7-30 舞い戻る竜6
「やつれたな。潜伏生活は厳しかったか?」
「・・・料理の有難みだけは嫌と言うほど身に染みましたな・・・」
頬のこけたラグエルは力無く笑った。が、今はそんな話をする雰囲気では無い。
「さて、愚物共は粗方排除された様子。申し訳無いがカンザキ殿にはお帰り願いたい」
「貴様は最早王では無いのだろう? それに俺が従う義理などあるのか?」
突然のラグエルの要請に悠は硬質な声で問い掛けたが、ラグエルは揺るがなかった。
「ありますとも。カンザキ殿は「三月の後、この国が正常で無ければそれを正す」と仰った。そして約束の三月まではまだ日があるはず。余が王であるかどうかなど関係は無く、ノースハイアが今どの様な状況であろうとも三月前にやって来たのは単にカンザキ殿の勇み足。約束は守って頂かねば困りますな」
「えれえ詭弁だぜ・・・」
《呆れた、助けて貰っておいてその言い草は何なのよ!?》
「助けてくれと言った覚えは当方にはありませんが」
あくまで言い切るラグエルにバローもレイラも呆れたが、ラグエルには勝算があった。それと言うのも圧倒的有利な状況においても約束を優先させた悠の人となりからして、口約束であろうとも決して反故する事は無いと見切っていたからだ。これは一種の賭けであったが、ラグエルからしたら相当に自信を持った賭けであった。
「それでも不服と仰るなら余の首を持って行かれよ。後の事は全てサリエルに任せましょう。サリエル!」
「はい、お父様」
謁見の間の扉が再び開き、外に控えていたサリエルの姿が見えた。更には涙目のシャルティエルが居たのは悠が最上階を吹き飛ばした後に恐る恐る降りて来たからだ。悠が中に入ってからずっと謁見の間の扉の前で中の様子を窺っていたのだが、あまりに恐ろしくて入る事が出来なかったのだった。その周囲には国から逃亡したはずの兵士や官吏も集まっていた。彼らは悠が中庭で敵を排除した際に『虚数拠点』から連れ出したのだ。
「だ、ダメですわサリエル! こ、こ、殺されてしまいますわよ!!」
「お放し下さいお姉様。サリエルは王女としての務めを果たさねばなりません」
「そんなもの・・・ヒィッ!? ごごご御覧なさいお兄様の有様を!!! 大人しくしていれば命までは取られませんわ!!!」
手足が有り得ない方向に折り曲げられて息も絶え絶えのアグニエルとその隣でガチガチと血塗れで歯を鳴らすマルスを見てシャルティエルはサリエルの袖をしっかりと掴み直した。・・・正直、何かに掴まっていないと倒れそうだったからだ。
「カンザキは約束を果たさない者は女でも容赦はしません。ここで震えていてもどうしようもありませんわ」
「ちょ、ちょ、ちょっとサリエル!?」
サリエルはあくまで歩を進め、その袖を掴んでいるシャルティエルも前に進まざるを得なかった。まだ幼い妹に縋る姿は前屈みで情けない事この上ないが、そのせいで零れそうになる豊かな胸元にバローの目尻が微かに下がった。
(相変わらずいいチチしてんなぁ、うほほ)
それでも顔面の筋肉をヒクつかせながらも真面目な表情を崩さない自分を褒めてやりたい気分だったが、今はそれをアピールする空気でも無いので慎ましく沈黙を守って感情を押し殺す。
サリエルは立派な王女を演じていたが、その体に縋っているシャルティエルには小刻みに震えているのが分かった。いくら覚悟と誇りで身を固めようともサリエルは12歳の少女でしかないのだ。本当は泣きたいほどの恐怖と緊張感を感じているに違いない。
悠の前まで歩み寄ったサリエルは震える体と心を叱咤してラグエルを背に悠の前に立ち塞がった。
「・・・お父様はこう仰っておりますが、今お父様を失う訳には参りません。約定違いで命が欲しいのなら私の首をお持ち帰り下さい!!」
「大した自信だな、自分の命に国王と同じ価値があると言うか、サリエル?」
「そこに居るお兄様と私の命を合わせれば。どうせこんな事をしたお兄様は遠からず処刑されます。ならばせめて共にノースハイアの礎になりましょう」
「サリ・・・エ・・・」
「・・・お兄様、私も共にそちらに逝きます。最期くらいは一緒に参りましょう?」
そう言ってサリエルは泣き笑いの表情をアグニエルに送った。その裏表の無い透明な笑みにアグニエルは一時絶望と激痛を忘れて見入ってしまう。
(サリエルの覚悟、本物であったか・・・とても俺の及ぶ所ではない・・・)
激痛に悶絶しても流れなかった涙がアグニエルの頬を伝って流れ落ちた。妹の覚悟を前にすると、アグニエルは自身の野望が酷くちっぽけでつまらない物にしか思えなくなってしまった。
「それにこの国には王族がもう一人居ります。・・・お姉様、後の事はお願い致します」
「えっ!? む、無理よぉ!!! 私は政治の事なんて何も知らないのよぅ!!!」
「馬鹿娘共が!! いつまで三文芝居をやっておる、サッサと下がらんか!!」
「いいえ、下がりません。お父様の無事が確認出来るまではサリエルはここを動きません!」
「やめ・・・ろ・・・こ、殺すなら、俺を、殺せ・・・!」
「お兄様!? 動いてはなりません!!」
「うえ~ん!!! もう帰ってよぉ~!!!」
突然家族愛に目覚めたノースハイア王家にバローは白けた目を向けた。悠は泣きながら鎧を叩くシャルティエルを前にどことなく途方に暮れている様にも見えたのだった。
(・・・ねぇ、ユウ、これどうするの? どうやって収拾を付けるつもり?)
(・・・謀反の首謀者であるアグニエルとヨークラン公は痛めつけた。ラグエル王も健在な事だ、兵士も一緒に連れて来た事だし、後は任せればよかろう)
悠はポカポカと叩き続けるシャルティエルの手を取って止めさせ、その手が叩き過ぎて血が滲んでいるのに気付くと『簡易治癒』でその傷を治療した。
「あっ・・・」
「どいていろ、今はサリエルと話している最中だ」
シャルティエルを黙らせると、悠はサリエルを正面から見据えた。その黒い瞳と黒い髪は悠に過去の誰かを思い出させていた。
「・・・ではお前の命を頂こう」
ぎゅっと目を瞑るサリエルに対して悠の手刀が閃き、止める暇も無くサリエルの髪が一房断ち切られて宙を舞う。
首筋に風を感じたサリエルは死んだと思ったが、いつまで経っても首がそのままの位置にあるのを不審に思い、うっすらと目を開けると、そこにはサリエルの切り飛ばした一房の髪を握る悠の手があった。
「・・・どうして?」
「髪は女の命と言う。ラグエルの言う通り、今回の件は俺の早計らしい。この髪に免じて帰ってやろう。・・・だが、残りの日数は少ないと心得ておけよ」
それだけ言って悠は踵を返した。バローも肩を竦めてその後に続く。
「待て、ノワール伯」
ラグエルの声にバローは足を止めた。
「・・・何でしょうか、陛下? それに私は今でも伯爵なのですか?」
「此度の事にノワール伯爵家は加わってはおらんかった。帰る前に当主代理に一言くらい挨拶して行ってもいいと思うが?」
「もう代理から正式な当主にして頂いても私は構いませんよ。どうやら私は籠の鳥は性に合わぬ様です。妹の方が猫を被るのも上手いはず。ベロウ・ノワールはもう死んだものとお思い下さい」
「それは聞けぬな。そのカンザキと面識があるのはお主だけ。つまりお主はカンザキの随行で我が国から遣わしておるのだ。その役目を果たして貰わねば困る」
ラグエルの言葉にバローは苦笑した。勿論バローはラグエルの命令で悠に付き従っているのでは無い。だが、ラグエルは表向きはそういう事にしてバローの帰って来る場所がある事を示唆したのだった。
「クックックッ・・・流石はラグエル王、剣ならともかく、弁を持っては敵いませんな。まぁ、善処しますよ。では失礼」
それを最後にノースハイアを荒らしまわった暴風の様な2人はまさに風の如く消え去ったのであった。
大団円!! でももうちょっと続くんじゃ。




