1-44 千葉家1
「・・・おい、滉」
「悠様、優様、聞いて下さいます?一杯お話したい事がありますの!是非滉の部屋に来て下さいませ!
!」
「おい、聞いているのか滉!」
「すまんがまずはご両親にご挨拶せねばならん。また後でな」
「む~~、悠様はつれないお方ですの。滉はこんなにも悠様をお慕いしておりますのに・・・」
「滉!あーきーらーっ!!」
「お姉様、ちょっとウルサイですの。恋人同士のささやかな逢瀬を邪魔しないで頂けませんこと?」
「誰と誰が恋人同士だ!!お前に悠さんはやらん!!!」
「別に私はお姉様のご許可なんていりませんもの。こういうのは当人同士の心が大事なのですわ!」
「いいから悠さんから離れんか!この弾丸スッポン娘がっ!!」
「いーやーでーすーのーっ!!」
「相変わらず仲がいいね、千葉姉妹は」
「そうねぇ、喧嘩するほど仲がいいっていうものね」
引き剥がそうとして滉の両足をホールドして引っ張る亜梨紗に決して離れまいとしがみ付く滉。それを眺める燕と蓮。そして一緒に引っ張られてさてどうしたものかと考える悠。名家の玄関先とは思えないカオスがここにあった。
永遠に続くかと思われた状況を破ったのは、一人の男性の怒声であった。
「ばかもーーーん!!!玄関先で千葉家の恥を晒すなっ!!!」
「ひっ、お、お父様・・・」
「し、失礼しました父上っ」
「全くお前達ときたら、目の前にあるものだけしか見えんのだからな・・・もう少し広い視野を持て」
「は、はい」
「(広くても私の視界は悠様で一杯ですわ)・・・」
「滉?」
「はいっ!?分かりましたわっ!!」
「本当に分かっておるのかのぅ・・・」
千葉家当主の苦労が忍ばれる一幕だった。
「さて、悠殿。久しぶりだな」
「ご無沙汰しておりました。お久しぶりです、真和殿」
悠がそう言って頭を下げた人物こそ、真と亜梨紗と滉の父である千葉 真和である。
名家の当主らしい威厳を持ちつつも公明正大で穏やかな人柄は多くの人の尊敬を集めている。
「悠さん、出迎えが遅れてごめんなさいね。それと、うちの娘達も」
そう言って真和の後ろに控えていた人物からも声が掛かった。妻の千葉 睦月だ。
「睦月殿もご無沙汰でありました。まぁ、元気があってよろしいのではないですかな?」
「それも礼儀の範疇で納まっているうちはいいのですけれどね」
千葉夫妻は20を超える年頃の親とは思えないほど若々しい。そもそも二人は真和が25歳、睦月が17歳で入籍して翌年、真が出来たのだから、真和がようやく50歳で睦月は42歳だ。しかも名家としては当時は珍しく恋愛結婚だった。
「さて、積もる話もあるだろう。今日は夕食ぐらいは付き合ってくれるのだろう?悠殿」
「ご挨拶だけのつもりでしたが、せっかくのお誘い、お受けさせて頂きます」
「まぁ、良かったわ。悠さんがいらっしゃると聞いて沢山用意したお料理が無駄にならずに済みますわ」
「ささ、まずは乾杯と行こうではないか。燕殿と蓮殿も今日は参加してくれるのだろう?」
「ええ、ぜひとも」
「はいっ、ありがとうございます、おじさま、おばさま」
「うちの娘達もこのくらいの礼儀は身に着けて欲しいものだな・・・」
「う・・・善処します」
「滉は礼儀作法も学校で習っておりますのよ、悠様」
「そうか、ではもう立派な淑女だな」
「!ええ、ええ!勿論ですわ!!」
悠に淑女扱いされて滉はご満悦である。それを見ている亜梨紗は仏頂面だったが。
「広間では今、真が料理の差配をしておる。待たせると冷めてしまう、さぁ行こう」
そうして一同は広間へと移動して行った。
「では、乾杯!」
「「「乾杯!!!」」」
真和の音頭で乾杯の声が広間に唱和する。
「やぁ、やはり大勢での食事は賑やかで良いな。政務の連中と食っていても皆食が細くていかん。男は健啖家でなければな」
「アナタ、今日は許しますけれど、お酒は少々お控え下さいね?最近ちょっと量が多いですわよ?」
「う・・・し、仕方無かろう。やれ戦勝だ平和だと飲み会が続いたのだから」
「上手い酒ですね、真和殿」
「お、分かるか悠殿!これはとっておきの西洋酒でな。大戦前から寝かせてあった、今では手に入らない逸品なのだよ」
「父上、まだそんな物を隠し持っていたのですか・・・」
酒の分かる同士が家には居ないので、真和は悠に酒を褒められて上機嫌だった。真は下戸であまり酒は飲めないのだ。
「いや、本当は悠殿が娘のどちらかを貰ってくれた時にでも開けようと思っていたのだが、あの体たらくではまだ先と見てな。旅の餞にさせて貰ったのだ」
「そんな事を企んでいたのですか」
小声で隣の真に耳打ちした真和の言葉に真も顔を顰めた。
「しかし二人は良くやっていますよ。滉は学校では常にトップ集団におりますし、亜梨紗も才を開花させて、先日竜騎士になりました」
「うむ、昨日報告で聞かせてもらった。近々、皇居にて正式に叙勲されるであろうよ。それもこれも全て悠殿のおかげだ。礼を言わせてもらうぞ」
「いえ、自分は少しだけ助力しただけです。事実、その場で竜騎士に至ったのは亜梨紗だけだったのですから。本人を褒めてやって下さい」
「うむ、うむ。さすが悠殿は謙虚じゃの。亜梨紗、悠殿の期待を裏切るような事があってはならんぞ?」
「はい、父上。肝に命じます」
「ささ、難しい話は後にして、今日は沢山食べて下さいな。今日はいいお魚が手に入ったのですよ」
「これは・・・素晴らしい。この大きさ、この身のしまり。そうそうお目にはかかれませんな」
「あら、悠さんはお魚にも目が利きますのね。最近、龍が少なくなってから漁場が広くなってお魚が良く出回っていますの。焼き魚にお刺身、悠さんの好きな煮付けもございますから、是非ご賞味下さいね?」
「これはこれは、自分の好物を覚えていて下さいましたか」
「ええ、真を担いで来て頂いた折に、たまに夕食をここでお食べになっていましたから」
「は、母上、その話はもういいではないですか」
「あら、ごめんなさいね」
「ああ、そうそう、雪人が持たせてくれた焼き菓子です。お茶請けにでもお使い下さい。くれぐれもよろしくと言っておりました」
「ほう、雪人殿も人並みの世辞が出来る様になったとは。もう一人前だな!」
「いえ、精々10分の1人前といった所でしょうな」
食卓が朗らかな笑い声に包まれた。
「さて、私は悠殿とちょっと話がある。真、お前も来なさい」
「はい」
「では悠殿、隣の談話室まで着いて来てくれるか?」
「はい、伺います」
「えー、悠様、行ってしまいますの?」
「また戻ってくるさ。それまでいい子にしていてくれ。滉は淑女なんだろう?」
「ええ!勿論ですわ!」
「では、またな」
そう言って悠は真と真和の後に付いて談話室へと入っていった。
開口一番、真和は悠に来訪の真の目的を問うてきた。
「悠殿、旅に出られると聞いたが、ここでは無い世界に行くというのは本当か?」
「ご存知でいらっしゃいましたか・・・」
「ああ、真は隠し事が出来んやつだからな。挙動不審ゆえ問い質したら吐きおった」
悠はちらりと真を一瞥すると、恐縮そうに真は答えた。
「すいません、悠さん。でも、父上には知っておいて欲しかったんです。父上は悠さんの事を大切に思ってますから」
「憚りながら、この千葉 真和、悠殿の事はもう一人の息子の様に思っておる。その息子が平和になったこの時に、再びまた死地に赴こうとするのをどうして心配せずにいられようか・・・」
酒のせいもあろうか、真和の目尻には光るものがあった。
「悠殿、悠殿が人に言われて想いを曲げるとは思ってもおらんが、考え直しては下さらんか?私も真も娘達も悠殿には言葉に出来んほどに恩を受けた。軍を辞めるのは良い。しかし、誰よりも戦い続けた悠殿はもう休んでもいいでは無いか!何故修羅の道を歩まれる!?」
真和の口調には先ほどのような遊びが一切無い、真摯なものだった。たとえ異世界人に恨まれようとも、神に罰せられようとも、この不器用な男を連れて行かないで欲しかったのだ。
「竜の翼は大きく、その飛ぶ速さは比類無いが、それでも翼を休める時と場所は必要だろう?千葉の家は悠殿の止まり木にはなりえませぬか?」
しばし悠は真和の言葉を受けて黙り込み、その心中を曝け出す覚悟を決めて語り出した。
「・・・妹がおります」
「何?」
「かの世界には自分の妹がおるのです。いや、もう死んでしまっている可能性が高いですが。しかし、兄として20年も待たせた妹を探しに行きたいのです。真和殿の深甚なるご厚意には反す言葉もございませんが、これは余人には譲れぬ、神崎 悠の我侭なのです、どうか、どうかご容赦下さい」
「そうか・・・妹、か・・・」
悠の言葉に絶対に引けぬ覚悟を感じ取り、その内容を吟味しながら真和は目を手で覆って嘆いた。神はなんと残酷な運命を悠殿に押し付けられるのかと。
「真」
「はい、父上」
「もし亜梨紗か滉がどこか違う世界に拐かされたら、お前は例え悠殿が止めても行くか?」
「当然です。殴り倒してでも参ります」
息子の即答に真和は苦く笑った。つまりはそれが兄という者達の答えなのだろう。
「・・・分かった。済まなかったな悠殿。せめてこの世界から悠殿の無事を祈っておるよ」
「馬鹿な男が一人おったとお笑い下さい、真和殿」
悠もまた真和にすまない気持ちで一杯だった。自分の為に泣かれるのは、口汚く罵られる事の何倍も、何十倍も辛いものだったのだ。
「それに自分の故郷はここです。必ず帰って来ます。そうですな、異世界の美味い酒でも手土産に持ち帰りましょう。真実、誰も飲んだ事が無い酒を」
「それは楽しみだ。期待しているぞ悠殿。・・・貴殿の旅に幸多からん事を。無事に、ぶじに・・・」
そう言って真和は悠の手を両手で取って握り締め、何度も上下に振った。ぽたぽたとその上に雫が落ちている。
父親の手だ。悠はそう思った、大きな手だった。