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6-44 動乱の後12

「・・・」


2人は会話も無く城の下へ下へと下っていった。既に地上部分は通り過ぎ、地下に位置する場所に差し掛かってもルーファウスの足が止まる事は無い。周囲には歩哨も無く、今から向かう場所が人目を憚る場所であるという事を嫌でも意識させている。


やがて最下層と思われる階に辿り着くと、何処からともなく慟哭する声が悠の耳に届いた。


「・・・父の声だよ。今では起きている間中、怯えて喚くんだ。寝ていても悪夢が苛むのか、いつも苦しそうにしている。最早父の心に安らぎは無いんだろうね」


目的地を目指すルーファウスの声には諦観があった。ここに至るまで、様々な葛藤を乗り越えて来たのだろう。


「ここだ、今では暗殺する価値すら認められず、中には医者が一人居るだけだけどね」


歩哨の居ない、豪華なだけが取り柄と思えるドアをルーファウスはノックした。


「ルーファウスだ、入るぞ」


そう言ってドアを開けると、中から響く怨嗟の声は一際大きくなった。


「これはルーファウス様、今日は見舞いにやってらしたのですか?」


そこには穏やかそうな禿頭の老人が一人だけ居て、ルーファウスを認めると立ち上がって頭を下げて来た。


「いや、今日は異なる概念の医療を修めた人物を連れて来た。少し彼に王を診て貰いたいのだが・・・」


そこでルーファウスはベッドで呻き声を上げ続けるルーアンを見て、目を逸らした。


「ああ・・・余は悪くない・・・うう・・・く、来るな! 来るなぁ!! ゲホッゲホッ!!!」


両手両足をベッドに拘束され、眠りながらも安息を得られないルーアンを見て老人は溜息を付いた。


「・・・失礼ですが、例えどれほどの名医でも王の安らぎを取り戻す事は叶わないでしょう。既に王の精神は壊れ、その心は過去の悪行に囚われております。例え体が治っても、精神を治す術を私は知りません。・・・もっとも、その体すら私にはもう癒す事は叶いませんが」


「・・・殿下、王のお体に触れても構いませぬか?」


「ああ、頼むよ、ユウ」


悠は寝ながらでももがき苦しむルーアンの額に手を添えると、ルーアンの呼吸が静まり、うわ言もその口から洩れなくなった。


「な、なんと!? 一体何をなされたのですか!?」


「静かに、今ここで行われている事は一切他言無用だ。父上を害しようというのではないから安心してくれ」


悠のやった事が理解出来なくて老人は慌てたが、ルーファウスにそう言われて口を噤んだ。悠がやった事は意識を深く落とし、身体のフィードバックから精神と肉体を切り離したという事であるが、それを老人に説明しても理解は出来ないだろう。これは一種の麻酔である。


「レイラ、どうだ?」


《・・・酷いわね、癌細胞が全身に転移しているわ。特に脳に出来ている腫瘍が致命的よ。それがこの人の精神を侵している。この世界のどんな治療法を用いても完治させる事は不可能ね。それは私でも同様。全身の30か所以上の癌細胞を完全に取り除き『再生リジェネレーション』をさせる事にこの人の体は耐えられない。注射で体力を回復させる事も出来ないわ。下手に薬を投与すれば、それは癌細胞の成長を早め、この人の命を奪う事になる。・・・長く見積もって余命は一月。短ければ・・・1週間》


レイラの言葉の確かさを痛感したルーファウスは肩を落とした。


「やはりそうか・・・ありがとう、ユウ。もういいよ・・・」


《でも・・・》


レイラは後に言葉を付け加えた。


《精神が崩壊する前の今なら、精神に侵入すればまともに会話をする事が出来るかもしれないわ》


「『潜行ダイブ』出来るのか、レイラ?」


《長時間は無理でしょうけどね》


2人の会話にルーファウスが慌てた様子で割り込んだ。


「まともな状態の父上と話せるのか?」


「短時間であれば。しかし、殿下と王は既に道を違えておられます。それでも殿下は王に会われますか?」


悠の質問にルーファウスは頷いた。


「道を違えたのなら尚更会わねばならない。私は、私の作る国を父上に示さなければ。親不孝者と罵られても、不忠者と謗られても、私は父上を乗り越えて先に進まなければ・・・!」


ルーファウスの決意表明を受け、悠は老医師に視線を移した。


「申し訳無いが、10分だけ席を外して頂けないだろうか? その間に何かあっても全て自分が責任を取るゆえ」


「私からも頼む」


悠とルーファウスに要請され、老医師は職業倫理から迷ったが、2人の目に邪心が無いと思われたので最終的には頷き、奥の控え室へと下がっていった。


「では始めよう。その椅子に掛けてくれ」


「分かった」


そして2人はルーアンの精神世界へと踏み込んで行った。




「う・・・」


ルーファウスが目を開ける、そこは城の地下などでは無かった。目の前に広がるのは数え切れないほどの墓標であり、濃密な死の気配が場を席巻していた。


「これが・・・父上の心の中・・・」


「どうやらあそこに居るのがルーアン王らしいな」


悠の言葉にルーファウスが顔を上げると視線の先にある最も大きな墓の前に座り込む人物が目に入った。


「父、上?」


ルーファウスはフラフラとその人物の方へと歩み寄り、その背中に声を掛けた。


「・・・ルーファウスか? 久方ぶりに苦痛から解放されたかと思ったが、どうやらまだ夢を見ているのか・・・」


「これは夢であって夢ではありません。ここに居るユウの力を借りて、父上と話をする為に私は参りました」


振り返ったルーアンの目に確かな知性がある事を見て取り、ルーファウスは語り出した。


「父上、私はこの国を継ぎます。しかし、それは父上の施政を踏襲する事ではありません。私は私の信じる道を行き、皆が平和に暮らせる国を目指します!」


真っ直ぐに自分を見るルーファウスをルーアンは鼻で笑って一蹴する。


「ふん、コソコソ怯えて生きていたお前が多少はマシになったらしいが、その程度で増長して余を超えたつもりか!? お前の様な甘い人間に王など務まらぬ!! 馬鹿な考えは即刻改め、余の治世を踏襲せよ!! それこそが真にミーノスを幸福に導く道――」


これまでであれば父の一喝を受ければ退いて黙り込んでいたルーファウスだったが、聞くに堪えぬとばかりに一歩前に出てルーアンの言葉を遮った。


「自分でも信じていない妄言はお止め下さい。ミーノスは幸福になどなっておりません。父上はただ金銭を積み上げてその嵩が増える事を幸福だと思い込もうとしていただけです」


「金銭がなんたるかを知らぬ小僧が余を諭すか!? 政治の闇を覗いた事の無い苦労知らずが余を否定するか!? 事実を見よ!! ミーノスはあのノースハイアにすら屈する事無く人類経済の中核を担って来たのだ!! お前が飢える事も凍える事も無く安穏と暮らして来れたのは誰のお陰だと思っている!? 全ては余と、それに付き従う貴族達の力なのだぞ!!!」


恐ろしい剣幕で捲くし立てるルーアンにルーファウスは冷静に返した。


「・・・私が経済的に恵まれた生活を送って来た事は否定しようもない事実です。ですが父上、その金と権力をもって今父上に何が残りましたか?」


「・・・何だと?」


一瞬間が空いたルーアンにルーファウスは更に踏み込んで詰問した。


「今父上は病床にあり、病に苛まれてまともに言葉を発する事も出来ません。暴れて自傷しない様に手足は縛られ、眠っても悪夢から解放されない始末。位人臣を極め、逆らう者など居ない治世で最期を迎えるに当たって安らぎの無い父上は一体何を得たのかと聞いているのです!」


「・・・苦労知らずが・・・! 安らぎなどとうの昔に失くしたわ!! 貴族を手懐け、他国を退け、誰も余に逆らう者などこの国にいない!! それこそが余が築き上げたものよ!!」


強弁するルーアンにルーファウスは首を振った。


「・・・貴族を、ね。残念ですが父上がお倒れになった途端、マンドレイク公は貴族が運営する社会を目指して王家を乗っ取りに掛かりましたよ。大した忠臣をお持ちでしたね?」


「な、何だとっ!?」


いっそ悲しげに語るルーファウスの言葉にルーレイは驚愕の声を上げた。


「ば、馬鹿な・・・! ディオスは余の最も信頼する臣だ!! 嘘を申すなルーファウス!!」


「その信頼する忠臣は一度も父上を見舞いにすら来ませんでしたがね。いや、マンドレイク公だけではありません、父上が頼みとしていた貴族達は誰一人父上を見舞う者などおりませんでした。・・・もう一度聞きます、父上。権力も金銭も使う事が叶わなくなり、信頼していた臣下にも裏切られた父上に何が残りましたか?」


「そんな・・・余は・・・必死に・・・一体、余の人生は・・・」


呆然として膝を付くルーアンを見てルーファウスは自分も膝を付いて目線を合わせた。


「父上、我らは誤りました。金銭を積む事自体は悪い事ではありません。ですが、我らはそれより前に人に目を向けるべきでした。金銭で繋がる絆は金銭が途切れればそれに順じて無くなります。だから私は築きます、金銭のみによらぬ、本当の絆を。そしてこのミーノスを守ります。誰もがこの国を愛し、笑いながら暮らして行ける国にする為に」


打ちひしがれるルーアンを置いて、ルーファウスは立ち上がった。


「父上は認めて下さらぬでしょう。しかし、私は信じています。父上もきっと最初はこの国を良くする為に必死に働いたのだという事を。そしてそのお陰で我ら兄弟は生きて今があるのだと言う事を。・・・それでも尚、自らの行いを悔いる心を持っていた事を」


その時、ルーアンの後ろにある巨大な墓標の中心が透き通り、やがてそこに像を結んだ。


「・・・これは、若き日の父上と・・・母上?」




(ネレス、生まれたのか!?)


(ええ、あなた、生まれました。元気な男の子ですよ?)


(は、はは、ハハハハハ!! やった! やったぞ!! よくやってくれた、ネレス!! これで我が王家も安泰だ!!)


(ふふふ、あなた、落ち着いて下さい。そんなにはしゃいでは周りの者が困りますわ)


(何を言う! 皆も一緒に騒げば良いのだ!! ハハハ、こんなに嬉しい事がこの世にあろうとはな!! ・・・よし、決めた!! お前の名はルーファウスだ!! 我らが始祖、初代国王ルーファから取った名だぞ? きっと英明な王になるに違いない!!)


(ルーファウス・・・とても良い名だと思います。元気に、健やかに育ってね、ルーファウス・・・)


(ルーファウスは必ず立派に育てるとも!! 私はどんな事をしてでもこの子を立派な王にしてみせるぞ!! そしてお前に何不自由無い国を残していこう!! ミーノスの未来は明るいな!! ハハハハハ・・・)




堪えきれなくなったルーファウスは墓に背を向けて拳を握り締めた。父は形振り構わず必死にミーノスを守ったのだ。恐らくは愛する家族の為に。いつルーアンが道を踏み外してしまったのかは分からないが、始まりはきっと真っ直ぐな想いで歩んでいたのだと感じたルーファウスは声を殺して泣いた。


「・・・ルーファウス、そろそろ時間だ」


悠の声にルーファウスは頷き、震えそうになる声を必死に抑制して背後に一言だけ残した。


「・・・さらばです、父上。・・・・・・ここまで育てて頂き、ありがとう、御座いました・・・!」


ルーファウスは振り返る事無く悠の前に立って歩き去った。悠はそこに新しい王の誕生を見たのだった。


そして自分以外誰も居なくなった精神世界でルーアンが力無く呟いた。




「ミーノスを・・・良き国に・・・」




それは自分の耳にすら届かぬほどか細く、荒廃した墓地に吸い込まれていった。

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