達の痕跡が完璧に消されてしまったのは言うまでも無い事である。
せっかく一生懸命隠蔽したのに、捜索した人間の能力が想像の遥か斜め下だったのでめでたくソフィアローゼは神隠しという事になったのでした。
副隊長? この日以来彼の姿を見た人は居ませんよ。




