6-65 遥かなる呼び声
皆が寝静まった後も悠の姿は広間にあった。この広間の隣にはシャロンが眠る寝室があり、悠はシャロンが落ち着くまでの間は広間のソファーで寝泊まりをする予定である。
「お疲れ様です、悠さん」
そんな悠を気遣ってお茶を煎れた恵が姿を現した。温かいそれを悠はありがたく頂戴する。
「ありがとう。恵には家の中の事のみならず色々苦労を掛けて済まないな」
「いえ、戦う方は私はあまり得意では無いですから、気にしないで下さい。それに・・・ゆ、悠さんにお世辞でも必要だと言って貰えて、私嬉しかったですから!」
「恵、俺は世辞など言わん。恵が居なかったら俺はここを安心して離れられなかったというのは偽りない本音だ」
隣に座った恵のテーブルに置かれた手に自分の手を重ねて悠は真摯に恵に語り掛けた。恵の顔が真っ赤に染まるがそんな事は構いもせずに。
「人間は、特に子供には殺伐とした戦いの日々だけでは無く、安らげる時間が必要だ。本音を言えば俺はお前達を戦いの場に立たせたくはないが、戦いの時は前触れなくやって来るものだ。その場に俺が必ず居るとは限らない以上、安心して任せられる者が居るという状況はどれだけ俺の助けになっている事か分かるか?」
「は、はひ・・・」
「妹の明にしてもそうだ。あの子の人の本質を見抜く力は天性の物だろう。普通は異形の種や強大な力を持つ者には警戒感を抱く物だが明には外見に惑わされない正しい目がある。俺の借り物の『竜ノ瞳』などよりもそれは優れた資質だろう。お前達姉妹と出会えた事は俺にとって福音だった。咲殿にはいくら感謝してもし足りんよ」
悠の手放しの賞賛に恵は動く事も言葉を発する事も出来なかった。今動けば突発的に悠に抱き付いてしまいそうだったし、口を開けば涙がこぼれてしまいそうだったからだ。
広間をしばしの間静寂が支配していた。見つめ合ったまま動かない悠と恵。重ねられた手が少しだけ冷たい事だけが恵を現実に繋ぎ止めていた。
・・・ズズーッ。
その雰囲気を粉々に破壊する音が響き、恵の体が跳ね上がった。
「キャアアアアア!!!」
「・・・温い。お茶はもっと熱くて薄い方が私の好み」
その言葉に恵が慌てて振り返ると、そこにはいつから居たのか表情の無い蒼凪が恵のお茶を飲んで、姑の様なダメ出しを行っている。
「そ、そ、蒼凪!? いつからそこに居たの!?」
「恵が手を握られてぼんやりしてる時に入った。たまに恵は抜け駆けするから注意が必要」
「し、してないよ抜け駆けなんて!?」
慌てふためいて答える恵に蒼凪はズイっと湯呑みを差し出した。
「じゃあ私にもお茶をちょうだい。熱くて薄いの」
「う・・・わ、分かったわよ・・・」
これ以上弁解しても疑いが深まるばかりだと感じた恵は仕方無く湯呑みを持って厨房へ向かい、蒼凪は悠の隣に移動した。
「どうした蒼凪、眠れないのか?」
悠の隣で蒼凪は小さく首を振った。そこに先ほどまでの強引さは微塵も残っておらず、同じく蚊の鳴く様な小さな声で悠に問い掛けた。
「私は・・・」
後半が掠れてしまった為、蒼凪はもう少しだけ声を張って問い掛ける。
「私は、悠先生のお役に立っていますか?」
そう言って悠に視線を合わせる蒼凪の目は切迫していて、答えを聞きたいのか耳を塞ぎたいのか判別出来なかったが、悠は普段と変わらぬ口調で答える。
「勿論だ。生きる事を諦めていた最初の頃とは違い、蒼凪は強くなった。それに、外に出ても蒼凪と『心通話』が繋がる事で何かあっても俺はすぐにそれを察知出来る。これ以上無いくらいに俺は助かっているが?」
単なるリップサービスなどではなく、悠は具体的に例を示して蒼凪の功を語ってみせた。この辺りは上に立つ軍人としては当然の事である。
蒼凪にもそれは伝わったらしく、普段は感情が薄い顔が喜びに綻んだ。
「良かった・・・ちっとも悠先生に追い付けないから呆れられているんじゃないかと思ってました」
「強くなったと確信したから『竜ノ微睡』を解いたのだ。過信は禁物だが、もっと自分に自信を持て」
「・・・はい。待っていて下さいね、悠先生」
蒼凪は自分から悠に手を重ね、自分の想いを語った。それがどういう意味でかを分からない悠では無かったが、まだ若い蒼凪には再考の余地があるだろうと何も言わなかった。
「・・・抜け駆けしてるのは蒼凪もなんじゃないの? はいお茶!!」
帰って来た恵が煎れたお茶を蒼凪の前に置いて声を荒げたが、蒼凪は恵よりも精神的に突き抜けていて悠の手を離さず答える。
「たまには私にもご褒美があってもいい。恵ばっかりずるい」
「ばっかりじゃないよ!?」
《何だかグダグダになって来たわね・・・悠、日課の『心通話』を送ってそろそろ休みましょう》
「そうだな、今の内にやっておくか」
言い合う2人を置いて、レイラと悠は真に向けてこれまで幾度も繰り返して来た『心通話』を送り込んだ。
(真、聞こえるか真? 俺だ、悠だ。聞こえていたら応答してくれ)
慣れという物か、繋がらない事が普通になっているこのやり取りに悠は長く時間を掛ける事は無い。今日も繋がらないと見切り、『心通話』を切ろうとした悠の前の空間が俄かに歪み、徐々に像を結び出した事で悠は『心通話』切り掛けた手を止めた。
「む?」
「悠さん?」
「どうしたんですか、悠先生?」
言い争っていた2人もそれを見て手を止め、悠に寄り添った。
「俺も未見の現象だが・・・もしかして蓬莱と繋がったか?」
《・・・さ・・・・・・うさ・・・悠さん!! 聞こえますか!?》
やがてクリアになった空間に浮かび上がっているのは蓬莱に居るはずの千葉 真であった。
「ああ、聞こえている。息災の様だな、真」
《それはこちらのセリフですよ! ご連絡を今か今かと待ちわびておりました!》
その短いやり取りをした直後、真を映す像に乱れが走った。
「あまり長く話せそうも無いな、伝えるべき事を伝えておく。この世界はアーヴェルカイン。そして生き残った子供達は助け出した。小鳥遊姉妹も無事だ。召喚は召喚器と呼ばれる道具によるものであり、その背後に暗躍する人物あり。詳細はまた後日伝える」
《了解・・した! 早速皆・・・伝えておき・・・!》
真の言葉が飛び飛びになり、悠は頷く事で返答すると、真の目がふと隣に居る蒼凪と絡み合った。そこで蒼凪は真にハッキリと言った。
「悠先生の婚約者候補の葛城 蒼凪です。ではでは」
《えっ!? ・・・・さ・・・それ・・・・・・・・!》
驚きを露わにする真が聞き返す前に像は消失し、その後には満足気な蒼凪とテーブルに突っ伏す恵、特にリアクションを見せない悠が残された。
「な、な、何やってるのよ蒼凪!? あれじゃ千葉虎将が誤解なさるじゃないの!!!」
「ごめん、ただ挨拶するだけのつもりが間違えた、てへ」
「てへ、じゃないよーーーーー!!!」
ガクガクと蒼凪を揺さぶる恵を置いて、悠はレイラと今の『隔界心通話』について話し合っていた。
「レイラ、コツは掴めたか?」
《何とか指先が掛かった程度ね。今の短い会話でごっそり竜気を消費しちゃったわ。長く話す為にはもっとずっと習熟しないと厳しいわよ》
「取っ掛かりが出来たのならそれでいい、恵達の無事も伝えられた。一つ荷を下ろせたな」
《良かったわね、ユウ》
「ああ、これからも頼んだぞ、レイラ」
この日の最後に悠は最大の収穫である『隔界心通話』を得たのであった。




