1-29 練兵1
翌朝、雪人は右頬に大きなガーゼを張り付けて出勤してきた。
「真田先輩、その顔はどうなさったのですか?」
「・・・ふん、龍もかくやという凶暴な男に襲われたのだ。危うく命を落とす所だった」
「残念な事だな、雪人を仕留めそこなうとは。世の女性方の貞操が守られただろうに」
「手加減された殴打でこの俺が死ぬかっ」
「次はもう少し強くやるとしよう。真人間になれるやもしれんぞ」
どうやら会話の流れから悠と雪人との間に何かあったと察した朱理と一同であったが、二人の雰囲気が思いの外悪くないので口は出さずにいた。匠だけは「不器用な事だ」と呟いて苦笑していたが。悠が雪人を名前で呼んだ事で全てを察したのだった。
「さて、それはいいとして西城、手筈は?」
「整っております、あと10分で志津香様にラジオにて放送して頂きます」
「ナナナ殿は準備は如何か?」
「大丈夫だよ、いつでも行ける」
「軍部への通達はどうだ?」
「今頃兵舎を含めて通達が回っている頃ですね。騒ぎがこちらに波及するには十分時間があります」
「悠、この後軍の方にも出頭しろ。俺が辞令を作るからそれを受け取って行け」
「了解した」
そして間もなく10分が経とうとした時ナナナが手を上にかざした。
「始めるよ」
「ええ、お願いします」
その言葉と共に、銀色の粒子が皇都の空に舞い上がり、その一帯にキラキラと降り注いだ。竜騎士達は今回は防壁を張ってはいない。ナナナが意図的に効果から排除しているからだ。
「・・・・・・よし、散布終了だよ」
「では今度は私ですわね」
そう言って志津香がマイクの音声をオンにする。
「・・・皆様、こんにちは。皇帝の天津宮 志津香です。今日は皆様にお知らせがあって通達致します。先程、龍の首魁を打ち滅ぼされた神崎 悠戦闘竜将がこの度軍を退役を願い出、旅に出る事となりました。しかし、誤解の無い様にお伝えしますが、これはあくまで世直しの旅であり、今生の別れではありません。私は神崎竜将の益々のご発展を願ってこれを受理致しました。皆様におきましても、是非とも暖かいご声援と共に見送って頂きたいと思います。また、ご帰還の際には盛大にお出迎え願えますように」
志津香の声を聞く民衆の顔はどこかぼんやりしたままだったが、内容はこれで伝わったであろう。
「これでよろしいですか?」
マイクを切った志津香がナナナに確認を取る。
「うん、もう間も無く効果も切れるよ」
一同軽く溜息をついた。これで悠の公にやらなければならない事が2つ片付いたのだ。
「あとは辞令をでっち上げて官舎を引き上げたら悠は自由の身か。なんだか腹立たしくなるな」
「公には、だろうが。実際は遊んでいる間など無かろうよ」
真に自由と言えるのは出発の日を抜かしたあと3日だけだろう。
「さて、では軍部へ行くか。効果も確かめておきたいからな」
「ああ、分かった」
そう言って雪人と悠は席を立った。
「あ、自分も行きます」
「俺も付いて行こう」
その言葉に真と匠も立ち上がった。
「今なら全員で固まって居てもおかしくは思わんだろうからな」
「ええ、どうぞ。ついでに防人殿には悠の代わりに竜将になって頂きますから、一緒に辞令を取りに来て下さい。志津香様、構いませんか?」
軍の人事も皇帝が権限を持っているので雪人は確認した。
「ええ、防人様が最も適任でしょう。お願いしますね、防人竜将?」
「非才の身なれど、この国の、そして陛下のご期待に添える様に全力を尽くします」
「期待しておりますよ」
そう言って軍人組は部屋を後にしたのだった。
軍本部は皇居のすぐ側に位置している。普通はクーデターなどを警戒して最高権力者の近くには置かないのだが、それよりも迅速な対応を求めた結果、この様な位置になった。
軍本部に入ると、一同を見て兵達が次々に敬礼を送って来る。それもそのはずで、今ここにはこの国のトップ4までの軍人が固まっているのだ。新兵などはもはやお伽話の英雄達を見る目で4人を見ている。・・・実際、ある程度脚色されたお話しや映画として、彼らを取り扱っている作品も多数存在するのだから、それも間違いでは無いかもしれない。
そんな兵士達の波をくぐり抜け、4人は『情報参謀室』と書かれた部屋に入って行った。
「『妖精の粉』の効果は上々のようだな。混乱も起きていないようだ」
「うむ、上手く使えばこの上なく使い勝手がいいな」
そう言いながらも雪人の手は辞令をしたため始めた。
「それにしても、なんだか違和感があった気がしますが・・・」
「ああ、何故か竜器使いの姿が無かったからだな。特に一番突っかかって来そうな真の妹君のな」
「あ、そうか、だから・・・」
末の妹の事に思い当たって真は渋い表情を作った。辞令を書きながら雪人もそれに応じる。
「悠さんが退役すると聞いてあの妹がこのまますんなり諦めるとは思えませんね」
「私との約束をお忘れか!とか言って殴り込みを掛けて来ても驚かんよ、俺は」
「流石にいくらうちの妹でもそこまで猪突猛進では・・・」
と、その言葉が引き金になった訳でも無いだろうが、情報参謀室の扉がドバン!と大きな音と共に開け放たれた。
「失礼します!神崎竜将が退役なさると聞いて参上しました!神崎竜将!!私との約束をお忘れかっ!!!」
そう言って情報参謀室に突撃してきた末の妹、千葉 亜梨紗に、真は思わず目を覆って空を仰いだ。




