6-43 動乱の後11
悠はそれから1時間を掛けてルーレイに薬液を注入した。普通注射などは10秒前後で終えるものであるが、点滴が無い為に悠は手動でそれに近い効果を得ようと考えたのだ。
「ルーファウス、治療が終わるまで1時間程度は掛かる、ずっと付いていなくても構わんのだぞ?」
悠は治療に同意したルーファウスにそう言ったのだが、ルーファウスは首を振った。
「いや、母が亡くなり、父が動けない今、弟の家族は私だけだ。私も最後まで付き合うよ」
その瞳に強い決意の光を見て、悠は黙って頷いた。
今回の治療で悠は500ミリリットルほどの量を想定していた。成分の殆どが生理食塩水であるが、薬効成分として『高位治癒薬』を溶け込ませた悠オリジナルの薬液である。普通、経口で摂取する『高位治癒薬』を薄める様な者はおらず、製法も悠の実体験から作られた物なので同じ物はどこにも無いだろう。
「この薬液を作るに当たっては『異邦人』である智樹という子の知識を借りている。俺も生理食塩水の濃度は知らなかったのでな。血に真水を混ぜると血液を破壊してしまう。だから濃度は慎重に量る必要があったのだ。それにこの注射器は『鋼神』カロンの娘であるカリスが作ってくれた。血液内に空気を入れると空気塞栓・・・と言っても分からんな。空気が害になると理解してくれればいい。それを起こさない為には精密な作業が必要になる。それらの者達の協力があって初めてこの治療を実現出来たのだ」
悠は話ながらも機械の如き正確さでルーレイに薬液を注入していった。
「素晴らしい事だ。毒や武器、攻撃魔法ばかりを考える事よりもなんと素晴らしい事だろう。人が人を助ける為の技術とはなんと心を打つのだろう・・・」
「だが、それは素晴らしい事ばかりでは無かった。医療技術が進むという事は人が死ににくくなるという事だ。平和で、尚且つ医療技術が進んだ国には新しい問題が浮上したという。ルーファウスには分かるだろうか?」
冷や水を浴びせる悠の質問にルーファウスは真剣な表情で考え込んだ。
「むぅ・・・・・・・・・私には良い事にしか聞こえないよ。平和で長生きする、それは誰もが望んだ社会なのではないのかな?」
「この世界の人口からすると実感は湧かないだろう。だが、その状況が50年も続くと自ずと分かる。人はエルフと違い、長く生きれば年老いる。そして老人は若い時の様には動く事が出来ない。つまり、社会を構成する者としては足手まといになっていく。だが平和と高度医療が老人を容易には死なせない。結果としてどんどん老人が量産され、人口が減らない為人口爆発が起こる。狭い国土は人を支える事が出来なくなり、食料が行き渡らなくなる。それが極まると悲惨の一語に尽きる。貧富の差が人の命を左右し、一部の特権階級を支える為に貧しい人間が虐げられる事になる。それは旧来のこの国の在り方と似ているとは思わんか?」
「た、確かにその通りだ! ・・・なんて事だ、良かれと思った事が未来においてそんな事態を引き起こすなんて・・・」
悠の語る未来がまるで予言の様に聞こえてルーファウスは身震いした。信念を持って進んだ先が同じ場所であると知ったら老いた自分は狂ってしまうかもしれないとさえ思った。
「ユウ、『異邦人』の子供達の世界はその問題を克服したのかい!?」
ルーレイの腕から目を離さず、悠は否定した。
「根本的な解決策は生まれていないらしい。俺の世界は問題が顕在化する前に龍の襲来で極端に人口が減り、体力に劣る老人が大勢亡くなったのでな。俺の様な若輩者が軍の頭になっていたのも、それを任せられる年長者が居なくなってしまったからだ」
悠の現実的な回答に、ルーファウスは悲痛な色を浮かべてルーレイを見た。
「せっかく助かったのにそんな未来しか無いとしたら、助かる意味はあるんだろうか・・・」
「その考え方は間違っている」
「え?」
ルーファウスの言葉を悠は強く否定した。
「世界の誰が世界を救う方策を見つけ出すかは神にも分からぬ事だ。今救った一つの命が、やがて億の命を救う事になるかもしれん。それに老人達は体が動かなくても人生を生き抜いた経験がある。迷う若者達はその迷いを老人に問う事が出来る。人間は幾多の存続の危機を、そうして乗り越えて来た生き物だ。だから人が平和に生きるという事には計り知れない価値がある」
悠は薬液を吸い上げ、空気を抜いて再び注入していく。
「やりもしないで未来を悲観するのは愚か者の証だ。人間なら人間らしく、最後の瞬間まで足掻いて見せなければ申し訳が立たん。俺の周りには口の悪い者が多くてな、途中で諦めたなどと知れたら墓前で一生罵られそうだ」
「ユウ・・・」
ルーファウスは悠との付き合いが浅い。だが、この一見情動とは無縁に見える男が誰よりも懸命に己の人生を全うしようとしている事を悟った。
今は懸命にルーファウスを救おうとしている悠の行為が酷く眩しい物に思えてルーファウスは目を細めた。
「そうか・・・未来に備える事は大切だけど、それをもって今を悲観するのは愚かな事なんだね。ユウ、君の忠告をありがたく思う。私は今日君と話した事を忘れないよ」
「俺もいつまで生きているか分からん生き方をしているのでな。多少は思いを通じさせる事の出来る相手に柄にもない話を残そうかと思う事もある。・・・ミーノスを良き国に、殿下」
畏まった悠の言葉にルーファウスは大きく頷いたのだった。
悠は全ての薬液を注入し終えてルーレイの状態を再び診察した。
「ふむ・・・僅かずつではあるが容体が改善している様に思う。レイラの見立てはどうだ?」
《そうね、体液に関してはとりあえずの不足分は補充出来たんじゃないかしら? 様子を見て、今晩にでももう一度同量の薬液を注入してみるといいわね。回復の状況次第ではもう少し濃度を高めてもいいかもしれないわ》
悠とレイラの色よい会話にルーファウスの顔にも明るい色が戻った。
「あ、ありがとう、ユウ!! 君にはいくら感謝してもし足りないよ!!」
「友人の頼みを無碍には出来ん。それにこの治療は俺も望んだ事だ。・・・では俺はそろそろマンドレイクの屋敷を捜索しに行こうと思うのだが・・・」
「そ、その前に一ついいかい? ・・・ルーレイの治療を引き受けてくれた君に甘える様で大変心苦しくはあるんだけど・・・」
ルーファウスは喉元まで来ている言葉を吐き出すべきか飲み込むべきか迷う口調で悠に切り出した。
「まだ何か俺に頼みが?」
言い辛そうにするルーファウスに悠が水を向けると、ルーファウスは意を決して言葉を放った。
「・・・治療してくれとは言わない。ただ、一度だけ父を・・・現ミーノス国王、ルーアン・レオス・ミーノスを診察してくれないだろうか?」
ルーファウスの言葉に悠はほんの少しだけ眉を上げた。
「例え奇跡が立て続けに起こって父が回復しても、父が復権する事はもう有り得ない。父が寵愛していた貴族達は軒並み今回の動乱で没落してしまったからね。ただ、王子としてでは無く、一人の子として、悠に父を見て貰いたいんだ。・・・これは強制では無く、お願いだよ、ユウ。嫌なら断ってくれ。君が拒むなら私は2度とこの話を君にしない」
ルーレイの事と同じくらい真剣なルーファウスを見て、悠は踵を返した。それを見たルーファウスはやはり拒絶されたかと諦めの気持ちを抱いて俯いたが、悠の言葉で顔を上げた。
「・・・その王はどこに居るのだ? 俺はこの城の中を把握している訳では無いので案内が必要なのだが・・・?」
勿論、ルーファウスは悠に多大な感謝の念を表し、自らドアを開けて先頭に立って案内をしたのだった。




