5-92 確かな手応え1
ちょっといつもと違う方式で書いています。
「ふぅ・・・そろそろだな・・・」
ミーノスから仕入れにやってきた商人は遠く見えるフェルゼンにホッと胸をなで下ろした。今回は魔物の枯渇現象が発生しているという情報を掴んだ為、あえて護衛を雇わずにその分を仕入れに回し、ギリギリまで商品を積み込んで来たのだ。
それがどれだけ危険な事か分からないほど商人は素人では無かったが、商人にはどうしても金銭を必要とする理由があった。
「これで多少はアイツに親らしい事をしてやれそうだ」
そんな商人の事情とは、彼の娘の結婚に絡んだ物であった。得意先に奉公に出していた娘が奉公先の跡取り息子に見初められ、この度目出度く結婚する事になったのだ。平凡な自分に似る事無く、庶民にしては美しく育った娘は彼の数少ない自慢の種であった。
しかし、親としても商人としても、空手で娘を嫁がせる訳には行かなかった。親としての見栄も当然あるが、今後の付き合いを鑑みれば多少なりとも格好を付けておかなければ娘が肩身の狭い思いをするかもしれないのだ。
向こうの家も口では言わなくてもある程度の支度金は期待しているだろう。せめて金貨10枚、それに数枚金貨を気持ちとして上乗せすれば円満に嫁げるというものだ。
だが、後僅かという所で商人の運が枯渇現象を起こした。
「うおっ!?」
突然馬車が傾いたかと思うと、馬が暴れてその場で急停車してしまう。慌てて馬車から降りて確認すると、強行軍に耐えかねた車輪が外れてしまっていた。
「クソッ、なんてこった!!」
折悪しく、今回は可能な限り馬車に荷物を搭載している為、修理用の資材は積んであるが一人で修理をするのならまずは馬車の荷物を全て下ろさなければならない。途中で誰かが通れば謝礼を払って手伝って貰う事も出来るだろうが、生憎近くには人の気配は無かった。
そして更に事態は悪い方へと急速に傾いていく。
「ゲギャギャ!!」
「うわっ!! な、なんでゴブリン(小鬼)がっ!?」
何の因果か、林の中から数匹のゴブリンが飛び出して来たのだ。ゴブリン達は殺気立っており、明らかに商人に狙いを定めていた。
商人も慌てて荷台から剣を取り出したが大して剣術の心得がある訳でも無く、単なる示威行動の意味合いが強かった。
ゴブリンの様に低いといえど知能がある魔物は相手が武装していたりすると逃げ出したりする事もあるので、商人はそれを期待したのだ。
「ギャギャギャ!!」
「ひっ!」
だがゴブリン達は怯む事無く耳障りな声で逆に商人を威嚇し返した。このゴブリン達は非常に飢えていて、多少の事は形振り構っていられないほど追い詰められていたのだ。ここで食えねば死ぬのは自分達だとばかりに目は飢えで血走っている。
しかもゴブリン達はどこで手に入れたのか、粗末ながらも剣や短剣で武装すらしている。恐らく、冒険者か旅人の死体から漁った品であろうが、その薄汚れた刃が商人の心を竦ませた。
(ああ、こんな事ならせめて一人だけでも冒険者を雇っておけば良かった!! そうすればゴブリン4匹くらいならなんとかなったのに!!)
そんな後悔の念が商人の脳裏を占めていたが、状況は一切の逡巡を許してはくれない。
「ギャ!!!」
「ああっ!?」
商人の左側に居たゴブリンが掛け声と共に商人に躍りかかった。咄嗟に商人が右手の剣を大きく振るうと、それは運良くゴブリンの頸部に深々と食い込んだ。
だが、それは結局の所、更なる状況の悪化を招いてしまう。
「け、剣が!?」
なまじ深く食い込んでしまったせいで、手入れも碌にされていない剣はゴブリンを両断する事が出来ずに食い込んだまま商人の手から離れてしまう。おまけに勢いの付いたゴブリンの死体が商人の方に倒れ込んで来て、態勢が崩れていた商人の足にぐきりと嫌な音が響いた。
「ま、まずい!! くっ、足が・・・!」
無理な体勢で慣れない剣を振るった商人が足を挫いてしまい、その場にへたり込んだ。その上にゴブリンの死体がのしかかって来て、足の痛む商人はそれを避ける事が出来ずに抱き止める姿勢を余儀なくされる。
動けなくなった商人に仲間を殺されたゴブリン達が殺気を撒き散らしながらにじり寄って来た。
「く、来るなっ! 来るなあっ!!」
商人は自由になる右手だけで必死にゴブリン達を威嚇しようとしたが、剣すら握っていない手は牽制にすらならず、逆に振るった手を剣で斬り付けられてしまった。
「イギッ!?」
商人の手首から赤い飛沫が飛び散り、自らが流した血の赤さと突き抜ける痛みが商人の心をへし折った。
(もうダメだ・・・足も動かないし、手の傷が深過ぎる。こんな所で俺は死ぬのか・・・)
痛みと出血で意識が朦朧する商人の頭に去来するのは残して来た妻の事であった。
特に秀でた所も無い自分に嫁に来てくれた妻に一度理由を聞いてみた事がある。何故自分の求婚を受け入れてくれたのかと。妻は「あなたと結婚したらきっと苦労はするでしょうけど、ずっと大事にしてくれると思ったから」と笑いながら言い、その夜は一人酒を飲みながらこっそりと泣いたものだ。
自分が死んだ後の妻の苦労を思いやると胸が痛かったが、明るく朗らかな妻の性格なら今ならまだ新しい嫁ぎ先が見つかるかもしれない。娘の支度金を納められない事が心残りであったが、自分が死んでしまう事で同情を引けるかもしれない。死にゆく商人はただ残していく家族の事だけを想って死を受け入れた。
ゴブリン達が商人の頭上に武器を振り被り、それを振り下ろすのを確認した所で商人は目を閉じた。
・・・その清い心が神々の琴線に触れたのだろうか。
キキキンッ!!!
金属音が立て続けに3つ、甲高く鳴り響く。
「・・・え?」
その音に目を開いた商人の目に飛び込んで来たのは、美しい光沢を持つ小手でゴブリン達の武器を受け止める一人の冒険者の男であった。
ゴブリン達の攻撃を同時に受け止めているにも関わらず微動だにしないその背中に商人は巌の如き動かし難い物を感じ取った。
「アルト、切り抜けろ」
「はい!!」
状況の流転は止まらず、その冒険者が誰かの名前を呼ぶと商人の頭上を何かが高速で飛び越えていった。
ヒュヒュッと風切り音が鳴り、遅れてゴブリン達の首がポロポロと地に落ちた事で商人はそれが剣を振るった音だと初めて理解した。
「腕を上げたな、アルト」
「いえ、バロー先生に比べたらまだまだです・・・っと、それよりも怪我人の方を! 大丈夫ですか!?」
そう言って自分の側に屈み込んで尋ねるアルトと呼ばれた人物の顔を見て商人は息を呑んだ。
(な、なんと美しい方だ!! これは尋常な方ではあるまい!!)
アルトの美貌に年甲斐も無く狼狽えた商人は、なけなしの気力を振り絞ってそれに答えた。
「は、はい、何とか・・・うぐっ!?」
だがそこで腕の痛みがぶり返し、起こそうとした上体が地面へと逆戻りしてしまう。
「ユウ先生、『治癒薬』を持ってらっしゃいませんか?」
「あるぞ、俺は傷の手当てをするから飲ませてやってくれ」
ユウと言う冒険者が鞄から『治癒薬』を取り出してもう一人に渡し、自らは男の上に居るゴブリンの死体をヒョイとどかして患部を処置し始める。
「さぁ、これを飲んで下さい。すぐに元気になりますよ」
そう言ってアルトが差し出した薬を見た商人は傷の痛みも一瞬忘れて首を振った。
「こ、これは『中位治癒薬』!? す、すみませんが、俺・・・いえ、私にはとてもそんなお金は払えません!!」
だがアルトもそこは譲らなかった。
「死んだ後ではいくら金貨を積んでも命は取り戻せません。それに、別にこの薬を差し上げたからといって対価を寄こせとも言いません。だから安心して飲んで下さい」
「そ、そういう訳には・・・!」
それでも遠慮が抜けない商人だったが、そこに鶴の一声が掛かる。
「アルト、かなり傷が深い。問答無用で飲ませろ」
「はい、失礼します!」
「むぐっ!?」
ユウの言葉を聞いたアルトが素早く栓を抜き、商人の口に『治癒薬』をねじ込んだ。そして中の液体が口内に広がったのを感じた商人は仕方が無く『治癒薬』を嚥下していった。
「これで良かろう。・・・ふむ、馬車の車輪が外れたのか。アルト、俺が持ち上げている間に替えの車輪に交換してくれ」
「分かりました、ユウ先生」
どうやらこの2人組は相当な善人らしく、壊れた馬車の修理までしてくれるつもりらしい。だが、自分が動けない中では例え2人だろうと相当な時間が・・・と考えていた商人の前でユウが馬車の後部を一人でヒョイと持ち上げたのを見て再び絶句した。どうみてもそれは先ほどゴブリンをどかした時と大差無い動きであり、少なくとも300キロはある馬車を持ち上げる動きでは無かったからだ。
だがもう一人のアルトという者にとってはそれは予定調和だったらしく、特に反応を返す事も無く手早く車輪と車軸の交換を済ませてしまった。
「もう下ろしても大丈夫ですよ」
「うむ」
そっと地面に置いた馬車をポカンと眺める商人に、ユウとアルトが近付いて来た。
「どうだ、立てるか?」
「・・・・・・え? あ!! は、はい!!」
慌てて飛び起きると、多少ふらつくし痛みはあるものの、商人は自分が危険な状態を脱している事を肌で感じ取った。流石は『中位治癒薬』だとしきりに感心してしまうが、今はそれよりも目の前の者達に礼を述べねばならない時だろう。
「あの、危ない所を救って頂き誠に有難う御座いました! 私に出来る事でしたら何でも致しますので、是非仰って下さい!!」
「構わん、偶々通り掛かったから助けただけだ。己の運の太さが己を助けたと思ってくれ」
「しかしそれでは私の気が・・・!」
「あの、ユウ先生、ではこうしたらどうでしょうか?」
そこでアルトがユウに何かしらを耳打ちし、ユウもそれに頷いた。
「では一つだけ手伝って欲しい事があるのだが、聞いてくれるか?」
その申し出に商人が快く頷いたのは言うまでも無い事だった。




