7-49 御当主閣下の誤算10
「そこで止まって下さい!」
鋭い声にバローはその場で足を止めた。10メートルほど先には防寒着を纏った男と10騎ほどの馬に乗った騎士が武器を手に敵意を持って警戒に当たっている。
「貴殿はどちら様かな? 私はクレロア殿に話があってこちらに参ったのだが・・・」
「私はクレロア様に交渉を委任されている宣教師のガルファと申します。用件は私が伺いましょう。あなたはノワール家当主、ベロウ・ノワール様に相違ないですか?」
宣教師という肩書きにバローは一瞬目を細めたが、言葉には出さずに肯定した。
「いかにも、私はベロウ・ノワールだ。ガルファ殿に言えばクレロア殿とアライアットの将軍殿に伝わると考えてよいのだな?」
受け答えを聞きながらガルファは目の前の人物が本物のベロウ・ノワールであるとの確信を得ていた。それは逆にガルファにとっては安心材料であり、恐らくはクレロアを通してアライアットに降伏しに来たのだろうと推察する。
だからガルファは宣教師としての顔でにこやかにバローに語り掛けた。
「なるほど、余計な戦いを避け、自領を損なわずに事を収めようというのがベロウ様のお考えなのですね? 分かりました、そういう事でしたらこのガルファ、粉骨砕身の努力を持ってノワール家とアライアットの橋渡し役を――」
「宣教師殿は何か思い違いをされている様ですな」
滑らかに口を動かすガルファを冷たく見据えながら、バローはガルファに言い放った。
「私がこの場に参上したのは、今降伏すれば命だけは残して差し上げようという親切心からの事。異国の雪原で骸を晒すのは忍びないと思いましてな。それで、返答は如何に?」
「「「・・・」」」
バローの物言いにガルファはおろか、周囲の騎士達も絶句した。聞き間違いでなければこれは降伏勧告である。
「・・・失礼ですが、状況が見えておいでですか? たった3人でやって来て降伏勧告? あまり冗談として上等とは思えませんが・・・」
「ハハハ、あまり多く兵を連れて来てはノースハイアに連戦連敗中のアライアットの方々が逃げ出してしまうかもしれないと思いましてな。流石に3人ならば「それほど」怖くはないでしょう?」
苦々しく告げるガルファに返したバローの挑発的な言動にアライアットの騎士達の殺気が一気に膨れ上がった。飛び出しかける罵声を必死に抑え、殺戮の許可を求めてガルファに注目する。
ガルファもこの交渉で得る物は最早何も無いと見切りを付け、馬首を巡らす。
「残念です。何よりも狂人を領主に戴いたノワール家の民が。あなたのせいでノワール家の悉くは悲嘆の内に滅ぶ事になる」
ガルファの語る内容が気に食わなかったバローは取り繕うのを止めて言い返した。
「おいおい、俺が降伏しようがしまいがお前らはウチに攻め込むつもりだったんだろうが。そうなったら結局ウチの領民は傷付けられる。自分達のやろうとしている事の責任を俺に転嫁すんじゃねぇよ。流石は聖神教の宣教師殿、詭弁はお得意ってか? クズが!」
「私はともかく、聖神教を貶める発言は看過出来ません。せっかく高貴な血筋にお生まれになったというのに・・・ベロウ様、楽には死ねませんよ?」
「大方、神経が細いクレロアを神様とやらで丸め込んだんだろうが、俺は神様より頼りになる奴らに心当たりがあってな。お前の薄っぺらな言葉なんざ響かねぇよ。そうやってタルマイオスも誑し込んだのか?」
急に出て来た名前に流石のガルファも一瞬だけ意外感が顔に出てしまった。
「ほう・・・カマかけてみただけだが、どうやら心当たりがあるみたいじゃねぇか。悪いがお前さんこそ楽にゃ死ねねぇぜ? 拷問してでも洗いざらい吐かせてやるよ」
「騎士達よ! ベロウ・ノワールを捕らえろ!! 連れは殺しても構いません!!」
一人言い捨てて馬を発進させたガルファとすれ違い、騎士達も武器を構えて突進しようとしたが、バローはその騎士達が届く前に準備を終えていた。
「死んだぜテメェら。『無明絶影』!!!」
扇状にバローを押し包もうとする騎士達の胸元を一陣の風が吹き抜けた。ガルファも後首にゾッとするほどの冷気が、次いで灼熱感と激痛がもたらされる。
「ぐあっ!?」
「あ、ヤベ」
よろめくガルファにバローは動揺する。騎士だけを斬るつもりが、精神が高ぶっていたせいで少々魔力を多く込め過ぎてしまい、前線から離れようとしたガルファの首にまで届いてしまったのだ。だが幸いにもガルファの傷は皮一枚を斬っただけで止まっており、血は流れていたが命に別状は無さそうだった。しかし、至近距離に居た騎士は当然そうはいかなかった。
鎧や盾、そして馬などが一斉に上下に分かれて慣性に従いバラバラと転がって行く。10人の騎士は即死し、悲鳴も上げられずに湯気を上げながら雪原に散り、白一色の世界を赤く染め上げた。
それを見たガルファの肝が縮み上がり、その背後に控えていたアライアットの兵士も何が起こったのか分からずに浮足立ったが、ガルファは辛うじて立ち直り命令を下した。
「ゆ、弓隊、魔法隊! 全弾発射!!! ベロウ・ノワールを殺すんだ!!!」
虚脱状態だった兵士達にとってその命令は救いだっただろう。もうしばらく放置しておけば恐慌状態に陥る所であったが、そこに至る寸前に命令された事で兵士達は機械的に命令を実行する事が出来たのだから。
さて、具現化する魔法は物理現象の為に周囲の環境でその効果を増減させる事がある。簡単に言えば、暑い夏は火属性魔法の効果が高くなり、寒い冬は水属性魔法の効果が高まるのだ。であるからこそ魔法隊の選択した魔法は全て水属性の魔法であった。
100人からの魔法使いが同時に放てば、初歩の魔法である『氷の矢』も大魔法に匹敵する規模となる。更にそれに加えて多数の矢が放たれており、まともに着弾すれば一気に数百名が負傷、または命を落としただろう。
しかしそこで後ろに居たヒストリアが前に出た。
「ばろ、びり、絶対動くな。動いたら死ぬからな?」
絶望的な状況のはずなのにまるでそう思わせないヒストリアの警告は飛んで来る魔法や矢では無く、自分が行使する何かに対してであった。バローはまだヒストリアの事を上辺の情報しか知らないが、それでも悠への信頼から一歩後ろに下がって頷いた。
「ああ、俺達の命は預けたぜ」
「よしよし、面白い技を見せてくれた礼だ。ひーの『自在奈落』を見せてやるぞ」
「ま、任せました!!」
ヒストリアが両手を交差し、前方に突き出して何かに引っ掛ける様に指を曲げる。バローにはそれがまるで扉をこじ開けようとする動作に見えたのだが、まさしくヒストリアはこじ開けようとしているのだ。・・・空間を。
「開いて喰らえ、『自在奈落』!!!」
ヒストリアが交差した両手を左右に振ると、何も無かった空間に裂け目が入り、そのまま形容しがたい色をした空間に取って代わった。色々な怪現象を見慣れているバローですら見た事が無い現象にあんぐりと口を開き言葉を失っている。
バロー達を包むように展開したその空間に矢や魔法が次々と突き刺さったが、それらは何の抵抗も無くその空間に吸い込まれ、一切の効果を発揮せずに消滅する。
やがて矢も魔法も尽き、異変を感じたアライアット兵が攻撃を止めると再び空間は元に戻って中から無傷のバロー達が現れる。
「くふっ、何が起こったのか分からんという顔だな。安心しろ、ひーにもお前達の攻撃がどうなったのかは分からん。何の効果も無かった事だけは確かだがな」
「・・・何が起こった? あの空間は何だ、ビリー?」
「わ、分かりません、バローのアニキ・・・。でも、旗の先端を見て下さい・・・」
楽しげに、残酷に語るヒストリアの後ろでバローはビリーの言葉に従い、家紋付きの旗を見た。その旗の先には装飾が施してあったはずなのだが、それが半ばから綺麗さっぱりと消失しているのを見てバローの背中に冷たいものが滴る。
「おっと、少々精度が甘くて触れてしまったか。済まんな、ひーの『自在奈落』に触れたものは生き物だろうと魔法だろうと石ころだろうとどこかへ行ってしまうのだ。・・・いや、やはり喰らってしまうと言った方がよかろうか。それこそ奈落の底かもしれんなぁ」
笑いながら話すヒストリアだったが、バローはその笑いがどこか空々しくバローには感じられた。
だがそれはヒストリアのプライベートかつ触れられたくない部分なのだろうと察したバローは口に出さず、別の軽口を叩いた。
「おー、やるじゃねぇかチビっ子! 後でアメでも奢ってやんよ!」
「・・・ばろ、お前は死にたいなら死にたいと言え。ひーが痛みを感じる前に殺してやる」
自分の眼前で目を見開いて腕を交差させるヒストリアに割と本気でバローは謝ったのだった。
ヒストリアの唯一無二の能力、『自在奈落』です。
一見最強臭い能力ですが、説明は悠サイドに移ってからにしますね。




