7α-57 兄と妹
王宮に入ろうとする悠に珍しい人物から声が掛けられた。
「これはユウ殿、おはようございます」
「おはようございます、ジェラルド殿」
それは上品な雰囲気を纏った副騎士団長のジェラルドであった。綺麗に整えられた口髭といい、艶めく髪といい、まさに貴族然とした気品が騎士のいで立ちからも感じられる点は、同じく髭をたくわえていても粗野なバローと同列には語れない部分であろう。悠の言葉遣いも公の場であるので礼儀に則ったものだ。
「本日も閣下や陛下とご相談ですか?」
「いえ、本日は数日ほどミーノスを離れる為にご報告に参りました。それと雑事を少々」
「左様でしたか。それでは部屋まで同道して構いませんでしょうか? 少し伺いたい事がございまして・・・」
ジェラルドがこんな事を言い出すのは珍しい事である。他人の評するジェラルドという人物は控えめで面倒見が良く、公私の別がはっきりした好人物というものが大勢を占めている。そんなジェラルドが悠に尋ねる事と言えば、悠に思い当たるのは一つしかない。
「道すがらであれば構いません。恐らくジェラルド殿が聞きたいと思ってらっしゃるのは妹君の通ってらっしゃる学校についてでは?」
「流石はご慧眼ですな。妹は騎士団長を尊敬しておりまして、女らしい事よりも槍を振るう方に夢中になってしまい・・・。兄としては邁進する物が見えている事は嬉しいのですが、その勝気な性格が周囲と軋轢を生んでいないか心配なのです。宰相閣下のご宣言も御座いましたし、やり過ぎてしまわぬものかと・・・さりとて副騎士団長の職にある者が妹を心配して様子を窺いに行くなど言語道断ですから」
ジェラルドはエクレアの性格からして退かぬと決めたらたとえ不利な状態であっても退かぬと確信していた。正しい事を正しいと言えるその性格は美点であるが、別の面から見れば柔軟性に欠けるという欠点でもあった。
「実は先日学校で臨時の体術教師として赴いた時、自分が彼女を担当しました。性格は仰る通り勝気かつ一本気であると見受けられましたが、少々思い込みが激しくベルトルーゼ殿の影響を受け過ぎているきらいはあります。もう少し謙虚さを持つ事が出来れば良き騎士になる事でしょう」
「そ、それは・・・愚妹がお手数をお掛けしました!」
恐縮するジェラルドに悠は首を振った。
「いえ、それが教師の役目ゆえお気になさらず。それに、庶民と混じっても自然体で振る舞えるあの性質はこれからの国に必要とされる資質でありましょう。兄上からも良き影響を受けていると思われますが」
「滅相も無い! 私など大した武の才能も無い影の薄い男に過ぎません。騎士団長が輝かしい太陽であるとしたら、私は精々細い月の様な男です!」
手振りで悠の言葉を否定するジェラルドであったが、悠は言葉を付け加えた。
「月の無い夜は寂しいもの。闇が深ければこそ月の有り難さが映えましょう。控えめで実直なジェラルド殿が居てこその騎士団、あまりご自分を卑下なさらぬ事です」
「誠に汗顔の至り・・・ユウ殿の如き英雄にそう言って頂けた事は私の生涯の誉れです」
万事において控え目なジェラルドを見下す貴族は多かったが、部下に手厚いジェラルドを慕う者もまた多かった。実際、騎士団が上手く機能しているのはジェラルドが居るからこそである。
「妹君の事はご心配召されるな。既に良き学友も得て共に切磋琢磨しております。向上心もあるゆえ、良き教師に師事すれば学校を卒業する頃にはひとかどの騎士となっているでしょう」
「下らない質問にご丁寧に答えて下さってありがとうございます。妹は少々思慮に欠ける所がありますので・・・幼い頃から見ているゆえ、いつまでも子供だという意識が抜けず恥を晒しました。お手数をお掛けして申し訳ありません」
「家族というのはそういう物でしょう。自分は既に家族を亡くしましたが、今でも共に楽しく過ごした記憶は残っています。自分にも妹がおりましたので・・・」
悠は亡き両親や恐らくはもうこの世に居ないであろう妹の香織の事を思い出していた。両親とは束の間とはいえその様子を見る事が出来て僥倖であったし、香織については諦めた訳では無いが死んでいたとしても動揺しない程度には心は整理している。もしこの世界で死んだのなら、遺品もこの世界に埋めてやるべきなのかもしれない。しかし一人この世界に葬られるのは香織が寂しがるかと悠は思い直した。感傷であるとは重々承知しているが、それでも妹に出来る限りの事をしてやりたいと考えるのは兄という者達の共通項なのかもしれない。
「・・・ユウ殿はご家族を持とうとはお考えにはならないのですかな? 望むのであれば独身女性の大半はユウ殿ならば射止められると愚考致しますが?」
「自分は武人としてはそれなりかもしれませんが、戦う事に慣れ過ぎてどこか破綻した人間です。結婚を厭う訳ではありませんが、伴侶とするならば戦場で背中を任せられる、自分と同等程度に戦える者と心に決めておりますゆえ、無造作に花を手折るつもりはありません」
ジェラルドの言葉は家族の無い悠を慰める事と、ベルトルーゼに脈があるかという事の2つの意味を含んでいたが、少なくともベルトルーゼではこの方は押し留められないだろうと確信して眦を下げた。ジェラルドはベルトルーゼを愛しているが、それゆえにベルトルーゼが幸せになる事が最も優先される事柄であり、自分の欲求は二の次なのである。・・・それでも悠がベルトルーゼに食指を動かさなかった事にほんの一つまみほど安堵が無いとは言えなかったが。
「それに今の自分には共に暮らし共に戦う仲間がおりますし、日々充実しています。己の私事は成すべき事を成し終えてからとなりましょう。自分の行く道はまだまだ遠いのです。ですが、気を使って頂き感謝致します」
「いえ、差し出がましい事を言いました、お忘れ下さい」
「意趣返しという訳ではありませんが、ジェラルド殿ももっとご自分のお心に我侭になっても良かろうと愚考します。他人の事を考えられるジェラルド殿のお心は尊い物ですが、己の想いを内に秘め過ぎるのは自然であるとは言い難いでしょう」
驚いて悠に視線を向けたジェラルドであったが、悠は前を見据えたまま歩みを止めてはいない。先ほどのほんの少しの安堵の気配を読まれたのだとすればまだまだ自分は青過ぎるとジェラルドは頬を紅潮させた。
「・・・ご忠告、心に留めておきます」
一通りの話が済んだ所で悠達は執務室の前に辿り着き、ジェラルドと別れたのだった。
苦労人ジェラルドさん。妹を心配したりベルトルーゼを心配したり大変ですね。
悠も手がかりがあればもっと香織の事についても調べたりしたいのですが、現状ではほぼ0なのでどうしようもありません。




