X-10 ノースハイア2
(馬鹿な・・・馬鹿な!! 何故急にこの様な事態に陥ったのだ!? たった一人の賊のせいで国の方針が捻じ曲がるなど聞いた事も無いわ!!!)
マルスは王宮の廊下を早足で歩きながら、口には出さずに激昂していた。歯を食いしばっているせいで、最早冬であると言うのに額からは汗が滴っている。
(我が国は今後益々栄え、ヨークラン家は千年の栄華を約束されているのではなかったのか!? いくら王と言えど、我ら貴族の意向を全く無視したこの様な暴挙が認められていいはずがない!! 詳しい事情を知る者から昨日何が起こったのか情報を集めねば・・・!)
他の貴族達は王の恫喝に恐れをなして己の職場へと向かった様であるが、マルスが向かうのはシェルサイト伯爵の屋敷であった。他に適当な人物が居れば聴取しようと思ったのだが、あの後召喚に携わっていた者を訪ねた所、全員息をしているだけの人の形をした肉としか言い様が無い状態であったので、怖気に襲われながらもマルスは唯一の生き残りであるクライスの下を訪れ、事情を確かめる事にしたのだ。
正確にはもう一人、貴族であるベロウ・ノワール伯爵も生きているらしいのだが、王が言う所のカンザキなる賊に連れ去られたらしい。
果たして、貴族街にあるシェルサイト家はまるでお通夜の様な有様であった。マルスは慇懃を装いながら上位者としての権限を使いクライスが居る部屋に通されたが、執事からは恐らくまともな返答は得られないでしょうと釘を刺されていた。
「・・・旦那様はこの部屋の中でお休みですが・・・例えどの様なお姿を見ても大声は上げないで下さいませ。今朝方、ようやく眠った所なのです・・・」
「分かっておる、少し話を聞きたいだけだ」
「・・・さて、お話出来ますかどうか・・・。それはご覧になってからご判断下さい」
執事の不吉な言葉を背に受けて、マルスは締め切った薄暗い部屋に踏み込んだ。
(朝だと言うのに何故暗くしておる? これでは良く見えんではないか・・・)
心の中で悪態を付きながら、マルスはぼんやりと見えるベッドへ向かって歩み寄った。そこには布団を頭まで被った人の形をした膨らみが近づいた事で見て取れた。
「コホン。・・・シェルサイト伯、私だ、ヨークランだ。昨日の顛末を伺いたく参った。お体は大丈夫か?」
「・・・」
一応病人であるとの事なので抑えた口調で問い掛けたマルスであったが、布団からは何の返答も無い。少ない忍耐力をすぐに使い果たしたマルスは布団を引き剥がすべく手を掛けたが、その拍子に少しだけ出来た隙間からクライスの声が聞こえて来ている事に気が付いた。
「なんだ、起きているのではないか、それならば事情を・・・」
が、マルスはクライスの言葉を聞いて慄然として手を止めてしまった。その声は絶望と恐怖に濡れていて、聞く者の心を凍りつかせるほどの力を持っていたのだ。・・・それはたった一つの意味を成す言葉であった。
「カンザキが来る・・・カンザキが来る・・・カンザキが来る・・・カンザキが来る・・カンザキが来る・・カンザキが来る・・カンザキが来る・カンザキが来る・カンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来るカンザキが来る・・・!!!」
徐々に早まるその怨嗟の声が最高潮を迎える時、布団が跳ね上げられ中からクライスが飛び出した。
「ヒッ!!?」
「カンザキが来る!!! カンザキが来る!!!」
無茶苦茶に暴れながら起き上がったクライスの顔には目の部分に包帯を巻いていたが、暴れるクライスがそれを毟り取り、そして目を開くのをマルスは見た。見てしまった。
「ギャアアアアア!!!」
クライスの両目は虚ろな空洞と化していた。除去したであろう眼球は既に無く、それでも血涙を流しながらクライスはいつ終わるともしれない慟哭を上げ続けていた。
「カンザキが来る!!! カンザキが来るぅ!!!」
壁を叩き、或いは体当たりをしてどこかへ逃れようとするクライスの姿にマルスは心底恐怖した。これほどまでして逃れたいと願うカンザキとは一体どれほど恐ろしい相手だったのだろうか想像も付かなかった。
「旦那様!! 落ち着いて下さい旦那様!!! お前達! 旦那様をお止めしろ!!」
「「「はっ!」」」
尚も暴れるクライスに執事が異変を感じて部屋に飛び込み、屈強な男達がクライスを3人掛かりで押さえつけ、その隙に執事はクライスの口に睡眠薬を放り込んだ。
「あ・・・あ・・・」
その狂乱をただ眺めている事しか出来なかったマルスに、クライスが落ち着いたと確認した執事が歩み寄った。
「・・・お帰り下さい。旦那様は閣下のご質問に答える事は出来ません。・・・恐らくは、一生。シェルサイト家は旦那様の代で終わりです。お引き取りを」
その慇懃無礼な言葉は普段のマルスであれば叱り飛ばしたのだろうが、今の狂乱を見た後ではそんな気力はマルスには残っておらず、悄然として帰路に着くしかなかった。
(何なのだ・・・一体何なのだ!? 我らは一体何者を召喚してしまったというのだ!! 今更ながらに我らの行いが神の怒りにでも触れたと言うのか? そんな、アライアットの馬鹿共の言う様な事が起こってたまるか!!!)
偶然だが、マルスの考えは的を射ていた。勿論、それが正解だなどとはマルスには思いもよらない事であったが。
マルスは馬鹿げた考えを放棄し、現実的な問題に目を向け直した。
(と、とにかく、3月したらそのカンザキとやらがやって来るというのなら・・・飛び切りの腕利きを雇い、カンザキとやらに備えねばなるまい。表面上は王の下知に従い、カンザキがやって来たらその腕利きを使って処理するのだ! それに、もうじきアグニエル王子もお帰りになる。軍を統括されるアグニエル王子であれば、きっと我らの言葉にも耳を傾けて下さるに違いない!!)
マルスは自分の都合のよい様に理論を組み立て、当面は王に従い、機を見て上手く方向を修正しようと決心した。そう決めると少しだけ心が楽になった。
(とりあえずは王の信を得る為に働かなければならんな。王の事だ、処刑云々は本気であるに違いない。恐らく反発した者が何人か処刑されるだろうな・・・。それにサリエル様にすり寄るのも下策だ。きっと王はサリエル様を取り込もうとする者を許しはしまい。ここは頭を低くして嵐が通り過ぎるのを待つのだ!)
マルスは知性は劣悪では無く、むしろ貴族としては才知に優れていると言っていい。だが、特権階級である事に慣れ過ぎたマルスの知性は既に自分の都合のいい方に傾く様に濁ってしまっていた。
マルスは当面の目標が出来ると、幾分か良くなった顔色で自分の屋敷へと向かった。これからの事を配下の者達に指示しておかなければならないからだ。
だが、マルスは自分でも気付けないくらい深い心の奥底で響き続ける声がある事を情報を詰め込む事で塞いでいる事にある日気付くだろう。それはこんな声だ。
「カンザキが来る・・・カンザキが来る・・・」
その時が来るまで、マルスがその声を自覚する事は無かった。
やったねクライス!! 再登場&再退場(?)だぜ!!
次は王子様です。




