X-5 蓬莱5
その日の晩、雪人の姿は士官用の酒場にあった。既に何杯か空けていたが、一向に酔った様子は無い。
(・・・間違った事を言ったつもりは無いが、それを言葉に出してしまう自分の青さには腹が立つな・・・)
雪人は自分で言った通り、冷静さを欠いたつもりも心にも無い事を言ったつもりも無かった。ただ、他の者達も少なからず自覚しているはずの感情を声に出したに過ぎない。しかし、偽善で感情を隠す事は雪人には耐え難かったが、それによって起こした諍いに後悔しないほど厚顔では無かった。
(認めたくは無いが、悠を欠いた俺達は纏まりが無い。アイツが仏頂面で近くに居るだけで俺の毒も轟の不調法も教官の頑迷さも笑い話で済んでいたのだ。・・・要するに甘えだな)
自嘲気味に分析する雪人の結論は奇しくも匠達の物と一致しており、今更ながらに悠の存在の大きさを物語っていた。
(だが、結局俺達に出来るのは少しでも天界の奴らから有益な情報を搾り取って悠へ渡す事なのだ。教官は甘過ぎる。一時の情などに流されて軍人が務まるかよ!!)
苛立ちを酒と共に飲み込んで、雪人は大きく息を吐いた。
「不味い酒だ・・・」
「いい酒を飲んでそれではあまりに酒が浮かばれないと思いませんか、真田先輩」
「あん? ・・・なんだ、真か」
声のした方を睨み付けた雪人の目に映ったのは苦笑を浮かべる真だった。
「なんだとは酷くないですか?」
「煩い。今俺は平和的な気分じゃない。それにお前の慣れない説教を聞く気分でも無い。飲みたいなら向こうに行け」
「本格的にやさぐれてますね・・・。安心して下さい。真田先輩相手に説教する様な危険な真似はしませんよ。すいません、俺にいつものをと、真田竜将にも一杯」
バーテンダーに酒を注文して、真は雪人の隣に腰を下ろした。
「そうでないなら何の用だ?」
「決まってます、近々連絡を取れるであろう悠さんに何を伝えるべきかという話ですよ」
「・・・」
雪人は新たに満たされた酒を見ながら沈黙したが、真は言葉を続けた。
「真田先輩が苛ついているのは、悠さんにお渡し出来る有益な情報が無いからではありませんか?」
真の言葉に雪人はチラリと視線を送って答えた。
「・・・否定はせん。いくら敵が分かったとて、その意図や規模、目的、能力、思考形態、それらが分からなければ意味が無い。そもそも俺達はこの一月、何をしていたと言うのだ? 僅かばかりに雑魚を狩った以外、碌な進捗が無い。静観していても状況が動かぬなら、積極的に動くしか無いだろうが」
「それについては賛成です。しかし、敵対しては元も子もありません。悠さんが居ない間に天界と決裂して、その結果悠さんが進退窮まる様な事になっては、いよいよ我らは悠さんのお荷物になってしまいます。悠さんは自分達なら任せられると信じて旅立たれたのですから、ここは辛抱しましょう」
「結局説教ではないか。・・・だが性急だった事は認めよう」
真から視線を外して、雪人は酒を呷った。
「真田先輩が冷静さを欠いていたとは思っていませんでしたよ。もし本当に熱くなっていたら、何も言わずにナナナ殿の寝室に押し掛けたでしょうから」
「俺はフェミニストだからな。女に酷い事はせん」
「・・・その割には女遊びが激しい様ですが?」
「愛は無償だ。つまり誰にどれだけ注いでも酒の様に無くなったりはせん。俺は平等に注いでいるだけだ」
「さいですか・・・」
真はやれやれと首を振って自分も酒に口を付けた。
「で、さっさと本題に入ったらどうだ? お前が言いたいのはそんな事では無かろうが」
「はぁ・・・やっぱりこんなのは俺の役目じゃ無いですよ。お察しの通りです、真田先輩。俺が来たのは防人教官の事でです」
真が何の為にここに来たかを初めから察していた雪人が話を振ると、真は溜息と共に白状した。
「仲良くしろってか? 言いたい事を言わずに? それは出来んな。俺はそんな器用には出来ておらんし、するつもりも無い。・・・そもそも、元々は奴らが頼んで来たのだろうが! 何故我らがいつまでも忍耐を続けねばならん! 俺が言いたい事は詰まる所ただ一つだ。正確な情報を寄越せ!! ・・・以上だ」
「ならば尚更この件は防人教官にお任せするべきです。この一月、教官は関係の構築に務めておられました。そしてようやくそれが実って昨日一歩踏み込んだ交渉を実現されたのです。親しくなった者に報いたいと思うのは神でも人でも同じなのでは無いでしょうか?」
「悠長に過ぎると言っただろう? 関係の構築、大いに結構だ。・・・だが、それで俺達はいつ情報にありつけるのだ? 後一月か? 二月か? はたまた1年後か? それまでに悠がくたばっていたらお悔やみの言葉でも貰って次は防人教官辺りが異世界に行くのか? 冗談では無いぞ!!」
雪人が酒を一気に干して怒鳴った。
「そもそもな、一体俺達は何だ!? 龍などという存在に世界を脅かされ、やっとの思いで平和を手に入れたと思ったら、今度は神だと? ふざけるな!! 俺達は、人間は超常存在に弄ばれる駒では断じて無い!!!」
「真田先輩・・・」
雪人は己の心中を真にぶつけていた。正直、雪人は押し付けられる運命にうんざりしていたのだ。自分達の世界の外からやって来て、自分達の日常に我が物顔で乱入してくる侵入者達を雪人は嫌悪していると言ってもいい。
「最初に言ったがな、他所の世界も天界も魔界も知った事か!! 今回の件で俺達は天界と縁が出来ただろう。では今後も奴らは何か他の人間界で問題がある度に俺達の所に来て、「困っている人が居て云々」と言いながらこき使うつもりか!? どうせそう言えば悠や防人教官は断るまい!! ああ、糞!! お人好し共め!!!」
雪人の怒りは自分の為の物では無く、他の『竜騎士』の為の怒りであった。
「奴らの人間としての幸せはどうなる!? 戦いのみに彩られた人生を全うしたら、今度は天界で神様か? 誰が望んだ!? 上から物を言うのも大概にするがいい!!!」
「・・・真田先輩の言う通りです。自分達の運命は20年前に捻じ曲がってしまいました。しかし、人は仮定して生きている訳ではありません。ならば、今ある現実から選び取るしかありません。悠さんは例えどの様な運命が待ち構えていようとも前に進むでしょう」
「貴様に言われずとも知っている!! ・・・だからこそ、誰かが「悠の幸せ」を守らねばならんのだ・・・」
雪人はグラスを口元に運んだが空である事に気付き、忌々しげにカウンターに置いて席を立った。
「・・・詮無い事を言ったな。俺は帰る。侘びとして奢るから好きなだけ飲んで帰れ」
そう言って雪人は多めに紙幣をカウンターに置いて踵を返した。
「真田先輩! まだ防人教官にお任せする言葉を貰っていません!」
真の言葉を聞いても雪人は振り返りはしなかったが、立ち止まって真に見える様に人差し指を立てた。
「・・・1週間だ。それ以上は1日たりとも待たん。約束の日になっても情報を寄越す事を渋ると言うなら、俺が直接ナナナを問い詰める。異論は無いな?」
「・・・分かりました、お伝えします」
「じゃあな」
断固たる口調で言い放つ雪人に真が頷きを返した直後、雪人は酒場から出て行った。それを見送った真は溜息を付きながら再びカウンターに着いた。
「はぁ・・・本当に、こんな役目は俺には荷が重いよ・・・」
《ユキヒトの言う通りだと思うがな。お前達には我ら竜が付いておるのだ。サッサと締め上げてしまえば良い》
「そう単純な話じゃ無いんだよ、ガド・・・」
分かち合う事が出来る者が居ない事に真の胃が痛んだが、それでも自分が尊敬する恩師と先輩が決裂しているのを見て見ぬ振りが出来ない以上、頑張るしか無いのだと無理矢理酒を呷って気合を入れ直す真であった。
雪人は見た目よりも情が深い人物です。だからこそ、口でどう言おうとも助けに行くという事に共感してしまう自分を嫌悪してしまうという自罰的な面があるのでしょう。




