7-37 御当主閣下の帰還2
準備に追われるノワール家の面々にとって時間はあっという間に過ぎ、そして夜が明けた。
「うし、抜かりはねぇな、野郎共!!」
「「「ハッ!!!」」」
「・・・御当主様、もう少し丁寧な言葉をお使い下さい。これではまるで我らは盗賊の様です・・・」
「いいんだよ、礼儀なんてモンは必要な時にだけ気を付けてりゃあな。それに俺達はこれから荒事をしに行くんだぜ? お上品になんてやるだけムダムダ」
しかめっ面で苦言を呈するパストールに構わずバローは肩を竦めた。
「最初は説得をするのでしょう?」
「最初はな。そんときゃ貴族っぽくやってやるよ。豚に人様の言葉が通じるかどうか知らねぇけどな」
「・・・帰ってくれるのならそれで十分なのですから、くれぐれも挑発する言葉は慎んで下さい」
「心配性だなぁパストールは。そんなんじゃ益々ハゲるぜ?」
「誰のせいですか!!! それに私はハゲてはいません!!!」
漫才の様な掛け合いに後ろで兵士達が忍び笑いを漏らしたが、パストールが鬼の形相で振り返ると謹厳な表情で目線を逸らした。
「兵士ってのは命のやり取りをする仕事だ。いつもいつも張り詰めてちゃいざって時に動けねぇんだよ。俺に付いてくるつもりならもっと肩の力を抜けよな」
「は・・・しかしこれも性分ですので・・・」
兵士一筋30余年のパストールにしてみれば、一触即発の状況で自然体のバローの方が受け入れ難いのである。
「それにしても昨日伺った話、俄かには信じ難いですが、あれだけの腕前を見せられたら納得せねばならんのでしょうな・・・。そのカンザキとやらは御当主様よりお強いのでしょう?」」
バローはパストールにだけは軽く事情を通しておいたのだ。勿論、ミーノスで国の行く末に関わる大立ち回りをした事などは話していないが。
「話にならないくらいな。俺は本気じゃないとしても3分掛かったが、あいつだったらこんなモンだろうよ」
そう言ってバローは指を3本立ててパストールに示し、パストールは難しい顔で唸った。
「むぐっ! ・・・さ、30秒ですか・・・」
「バカヤロー、3秒だ3秒。しかも全員一撃で瀕死だぞ」
「・・・・・・・・・そ、それは流石に・・・」
バローが冗談の延長で話を持っていると思ったパストールは顔にぎこちない笑みを浮かべてバローの表情を窺ったが、そんな時に限ってバローの顔は真剣であり、本音であると悟らざるを得なかったのである。
「・・・人間ですか、それは?」
「「ただの」人間じゃねぇだろうが、確かに人間は人間だぜ。俺が本気で斬ろうとした剣を片手で掴みやがったけどな。正直、チビりそうになったっつーの」
「・・・武の頂とは果てしないものなのですね・・・」
自分達がまるで歯が立たないバローが子供扱いされるという事実にパストールの目が遠い所を見るものになった。それなりに研鑽を積んで来たつもりだったが、あくまでもそれなりでしか無かったらしい。この先体力も筋力も落ちる一方の自分には辿り着けない境地であろう事が、パストールにはほんの少し悔しかった。
「大丈夫だ、そこまでは無理だろうが、王都の近衛とタメを張るくらいには鍛えてやるよ。お前らにゃ俺が居ない間にレフィーを守って貰わなきゃならねぇしな」
「よろしくご指導願います、御当主様」
「とりあえず話はここまでだ。全員持ち場に付け!!!」
「「「ハッ!!!」」」
バローが号令を掛けると兵士達は前もって決めた段取り通りに街の各所に散り始めた。急に閑散としたバローの周囲に残っているのはパストールと他数人の年配の隊長格の者達だけである。
「本当はお前さん達も付いて来ない方がいいんだけどな・・・」
「御当主様が遅れを取るとは最早思ってはおりませんが、我らも長年のドワイド家の態度には腹に据えかねるものがあるのです。是非とも特等席で彼奴めの醜態をこの目で見たいのですよ」
「こらこら、あまりそう正直に言うでないわ。・・・まぁ、ここに残った者達は多かれ少なかれそういう気持ちを持っている事は確かですが・・・」
ドワイド家とノワール家は一応親戚筋であるが、そこまで血縁が濃い訳でもない。しかし、アライアットから侵攻があれば肩を並べて戦う事も多いゆえに両者はそれなりに相手を知悉していた。ノワール家の兵士から言わせて貰えばドワイド家の兵士は上手く立ち回ろうとしてノワール家の兵士を盾にしたり囮にしたりする傾向が強く感じられ、手柄だけを掠め取ろうとする小者というのが一般的な認識である。・・・当然、ドワイド家にはまた別の言い分があるのだが。
「貴族の立ち回りとしちゃ向こうが正しいのかもしれねぇが、いつも俺達ばかりが矢面に立たされるのではワリに合わねぇな。たまにはちょっと肝を冷やして貰おうぜ」
「一応付き添いとして父親のフェローザ伯もいらっしゃるとは思いますが、そちらはいかがしますか?」
「息子を使ってウチにちょっかいを掛けるその性根が気に入らねぇ。歳は向こうが上だが、こっちだって伯爵の爵位は持ってんだ。俺は言いたい様に言うだけさ。それで向こうが先に抜くのなら願ったり叶ったり、クレロアに親父と弟の亡骸を送ってやる。根性無しのクレロアはビビッてもう2度とウチにちょっかいは出さないだろうよ」
「私闘と捉えられて後々王から罰せられたりはしませんかな?」
「ねぇな。これでもラグエル王とは多少話が通る伝手を持ってる。それに引き替えドワイド家は王都に基盤を持ってねぇ。どっちの言い分が通るかなんて火を見るよりも明らかってモンだ。それに、向こうにはバルボーラが居やがる。あいつの噂は王都でも有名だし・・・俺が広めたんだが」
ニヤリと笑うバローに周囲から小さく笑い声が漏れた。貴族にとって他の貴族の失点は自分の得点になり得るし、それがいけ好かない隣人であれば少々黒い笑いの種になるのであった。
「伝令ーーー!!!」
そこに見張りに付いていた兵士が大声でバローの元へと駆け寄り、眼前で膝を付いた。
「来たか?」
「ハッ、旗の家紋から間違いなくドワイド伯爵家の一行です。随行の兵士が少々多いようで、未だ遠いながらも街からでも砂煙が確認出来ます。その数およそ300!!」
「お前の読みよりもちと多いな、パストール? 普通の縁談にしちゃちょいと気合が入り過ぎだぜ。・・・あわよくば強引にこの街を手に入れるつもりかな?」
「意気地なしのドワイド兵も奇襲ならばと考えたかもしれませんが・・・残念ながら御当主様がご帰還だとは知らぬでしょう。それが彼の家にどの様な結果をもたらすのか・・・フフフ、私も年甲斐も無く楽しみになって来ました」
「おっ、お前も分かって来たな? それに・・・へへっ、俺も読めて来たぜぇ・・・練度に劣るドワイド兵がこっちにバンザイさせる手段といやぁ一つしかねぇ。奇襲で何を狙うかだ。俺が居る事を知らないなら・・・」
「レフィーリア様、でしょうな」
出来のいい生徒を見る目でパストールを見たバローは口笛を吹いた。
「よし、ウチの馬車を用意しろ!! 奴らがどんな腹積もりか確かめてやる!! それとな・・・」
バローの狡知に悪い笑みで応えた隊長達は早速言われた通りの物を用意する為にその場を離れたのであった。・・・順調にノワール家の洗脳・・・もとい、人心掌握は進んでいるようである。




