7-52 御当主閣下の誤算13
「ねぇ!! しっかりして!! ・・・駄目だわ、ユウ兄さん、ロッテローゼさんが!!!」
倒れ伏すロッテローゼを抱き起したミリーは一目でもうロッテローゼが死に掛けている事を悟り悠を呼んだ。ハリハリが悠に目で訴えて来るが悠は首を振る。
「無駄だ。単なる傷だけならば既に俺が治している。ロッテローゼが死に掛けているのは・・・寿命なのだ」
「寿命!? そんなはずありません!! 現にロッテローゼさんはまだ若・・・え!?」
悠に反論しようとしたミリーの腕の中でロッテローゼの茶色い髪が白く染まっていく。顔は血色を失い、瑞々しさが肌から抜け落ちて行く。
「ユウ兄さん、何とかならないんですか!? こんなの・・・こんなの酷すぎます!!!」
「ミリー、俺は神では無い。魂を呼び戻す事は誰にも出来んのだ」
「そんな・・・いくらこの人がノースハイアの人を憎んでいるからって、愛していた男の人に利用され尽くしてこんな風に死ぬなんて・・・そんなの、私・・・!」
ミリーの目から涙が零れる。その雫が一滴、二滴とロッテローゼの顔に落ちると、ロッテローゼが薄く目を開いた。
「・・・・・・・・・王妃、様?」
「ロッテローゼさん!? 気が付いたんですね!!!」
上手くロッテローゼの声を聞き取れなかったミリーはとにかくロッテローゼの覚醒を促した。
「喋っちゃ駄目です!! とにかく薬を・・・」
「人違い、か。・・・いや、いいのだ、もう私には、時間が無いのだ、ろ?」
薄く笑うその笑みは健全な笑みでは無く、諦めた者が浮かべる笑みであった。泣きそうなミリーから視線を悠に移し、ロッテローゼは呟く様に言葉を紡ぐ。
「カンザキ・・・恨みを、捨てられない者は・・・多い・・・。ノースハイアが、以前と違う、事は・・・私も情報としては、聞いていた・・・。だが、それなら・・・私の恨みは、想いは、どうすれば・・・良かったのだ・・・? 忘れるには、私の、傷は・・・深過ぎる・・・」
「誰かに頼って傷を隠しても傷は傷として残り続ける。それは一生を掛けてでも自分で乗り越えるしかない。痛み、膿んで毒を孕んでも、それを他の者に向けてはいかんのだ。お前にはまだ大切に想う者が残っているのだろう?」
「・・・厳しいな、お前は・・・私は駄目だった・・・。ガルファが、いなければ、もう・・・とっくに・・・」
不意にロッテローゼの目の焦点が霞んだ。それを察したミリーはロッテローゼを抱く手に更に力を込める。
「しっかりして!! 最後くらいは自分の意志で生き抜いて!!!」
絶叫に近いミリーの言葉にロッテローゼの目に力が戻る。
「最後・・・か・・・。すまん、一つだけ、頼みがある。・・・妹の、ソフィア、ローゼを・・・あの子だけは・・・生き・・・・・・・・・」
文字通り最後の力を振り絞るロッテローゼの側に屈み、悠はその手を握って頷いた。
「約束しよう。お前の妹は俺が守る。だから安心して逝け」
「・・・あり、がと・・・ミリー・・・カンザ、キ・・・・・・さよなら、ソフィア・・・・・・ガル・・・」
ゆっくりと閉じられるロッテローゼの瞼はそれきり二度と開く事は無かった。
「・・・終わったか?」
「ああ、終わった。そしてこの馬鹿げた戦争も終わりだ」
悠が抱き上げたロッテローゼを見てバローは剣を鞘に戻し、しばしの黙祷を送った。戦場のセンチメンタリズムと言われようとも、バロー自身がロッテローゼに恨みがある訳では無かったのだ。何かのタイミング次第では共に親しく語らう仲になっていたかもしれないという寂寥感だけがバローの中に残っていた。
黙祷を終えたバローは目を見開き、大声で叫んだ。
「戦争は終いだ!!! アライアットの兵士達よ、逃げるなら勝手に逃げろ!!! 行く所がねぇんならウチの領地に来い!!! これ以上の人死には俺ぁもう沢山だ!!!」
バローの宣言と傍らで悠に抱きかかえられて事切れたロッテローゼを見て、アライアットの兵士達は武器を手放した。中には泣きながら天を仰ぐ者も居る。彼らも戦争が終わればただの力無き人間に過ぎなかった。
信仰心に篤い何人かの兵士は無言でそこから離れて行く。バローも言葉通りそれを止めようとはしなかった。彼らとはまた戦場で会う事になるのかもしれない。そして今度こそ自分の手で斬り殺すかもしれない。それでもバローは今だけはもう誰も斬りたくはなかったのだ。
「誰かアライアットの兵士で指揮出来る者は居るか!!」
動けないアライアット兵の中からロッテローゼの近くに侍っていた初老の男が一人腰を上げた。
「生き残った者の中では私が一番爵位が高かろうかと。私はクリストファー・アインベルク子爵。ロッテローゼ様のダーリングベル家とは本家と分家の間柄です」
「そうか・・・お前さんはアライアットに帰らなくていいのか?」
バローの問いにクリストファーは弱々しく首を振った。
「ロッテローゼ様がいらっしゃらないのなら帰っても仕方ありません。貴族と言えど立派な屋敷も無く、妻帯もしていない身の上です。それに私はあのガルファがロッテローゼ様に取り入るのを防ぐ事が出来ませんでした。最早アライアットに未練はありません・・・」
「他の奴らは?」
「精強と言われるアライアット軍ですが、その内実は食う為に軍に入った者が殆どです。従う事をよしとしない者は既にここを離れ始めています。願わくは、残った者達を受け入れて貰えれば幸いです」
地に腰を落とす者達は戦う事でしか生を見い出す事が叶わなかった者達なのだろう。そして自分達を上回る圧倒的な力を目にし、拠り所を失って絶望しているのだ。帰って再び戦ったとしても勝ち目のない戦いだと身に染みて理解していたのだった。
「・・・分かった、別に捕虜にしようとは思わねえ。クリストファー、お前さんが責任を持って統括してくれ。帰ったらメシくらいは出してやるよ」
「かたじけなく思います。ノワール伯爵のご厚意に深く感謝を・・・」
「やめてくれ、こんなモン、偽善以外の何物でもねぇや。・・・ガルファとか言いやがったな、あのクソ野郎。絶対に楽にゃ死なせねぇぞ・・・」
バローから濃密な殺気が漏れ出し、死すら覚悟していたクリストファーを怖気付かせた。だがその言葉にはクリストファーも全く同感であった。
「私の知る限りの情報をお渡しします。どうか聖神教を止めて下され!」
「言われるまでもねえ、コイツはもう俺の戦いだ。誰かに譲るつもりはねぇぜ」
「では私は残った者を纏めます。ノワール伯はドワイド兵の統率をお願い出来ますでしょうか?」
「おう、こっちも誰かを適当に探すか」
ドワイド兵を取り纏めるのはクレロアの側近であったラルカスという部隊長が当たる事になった。2人の尽力で何とか軍としての体裁を整えたドワイド兵とアライアット兵はそれぞれナグーラとソリューシャを目指す事になったのだった。
「・・・それはそうと、一つだけ伺いたい事が御座います、ノワール伯」
「何だ?」
「あのロッテローゼ様の最後を看取ってくれたミリーという女性と、その兄であるビリーという男性の素性をご存知ですか?」
改まって尋ねるクリストファーの質問の意味を測りかね、バローは逆に質問した。
「何でそんな事が気になるんだよ?」
「いえ・・・まさかとは思うのですが・・・やはり今は止めましょう、ここは人の目も多い。迂闊に話せる内容ではありませんので・・・」
「ふーん・・・まぁ、あいつらはミーノスの辺りで冒険者をしてたって聞いたぜ。生まれはどこか分かんねぇらしいがな。2人とも孤児なんだとよ」
「そうですか・・・ならばやはり・・・」
それきりクリストファーは黙り込み、思案深げに隊の統率へと戻って行った。
「・・・まさかな・・・」
バローも訝しく思いながらもドワイド兵に伝言を託す為にラルカスの下へ戻る。ただ一人、そんな会話を漏れ聞いた悠だけがある推測を得て無言でビリーとミリーを見つめていた。
戦争終結。後味の悪い戦いにバローも意気消沈気味です。ロッテローゼの冥福を祈ります。
そして登場時から温めていた設定がそろそろ日の目を見そうです。長かった・・・凄く長かった・・・。




