7-41 御当主閣下の誤算2
それから10日後のノワール領では連日バロー監督による厳しい鍛練が続いていた。
「オラオラオラ!!! へばってんじゃねぇ!!! まだ15キロしか走ってねぇだろうが!!!」
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・!」
「ひぃ、ひぃ、ウプッ!?」
「ひ、ひぬぅ~・・・」
ノワール家のある街、雪の積もるソリューシャの外周を完全装備の兵士達が息も絶え絶えに走り続けている。その先頭で怒鳴り声を上げているのは当然当主のバローである。
「戦場で必要なのは体力、体力、体力だ!!! どんな凄腕剣士だって疲れてちゃガキにも劣るぜ!! どんどん走って疲れない体を作れ!! 剣術のイロハはこれが終わって立ってられたら教えてやらぁ!!!」
ノワール領の総兵力は領内に分散している者も全て合わせても2000に満たぬ数である。バローは500ずつにその数を分け、ひたすら体力を付けさせる鍛練を行っていた。大体フル装備で20キロほどになる鎧や兜を身に付け20キロ程度を走らせれば残るのは20人前後でしかない。つまり、2000の兵の内、体力的に優れている者は100名に満たないのだ。
その残った100名前後に今度は戦闘技術を仕込んで行く。疲れ切った体で振る剣は重く、最初は一振りで剣がすっぽ抜ける者が続出した。10日経ってようやく多少剣が振れる様になってきた所である。
「御当主様、少々厳し過ぎるのでは・・・?」
初日の死屍累々な有り様にパストールが諫言した事もあったが、バローは自分の腕を捲くって鎖を見せて言った。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。俺がやった時はもっとずっと強烈だったぜ? 走りながら手合わせまでやるんだからな。しかもこの重力鋼をつけたまんまでこの3倍以上は走るんだぞ? ちなみにこれ一つで10キロあるが、俺はこれを3つ付けて生活してるぜ」
「・・・申し訳ありませんでした・・・」
当主自らが自分達よりも過酷な鍛練をやっているのに臣下たる者達が楽な内容で良いはずが無いとパストールも認識を改め、以後どれだけ厳しくてもバローに対する文句は出ていなかった。実際、バローは誰よりも多くの距離を走っており、その負荷も最も重いのだ。守るべき当主に付いていけないようでは兵士失格である。
それにバローは鍛練後のケアも忘れなかった。鍛練に参加した兵は次の日は休日に充てられ、また完走者には一時金も支払われたのだ。その後の格闘術にまで残る事が出来れば更に倍の金額が支払われた。兵士にとって給料以外の金銭獲得は稀であり、特に冬の寒さの厳しいノースハイアではこの一時金は大変に有り難かった。温かい毛布も体を温める酒も全て金が掛かるのであり、兵に喜ばれるという事はその家族にも喜ばれるという事である。そういう意味ではケチでは無いバローは当主としての名声を着実に積み上げていった。
しかしバローの眉間には皺が刻まれていた。理由は2週間が経過したのに何の返答も無いドワイド家である。
「チッ、てっきりすぐに謝りに来るかと思ってたんだがな、ちと脅しが過ぎたか?」
「この雪ですからな。出るに出られず領地に引き篭もっているのかもしれません。それに、約束を反故にするという事は、取り潰しが避けられぬという事でもあります。もうしばらく待ってみては如何でしょう?」
「・・・だな。別にこっちが焦ってるワケじゃねぇんだ。奴らが来るまでは練兵に勤しむさ」
遠からず来るだろうという考えから、バローは軽く答えた。しかし、それから1日、3日、1週間が過ぎてもドワイド家から使者がやって来る事は無かったのである。
「・・・もう我慢ならねえ!! あれから10日だぞ10日!!! なのに全く何の連絡もねぇってのは一体どういうつもりだ!? 俺の事を舐めてんのか!?」
「むぅ・・・まさか本当に反故にするとは・・・」
「どうなさいますか、兄上? こちらから催促の使者を送りますか?」
結局、10日過ぎても返答を寄越さないドワイド家に対して遂にバローの堪忍袋の緒が切れた。パストールもここに至ってはドワイド家が約束を守る気が無いと断ずるより他に無く、レフィーリアがバローに提案したがバローは首を振った。
「ここまで何も言ってこねぇって事は向こうも腹を括ったって事だ。下手に使者なんぞ送ったら首だけになって帰ってくるぜ。だからと言ってこっちが我慢するいわれはねぇ。明日、王都に使者を送って事の顛末を洗いざらいぶちまけてやる! パストールは兵を率いて国境の監視を強化しろ!! こいつは・・・戦争だ!!」
「畏まりました、御当主様」
「兄上、兄上でしたら万一の事も無いかと思いますが、どうかお気を付け下さい」
「おう、精々フェローザとクレロアをビビらせてやるよ」
誰も戦争するというバローに反対しないのは、貴族の当主としてバローが宣言した事を軽く見られたまま放置しておく事が出来ないからである。それをなあなあで済ませてしまえば近隣の領主もノワール家を軽く見る様になり、結局は大きな火種を残す事になるからである。ここは何としても約束を守らせねばならず、使者を送るという悠長な手段が取れないのならば残るは戦争しかないのだ。
翌朝には王都に向かって伝令が放たれ、その王都からの返答の使者が来るのを待って戦端を開く事になったのだが、その証人とも言える人物にはバローも予測していなかった人物が現れたのであった。
「お久しぶりです、ノワール伯」
「・・・へ? あ、いや・・・何故ここにサリエル様が?」
そう、そこにやって来たのは王都でラグエルの補佐をしているはずのサリエルであった。そしてその傍らに控えるのはもっと意外な人物だったのだ。
「久しいな、ベロウ殿」
サリエルの隣に侍る騎士が兜を外すと、中から現れたのは頭をスッキリと剃り上げて禿頭になったアグニエルであった。
「あ、アグニエル、殿下!? な、何だって王族がこんな僻地に2人も!?」
「私は王都の方が落ち着きましたので、お父様が「見聞を広めよ」と私を使者として送られました。それと・・・その、お兄様は・・・」
「俺はサリエル様を守る為に一騎士として参上した。王にも身分の返上を願い出ている。俺は一生サリエル様の近衛として生きて行くつもりだ。・・・それしか俺はサリエル様に詫びる術が無いからな・・・」
「は、はぁ・・・あのアグニエル殿下がこうも変わるかね・・・」
「私は前と同じ様に接して下さいと言っているんですけど、お兄様ったら聞いてくれないんです・・・」
大きく溜息を付くサリエルを尻目にバローはアグニエルを観察したが、その表情は使命感に燃えており、ギラギラと野望が見え隠れしていた瞳にはサリエルしか映っていない様に見えた。
「えーと・・・まぁ、人生の正道に立ち返ったのなら喜ばしい事では?」
「お兄様は第一王子なのですよ? 正道と言うのなら王族としてで無くては困ります!」
「王にはサリエル様がなられればよいのです。俺はそれをどこまでもお支えしましょう」
「もう・・・万事この調子ですの。お姉様に相談しても何だか最近ずっと上の空ですし、お父様は「放っておけ」って言って笑ってらっしゃるし・・・」
ノースハイア王家もこの一月で色々あったらしいが、バローにとってはまずは自分の領内の事が最優先である。
「あの・・・そろそろ本題に入っても?」
「え、ええ、構いませんわ」
「大方の事情は既にご存じかと思われます。我が家としましては十分に交渉なり返答なりの猶予を取りましたが、先方は一切の接触を拒んでおり、このままでは埒が明かない為サリエル様を伴いドワイド家に通告を行わせて頂きたいと考えております。安全を考慮して軍を率いてとなりますが・・・」
バローの申し出にサリエルとアグニエルはそれぞれ異なる理由から渋面を作った。
「最初から軍ありきでは向こうも態度を硬直させるのではありませんか? 私が共に交渉に立ち合えば・・・」
「畏れながら、既に事は抜き差しならぬ所まで進んでおります。そもそも非はあちらにある訳ですから、足を運ぶのはドワイド家からでなくてはなりません。サリエル様、ひいては王家の方々が下手に出ては将来に禍根を残します。あくまでも王家の方々は証人であり、直接手を下されるのはせめて当家が破れた後に願います」
バローとしてもここは譲れぬ所である。問題がある度に王家に手助けを頼んでいる様では領主としてこの地に封じられている意味が無く、他の近隣の領主に隙を見せる事になってしまうからだ。そもそも今回王都に知らせたのも状況の推移を確認する監察を頼みたかったからと、侵略行為では無いという証明が欲しかったからで、手助けが欲しかったからではないのだ。サリエルやアグニエルという大物が来たのは全くの偶然なのである。
「サリエル様を危険な場所に連れて行くのは反対だ。ドワイド家と一戦交えると言うのなら俺が行こう。サリエル様はこちらでお待ち頂きたい」
「お兄様!! 危険だからだと政務を放り出す真似をしては派遣された意味がありません!!」
「サリエル様の御身に何かありましたらノースハイア王家は絶えてしまいます。こればかりは承服致しかねます!」
(じゃあ普通の軍監を送れっつーの!! 王族に何かあったら俺のせいになるじゃねぇか!!)
表面上は取り繕いつつも、バローは心の中でクソ真面目なサリエルと重度のシスコンに罹患したアグニエルを罵った。
妙な理由からもつれかけた話し合いの糸は更なる状況の変化によって引き千切られる事になる。
「御当主様!! 一大事で御座います!!」
ドアが乱暴に開かれ口を開きかけたパストールだったが、内部に居た王族2人を見て慌ててその場に跪いた。
「こ、これはご無礼を!!」
「いえ、構いません。何か火急の用件なのでしょう? 早くお伝えしてあげて下さい」
「おう、お前が血相を変えて礼儀を無視するほどの事があったんだろ? 見張ってたドワイドの奴らが攻めて来たのか?」
可能性は高くないだろうが、バローもドワイド家の暴発という事態は想定内であった。しかし面倒な事には変わりないので、軍を率いるであろうバルボーラを再起不能にして確率を落としたという面もあり、そんなに真剣に聞いた訳では無い。
しかし事態はバローの予想を超えて悪化していたのだ。
「・・・半分だけ当たっております。ドワイド家の軍勢が当家に向けて軍を進めており・・・更にアライアットの軍勢も確認出来ました。数は5千は下らぬ物と思われます!」
「な・・・なんだと!!!」
バローの驚愕の叫びが部屋の中で虚しく散っていく。
こうしてノワール家とドワイド家の諍いは更に大きな戦乱へと結び付いて行く事になるのだった。
サリエル、アグニエル再登場。特にアグニエルは大幅リニューアルです。新しい属性として禿、シスコンを獲得しました。・・・進化したのか退化したのかは私にも分かりません。




