7α-53 多忙な日々26
職員室に戻ると、そこでは教師達が熱く議論を交わしていた。その話題の発端はアルトが入室して来た際、「そう言えばあの子が今日の騒ぎを幾つか収めてくれたんですよね?」とオランジェに問い掛けた事である。
「やはり貴族と庶民はクラスを分けるべきなのでは? このままでは近い内に退学者が続出しますよ?」
「それでは共学の意味が全く無いではありませんか!! それに退学者が出るというのなら幾らでも出してしまえばいいのです!! 大多数の人間が残るのなら相容れない少数の不良生徒など必要ないはずです!!」
「口を慎め。そうやって少数を切り捨て続けていてはいずれは半分近い生徒が学校を去らねばならん。各々の価値観の違いをすり合わせていかなければそれこそ共学の意義を問われようぞ」
「実際問題として、貴族生徒の方が制限が厳しいのですよ。万一退学にでもなれば本当に国の職場にはフェルゼニアス公・・・理事長は採用なさらないでしょう。今のままで大過なく過ごせるとはとても思えませんね」
「だからと言って手心を加えるのでは今後は教育の意義を問われます。あくまで平等に接した結果として貴族に厳しく感じるというのなら、それは貴族が甘やかされていた証拠に他なりません。将来この国を担うならば尚更まともな感性と庶民の視点を学んで貰わないと禍根を残してしまいます。私は今の方針を貫くべきだと・・・おや、アルト君、理事長のお話は済んだのかい?」
最後に発言していたオランジェがようやく所在なさげに立ち尽くしていたアルトに気が付いて声を掛けた。それと同時に少々熱を帯びていた教師陣の頭を冷やす目的もあったようで、軽く片目を閉じた。
「ええ、終わりました。無言で出て行くのも憚られましたので・・・」
「うん、今日はご苦労様。・・・それと、明日の朝は走らなくて済むように気を付けるんだよ?」
「も、申し訳ありませんでした!」
軽い話題で場の雰囲気を和ませ、オランジェはアルトを退室させようとしたが、そこに他の教師から待ったが掛かった。
「君がアルト君か。今日は随分と君に助けられたと報告されている。・・・こんな事を生徒である君に聞くのは如何なものかと思うが、君は貴族であるのにどちらの生徒とも良好な関係を築けていると伺った。君は両者の溝はどうやって埋めていけばいいと考えているのか少し聞かせては貰えないだろうか?」
その質問をしたのはオランジェと同じ1年生の教師で1-2担任のスルーシア・リヴァイア教諭である。生徒に教える内容は算術で、その世界では少しは知られた才媛にして貴族であり、怜悧な美貌とこの国では珍しく黒に近い色をした癖のない髪を綺麗に整えていた。
「リヴァイア先生、それは我々教師が考えるべき事で、貴族であり理事長の息子であっても一介の生徒であるアルト君に聞くべきでは無いのでは?」
「いえ、アルト君はいつまで学校に居るか分からない身の上です、聞けるべき時に聞いておくのは私も良い事だと思います。アルト君、一言二言でいいから何か思う所があったら聞かせてくれないかな?」
生徒を巻き込む事を咎めた教師をオランジェが宥めた。アルトの知性と見識であればこの議論に一石投じる事が出来るのではないかとオランジェも考えたのだ。自分達を不甲斐無く思う気持ちもあったが、そんな小さな誇りに拘泥するよりもよりよい教育のあり方を考える方がオランジェには重要に思えたのだった。
「先生方を差し置いて僕に言える事があるかどうかは分かりませんが・・・」
アルトはそう前置きして自分の考えを述べた。
「共に学び、共に暮らしていてもそれはあくまで個が集まっただけで連帯はしていません。授業にしてもあくまで個々人が教わっているに過ぎないからです。ですので、全員が否応無く参加する様な、協力し合わなければ達成出来ない何かをなさっては如何でしょうか? 僕もユウ先生の下で剣や体術だけではなく、他の一般の子に混じって掃除や洗濯、料理、裁縫まで色々な事を教えて頂きました。それらの事が相互理解に繋がった事は否定出来ません。あくまでも僕の意見ですけれど」
『竜ノ微睡』の最中、アルトは子供達と同列に扱われていたので、当然それらの作業にも従事していた。幸い、アルトはどれも器用にこなせる様にはなったが、それでも始めの内は慣れない事ばかりで苦戦したものだ。そんな時に助けてくれたのが他の子供達であり、その子供達を統括する恵であった。
「アルト君、初めてやる事が上手く出来ないからって気にしていたら何も出来ないわ。まずは本当にゆっくりでいいから一つ一つの作業を丁寧にやってみて、それが綺麗に出来る様になったら少しずつ早く出来る様にしていくのよ。ほら、まず包丁に指を添えて、少しずつ回しながら・・・あっ、押さえてる指はその場所じゃ危ないわ。回しながら押さえる手も少しずつずらして・・・そうそう! その調子よ!」
手取り足取り教えてくれる恵に必死に冷静さを保ちつつ、アルトはそれらの作業を通じて本当の意味で打ち解けていったのだ。
「なるほど・・・相互理解、か」
「体験者が言っているのですから、一定の効果は見込めるのではないですか? 問題は何について共同で体験させて連帯感を養うかという事ですが・・・」
「授業で一定数で班分けし、課題を出してそれに当たらせてはどうだろう?」
「いえ、現時点では学力の差があり過ぎてあまり効果が見込めません。そういう授業をするならもう少し時間を置いてからでなければ」
「体術や魔法も基本的に貴族生徒の方が優越しているからあまり意味はないですね。もっと年相応に均等に機会が得られて尚且つ連帯感が養われる事は・・・」
「それこそ料理や裁縫の授業でも取り入れてみますか? 自慢ではありませんが、こう見えても私はやもめ暮らしが長いのでそれなりに自信が・・・」
「やる場所がありませんよ。それに、男の料理なんてただ焼くだけがいい所でしょう?」
「ちょっとちょっと、皆さん。情熱があるのは結構ですが、アルト君を置き去りに議論に熱中するのは些か配慮に欠けるのではありませんか?」
アルトの意見を汲み取って再び始まった議論の流れを遮ってオランジェが声を上げると他の教師陣もふと我に返ってアルトに謝罪した。
「済まない、我々もこう見えてかなり焦っていて周りが見えていなかったようだ」
「君の有益な意見は是非参考にさせて貰おうと思う。ありがとう」
恥じ入る教師陣にアルトはニコリと笑って言葉を返した。
「いえ、先生方が学校や教育について真剣に考えて下さる方ばかりでとても嬉しく思います。僕も至らない所があるかと思いますので、ご指導ご鞭撻をよろしくお願いします。それでは友人を待たせていますので失礼しますね」
アルトは教師陣に頭を下げ、そのまま完璧な礼を保ちつつ職員室を辞した。それを見た教師達は顔を見合わせ深々と溜息を付く。
「見たかね? あれが我々が理想とする生徒だよ。文武両道、容姿端麗、高潔無私、公明正大・・・さて、幾つ言葉で飾ればいいのか見当も付かない。私に子供は居ないけれど、あんな子に育ったら親としてこれ以上幸せな事はないと断言出来るね。フェルゼニアス理事長を今日ほど羨ましく思った日はないよ」
「全く・・・見合いの相手でも探そうものならこの広い街の外まで長蛇の列をなす事でしょう。そんな生徒が短期間しか居てくれない事が残念でなりません」
「おいおい、随分とウチのアルトを持ち上げてくれるじゃないか」
そこに隣室のローランがやって来てちゃっかり会話に混ざって来た。
「しかし事実でしょう?」
「まぁ、手の掛からない子だった事は確かだけど、それはむしろ私よりもミレニア・・・妻の影響が大きいと思うから私の手柄にするのは少々後ろめたいよ。それに、見ての通り細身だけど昔はそれに輪をかけて細かったから親として随分心配もしたものさ。ユウに預ける様になって男としての芯も出て来たし、親としては一安心と言った所だね。それに、アルトにだって欠点が無い訳でも無いし」
「この上まだ望む物があるんですか?」
少々呆れた様な口調で教師の一人が口にすると、ローランも如何にも真剣に悩んでますといった風で重々しく頷いた。
「いや、これは教えるべきか教えないべきか判断に迷う所でね? 実は・・・」
「・・・実は?」
思いの外真剣なローランの様子に教師達も自然と声を潜めて顔を寄せ、教師達の顔を見回しながらローランは口を開いた。
「アルトは・・・・・・・・・奥手なんだ」
一瞬で緊迫した空気は漂白され、重い沈黙がその場を支配した。特にスルーシアの視線は極寒と言っていい冷たさであった。
「・・・さて、皆さん、そろそろ生徒も帰りましたし、校内の見回りをしてから帰りましょう。そのあとどこか別の場所で食事を取りつつ意見を交わすのはどうでしょうか?」
「そうですね、では行きましょう。私は出不精でしたので、良いお店を知っていたら誰か教えて下さい」
「でしたら大通りの途中にいい店が・・・」
スルーシアの言葉で今の話を聞かなかった事にした一行はそれぞれ自分のすべき事をする為に散って行き、ローランはポツンと職員室に取り残された。
「・・・うん、皆さん少しは冷静になって頂けたようで何よりです。ところでどこに集合なんですか? 私も行ってもいいんですよね? 私理事長なんですけど。理事長なんですけどー!!」
大切な事なので2回言ったのだが、それに答える者は誰も残っていなかったのであった。
ギリギリ間に合った!
腕がプルプルしているので誤字有りの可能性が高いです。
それにしても先生達も高い倍率を潜り抜けて来ただけあって皆やる気がありますね。現実でも見習って欲しいです。




