7α-42 多忙な日々15
「中々面白い先生だね、オランジェ先生」
「む、昔のミーノスなら大変な事になってたと思いますけど・・・」
「いいじゃない、私ははっきり自分の考えを持っている先生で良かったと思うわ」
休憩時間になり、アルトはラナティ、エクレアと雑談に興じていた。貴族の2人が歯に衣着せぬオランジェの授業を楽しんでいるのにもう貴族でもない自分の方がオランジェを心配する様な構図にラナティは微妙に戸惑っていた。立場としては2人の方が「全くけしからん内容だ!」と言っても不思議ではないのだから。
周囲の女生徒はなんとかアルトとお近付きになろうと虎視眈々とアルトと話す隙を窺っていたが、その顔や声を聞いただけでふにゃりと意思が溶け崩れてしまい、アルトの周囲には結果的に幸せ空間が広がっていた。
そのフィールドの外側に位置する男子生徒達の空気は殺伐とした物だ。学校は平等なはずなのに何故富(女生徒)は貴族に偏重するのだろうかという考えれば考えるだけ自分自身を傷付ける思考から必死に目を逸らし、ひたすらアルトへの恨みを募らせ、負け犬同士で慰めあっていた。
「ふん、女に囲まれてデレデレしやがって!」
「アイツ自身、女みてぇな顔してんじゃん。女みてぇな・・・女・・・じゃないよな?」
「お、おい、しっかりしろ! 何赤くなってんだよ!!」
「クソ・・・何もかも向こうが上・・・公爵の息子がこんな所に来るなよ・・・」
「今だけの辛抱だ、どうせすぐに居なくなるって!」
そんな不甲斐無い男子生徒達とは違った理由でエルメリアもアルトに近付けないでいた。
(アルト様ともっとお話がしたい・・・。でも女性の方から誘うのはふしだらな娘だと思われてしまうかも・・・。それに、今お話したらきっと私の顔は真っ赤になってしまいます! せめてもう少し心が落ち着いてから・・・)
取り巻きの女生徒も心配そうにしていたが彼女らもやはりアルトが気になっていて、出来ればエルメリアに行動を起こして欲しいのだ。加えて仲の良くないエクレア達がアルトと親しげにしているのも我慢ならないのだった。
そんな1組の異変は他のクラスにも伝わっていき、昼までには高等学校の全員がアルト仮入学を周知する事になったのだった。
午前中の授業が終われば今度は昼休みの時間である。
しかしそこでアルトはピタリと固まった。ギリギリで出て来た為に学校の構造を殆ど把握していないのだ。
「・・・? どうしたのアルト君? ご飯の時間だよ?」
昼を食べる機会が少なかったラナティはタダで食べられる昼食とアルトへの興味が綱引きして落ち着きを無くしソワソワと時計とアルトを見比べていた。卑しいという事なかれ、これまで食うに困っていたラナティにとって食は重要な時間なのである。言葉遣いが自然に同世代の人間と話す様になるくらいには。
「あ、いや・・・僕、今日急に学校に来る事になったから、あまり学校の中を知らなくて・・・」
「あら、だったら丁度いいわ、お昼を食べたら私達と学校の中を見て回りましょうよ。私もラナティもそんなに詳しい訳じゃないし」
「そうだね、一緒に行こうか」
エクレアの提案に微笑んで答えるアルトの美貌に不覚にもエクレアすらほんのりと顔を赤らめてしまった。
(は、反則的ね、この笑顔・・・私ってあんまり容姿には拘らないタチだと思ってたけど、何事にも例外ってあるのね・・・)
「おーい、アルト君」
そこに授業を終えたオランジェが声を掛けてきた。
「何でしょうか、オランジェ先生?」
「うん、君は時間割表持ってないでしょ? ご飯を食べたら職員室においで。今の内に作っておくから。それと次の魔法と体術は着替えが要るんだ。それもそろそろ職員室に届いているはずだからさ、ついでに取りに来るといいよ。あと食堂では学生証が必要になるんだけど、生憎今日は作成中だからこの仮の学生証を使ってね」
「はい、気遣って下さってありがとうございます」
オランジェが認めた仮学生証を受け取り、丁寧に頭を下げるアルトにオランジェは相好を崩した。
「君の美点は色々あるけど、その真っ直ぐさは貴族として以前に人間として好ましい物だと思う。短い間だけど、皆の良い手本になってあげてね」
「こちらこそ、沢山学ばせて頂きます」
「行き先が一つ決まったわね」
「うん、じゃあ行こう」
そのままオランジェと別れ、アルト達は食堂へと移動した。
食堂は恐ろしく巨大であった。なにせ3000人を収容する施設である。1階の半分以上のスペースが調理と食堂のスペースに割かれているのだから、巨大になるのも当然と言えよう。
広大な空間は手前が3年生、そして奥に行くにつれて2年生、1年生となっていく。入り口横には食事を受け取る窓口があり、学生証を提示する事で食事を受け取る事が出来るのだ。
3000人もの人間が集まっていれば、その喧騒は相当な物になる。一応受け取りから着席までの流れは決められているが、それでも初日という事もあってその混雑ぶりは慣れない貴族の子弟を困惑させた。そしてその困惑が怒りに代わるまで、そう長い時間を必要としなかった。
「・・・おい庶民共、私に場所を譲れ!! 庶民は残飯でも食っていろ!!!」
それは2年生の貴族の男子生徒の発言であったが、彼は残念ながら少々頭が悪く自制心に乏しかった。理由の第一に彼は自分の権力がまだこの場で通用すると思っていた事であり、第二にこの場に居るのは多くが庶民であるという点である。
人間は一人で公然と権力に歯向かえる者は少ないが、仲間が居れば、そして多数派であれば全くその通りでは無いのだ。
「・・・何言ってんだコイツ? 頭悪いんじゃねぇの? 理事長だって言ってただろ、ここは平等なんだよ! クソ貴族が俺達とやろうってのか!?」
「ひっ! な、なんだ!! 私に逆らう気か!? わ、私の父上が黙っていないぞ!!」
「どこにそのお偉いお父様が居るってんだコラァ!!」
罵声を浴びせかけられた男子生徒が貴族の生徒の胸を突き飛ばした。
「うわぁ!」
「・・・へっ、何だよ、貴族ってのは威張ってるだけで喧嘩も出来ないのか? この腰抜け!!」
「いい機会だ、この貴族の坊ちゃんに教えてやろうぜ。庶民だって馬鹿にされりゃ腹も立つって事をよ!!」
「待て!! 貴様ら、誰が腰抜けだと!?」
「庶民風情が少々権利を与えられたからと図に乗りやがって!!」
「やめなさいよ!! ここはそんな事をする為の場所じゃないわ!!」
ただ一人の不用意な発言から始まった混乱は瞬く間に周囲に波及して行き、すぐに貴族対庶民の対立構造が浮き彫りになってしまった。
この時点で諍いを感じ取った学校付きの兵士達が争いの仲裁に割り込んだ。
「やめないか君達!! ここは食事を取る場所で喧嘩をする場所じゃないぞ!!」
「大人しく食事に戻りなさい!!」
そもそもこういう事態に備えて置いていた兵士達が動いた事で多少熱くなっていた生徒達の頭も冷えた・・・が、最初に突き飛ばされた貴族の生徒は既にその時には動き出してしまっていた。
「『風球』!!」
「ぐわっ!?」
その貴族の生徒は風魔法に才能のある生徒で、他の魔法は満足に使えないが、風魔法であれば何とか発動させる事が出来たのだ。突き飛ばされ地に這った瞬間からずっと『風球』の魔法を構築していたのである。
『風球』は空気を圧縮して相手を撃つ魔法で、上級者が使えば屈強な冒険者でも死に至らしめる事がある。その『風球』を背後から無防備に撃たれては訓練された兵士であっても避ける事は叶わずに吹き飛ばされるだけだ。
幸いな事に才能があってすら努力を積んでいない貴族の生徒の魔法は兵士の鎧の防御力を突破出来ずに兵士を突き飛ばしただけだったが、その近くにいた庶民の生徒が兵士の転倒に巻き込まれてしまった。
「は、ハハハハハ!! み、見たか庶民共!! 私が本気を出せばお前達なんかに負けないんだ!!」
「そうだ!! 次に我らの魔法の餌食になりたいのは誰だ!!」
幾人かの貴族が優位に立ったと増長して凄む様に前に出た。こうなればもう誰も逆らえないと思ったからだが、彼らは自分達貴族がどれだけ憎まれていたのか知らなかった。この場には貴族に虐げられ、苦い思いをしてきた生徒も多数居るのだ。
「・・・コイツら許せねぇ・・・こんな奴らが居るからこの国は・・・!」
「おい、皆覚悟決めろよ!! 相手は数人、魔法はこの距離なら放てて一回だ!! 当たらなかった奴がブッ刺せ!!」
そう言って窓口に置いてあったフォークやナイフを掴み、貴族の生徒達と相対した。
「キャアアアア!!!」
「ほ、本気か!? 本気でここでやり合うのかよ!?」
「だ、誰か先生を呼んで来い!! このままじゃ死人が出るぞ!!」
まだ冷静な数人が慌てて何人か食堂から職員室へと走ったが、それとすれ違う様に一つの影が争いの中心へと人混みの中をすり抜けて行った。
「ま、まだ私の力が分からないなんて、庶民は何て馬鹿なんだ!! こうなったらもういちどっ!?」
『風球』を唱えようとしていた貴族の生徒の柔らかな横腹に背後から放たれた蹴りの爪先が深くめり込んでいた。
「あ・・・ぐ・・・!」
「確か学校では授業以外の魔法の使用は先生の許可が必要なはずだよね? 君のやろうとしている、いや、やってしまった事は校則違反だよ」
その声の主に反論する事も出来ず、貴族の生徒は痛みの余り口から吐瀉物を撒き散らしながら失神して崩れ落ちた。
「だ、誰だ!!」
「誰だっていいよ。君達も魔法を使おうとするなら悪いけど容赦はしないよ? 僕もまだ未熟だから上手く手加減出来ないんだ」
振り返った貴族の生徒達が見たのはまるで物語の一節から飛び出して来たかの様な美しい人物だった。恐らくは男子生徒用の服を着ているので男なのだろうが、絶世の美少女と言っても十分に説得力があっただろう。そしてそんな人物はこの学校にはただ一人しか居ない。
「ま、まさか!? あ、あ、あ」
「あ、アルト・・・様・・・!」
「ここは学校だから君達に尊称で呼ばれる謂れは無いよ」
そこにはファイティングポーズで佇むアルトが鋭い視線で周囲を威圧していたのだった。
馬鹿は~死んでも~治らない~。
昼飯の後なんて待てん!! バトル開始!!




