7α-65 合流8
「出来たぞ、これをルーファウス王に頼む」
「心得た。それと、近い内に『伝心の水晶球』を用意しておいてくれ。一々文でやり取りしていては間に合わない事もある。冒険者ギルドでギルド本部のオルネッタに俺の名前を出せば邪険にはされんはずだ」
「ギルド本部も篭絡済みか、随分と手の早い事だな」
「当然だ、世界にどれだけの猶予が残されているのかも分からんのに怠惰に過ごす事など出来るはずが無い」
悠はラグエルの書類を鞄に仕舞い込むとそのまま席を立った。
「それでは俺は行くぞ。夜の鐘(午後六時)までにノワール領に行かなければならないのでな」
「あまり国内の揉め事程度に貴様が出張るのは愉快では無いのだが?」
悠は知らない事だが、ラグエルは既にノワール家とドワイド家の諍いについてノワール家からの嘆願を受け取っており軍使としてサリエルとアグニエルを派遣しているのだ。本音とすれば改心したとしてもアグニエルと接触させるのは避けたい気持ちがあった。しかし、その忌避感は次の悠の言葉によって粉砕された。
「情報が古い。ドワイド家は既にアライアットと手を結びノワール領に向けて侵攻中だ。俺が行かねば負けないにしてもノースハイアは相当な打撃を被るぞ」
「何っ!?」
国内外の情報収集に熱心なラグエルとしても流石にそこまでの情報はまだ得ていなかった。悠の言う事が本当であれば下手を打つとノースハイアは2つの伯爵家を失う可能性があるという事だ。更に間の悪い事に件の領地にはサリエルとアグニエルが居るのである。2人に何かあればノースハイアの王族は回復不可能なダメージを負いかねない。
「・・・貴様がそんなつまらん嘘など吐くはずもない、か・・・。分かった、ノワール領の事はくれぐれもよろしく頼む。アライアット如きに我が国民を害させる訳にはいかん」
「我が国民か。昔日の貴様からは想像出来ん物言いだな。元より止められても行くつもりだ。必要ならば後ほど詳細を報告してやる」
「やり過ぎて国土を荒廃させるなよ。そうなれば貴様に被害を請求してくれるわ」
「ならば上手く行った暁にはノースハイアの美味い酒の一つでも用意して貰おうか」
悠相手に険悪な口調で話せるラグエルの精神も大したものだが、この2人はこのくらいで話している方がお互いに楽なのかもしれない。それはどことなく悠と雪人の関係を想起させるものである。
言うだけ言って悠は踵を返して変身を解いた。そして振り返る事無く部屋を辞したのであった。
「はーなーしーなーさーい!!! ミルマイズ、放さないと引っ掻くわよぉ!!!」
「引っ掻かれては堪りませんので放しません。それに、カンザキの事はお諦めになりますよう。あれは女や金で動く人物では御座いません。付いて行っても捨て置かれるだけです」
後ろ手にシャルティエルを拘束しミルマイズは城内を歩いていた。遠巻きに見ている者は居るが、王命によりシャルティエルを部屋に送る最中であると言うとほぼ全員がシャルティエルではなくミルマイズを信じた。ミルマイズは私利私欲無く王家に尽くしている事は既に周知されており、以前はその忠義ゆえに貴族に疎まれて投獄された経験すら持っているのだ。遊んでばかりいたシャルティエルとは築き上げた信用の度合いが桁違いなのであった。
「・・・ミルマイズ、あなた、誰かに恋い焦がれた事があって言っているの?」
「さて、人並みに女性と交際した事は御座いますが、そこまで相手に依存した経験は御座いません。私にとって忠誠を尽くすのは王家でありますので」
「それなら私に指図しないで!! いいこと? 相手に全てを捧げ尽してなお報われなくても悔いが無いほどの恋愛は一生に一度、出来るかどうかなの!! 私は自分にその機会が巡って来たら絶対に躊躇わないって決めてるの!! 分かったら放しなさい!!!」
「姫様の恋愛論は高尚であろうかと思いますが、町娘ならともかく王族の娘に許されるものでは御座いません。どうかご自重を」
「このぉ、分からず屋!!!」
「はい、自覚しております」
「あ~ん、カンザキ様ーーー!!! シャルティを攫って下さいまし~~~~~!!!」
喚き散らすシャルティエルの後ろでミルマイズは誰にも見られない様に小さく溜息をついたのだった。
悠が外に出るとそこは既に夕暮れ時であった。
「思いの外時間を食ったな。今から街を出てギリギリという所か」
《ま、ノワール領の場所は分かってるんだから大丈夫よ。飛んで行けば遅れたりはしないわ》
折りしも空からは小さな雪の粒がチラチラと舞い落ちて来ていた。日が翳り、周囲の温度が低下して来たからであろう。悠が手の平で受け止めると、雪片はじわじわと形を変えながら融け去った。
「異国の街で見る雪もまた風流だな」
《これが済んだらちょっと観光でもしたいわねぇ。来年はこの世界に居るかどうかも分からないんだし。スフィーロ、どこかいい場所を知らない?》
《我はドラゴンズクレイドル周辺しか知らぬよ。我にとっては見慣れているそちらより、今見ている景色の方が感動出来る》
ドラゴンは行動しようと思えばその行動範囲は広いが基本的に定住する種族である。だからこそ稀に他の種族の土地に現れると魔物の暴走を引き起こしたりするのだ。
「さて・・・そのせっかくの情緒を邪魔しようという者が居る訳だが・・・」
ごく自然にそう言った悠の鋭敏な感覚に先ほどからチリチリと引っ掛かる気配が一つ、街の一角から感じ取られた。悠が気付いているのであるから当然レイラも気付いている。
《街中で無差別に襲ってくるほど馬鹿じゃないと願いたいわねぇ・・・今の所敵意とは言えても殺気と言うほどじゃないわ。目視じゃ無く『遠視』の魔法の気配がするから相手は多分魔法使いね》
《今更人間でユウを単身で襲う様な世間知らずが居るとは思えんのだが?》
《ミーノスやクォーラルならそうでしょうけど、ノースハイアではユウはまだそんなに知れ渡ってないから跳ねっ返りが居たって不思議じゃ無いわよ。この世界でⅨ(ナインス)の冒険者っていうのはかなり尊敬を集める存在らしいし》
「不意打ちだろうと何だろうと手っ取り早く名前を上げるには最適という事だろう。出来るかどうかは別にしてだが」
こうして狙って来るという事は相手は恐らく冒険者であろう。先ほどの悠の対応を見ても怯まないのならランクもそれなりに高いはずだ。もっとも、魔法使いであると仮定するなら遠距離からの狙撃でケリをつけるつもりなのかもしれないが。
《じゃあこっちも手っ取り早く行きましょうよ。相手が『遠視』を使っている今なら先手を取れるはずよ》
「そうだな、それに対応出来るかどうかで相手の力量も測れるか。時間も押している事だ、行くぞ」
レイラの指摘するのは魔法の基本的な運用方法をついたものである。一般に魔法は一つ発動させていると他の魔法を同時に発動する事は難しい。それは例えると右手でリンゴの絵を書きながら左手でバナナの絵を書く行為に等しい。そんな事が出来るのは一部のハイレベルな魔法使いだけである。ちなみにハリハリクラスになると自前で3つまで基本的な魔法なら同時に行使出来るし、使い捨ての魔道具を使えば更に数を稼ぐ事も出来る。と言っても『連弾』などをしようとすれば途端に魔力制御の関係で難易度が跳ね上がるので4つが限界ではあるのだが。
何気なく歩いている悠は心の中でカウントダウンし、0になると同時に一気に自分を見張る気配に向けて駆けだした。それは近くに居る者からすれば一瞬でその場から消失したかのように見えるほどの早業である。
風を切って走る悠が対象の元に辿り着くのに有した時間は3秒フラットである。ちょうど狭い路地になっているその場所には目も冴える様な赤く深いスリットの入ったローブを身に纏った魔法使いが驚きながらも魔法を構築し終えようとしている所であった。
しかしそれよりも早く悠の右ストレートが赤ローブに向かって放たれ、ミリ単位で止められた拳の風圧が被っていたフードをめくり上げた。恐ろしい威圧感とともに放たれた拳に魔法使いは集中力を乱し、魔法陣が霧散する。
「京介に迫る構築速度だが、敵への反応速度が遅すぎるな。当てるつもりなら詰んでいたぞ?」
「そ、そんな馬鹿な・・・」
ズルズルとへたり込んだ魔法使いはまだ悠と同年代の若いと言っていい女の魔法使いであった。かなり目つきがキツいが、美人であると言ってもあまり文句が出ないくらいには容姿も整っている。髪はノースハイアでは珍しくサリエルと同じような黒であり、一房の三つ編みに編み込まれたそれは今の風圧でローブの外に飛び出していた。
「それなりに魔法は使えるらしいが、俺に喧嘩を売るならもっと腕を磨いておけ。次は止めんぞ」
カタカタと小さく震えていた女の目が悠の言葉に自尊心を傷付けられたらしく更に吊り上がり、震えが止まるとレイラの目に魔力の流れが感知される。
「「それなり」ですって!? 誰に物を言って――」
《止めろって言ってるでしょ。そんな鈍い『炎の矢』なんかで今の状況をひっくり返せるつもり?》
話し言葉に紛れて魔法陣を構築しようとした女の動きが今度こそ完全に凍り付いた。発動前に完璧に魔法を看破された経験など初めての事だったのだ。
「う、嘘よ・・・そんな事が出来るはずが・・・」
「警告はした。人を甘く見た己を呪え」
「あぐっ!?」
悠の手が女の細首を掴み、親指で頸動脈の血流を完全に遮断して意識を断ち切ると女の体は糸の切れた人形の様にくたりと悠に崩れ落ちた。
《普通の人間にしてはマシな方だったんじゃない?》
「まぁな。だが恐らく自分以上の魔法使いに出会った事が無いのだろう。ハリハリを見慣れている俺達にとっては不覚をとる相手ではないな。体術も話にならん。魔法使いとて多少は心得が無ければ接近戦で即殺されるというのに」
悠は女を担ぎ上げて周囲を見回したが、そろそろ夕食の時間のせいか今の攻防を誰かに見られた気配は無かった。本当ならこの場に放り出しておいてもいいのだが今の季節は真冬であり、意識を取り戻すまで放置すれば凍死や凍傷の危険性があるからだ。
「この女も冒険者なのならばギルドに預けていけばよかろう。ついでに俺を狙うとどうなるかくらいは広まっても構わんからな」
《面倒な襲撃者が減るといいわね》
《ユウが厄介事から解放されるとは思えんがな》
《それは同感》
それについては反論せず、悠は女を担いだまま冒険者ギルドへと走ったのだった。
次の話が終わればバロー編の最後まで時間が飛んで合流します。




