7α-36 多忙な日々9
「ユウさま、すごくつよかったね、お姉ちゃん」
「そうね。流石は救国の英雄様だわ。あんなに沢山の相手と戦っても誰もユウ様に触れられなかったんだもの。私達も頑張りましょうね、イスト」
ラナティとイストは手を繋いで寮へと帰る途中であった。結局今日は悠とハリハリの模範演武から合同講義へと移行し、そのまま夕刻を迎えたのだ。しかし満足度で言えば満点であっただろう。悠やハリハリほどの巧者に教わる機会など滅多な事では無いのだから。
「ねね、そこのあなた達!」
希望に満ちた気分での帰り道の途中、もう少しで寮に着くという所で背後から掛けられた声にラナティは振り向いた。
「・・・あの、私達ですか?」
「そうそう。良かった、寮に着く前に追い付けて。私はエクレア。エクレア・ファーロードよ。そしてこっちは従姉妹のメルローネ・コルツァ。あなた達に用があって走って来たの!」
2人の名前を聞いてラナティは軽く身構えてしまった。苗字持ちという事は目の前のエクレアとその後ろで眠そうな目をしているメルローネは貴族の子女であり、それに対してラナティとイストは苗字を名乗る事が許されなくなった身である。これまでの寮生活でも2人は極力貴族と思われる人物とは接触を避けていたのだ。ラナティ達の立場は微妙で、今は孤児で庶民以下であったが、元は端の方と言えど貴族の一員だったのだ。その事がラナティの全ての人間に対する遠慮に繋がっていた。だがラナティは悠に頑張ると言ったばかりであり、それには友人を作る事も含まれている。ならばここは臆せずに一歩踏み込んでみようと心に決めた。
「何かしら? 寮に着いてからじゃ駄目なの?」
「ダメダメ! というかあなた達、このまま帰ったら今日は寝られるかどうか分からないわよ?」
「え?」
その言葉にラナティは頭に疑問符を浮かべた。しかしいくら考えてみてもそれらしい理由は浮かんでこなかった。
「・・・ごめんなさい、どういう意味か聞いても?」
「いいわよ。あなた達、2人部屋に一人ずつで入ってるでしょ? きっと帰ったら相部屋を願い出る人が一杯湧いてくるわよ。なんたってあのユウ様とお知り合いなんですもの!! 誰かに決めないと今日は寝る時間も無く食い下がってくるって事!!」
「ええっ!?」
ラナティ達の住む寮は幾つもある内の一つで、数百人が生活している。どれだけ集まってもいい様にその寮は外装は質素だがサイズだけは大きく作られていて、多少の空き部屋があるのだ。そもそも入学者の男女比率が6:4ほどで男子側に傾いているのも理由の一つである。
その為、ラナティとイストは一つずつ部屋を取るという贅沢が許されていた。学年毎に使える階層は異なっていたが、人との接触を避けていたラナティ達には都合が良かったのだ。これまでは誰にも同室を求められた事は無かったので来年までは何も無いだろうと勝手に思い込んでいたのだった。
「困ったわ・・・確かに私とユウ様は顔見知りだけど、別に親しい訳では無いの。私は孤児でユウ様に助けて頂いた事があるだけで、私と仲良くしたからってユウ様と縁を結べる訳じゃ・・・」
「っていう事を言ってもきっと聞く耳持たないと思うわよ? ほんの僅かでもユウ様と繋がりを持ちたいと思っている子は多いから。・・・で、そこで相談なんだけど、私達と相部屋しない?」
その申し出にラナティは再び身構えた。
「・・・」
「あ、ゴメンね、これじゃ誤解されちゃうか。私とメルはそういうのにあんまり興味が無いから、私達と居れば楽になるよって事だったんだけど。それに私は薄いけどユウ様と伝手もあるのよ。私のお兄様は副騎士団長なの」
エクレアの兄はベルトルーゼの腹心のジェラルドであり、家でその口から直接悠の事を聞いた事もあるのだ。
「そうなんだ・・・。でもいいの? 私達と一緒に居たらやっかみを受けるかもしれないわよ?」
それに貴族でも無いし、という言葉をラナティは何とか飲み込んだ。それを口にするのはどうしようもなく卑屈に思えたからだ。学校では身分は関係無いのだから、こんな事を言っていては先に進めないとラナティは考え直した。対等に付き合えないなら友人にはなれないはずだ。
そしてエクレアは貴族にしては柔軟な思考の持ち主らしかった。
「構わないわ! 学校には他にも一杯人が居るんだから、そんな打算だけで付き合う人なんか気にしなければいいのよ!」
一切の澱みも無くエクレアはラナティにそう言い切った。ラナティはそれを聞いてエクレアとなら友人になれるかもしれないと思い、しばらく考えて後ろのイストを振り返った。
「・・・どう、イスト? 私はエクレアさんの申し出はありがたい事だと思うんだけど、イストはどう思う?」
「・・・」
正直に言えばあまり積極性の無いイストは寂しさ抜きにすれば一人の方がいいと思っていたが、イストもまた悠が言ったように学校生活を頑張ると決めたばかりだった。その最初の段階としては丁度いいかもしれない。
「・・・うん、わたしはいいと思う。あんまりこわい子に言われるくらいなら・・・」
「そう・・・。じゃあ決めたわ、エクレアさん、メルローネさん、私達と相部屋しましょう」
「やった!!」
決断したラナティにエクレアはピョンと跳ねて喜びを露にした。その屈託の無い仕草を見て、ラナティは自分の決定が間違っていないと感じていた。
「メル、あなたも挨拶しなさいよ! ・・・あれ?」
「・・・か~・・・」
エクレアは後ろで静かにしていたメルローネを促したが、返って来たのは寝息であった。眠そうにしているとは思っていたが、ラナティとの交渉の途中で睡魔に負けて立ったままエクレアを支えに眠ってしまったらしい。
「ホントにあなたは何処でも寝ちゃうわね・・・。メル!! 起きなさい!!」
「んが・・・ふぁぁ・・・お話おわった?」
「ええ、終わったわ。今日から相部屋になる子に挨拶くらいしなさいよね!」
「んむ・・・わたしメルローネ、よろしくね・・・」
カクンと頭が下がったのは挨拶なのか眠気なのか判断がつき難かったが、とりあえず怖い子ではないとイストは感じて手を差し出した。
「よ、よろしくね、メルちゃん・・・」
「うぃ~・・・」
ちゃんと起きているのか不安ではあったが、メルローネも差し出された手を握って返事をした事にイストは内心でホッと胸を撫で下ろした。
「じゃあ私もよろしくね。ラナティさん」
「ラナティでいいわよ。私もあなたの事はエクレアって呼ぶわ。これからよろしくね?」
「ええ、勿論よ!」
そうしてラナティとエクレアも握手を交わしたのだった。
寮に帰るとエクレアが示唆した通り、多数の女子がラナティ達を待ち受けていた。
「ラナティさん、私と相部屋をして頂戴!」
「ちょっと、ラナティさんとは私が相部屋をするんだから引っ込みなさいよ!!」
「いーや、あたしと相部屋するんだよ、お嬢様共は引っ込んでな!!!」
「まぁ! これだから野蛮な庶民は・・・」
「んだと!? ヒョロヒョロの手をしてる癖にあたしとやろうってのか!?」
・・・のだが、途中から貴族対庶民の争いになり始め、ラナティはこっそり溜息を付いた。その隣ではエクレアが「だから言っただろう?」とでも言いたげに肩を竦めており、確かに先に決めておいて良かったと思えた。少なくとも今喧嘩している様な人達とは相部屋をしたいと思えない。
しかしラナティが口を挟もうにも、一触即発の雰囲気の中では中々切り出す事も出来ずに居ると、奥から一際豪奢な容姿の女生徒が取り巻きに人払いをさせながら歩み寄って来た。
「お退きなさい、私、ラナティさんにお話がありますの」
「道を開けろ! こちらはソートン侯爵の子女であらせられるエルメリア・ソートン様だ!!」
「庶民が気安く触れると死罪ですわよ。分かったら道を開けなさい!」
流石に侯爵ほどの名が出ると反射的に下がってしまうのはこれまでの人生で培われた条件反射というものだろう。貴族も庶民も関係なく取り巻きに押しやられ、エルメリアは隙の無い笑顔でラナティに話し掛けた。
「初めまして、ラナティさん。私はエルメリア・ソートン。お父様はこの国の財務大臣を務めております。あなたには私と部屋を共にする栄誉を与えてあげますわ。・・・こんなみすぼらしい所に入れと言われた時にはお父様を随分と恨みましたけれど、これも将来の人脈作りの期間と前向きに捉えましょう。さ、付いていらっしゃい」
「本来はお前の様な下賎な身分の者はエルメリア様に口を聞く所か近付く事だって出来ないんだ、自分の幸運に感謝するんだな!!」
「あなた本当は元貴族なんですって? うふ、確かに幸の薄そうな顔をしてますわ。良かったわね、エルメリア様の覚えがめでたければあなたみたいな底辺の貧乏人でももしかしたら人並みの生活が送れるかもしれませんわよ? 私には想像も出来ませんけど?」
そう言って笑う取り巻きの前の空気が素早く動いた。
パンッ!!!
乾いた音が鳴り、その場面を見ていた者達が絶句する。同じくラナティも言葉を失って振り上げかけていた手を硬直させて斜め前に移動したエクレアを凝視した。
「・・・全く、聞くに堪えないわね。あからさまに人を見下している人間と誰が同室したいってのよ! 生まれがちょっといいくらいで馬鹿みたいに増長しないでくれない? 貴族が全員馬鹿だと思われるのは耐えられないから」
「・・・ぶ、ぶったわね! お、お父様にもぶたれた事無いのに!!」
「だからそんな風に甘ったれた思考に育ったのね。矯正の為にもう2、3発ぶってあげましょうか!?」
「ひぃ!!」
エクレアが凄むと取り巻きの貴族は泣きながら逃げてしまった。
「ふん、根性無し。エルメリア、悪いけどラナティは私と相部屋する事になってるの。だからあなたの出る幕はこれっっっっぽっちも無いから。それとここは学校よ。いつまでも貴族の生活を忘れられないんならサッサと家に帰るのね。それでエライお父様にでも泣きつけば?」
非常に挑発的なエクレアの言動に取り巻き達は一瞬で頭を沸騰させたが、当のウルメリアは笑みを深くしてエクレアの眼前に立った。
「随分な口の聞き方ですわね、エクレアさん。子爵家風情が侯爵家の者と対等だとでも?」
「思ったより頭は悪いのね、エルメリア。学校なんだから対等に決まってるでしょ? それと侯爵家に家を栄えさせたのはあなたのお父様であってあなたじゃないわ。あんまり自分の力でもない事を自慢しない方がいいわよ? 器の小ささがバレるから」
「あら、うだつの上がらない子爵家の言い訳にしか聞こえませんわね。私が侯爵家に生まれついたのはなるべくしてなった事ですわ。その程度で私が泣いて逃げ出すとでも?」
「試してみる?」
エルメリアとエクレアの視線が絡み合い、激しく火花を散らした。このままではまた手が出るかと思われたが、その中間にラナティが割り込んで手を広げる。
「待って! 私はもうエクレアと相部屋をする約束をしました。こんな喧嘩は意味がありません!」
「・・・私の誘いを蹴ると?」
エルメリアの眼力に怯みかけたラナティだったが、こんな物は今までの辛い生活に比べたら何物でもないと自分も目に力を入れてエルメリアを見返しながら頷いた。
「・・・・・・・・・そう、後悔なさらない事ね。行くわよ」
それをどう思ったか、エルメリアは踵を返し、取り巻きを連れてその場を後にした。他の貴族の子女達も大半は忌々しそうにその場を離れ、弛緩した空気の中でやっとラナティは強張っていた手を下ろした。
「はぁ・・・緊張した・・・」
そんなラナティの背中にエクレアが抱きついた。
「やるじゃないラナティ! 流石私の友達ね!!」
「きゃっ!? ちょ、ちょっとエクレア、急に抱きつかないでよ!」
そう言いながらも友達という響きにラナティの顔は自然と笑みに変わっていた。貴族と孤児という立場の違う2人の仲の良さに周囲で見ていた者達からおずおずと何人かが前に出る。
「あー・・・ゴメン、ちょっと熱くなっちまった。相部屋は諦めるよ。その代わり、あたしと友達になってくれねぇかな?」
「私も・・・。ついあんな事を言ってしまって・・・。許して下さらない?」
ラナティは後ろのエクレアと目を合わせると、破顔して異口同音に言った。
「「喜んで!!」」
女子寮での一幕。本筋にはあまり関係しないですが、女の子同士の喧嘩は見ていてハラハラしますね。




