7α-55 多忙な日々28
「ほら、いつまでボーッとしている気だ!! 食わんのなら下げさせるぞ!!」
リッツに怒鳴られ食事の手を止めていた者達は慌てて自分達の食事に戻り、リッツはアルトに向き直った。
「悪かったな、メルクーリオも普段は悪い奴じゃないんだが、見ての通り貴族を毛嫌いしているんだ。普段から貴族の生徒とは話さないし、仲良くしようという気も無い。今回は自分が一目置いているジェイとライハンが君と仲良くしているのが気に食わなかったのだろう」
「理由も無く嫌われるのは納得しかねますけど・・・」
アルトが如何に穏和な性格をしているからといって意味も無く嫌われ、罵られれば愉快な気持ちであるはずがない。しかし、そんなアルトにリッツは諭す様に語った。
「それは勿論そうだろう。しかしアルト、君には分からないかもしれないが、食うに困らないというだけで君が顔も知らない誰かに恨まれたり蔑まれたりするのは当然の事なのだよ。その日その日を暮らすだけで精一杯の庶民がこの国にどれだけ居ると思う? そんな人間にしてみれば、貴族というだけで憎むのに足る立派な理由になるんだ。その際、君の人格は関係無く肩書きだけが彼らの目には映っているんだよ」
「・・・仰る事は理解出来るつもりですが、学校の目的の一つは貴族と庶民の相互理解と伺っています。庶民の方々の暮らしも大変でしょうが、貴族も今は昔と違って働かない者には居場所はありません。今は諍いばかりが起こっていますが、自分達の事を知り合い切磋琢磨すればその内きっと歩み寄れます。それを理解出来ていない貴族の子弟が多い事は赤面の至りですが・・・」
「・・・なるほど、噂通りの優等生だ。しかし君の言葉は言うのは容易いが実践するのは茨の道だぞ? 果たして君が学校に居る間にどうにか出来るのかな? それは時には自分を偽らなければならないかもしれないが」
ジロリと目を細めるリッツの威圧感は中々の物だったが、アルトは自分になんら恥じる事無く答えた。
「自分を偽って誰かと本当の信頼関係は築けません。この学校に居る間は僕は素の僕のままで皆と仲良くして行きたいと思います。僕の先生が言っていました。人間は100年もすれば嫌でも死んでしまうのだから、自分を偽って生きている暇なんか無いんだって。人の気持ちを慮って言葉にしない事はあっても、言うべき事を言わない様な人間には僕はなりたくありません」
アルトの言葉は全くもって正論であり、そしてアルト自身がそう信じているのがその真剣な表情から伝わって来たのでリッツは表情を改めた。
「・・・そうか。ならば俺が言う事は忘れてくれていい。良い先生に師事したんだな」
「はい、自分自身にはまだ至らない所ばかりですが、世界一の先生に教えを受けたという事だけは胸を張って肯定出来ます」
「その先生によろしくな。では行きなさい、急がなければ食事の時間が終わってしまうよ?」
「はい、失礼しました、リッツ寮長」
その場で頭を下げ、アルトは食事を受け取りに窓口の方へと歩み去った。
(しっかりした子だ。我々大人も何か手段を講じなければならないな・・・)
アルトの後ろ姿を見送りながら、リッツは寮でも何か出来ないかと思案に耽るのであった。
「クソ、メルクーリオの野郎好き勝手言いやがって。自分が貴族が嫌いだろうと俺に関係ねぇだろうが」
「やっぱ一回シメとくか、ジェイ?」
「止めなよ、あんなに痛い目に遭っても謝らないって事は、きっと深い理由があるんだよ」
「んな事ぁ分かってるぜ。理由も知ってるからな。だからって俺達が黙って言われっぱなしで我慢する理由もねぇよ」
「しかも向こうは謝ってねぇんだから、これでチャラには出来ねぇな。もしまた絡んで来るなら、ちゃんと俺が一対一でぶっ飛ばしてやる!」
荒々しく食事を平らげるジェイとライハンはよほど腹に据えかねたようだった。その点ではアルトも異論は無い。たとえ貴族が嫌いでも、漠然とした嫌悪感で全ての者を一括りに嫌うなどという視野の狭い先入観の先走った考え方は悠が厳に戒める所である。庶民に善人しか居ないはずも無く、貴族も悪人だけで構成されていた訳ではないのだから。
「落ち着いてライハン。ジェイ、それはどんな理由なの?」
「・・・悪ぃがアルトにも話せねぇな。俺は密告は好きじゃねえ。ただ、メルクーリオの貴族嫌いは筋金入りだし、それは別にアルトが悪いんじゃねえ。だからお前は気にすんな。これはイチャモン付けられた俺とライハンの問題で、俺達とアイツでカタを付けるべき事だ」
下町のリーダー的存在であったジェイはその事情を知っている様だったが、それはあくまで逆恨みであってアルトが悪いのではないと断言し会話を打ち切った。アルトはその理由を聞きたい気持ちはあったが、個人的事情を他人に漏らすのは確かに褒められた行為ではないので引き下がる事にした。どうしても事情を知りたいのなら自分がメルクーリオに聞くしかないだろう。もっとも、話してくれるとは思えないが。
「そんな事よりアルト、メシ食ったら俺達に稽古を付けてくれよ。お前が居る間にちょっとは鍛えておきてぇんだ」
「まだやんのかよ、ジェイ?」
「たりめーだ、俺は舐められるのと同情されるのが大嫌いなんだよ。今日みてぇな事があっても次からは自分だけでもどうにか収められる様にならねぇと気が済まねぇんだ」
目を吊り上げて乱暴に食事を掻き込むジェイにアルトは少し困り顔で答えた。
「・・・単に喧嘩に強くなりたいだけが理由なら僕は断るよ?」
「ちげーよ! 俺は将来は実家の娼館を継ぐつもりだからな。面倒な客や商売敵と渡り合う為に力が欲しいんだ。雇った護衛なんぞいつ逃げちまうか分かったモンじゃねぇからな。ウチの女共は俺が守らなきゃならねえ。ガキの喧嘩に強くなる為にわざわざメシ食った後まで稽古なんぞするかよ」
「俺はそんな無茶をするジェイを守らねぇとなんねぇな。ジェイは冷静に見えて一度決めたらどんなにヤバい事でも退かねぇから」
「うっせー! お前はすぐに熱くなんだろうが!」
「イテッ!!」
ゴスッとライハンの頭を殴るジェイの顔からはメルクーリオを叩きのめして悦に浸る様な後ろ暗さを感じなかったので、アルトはしばし考えてから頷いた。
「・・・分かった、そういう事ならいいよ。将来の為に努力するのは学校の目的に沿う事だからね。食事が終わったら着替えて外に出ようか」
「おう。今日ユウに習った事も復習しておきたいしな」
「先生」
「あん?」
唐突なアルトの発言に頭の回転の速いジェイも疑問符を浮かべて聞き返した。
「ユウ先生だよ、ジェイ。教えてくれた人を呼び捨てにするのは礼儀知らずと言われても仕方が無い事だ。ましてやユウ先生は僕達よりずっと年上なんだから、呼び捨てにしちゃいけないよ。いいね?」
アルトの顔はいつもと変わらないが、その目だけは強い眼力でジェイを貫いており、流石に肝の据わったジェイもその迫力に押されてコクコクと首を振った。
「あ、ああ、悪ぃ・・・ユウ先生な、ユウ先生」
「うん。年上でも敬意を払う必要を感じない人は沢山居るけど、そうでない人にはちゃんと敬意を払うべきだよね、ライハン?」
「お、おお、そ、そうだな・・・」
クルリと振り向いたアルトにライハンもジェイと同じ様に頷いた。アルトの背後ではジェイが小さく「今のアルトに逆らうな」と目で語り掛けて来ていたのでそれに倣ったのだ。
アルトは悠を尊敬している。いや、崇拝しているとすら言っても過言ではないかもしれない。だからアルトは悠を馬鹿にされたり軽く見られたりする事を極端に嫌っていた。アルトにとって悠は単なる師匠ではなく、その生きた軌跡はそのまま物語として語り継がれるに値する並ぶ事無き英雄なのだ。悠を尊敬し過ぎている事こそがアルトの一番の欠点なのかもしれない。
「あの、我々もその鍛練に混ざってもよろしいでしょうか?」
その微妙に緊迫感が漂う場に第三者が割り込んで来た為、空気が切り替わったのはジェイとライハンにとって幸運な事だっただろう。アルトが振り向くと、そこには今日の昼、アルトが庇った貴族の子弟が数名緊張した面持ちで整列していた。
「君達は昼の・・・」
「はい、その、我々もあれから自分の行いを反省しまして、これからはより一層文武に励んで行きたいと思いまして・・・」
どうやら彼らはその後のローランの放送などから本当に自分達の行為を悔いているらしく、その目には弱々しいながらも意志の光が感じられたのだった。ならばアルトの答えは決まっている。
「うん、いいよ。でもその前にジェイとライハンに謝ってね? 流石に魔法を喧嘩に使うのは危険過ぎるから。それと同学年で敬語は禁止。僕もここでは皆と対等なんだから」
「そ、それはもう! ・・・あの、君達、済まなかった。・・・いや、悪かった。許してくれないか?」
アルトに促され、貴族生徒達は次々とジェイとライハンに頭を下げた。
「ジェイ、これでもういいでしょ?」
「・・・チッ、ここでゴネたら俺の方がガキみてぇじゃねぇか。いいって、もう気にしてねぇよ」
「・・・ま、いつまでもグチグチ言ってるのはメルクーリオと同じになるからな、ジェイがいいんなら俺もいいぜ」
まだ完全に蟠りは解けてはいないが、先ほどのメルクーリオと同一視されるのはどちらも御免被りたかったので頷き返した。
「うん、良かった。じゃあ着替えて玄関に集合しよう。ジェイ、練習用の武器はあるの?」
「あるぜ。リッツ寮長の許可が要るけど、アルトなら大丈夫だろ。んじゃ行くか」
そのまま食堂を出ようとしたジェイだったが、アルトに肩を掴まれた。
「ん? なんだよ?」
「ジェイ、食事は食べたら終わりじゃないよ? せめて窓口に下げるべきだと思うな」
アルトの言う通り、ジェイの席には食器が置きっぱなしになっている。アルトも以前は食器は用意される物であり使用人に下げられる物であったが、悠の屋敷では食器は必ず自分で下げる事が当然として行われていた。家事は多人数になればなるほど負担が増大するのだから、せめて出来る範囲で手伝うのが食事をした者のマナーであると仕込まれていたのだ。
「・・・分かったよ、全く俺のお袋より厳しいぜ・・・」
「何か言った?」
「なーんにも。オラオラ、お前らも下げろよな。俺だけ下げてたら恥ずかしいじゃねぇか!」
「あ、ああ。分かった!」
こうしてこの寮ではアルトが居なくなっても食器を下げるという習慣が残って行く事になるのであった。
並行してやっている作業のせいで遅筆気味ですがご容赦を。少しずつ寮内も打ち解けてきました。雨降って地固まるという感じですが、メルクーリオは難物そうですね。




