6-16 X―DAY2
日が傾き掛けた頃、悠達はローランの屋敷へと移動した。
「新しい情報は無かったようだな、ローラン」
「無かった訳では無いんだけど、役に立つ情報で無かったのは確かだね。フェルゼンに向かった貴族達の見当は付いただけさ」
あくまで本命はルーファウスとローランなのだから、確かにあまり価値のある情報とは言えないだろう。
「要注意人物は居ないという事か」
「そういう事。カーライルは悪知恵が働く様だけど、単にそれだけだね。アランの手に余る相手じゃないよ」
そこはローランも自信を持って断言出来る部分であった。戦闘力は当然の事、策士としてもアランは豊富な経験も持ち主であるので、生半可な事では突破されないであろう。そう冷静に判断しつつも感情の部分での焦燥は拭えないのがローランの悩みの種ではあったが。
だがローランは自分のやるべき事をしようと、頭を振って不安を追い払った。
「・・・それと、一応の備えとして君達の分も装飾品を用意しておいたんだ。特にマントがお勧めだよ」
そう言って置いてあったマントを広げると、そこにはフェルゼニアス家の家紋である吠える獅子が金糸で刺繍されていた。
「護衛程度がフェルゼニアス家の家紋なんて使ってもいいのかよ、ローラン?」
「全く構わないよ。当主である私が許可しているのだからね。そのマントは薄さの割に頑丈で、小国群で取れるケイブキャタピラーの繭から作られているんだ。火や冷気、衝撃にも強く、一般的な兵士が放つ矢くらいでは貫通出来ない優れものだよ」
「へぇ・・・買ったら金貨4、50枚は掛かりそうだな・・・」
マントを触りながらバローがその感触を確かめつつ呟いたが、ハリハリが否定した。
「チッチッチッ、そんな程度ではありませんよ、バロー殿。ケイブキャタピラーは洞窟に住む魔物ですが、その生息地はごく限られている上、大きさは手の平サイズしかありません。更に弱い為に恒常的に毒を吐き続けて身を守っている為、相当なランクの風魔法を使う魔法使いが居ないと近付く事も出来ないというおまけ付きです。このサイズのマントを織るのに使われる繭はおよそ100前後と見ました。前に見たケイブキャタピラーの繭の買い取り額は金貨2枚でしたから、このマントは原価だけで最低でも金貨200枚、刺繍や金糸、縫製する為の物も含めると・・・金貨300枚は下らない品と見ましたが?」
「慧眼だね、ハリハリ。おおよそ間違ってはいないよ」
「同じ貴族でも俺とは格が違うぜ・・・」
手触りのいいマントを撫でながら、バローが嘆息した。バローも自分が相当な伊達男であると自負しており、身の回りの品には気を遣っているのだが、流石にマント一つに金貨300枚は掛けられない。しかもそれが自分の物では無く護衛用であるとなれば格の違いに溜息も出ようというものだった。
「いいんだよ、この場を乗り切らないと金銭なんていくらあっても無駄さ。君達の装備を整える事が私やルーファウス殿下の安全を高めてくれるなら、例え金貨1000枚であっても惜しみはしないとも。さ、私とアルトも正装に変えて来るから、君達も着替えてくれ。少し早目に入って会場の下見もしておきたいし、ルーファウス殿下より後に入る訳にもいかないしね」
「ありがたく借り受けよう」
「別に貸すつもりでは無いよ? それは君達の体に合わせてあるのだから、もう君達の物さ。他の国でも正装は必要になるかもしれないし、是非使ってくれると嬉しい。・・・ついでに我がフェルゼニアス家の宣伝にもなるかな?」
人間社会限定ではあろうが、公爵であるフェルゼニアス家の知名度はかなり高い。その家紋が入ったマントを下賜されたという事実は、権威に煩い者には大きな効果を発揮するだろう。
「へへっ、そんじゃ遠慮無く貰っておくか! 国の連中、俺がこのマントを翻して王宮に行ったらどんな顔をしやがるかな?」
いたずらっぽい笑みか浮かべてバローが背中にマントをあてがってみた。
「ヤハハ、裏切り者扱いされて縛り首ではないですか?」
「縁起でもねぇ事言ってんじゃねぇ!!!」
「はいはい、じゃれあうのはその辺にして準備しておくれ。アルト、私達も行くよ」
「はい、父様」
そうして各々でパーティーの正装に着替えたのだった。
会場であるマンドレイク公爵家には既に自身の派閥の者達が集まり出していた。一番奥には今回のパーティーの主役であるディオス・マンドレイクが取り巻き達に鷹揚に対応している。それ以外の場所でも懇意の者同士が集まって談笑していたが、それは例えばこんな話題である。
「さて、フェルゼニアスの子倅はやって来ますかな?」
「どうでありましょうな? 此度の生誕パーティーには王族すら招かれているのです、来ないと面目丸潰れですが、彼の人物にそれほどの度胸がありましょうか?」
「言えておる、急に体調を崩したと言って辞退するやもしれませんぞ? 外見からして優男ですからな、今頃自分の屋敷で痛む腹を抱えて泣きべそをかいているやも・・・」
「「「ハッハッハッ!!」」」
上品の皮を被った下品な言い回しに気を良くして貴族達は笑い合った。言ってみれば敵地であるこのマンドレイク家において、フェルゼニアス家に対して遠慮する者など殆ど居なかったのだ。また、この貴族達は王宮でのローランの振る舞いを知らなかった。・・・いや、伝聞で聞いたとしても信じなかったに違いない。彼らには先を見通す想像力が欠如していたのだ。
「しかし、流石はマンドレイク公、この規模のパーティーなど、例え王家とてそうそう開けるものではありますまい。そこに混じるフェルゼニアス派はいっそ哀れですな」
「なに、少数なれど彼らの家格は高いのです、我らに引けは取らぬでしょう。・・・もっとも、その家格もすぐに無くなってしまうのですが」
「このパーティーに呼ばれたという事は、我らにも当然分配があるのでしょう。私もフェルゼニアス家の財産分与の際には少しでもいい場所を確保したいものです。・・・慎み深い私としては、公爵夫人だけでも構わぬのですが?」
「ご冗談を、そちらは私が引き受けましょうぞ! 彼の人物では奥方も満足されなかったに違いありません。是非女としての悦びを教えて差し上げたいと思っておりますれば」
「「「ハッハッハッハッハ!!!」」」
貴族と言えど一皮剥けば男の考える事など同じ物である。結局彼らはローランの財力、容姿、そして伴侶、その全てが妬ましくて堪らないのだ。同じ目線に立つ為に努力をもって臨むのでは無く、足を引っ張る事で相手を低くするのが彼らのやり方であった。
その夫人や娘達の目的は更にはっきりしていた。
「お噂ではフェルゼニアス公はこの国に二人と居ない美しい容姿をされているとか。本当なのかしら?」
「本当よ、私も一度だけ遠くから拝見したのだけれど、あまりの美しさに倒れてしまったもの。お近くで声を掛けられたりしたら、私、心臓が止まってしまうかも!」
「そのご子息であらせられるアルト様はどうなの? 確かまだ11でしたかしら?」
「・・・年頃の貴族の子女と並べると、誰よりも愛らしい方でしたわ・・・思わず抱き締めてお家に持って帰りたいくらい・・・」
貴族の女性は政治に関わる事が少なく、その欲望は更に直接的にローランやアルトに注がれているのだった。
「今の奥方だって元は下級貴族なんでしょう? だったら私達にだって十分目はあるんじゃないかしら?」
「フェルゼニアス公はそういう事にはこだわらないみたいだから、確かにそうね。この日の為に娘に飛び切りの職人に作らせたドレスを着せて来たんだもの!」
「・・・ここだけの話、アルト様の初めての女になれるのなら、家を捨てても私、未練はありませんわ」
「あら、貴方年下趣味でしたの!? ・・・まぁ、私も主人と比べたらアルト様と褥を共にする方が断然いいのですけれど」
「「「オホホホホ!!」」」
・・・訂正しよう。欲望という点に関して言えば、男でも女でも大きな差は無いらしい。
「フェルゼニアス公爵ご来場!」
広い会場で話に花を咲かせている貴族達の耳にローランの来場を告げる声が響き渡った。それを聞いた貴族達は、さてどんな様子であろうかと会場のドアに意地の悪い視線を集中させ・・・そして言葉を失った。音楽を奏でていた楽隊も思わず手を止めてそちらを注視している。
「・・・はて、生誕パーティーと聞いていましたが、随分と静かだね、アルト?」
「丁度曲の合間だったのではありませんか、父様?」
「なるほど、そうなのかもしれないね。では今の内にマンドレイク公にご挨拶しに行こう。混み合ってからでは大変だろう。ユウ、バロー、ハリハリ、後に付いて来てくれ」
「「「御意」」」
そのまま無人の野を行くが如く、ローラン一行はディオスに向けて歩みを進めた。その途上にある貴族達は慌てて飛び退き、ローランやアルトと視線が合った女性達は軒並み意識を失って周囲の者達に支えられて退場していく。
その原因は8割はローランとアルト自身にあった。王宮に赴いた時もそれなりの服装で身を飾ってはいたが、あの時はまだ正装と言えど控えめであったのに対し、このパーティーという着飾るべき場での2人の正装は絢爛豪華というべき物になっていたのだ。髪は丁寧に梳られ、それを括るアクセサリーも大粒の宝石をあしらった一目で高級品と分かる逸品である。香も下級貴族ではお目に掛かった事も無い、一度嗅いだら忘れない様な陶然とさせる物を纏い、煌びやかなその礼服は一歩歩く毎に星の煌めきを見る者に連想させた。
そしてそれらの装飾品を全て下に置く、ローランとアルトの容姿が取り巻く者達の目を奪った。ローランの容姿は一言で言えば完成された物である。これ以上何も付け加える事も、また削る事も無い、美の標本が生きて会場を流れて行く。それだけで美醜に煩い貴族の心を掌握していた。
対してアルトの容姿はこれから完成される期待感に満ちた物であった。今現在も素晴らしい事に間違いは無いのだが、まだこの先にもっと素晴らしい物が待っていると思わせずにはいられない高揚を見る者に感じさせていた。それは、少年と大人の過渡期にしか見られない、失われるべき儚い美しさの顕現であった。
アルトの中性的な美貌に、そちらの気が無い貴族達ですらその腰が引けていた。男女を超えた官能に思わず欲情を隠せなかったのだ。
そして全体としては少数であるが、その2人に付き従う者達に息を呑んだ者達も居た。ローランとアルトが太陽であるならば、その後ろに控える者達は月に例えるべきなのだろうが、先頭に立つ従者は月と称するには烈し過ぎた。
一切の感情を示さない顔と、一切の異常を見逃さぬ瞳の強さ。どれだけ鍛えたのか見当も付かないほど揺れぬ歩調、思わず目を背けたくなる威圧感。それはどう低く見積もっても国を代表する将軍である様にしか見えなかったのだ。威風堂々という表現がこれほど似つかわしい人物も他に居まい。
誰も声を掛ける事が出来ないまま、会場を横断した一行はディオスの前までやって来た。そして代表してローランが胸に手を添えて口上を述べた。
「この度はお招き頂き誠にありがとう御座います。本日はどの様な見世物が行われるのか楽しみにして参りました。殿下共々、見分させて頂きましょう」
そう言って艶然と微笑むローランとディアスの視線が交わり、見えない火花をその中間点に飛ばしたかに見えた。




