7α-47 多忙な日々20
魔法を使えないのは大多数が庶民であるのは既に述べた事であるが、そうすると貴族の生徒は『覚醒儀式』の間は手持ち無沙汰という事になる。魔法の授業と言えど勝手に危険な魔法を使う事は禁じられており、エルメリアも既に『覚醒儀式』を済ませていたので取り巻きの者と魔法の復習に取り組んでいた。
「エルメリアが奉る。光よ、闇を照らせ。『光源』」
エルメリアの魔法の発動と共に光の球が手の先に現れる。それは揺らぎも明滅もせずに発現しており、エルメリアが普段から真面目に魔法に取り組んでいる事が窺えた。
「エルメリア様、今更エルメリア様がその様な基本的な事をする必要は無いのでは?」
「そんな事はありません。魔法は使い慣れていませんと咄嗟に上手く使う事が出来ませんもの。いざという時に使えないのでは意味はありませんわ」
エルメリアは確かに典型的な貴族思考の持ち主ではあるが、それも実力に裏打ちされてこその物だ。人の上に立つべき者としての教育がエルメリアをそうさせていたが、残念ながらまだ柔軟性に欠けている。それでも他の貴族の者達に比べれば遥かにマシと言わざるを得ない出来事がそこから少し離れた場所では起こっていた。
「あの程度の魔法が使える様になったからと言って大喜びとは。これだから庶民は品が無いと言われるのだ」
「全く退屈な内容だ。『戦塵』が手ずから教えると言っても所詮こんな物か。力量に劣る者達に合わせていては我々の実力まで疑われてしまう」
「こんな事では腕が鈍ってしまいそうだよ」
多少魔法が使えるからといって『覚醒儀式』に喜ぶ庶民の生徒達を見下す貴族の生徒達が鍛練場の一角に集まりせせら笑っていた。当然彼らはエルメリアの様にハリハリの言葉を聞いて復習する様な勤勉さは持ち合わせておらず、低レベルな魔法に大はしゃぎする生徒達を見て自らの自尊心を満足させていた。
それだけならばまだ実害は無かったのだが、やがてそれにも飽きた者達が自分達の実力の一端を見せ付けてやるべきではないかと言い出した事で場の雰囲気が怪しくなり始めた。
「ここは我々がどれほどの実力を有しているか、哀れな庶民共に教えてやるべきではないだろうか?」
「それはいい考えだ! 『光源』の魔法如きではしたなく騒いでいる庶民が我々の魔法を見れば、いくら知能が劣悪でも貴族と庶民の差という物を理解するに違いない!」
「ならば出来るだけ派手な魔法がいいな! そうであればやはりここは火属性魔法だろう!」
残念な思考を辿る彼らはアルトが諭したのとは別のグループである。アルトが諭したグループは完全に考えを変えていないまでも、自分達が問題を起こした場合にどうなるかという事にようやく気付き始めていたからだ。
鍛練場には魔法用の標的があるが、今はそちらは『覚醒儀式』に集中している為に誰も注意を払っていなかった。また、本来は周囲への魔法の影響を抑える為に標的を囲う構造になるのだが、まだ授業で射出・放出系の魔法を使用する予定は無いのでその囲いも取り払われている。
しかし貴族の生徒達はそんな事などに疑いを持つ事も無く、早速魔法の発動準備に取り掛かった。
それに最も早く気が付いたのはエルメリアであった。他の者達の魔法の進み具合を眺めている最中に不穏な動きを見せる一団が目に止まったのだ。
(あの人達は何を・・・『光源』の魔法に標的は必要無いはずなのに・・・。まさか!?)
エルメリアはその一団の意図を察してその場から駆け出したが、混み合っていた為に半分の距離を残して魔法が発動してしまう。
貴族の生徒達が使ったのは『炎の矢』の魔法であったが、各自発動タイミングも込める魔力の量も全て適当という、ハリハリが見ていたら目を覆わんばかりのお粗末な魔法であった。おまけに魔法陣の構成も甘く、狙いが絞られていないのが致命的な事態を呼び込んでしまう。
最初に標的に着弾した物はまだマシであったが、それが最も数、威力共に強かったせいで後続の魔法に影響を及ぼしてしまう。魔法は魔力を用いるが、それによって引き起こされた火や水などはれっきとした物理現象である。火の塊がぶつかれば大気に乱れを生じ、規模によっては爆風を生む事もあるのだ。
結果、室内という環境で無風に保たれていた中で発生した爆風は最後尾の『炎の矢』を煽り、ただでさえ狙いの甘い『炎の矢』を標的から大きく逸らしてしまう。
「あっ!?」
貴族の生徒達が不味いと思った時には既に遅く、魔法は標的から大きく外れて『遠隔視聴』に使用されている幕に直撃、瞬時に燃え上がらせてしまった。
アーヴェルカインにも不燃布は幾つか存在するが、ケイブクロウラーを始めとしたそれらはどれも非常に高価であり、幾つもの幕が必要な学校において用いられる物では無かった。そもそも幕が燃えるなどという事態すら想定されてはいなかったのだから当然である。
「キャアアアアアア!!!」
「か、か、か、火事だーーーーーッ!!!」
「ひっ!? わ、私・・・僕が悪いんじゃない!!! ま、魔法が勝手に逸れたんだ!!!」
「下がれ!! 危ないから下がれッ!!!」
突然の炎に生徒達がパニックを起こして悲鳴を上げた。教師陣も必死に抑制に努めたが、現実として存在する炎の恐怖を抑える事は出来ず、当事者の貴族達は腰を抜かして責任を押し付けあう始末であった。
そんな状況に最初に一手を打ったのは一番最初に気が付いたエルメリアである。
「『水球』!」
エルメリアの手から放たれた直径20センチほどの水の球が燃え盛る幕の中ほどに当たると大量の蒸気と耳障りな音を立てて僅かに炎を減衰させる。が、次の瞬間には再び炎は激しく燃え上がった。
「ここからじゃ遠いですわ!! そこのあなた達、早くお逃げなさい!!!」
もっと近付いて魔法を行使しなければ効果が薄いと見て取ったエルメリアが火元の幕に近付きながら腰を抜かす貴族達に呼び掛けた。しかし彼らは炎を見て身を竦ませており、とてもではないがエルメリアの言葉通りに動けるとは思えなかった。
これ以上問答しても効果無しと悟ったエルメリアはその一団を無視し、再び『水球』の魔法を詠唱に入った。だがエルメリアが目を離した隙に状況は悪化してしまっていたのだ。
「あっ!?」
エルメリアの頭上に幕の一部が千切れて巻き取り部分と一緒に落下して来たのだ。これは自然に燃え落ちたのではなくエルメリアの魔法が原因であった。魔法は物理現象を伴う物もあると前述したが、エルメリアの使った水の魔法はまだ燃えていない幕の一部に吸い取られ、その重量バランスを崩していたのだ。燃えて脆くなった所に重さが加わり、持ち堪える事が出来なくなったのである。
それについてエルメリアを責めるのは酷な話であろう。しかし、基本的な火には水という消火法が必ず正解であるとは言い切れないタイミングや状況もあるのである。強いて言えばエルメリアにはまだ経験が足りなかった。
魔法に集中しかけていたエルメリアは身を翻す機会を失ってきつく目を閉じた。せめて直撃の瞬間を見ない様にする無意識の逃避であったが、そのエルメリアの耳に叫び声が届いた。
「うおおおおおおおおおおッ!!!」
エルメリアが頭上に風を感じると共に燃えながら落下する幕の一部が粉々に吹き飛んだ。無数の火の粉となった幕がエルメリアに降り注いだが、誰かがエルメリアの頭を抱いて覆い被さり、その火の粉からエルメリアを守る。
床は石畳の為に燃える心配も無く、落ちた火の粉はすぐに灰となった。何が起こったのか分からないエルメリアだったが、やがて優しげな声がその耳に滑り込んで来た。
「・・・ふぅ、大丈夫、エルメリアさん?」
「・・・・・・・・・そのお声は、アルト、様?」
恐る恐るエルメリアが顔を上げると、そこには所々煤に黒く汚れたアルトの笑顔があった。アルト自身は軽く火傷を負っている様で、それを見たエルメリアが青褪める。
「あ、あ、アルト様!? アルト様こそ無事ですの!? ああ、こんなに汚れてしまって・・・」
エルメリアはアルトの煤を拭き取ろうとハンカチを取り出して手を伸ばしたが、少し拭いた時点でアルトに手を掴まれた。
「あっ・・・」
「ありがとう、でもまだ火は収まってないんだ。まずは消火をしないと・・・!」
今落下して来たのは幕の下半分であり、残り上半分はまだ燃えているのだ。それに鍛練場には光を遮る為の暗幕などもあり、早く消火しないと危険である。
しかしその時にはもうアルトの側には頼りになる魔法使いハリハリが到着していたのだった。
「お2人共、もう大丈夫ですよ。『鎮火!!』」
殆どタイムラグ無しでハリハリが発動させた魔法は周辺の存在する火の気を残らずハリハリの人差し指の先へと吸収されていき、一つの火球となって纏まった。魔法の『火球』と異なり、魔力の供給によって維持されていない火球はやがて勢いを失い消滅する。ハリハリは気障な仕草で指先にフッと息を吹き掛けてアルトに向き直った。
「流石アルト殿、身を挺して女生徒を庇ったのですね。アルト殿には今日の授業の花丸をあげましょう」
「いえ、ハリハリ先生こそ。あの炎を一瞬で消してしまうなんて流石です!」
「あなたも怖かったでしょう? どこか怪我はありませんか?」
「わ、私は何ともありませんわ!! それよりアルト様が・・・!」
そう言われてハリハリはアルトを見直したが、特に怪我らしい怪我も無い様子だ。しかしほんの少しの傷でも自分を庇って負った怪我という点がエルメリアには重要なのだろうと察したハリハリは話しながらアルトの頭に手を乗せ、『治癒』の魔法を発動させた。
「ふむ・・・鍛練場だけでも幕は燃えにくい物を使った方が良さそうですね。ローラン殿に御注進しておきますか」
「そうですね、万一魔法が的を外したら同じ事が起こるかもしれませんし・・・あ、もう大丈夫です、ハリハリ先生」
普通に会話しながら回復魔法までこなすハリハリにエルメリアは瞠目したが、ハリハリにはその疑問に答えるよりもやらなければならない事があった。
「ではアルト殿、私は仕事があるので失礼しますよ。なに、ほんの1分程で済みます」
そう言ってハリハリは『拒視の指輪』を指から外して貴族の生徒達に近付いていき、腰を抜かしたままの彼らに声を掛けた。
「君達はお怪我はありませんか?」
一瞬、怒られると身を固くした生徒達だったが、ハリハリが穏和に問いかけて来たのでこれ幸いにと捲くし立てた。
「た、助けるのが遅いぞ!!」
「そうだそうだ!! もう少しで怪我をする所だったじゃないか!!」
「僕達が怪我なんかして学業に差し障りが出たらどうしてくれる!!」
あまりに身勝手な事を言い募る貴族生徒達にアルトが拳を握り掛け、エルメリアが同じ貴族の醜態に羞恥を感じたが、ハリハリは特に表情も声音も変えなかった。
「なるほど、怪我は無いのですね。では代わりにこれをどうぞ」
むしろニッコリと生徒達に微笑んだ後・・・ハリハリは指輪を外した手で貴族生徒の顔を殴り飛ばした。
「ブッ!?」
にこやかに殴り飛ばされた光景に頭が追いつかない貴族生徒達をハリハリは一人ずつ胸倉を掴んで殴り飛ばしていく。
「ぎゃっ!?」
「オフッ!!」
「グエッ!!」
その場に居る5人を容赦無く殴って地に這わせたハリハリはやはり特に変わらない様子で口を開いた。
「この痛みで今日の失敗を胸に刻みなさい。本当なら手足の一本でも斬り飛ばしてあげてもいいんですが、今後の事を加味して殴るだけにしておいてあげます。いいですか? 魔法は容易に凶器になりえる危険な力なのです。あなた達の様な未熟者が自己顕示欲で使っていい物ではないのですよ。ここにいる皆さんも良くお聞きなさい!!! 今の出来事で魔法の使い方を誤るとどんな事になるか分かったでしょう!!! 今後は学校内でみだりに魔法を使った者はそれなりの罰が下ると心得なさい!!! 魔法の練習は熟練者か教師の立会いの下でのみ行う事!!! 危険の無い『光源』の魔法だけは個人で練習する事を許可します!!! いいですね!?」
「「「は、はい!!!」」」
全員に呼び掛ける所から大声になったハリハリの声量は鍛練場の隅々まで響き、その声に打たれた生徒達は反射的に声を上げていた。ハリハリは吟遊詩人として喉も鍛えているので本気を出せばこのくらいは出来るのだ。
「ん、結構結構。それではそこの兵士さん方、その子達を連れて行って下さい。彼らにはしばらく頭を冷やして貰います」
「か、畏まりました!!!」
直立不動で応えた兵士は2人ずつ生徒の首根っこを掴んで学校の最上階にある反省室へと連行していった。既に殴られた事で反抗の芽を摘み取られた貴族生徒達は大人しく連行されていく。
「・・・ハリハリ先生が怒ったの、初めて見ましたよ・・・」
目を丸くするアルトにしみじみと言われ、ハリハリは頭を掻いた。
「いやぁお恥ずかしい。ワタクシも魔法の事となるとちょっと熱くなってしまいましたね。でも魔法は使う者によっては非常に危険な力になり得ます。ですから勘違いしている子には早目に釘を刺しておかないといけないんですよ。アルト殿やウチの子供達の場合、そんな愚かな真似をする子はいませんでしたからねぇ。ワタクシだって本当はこんな事はしたくないんです。そもそもあんまり体を鍛えていないので殴った手が痛いですよ」
プラプラと手を振りながら答える通り、ハリハリの手の甲は赤くなっていた。先に指輪を外したのは温情と言えるだろう。
「あのくらいしないと彼らは理解出来なかったと思います。ハリハリ先生が殴らなかったら僕が殴ってましたよ」
「私もですわ! あんな、貴族なのに誇りの欠片も無い人間と一緒に見られているかと思うと・・・!」
「そう言って頂けると助かります。・・・さて、とんだ時間を食ってしまいましたが、『通過儀礼』を終わらせますか。幸い、魔法を甘く見る子は今ので居なくなったでしょう。それでよしとしましょうか」
パチリとウィンクしたハリハリのいつも通りの様子に、ようやくアルトも笑みを返したのだった。
当事者になるまで懲りないのは本物の馬鹿と言います。
そして怒ったハリハリは初めてですね。今までは怒る必要が無かったので穏和なままでしたが、元教育者として締める所は締めます。




