6-66 覚悟
悠に注入された毒性の魔力が抜けたのは次の日の朝になってからの事であった。
《『再生』を使うとあまり竜気に余裕は無いわ。しばらくは回復に専念してね、ユウ》
「了解だ。数日の間は大人しく過ごすとしよう」
そんな会話を交わしている悠の下にアリーシアとナターリアが連れ立ってやって来た。
「私達はそろそろ帰るわ。朝ご飯も食べたしね」
「ユウ、色々世話になったな。どうせお前の事だからまた無茶をするのだろうが、たまには周りの者達の気持ちも汲んで自重しろよ? それと時間を見つけて連絡しろ。夜ならば基本的に大丈夫だから」
「うむ、考えておく」
「バカ、そこは嘘でも必ずそうすると約束せんか」
また少し悠との距離を縮めたナターリアが拳で軽く悠を突いた。
「ケイ、私はあなたに惚れ込んじゃったわ。一度遊びにいらっしゃい。今度は私がもてなしてあげるから」
「そ、それは光栄です・・・」
アリーシアは細かい気配りの出来る恵がいたく気に入ったらしく、他のエルフや人間が聞いたら目を剥く様な言葉を掛けていた。
「ユウ、ハリー、私を説得したいのなら今度は証拠を持って来なさいよ。情義なんかで絆されるなんて思わない事ね」
「心しておこう」
「君のその頑なな心が安らぐ日が来る事を祈っていますよ、ワタクシは」
「・・・フン。行くわよナターリア」
「はい。ユウ、この前の礼は私の借りた部屋に置いて来た。好きに使ってくれ。・・・ではな」
そうしてエルフの母子は屋敷を後にしたのだった。
帰り道を歩きながらアリーシアはナターリアに単刀直入に問い掛けた。
「ねぇナターリア、あなたユウの事が好きなの?」
「・・・」
アリーシアの質問にナターリアは己の心に問い掛けたが、確たる答えは出ず、その想いをそのまま言葉として紡いだ。
「・・・どうでしょうか? あれだけ破天荒な男です、私は見た事の無い者に圧倒されているだけなのかもしれません。指輪を贈ったのも別にエルフの恋愛の流儀とは無関係ですし。ただ・・・ユウと居ると自分がとても自由になった気がするんです。凝り固まった私の詰まらない常識など粉々に打ち壊してくれそうな、そんな胸の高鳴りを覚えます。それが好きだという事なのかどうかは私にはまだ分かりません」
生真面目に答えるナターリアをアリーシアは鼻で笑った。
「フ・・・大真面目に惚気る事が出来るんならそれだけでもう十分な答えでしょうに。いいわ、自分で納得がいっていないのなら好きなだけ悩みなさい。その程度の甲斐性は期待してもいいはずよ」
「怒らないのですか、母上?」
アリーシアの叱責が飛んで来ると考えていたナターリアは肩透かしを食った顔でアリーシアを見た。
「当然私は人間との恋愛なんて認めないわよ? ・・・でもねナターリア、誰かを好きになるなんて言うのは理屈じゃないの。私がいくら怒鳴っても、殴ってもそんな事に意味は無いわ。恋愛は好きになってしまったという結論が先に用意される結果論よ。答えが出ている物を変える事は本人以外に出来ないの。だから私はそんな無駄な事に労力を割く気は無いし、心に踏み込んで咎める事も出来ない。・・・だけど勘違いしないで頂戴。私は決して認める訳では無いという事を。もし本当に自分の想いを貫き通したいのなら、私を叩きのめして進む覚悟を持ちなさい。全てを捨てる覚悟を決めなさい。中途半端にフラフラしているのなら・・・容赦無く潰すわよ?」
アリーシアの殺気の籠った宣言にナターリアは生唾を呑んだがそれでも下がらず、目を逸らさずに頷き返した。
「・・・上等。ナターリアが少しはマシに成長したのがユウと出会って良かった事ね。これからは私が直接あなたを鍛えてあげるから、もう少し戦える様になりなさい。『魔法鎧』も一つ譲ってあげる。その程度は使いこなせないと、あの男には付いて行けないわよ?」
「ほ、本当ですか母上!?」
『魔法鎧』はエルフであれば誰しもが憧れる逸品である。それを纏う事を許されるのは一人前のエルフとして認められるという事なのだ。
「その代わり、怠惰に過ごしている暇は無いわよ? ドワーフとの戦争は一段落してるから、私が自由に使える時間は全部あなたを鍛える時間に当てるわ。ハリーから新しい魔法理論も貰って来たしね」
「望む所です!! 必ずやご期待に添うてみせましょう!!」
「その元気がいつまでもつかしらねぇ・・・」
小声でアリーシアが呟いたがナターリアには届かず、今来た道を振り返りその山頂に目を細めた。
(待っていろよ、ユウ。私もすぐに登ってみせるからな!)
再び歩き出したナターリアの歩みに迷いは見られなかった。
「さて、俺達も帰るか」
「おう、ギルドの依頼の品物も届けねぇとな」
「先生、僕もミーノスに連れて行って貰えますか? ルーレイの様子を見に行きたいんです」
「分かった、先にミーノスの近くに下ろすから先行してくれ。俺は一度フェルゼンの近くに『虚数拠点』を置いてから向かうとしよう。シュルツ、お前はシャロンの見張りに残ってくれ」
「了解です、師よ」
その日の方針を決めた悠はその後すぐにアザリア山頂を後にした。・・・この時もう少しだけ何らかの原因で遅れていたならば、悠は再び戦闘を避けられなかったかもしれない。
悠達が去って数十分後、そこに舞い降りた者が居た。
「・・・帰って来たか・・・ここでダイダラスとスフィーロ様が・・・」
そこに降り立ったのは薄紅色の鱗を持つ魔物の頂点、ドラゴンであり、名をサイサリスと言った個体である。
「まだダンジョンにスフィーロ様のご遺体はあるのだろうか? せめて私の手で弔って・・・む!?」
そんなサイサリスの感覚に覚えのある力が感知された。それは最初空の彼方の点でしかなかったが、見る見るうちに大きくなり、やがてサイサリスの前に薄紫色のドラゴンが降り立った。
「・・・ふぅ、やっと追いついたぞ、サイサリス」
「何用だ、ウェスティリア。私を討ちに来たのか?」
そのドラゴンはサイサリスを追ってドラゴンズクレイドルを旅立ったウェスティリアであった。サイサリスの硬い口調にウェスティリアは苦笑を返す。
「馬鹿な、友を討つほど私は落ちぶれてはいない。私はお前の手伝いに来たのだよ、サイサリス」
「手伝い・・・だと?」
「ともかく、この姿のままではまた人族に気取られる。・・・『変化』!」
ウェスティリアが『変化』を使い、自分の体をドラゴンから人間のそれへと変化させる。緩くうねる黒髪は光に透けると僅かに紫に見え、品のある顔立ちは生まれの良さを感じさせた。変化を終えたウェスティリアはサイサリスにも同様に促した。
「サイサリス、お前も『変化』を使えただろう? 人族を嫌っているのは分かるが、大願の為にここはそれを飲み込め。余計な邪魔が入っては誓いを果たせぬ」
「・・・止むを得ん、か・・・『変化』!」
ウェスティリアの言葉に道理を認め、サイサリスも『変化』によって人間の体に変化した。薄紅色の髪は肩までのストレートで、顔の半分を隠している。ウェスティリアと違いその顔立ちは野性味のある美女であり、特に瞳は三白眼気味で意志の強さを感じさせた。
「・・・ふぅ、それにしても馬鹿な真似をしたものだ。いくら陛下の娘だからと言ってもただでは済まんぞ?」
「お前にだけは馬鹿だなどと言われたくはないが? そんな事は承知の上だ。いいから行くぞ、仇を討てばもしかしたら許されるかもしれんからな。2人でやる方が可能性は高いだろう?」
「・・・済まない、感謝する」
サイサリスはウェスティリアが本気だと悟って頭を下げたが、当のウェスティリアはそれを笑い飛ばした。
「ハハッ、あのサイサリスが随分と素直になったものだな! 流石はスフィーロ殿・・・惜しい方を亡くしたものだ・・・」
「・・・付いて来てくれ、亡くなった場所まで案内しよう」
そう言ってサイサリスはダンジョンの入り口を目指したが、記憶していた場所には何の変哲も無い岩肌が見えるばかりであった。
「ダンジョンが無い!? あやつらに攻略されてしまったのか!」
「あやつらとは、プラムドの報告にあったダイダラスとスフィーロ殿を討ち果たした人族か?」
ウェスティリアの問いにサイサリスは吠える様に答えた。
「そうだ! その中でもユウと名乗る男の力は圧倒的だった・・・その戦いに気を取られていた私は他の者達に不覚を取ったのだ。私のせいでスフィーロ様は・・・!」
「・・・今は悔いていても始まるまい。確か上から見た時、この麓に町があったはずだ。それだけの者達なら噂くらいにはなっていよう、そこで情報を集めるぞ」
「・・・分かった。だが私は上手く人族の振る舞いを真似られん。頼めるか?」
サイサリスの殊勝な言葉にウェスティリアは口元を緩めて請け負った。
「任せておけ、スフィーロ殿ほどではないが、私も多少は人族を知っている。行くぞサイサリス」
「ああ・・・待っていろよ、ユウ!!」
奇しくもそれは同じ時、ナターリアが思った言葉と重なっていたが、その感情のベクトルは全く正反対のものであった。
こうして2体のドラゴンはミーノスの地に降り立ったのだった。




