7-54 御当主閣下の誤算15
ミリーはがむしゃらに屋敷を駆け抜け、外へと飛び出した。途中で出会ったレフィーリアに声を掛けられた様な気もしたが、耳を押さえて走るミリーにその声は届かない。
「あ、カンザ・・・ユウ、ミリーったらどうしたの? 真っ青な顔をしていたけど?」
既にレフィーリアの悠への隔意は消滅しており、その声音はミリーを心配する気配だけだ。しかし悠も詳しくレフィーリアに説明している時間が無かったので「バローに聞いてくれ」とだけ言い捨ててその後を追った。
「何よ、もう・・・」
残されたレフィーリアは不満顔であったが、突然1000人も増えた住人の管理で忙しく、腑に落ちないながらも大量の書類を持ってその場を離れたのだった。
(嘘・・・嘘、嘘よ!!! 私が王女!? 兄さんが王子!? 冗談じゃないわ!!! 私はミリー、Ⅶ(セブンス)の冒険者ミリーよ!!! アライアット王女のミリーアンなんかじゃない!!!)
必死に今知った事実を否定するミリーであったが、何故ミリーはそんなにも自分の出自を否定するのかを意識してはいなかった。・・・いや、どこかで意識していたからこそ出自を否定していたのかもしれない。それは例えばこんな思考だ。
もしミリーがアライアット王女ミリーアンであり、ビリーがビリーウェルズ王子であるとすればどうなるか? 知ってしまった以上はアライアット王家に何らかの形で伝えなければならないだろう。厄介者として捨てられたのならばまだいい。20年の時でそんな感傷は乗り越えて来た自負がミリーにはあった。
しかし、もし王家に引き留められたならばどうだろうか? 勿論突っぱねて逃げる事は出来る。しかし、ビリーとミリーがアライアットの王族であると公表されればもうこれまでの様には暮らせはしない。取り入って来る者や、逆に命を狙われる事もあるはずだ。まともに冒険者は続けられなくなる。
そして・・・更にここからはミリーの無意識の最も深い場所の想いがある。冒険者を続けられず王家に戻る事になれば別れなければならない。子供達と、仲間達と・・・そして悠と。
これらの考えはあくまでミリーの心の動きの一部に過ぎない。単純に自分達を捨てた親への反発心もあったし、楽しい日々を捨てがたいという気持ちや、自分のこれまでの人生を否定された様な、漠然とした気持ちもある。
そもそも今のミリーに冷静な思考は不可能だ。それらが渾然一体となってミリーの心は千々に乱れていたのだから。
ソリューシャの街を走り抜け、門番の制止も聞かずにミリーは鍛えた身体能力で街を飛び出した。どこへ行こうなどという冷静な考えは無い。ただ、今は自分を追い掛けて来る過去そのものからミリーは全力で逃避していた。
ミリーの身体能力は並の冒険者から見ても相当に高い。門番の兵士が走り去っていくミリーを見て追いかけるのを諦める程度には。
雪原を駆けるミリーは普段ほどの速度は出ていなかったが、それを差し引いても素晴らしい速さで雪原を駆けた。
白一色の世界をどれだけ駆けただろうか、とにかく足が動かなくなるまで走り続けたミリーの足が疲労によって縺れ、そのまま雪原を転がった。
「ハアッ!! ハアッ!! ハアッ!! ・・・何で、今更・・・」
汗と融けた雪でずぶ濡れになったが、火照った体にはその涼気が心地良かった。だがそれは後数分もすれば耐え難い冷気に取って代わるだろう。それでもミリーは起き上がる気になれなかった。
「私はミリー・・・ミリーアンじゃない・・・誰か、私をミリーと呼んで!! ミリーアンと呼ばないで!!!」
ミリーの瞳から零れる涙が雪原に落ちて僅かに雪を融かす。見渡す限りの雪原のほんの僅かな量しか融かせない自分の涙にミリーは自分自身を重ねて更に切ない気持ちになった。
誰も居ないはずの雪原に雪を踏みしめる音がミリーの背後で上がった。
「少しはスッキリしたか、ミリー?」
その声にミリーが振り向くと、冬の冷気にも尚揺るがない、自分の敬愛する人物がそこに居た。
「ユウ・・・兄さん・・・」
「かなり街から離れてしまったな。そろそろ帰らんとヒストリアが騒ぎ出す。さぁ、帰るぞ」
ミリーは悠が自分を追って来てくれた事、そして自分をミリーと呼んでくれる事に例えようも無い喜びを感じていたが、口から出て来たのは別の言葉であった。それは言っている自分自身の心が凍てつく言葉だ。
「・・・ユウ兄さんの目的からしたら都合がいい状況ですよね? アライアットの上層部を一掃しても、私か兄さんが居ればアライアットが正当な手段で手に入るんですから! どうせ私達は戦力としてはユウ兄さん達に比べたら大した事ありませんし!! ここで居なくなってもユウ兄さんは全然――」
パン。
雪原に乾いた音が鳴り響いた。悠がミリーの頬を張った音である。
「いたっ・・・」
「勝手に俺の思考を決めつけるな。俺がアライアットを手に入れる為にお前やビリーを利用するだと? 俺がいつそんな事を言った?」
「だ・・・だって、そうじゃないですか・・・! い、いくら鍛えても私や兄さんはユウ兄さんはおろか、バロー兄さんの影にだって届きません!! それなら別の使い道を考えた方が得じゃないですか!!!」
ミリーは常々自分達兄妹の実力に疑問を持っていた。一般的に言えば20代前半でⅦの冒険者と言えば間違い無く逸材である。しかし、ミリーの周りには才能豊かな人材が多過ぎたのだ。子供達は多種多彩な能力を持っているし、主戦力であるバローやシュルツ、ハリハリにギルザードは既に一線を画していると言っていい。
そんな中でビリーとミリーは普通であった。特に何か光る才能を持っている訳では無い。世間一般で見れば強いが、悠が相手取る者達は皆常軌を逸した怪物である。ここぞという時に自分達が出来るのは留守番くらいだ。それらの事実がミリーの心を少しずつ苛んでいたのだった。
だが悠はミリーの言葉に何ら考慮に値する物を見い出せなかった。
「人間に対して使い道などという言葉を当てるのは止めろ。人は道具では無い。それに・・・」
悠は寒さで震え始めたミリーにマントを外して上から被せた。
「アライアットなどとお前達を比べられるか。俺はつくづく最初に出会った冒険者がお前達で良かったと思っている。この世界、強いだけの輩は吐いて捨てるほど居るが、信頼に値する人間が居てくれる事がどれだけ心強かったかお前に分かるか? 子供が正しく成長するには手本になる良き大人が必要だ。お陰で子供達は心に影を落とす事無く今日まで暮らせている。それは紛れも無くお前達兄妹のお陰なのだ。親を失って生きる悲しみを知るお前達こそが俺には何よりの助力だった。そしてその思いは今でも変わらん」
「あ・・・」
「帰って来い、ミリー。必要だから、必要では無いからなどという下らない理由などなくても、お前はお前が居たい場所に、居るべき場所に帰って来い。子供達が待っている。そして共に戦う仲間も。・・・無論、この俺もな」
ミリーの、この冬の冷気で凍り付いた世界よりも凍てついていた心が融けて行く。温かい雨の如き慈愛の心がミリーの心に降り注いでいた。
「・・・私・・・怖かったんです。今まで生きて来た自分が自分じゃ無くなる様な気がして・・・たった一つの肩書きで私の世界が壊れてしまう気がして・・・怖かった・・・!」
「ミリーはミリーだ。余分な肩書きが一つや二つ増えようが、それを気にするような繊細な人間は居らんよ。・・・とりあえず今の俺の発言はここだけの話にしておいてくれると助かる」
《締まらないわねぇ・・・ま、そういう事よ。常識人のミリーやビリーが居なかったら私も困るわ。何しろウチの連中と言ったら強いほどどこか頭がおかしいから》
「ユウ兄さん!」
感極まったミリーは悠の胸に抱き付いた。悠の体は温かく、冷え切ったミリーの頭がじんわりと温まって行く。
そのままミリーは幸せな気持ちで眠りに落ちた。その顔には自分の運命に翻弄されていた苦悩はもうどこにも見つけられなかったのだった。
悠は口先で上手くフォローなんて出来ません。ただ真実を持って誠心誠意語り掛けるのみです。
・・・どうして私は恋愛系の話になると気合が入るのでしょうか。きっと得意では無い事を自覚しているからだと思うのですが。
そしてビリーミリーに焦点を当てたのは、普段は影が薄い2人の事を悠がどう思っているか知って欲しかったからです。健やかに生きて行くには、戦力だけあればいいという訳では無いと言いたかったのです。




