7-33 舞い戻る竜9
「よっ、待たせたな。それじゃ帰ろうぜ」
戻って来たバローは幾分スッキリとした顔をして悠に声を掛けて来た。時間を置いた事で頭が冷えたのかもしれないが、話をする機会としてはこの機をおいて他に無いだろう。
「その事だが、レフィーリアがお前に話があるそうだ。だから今晩は泊まっていけ」
「ハァ!? こっちには話す事なんざねぇよ!!」
悠はとりあえずは穏便な説得から始めてみたが、途端に硬化したバローの態度から言葉による説得は少なくとも自分には無理だと悟り、すぐに次の手段に移行した。
「お前に無くてもレフィーリアにはある。いつまで子供染みた仲違いを続けているつもりなのかは知らんが、いい大人ならいつまでも家族という立場に甘えていないで冷静に話し合ってみろ」
「・・・お得意の善人ごっこなら他でやれよ。俺は帰るっつってんだろうが・・・!」
頭ごなしに言い捨てる悠にバローは久方ぶりの本物の苛立ちを感じて口を荒げた。2人の間に漂い始めた殺気に近い空気にレフィーリアの顔が青ざめる。
「俺が善人ごっこなら、貴様は剣術ごっこだな。いつまでも芽の出ない努力などやめてサッサと伯爵家の当主に戻ったらどうだ? ここならば貴様の様ないじけた剣士気取りでも蝶よ花よと担ぎ上げてくれるのだろうが」
「おい、言葉に気を付けろよ・・・俺だっていつまでもテメェの下っ端じゃねぇんだ!」
「雑魚に選ぶ言葉などあるか。訂正したければ俺に一筋でも傷を付けて見せろ」
「いい機会だ、一つと言わず10、20とくれてやらぁ!!!」
バローが剣を抜いて悠へと一直線に間合いを詰めた。悠は隣で呆然としていたレフィーリアを突き飛ばし、視界を確保する為に兜を跳ね上げる。
「オラッ!!」
一息に数発の剣閃が走り断ち切られた大気が唸りを上げたが、悠は特に苦労するでも無くその高速の剣を回避していく。生身の状態でも捕えるのが困難な悠であるが、今は更に『竜騎士』となっているのだ。たとえバローがどれだけ鍛えてもそう簡単に当たるはずがない。
「これで一杯か? やはり貴様には才能が無いな」
「やっと体があったまってきたとこだっての!!!」
バローは一瞬体を引き一歩踏み込む空間を確保してから全力で踏み込んで得意技である『絶影』を放つ。常人であれば斬られた事すら理解出来ない内に斬られていただろうが、悠はあろう事か横薙ぎに繰り出される『絶影』を下から蹴り上げた。
「うおおっ!?」
その蹴りの勢いに耐えかねバローの体が後方に一回転するが、何とか体勢を空中で立て直して四つん這いで着地。静止した瞬間に額から冷や汗が流れる。
(クソ!! 遠いとは思ったが、まだこんなに差がありやがるのか!? 人の流派の奥義をあっさり蹴り飛ばしやがって!!!)
「どうした、奥義を覚えて図に乗っていたのか? そんな物はちょっと早いだけのただの横薙ぎではないか。お前の実力はそんな物か?」
「うるせえ!!! これを見ても同じ事が言えるのかよ!!!」
バローは蹴られた剣が折れたり曲がったりしていない事を確かめ、再び低い姿勢から悠に向かって跳び出した。
「怪我しても泣くなよ!!!」
そう言って腰溜めに構えた剣を本気で振る事で悠への返答とするべく、今自分に出来る最高の技を解き放った。すなわち『夢幻絶影』。
ヒュヒュヒュヒュヒュヒュヒュンッ!!!
最初の連撃など話にならないほどの超高速剣にバローは必中を確信するが、次の瞬間、その眼前の光景に自信がまとめてへし折られてしまった。・・・悠が片手で掴んで中断させられた『夢幻絶影』を見てしまったのだ。
「じ・・・冗談、キツイぜ・・・」
「この痛みも冗談かな?」
動けないバローの腹で衝撃が弾ける。棒立ちになったバローに対して悠が蹴りを放ったのだ。
「うげッ!!!」
堪え切れずにバローが血の混じった吐瀉物を地面にぶちまけた。あまりの痛みに脳の奥がチカチカと白い光を点滅させ、思考が激しい痛みだけに占領される。
「ゴフッ、ゴフッ!!! ぐ、ぐああああああッ!!!」
「あ、兄上!?」
悶絶するバローを見て呪縛の解けたレフィーリアが思わずそちらに向けて駆け寄った。そしてそのまま服が汚れるのも構わずに膝を付き、バローの腹に手を当てる。
「大丈夫ですか、兄上!!!」
「ゴフッ・・・く、クソッタレ・・・!」
そんな2人の姿を見て悠は顔に冷笑を浮かべて罵った。
「いい身分だな、どうだ、妹に庇われて這い蹲る気分は? 自分の身の程を嫌と言うほど知っただろう?」
「ぐ・・・!」
「いい加減にして!! 一体何のつもりでこんな事をするの!? そもそもあなたは私と兄上の――」
「女が男の間に入るな、邪魔だ」
バローから離れ、悠に詰め寄ったレフィーリアの胸倉を掴んだ悠はそのまま力任せにレフィーリアを横に投げ捨てた。
「キャア!?」
「レフィー!? て、テメェ!! 俺の妹に何しやがる!!!」
地面に転がされたレフィーリアを見て、バローが痛みを堪えて立ち上がった。
「態度が一貫しない事甚だしいな。文句があるのなら剣で語れと言っただろうが。まぁ、そんな怒りで鈍った剣が俺に当たるはずも無いが」
小馬鹿にした口調の悠にバローの頭が沸騰寸前まで熱くなったが、それとは別にバローの脳裏に語り掛けて来る声があった。
(体は熱くなっても頭は冷静に、だ)
どこで聞いたのかも思い出せない言葉であったが、バローは残った精神力の全てを振り絞ってその挑発に耐えた。全く通用しない自分の剣技、倒れ伏すレフィーリア、嘲笑う悠、それら心を乱す要素の全てを体の奥底に沈めて目を閉じる。
(・・・10や20なんて出来もしねぇ事はもう言わねぇ。せめて一太刀、いや、毛ほどでもいい、ユウに傷を付けてみせる!!!)
バローの気配が先ほどと明らかに変わった事で、悠もその場で腰を落とした。ごく僅かであるが、バローの気配に警戒すべき何かを感じ取ったのだ。
やがてバローが剣を鞘に納め、鯉口だけを切った姿勢で悠に抜刀の構えを取った。居合などをする為では無い剣の上、誰に習った訳でも無いが、バローには今自分の行っている事が間違っていないという奇妙な確信があったのだ。
目を閉じているバローは気付かなかったが、その集中力が限界を突破した時、僅かに覗いた刀身が淡い光を放ち始めた。
(ユウ、あれってもしかして・・・!)
(ああ、どうやら何かに開眼したらしいな。スフィーロの鱗を使った剣を媒介に魔力を竜気に変換している・・・)
光が限界まで高まったと見えた瞬間、バローは一切の予備動作なく剣を抜き放った。その剣閃に合わせ、光が爆発的に広がり、夜の屋敷を真昼より尚明るく照らし出す。
「っ!」
何かが飛んで来る気配だけを頼りに悠は首を傾け、また昼から元の暗闇に戻った敷地内で剣を振り抜いた姿勢のバローがポツリと呟いた。
「・・・『無明、絶影』・・・へへ・・・ザマミロ・・・」
そのままグラリと体を傾け、バローは剣を手にしたまま地面に倒れ伏した。そのままピクリとも動かないバローに再びレフィーリアが起き上がって駆け寄る。
「兄上っ!!」
今の絶技と引き換えにバローが死んだのではないかと思ったレフィーリアはバローに縋りつきながらキッと悠を睨み付ける。
「たかが言葉の行き違いでここまでする必要など・・・!?」
レフィーリアの弾劾の言葉が途中で行き場を失って宙を彷徨う。なぜならば、睨み付けた悠の左耳が横に割け、赤い血を流していたからだ。
「その通りだ、たかが言葉や感情の行き違いでいつまでも仲違いしているなど愚かな事だと分かっただろう? ベロウは精神力と魔力を使い果たして気絶しているだけだ。とりあえず休める場所に運ぶぞ」
悠はレフィーリアの側まで行き、まずは擦過傷を負っているレフィーリアに『簡易治癒』を掛けてその怪我を治した。瞬く間に消えた傷にレフィーリアが言葉を失っている間に気絶しているバローを引き起こし、剣を鞘に納めてその背に背負う。
「あ、あなたは一体・・・?」
「早く案内しろ。途中で目を覚ましたら煩くて敵わん」
「わ、分かったわ、こっちに来て」
頭に浮かぶ疑念を抑え込んで、レフィーリアは先頭に立って屋敷の扉を開いた。その時、背後で何か大きな音がしたが、とにかく今は兄を運ぶのが先と中へ入って行く。
レフィーリアの常識を覆す一日はまだ終わらない。
その夜に門番をしていた兵士の話である。
「いやー、後で聞いたけど、あの時はビックリしたよ。なんたって突然塀が真ん中から真っ二つになって倒れて来たんだ、誰だって驚くだろう? なんでもベロウ様の剣技らしいけど、一体いつ斬ったのか俺には全然分からなかったね!! そんな事より俺は突然塀が壊れてクビになるんじゃないかってビクビクしてたよ。レフィーリア様は厳しい人だからね、あんたもそう思うだろ?」
バローの新奥義、『無明絶影』です。しかし、現状では一発が限界で、そもそも相当に追い詰められないと集中力がそこまで高まらない上、溜めも大きく戦闘ではほぼ使い物になりません。要修行です。敵は悠長に待ってはくれませんからね。




