5-86 修練の日々12
それからは初日の繰り返しの様な毎日であった。朝起きてハリハリの魔法の講義、午後からは悠の体力トレーニング。そして合間合間にドラゴンの血の摂取。
その効果は10日も経つ頃には顕著になっていった。
まず全員の走行距離が飛躍的に伸びていた。一番体力に劣る蒼凪は初日には合わせて20周10キロを走るのが精一杯であったのが、10日目には30周を超えても倒れる事無く走り続けていたし、一番長く走れていたビリーは80周、40キロの壁を突破したのだ。
体力の最大値をドラゴンの血と運動と『治癒薬』で鍛えた効果は確実に表れており、目に見える効果が出る事で更にやる気を呼び起こす良い循環が生まれていた。
「おーし、今日でぜってー40周こえるぜ!!」
「僕も走るのは苦手だったけど、こんなに効果が出ると嬉しくて次の日が楽しみなんだよね」
「毎日、明らかに走れる距離が長くなってるもの。帰ったら陸上部にでも入ろうかな?」
目に見える効果は最高のモチベーションの維持に繋がり、精神の高揚は肉体的なパフォーマンスもまた高めていった。
「・・・ユウ、お前何着けてんだ?」
「カロンの所で重りになる物を借りに行ったら作ってくれた重力鋼と言う金属の鎖だ。魔力を注ぐと重くなる性質があって、この細い鎖一つで10キロになるらしい」
「10キロたぁお前さんにしては常識的な重さだな?」
「いや、魔力では無く竜気を注いでいるから俺の場合は50キロほどになっている」
「・・・お前を常識的な物差しで測った俺が馬鹿だったよ・・・」
相変わらずシュルツと競うバローも既に70周の壁を突破している。悠は初日以降重りになる物を物色していたが、カロンに相談すると魔金と妖精鋼の合金である重力鋼で鎖を作ってくれた。
「重力鋼は魔力を注ぐ事で重くなる特殊な合金ですが、製法は殆ど出回っておりません。何せ、ただ重くなる金属なんて使い道がありませんし、そんなに丈夫な物でもありません。お金も相当掛かりますからね」
だが悠にとっては嵩張らないのに重い金属は正にうってつけの鍛錬用具であったので、早速一つ付けさせて貰ったのだ。
そんな風に鍛練は進んで行き、20日を過ぎる頃には既に全員が子供の範疇では無くなっていた。何せ、一番小さい明ですら2時間の時間内で50周以上は走っているのだ。小学1年生で25キロを走れる人間は殆ど存在しないだろう。
「・・・なんだか最近、体力の概念が麻痺して来た気がするわ・・・」
「皆普通に50周とか走るものね・・・終わってからの昼寝から目が覚めるのも早くなったし」
「最初の日が一番辛かったよな~。次の日からは段々楽になって来たしさ」
と、神奈が言った事で子供達のペースも全力の7割に引き上げられる事になったのは余談である。
「・・・おい、ユウ。お前鎖一個増えてねぇか?」
「また作って貰っただけだ。それと、これはお前の分だ、バロー」
「ゲェーッ!?」
「そしてこっちはシュルツの分だ」
「おお!! 師よりの賜り物、終生大切に致します!!」
こうして20日目からは更に一段負荷の大きい鍛練へと移行していったのだった。
そうして迎えた最終日。
「今日で走るだけの鍛錬も終わりになる。最後である今日は純粋に各自の限界点を探って貰うので装備は外せ。給水点は4か所に設置してあるから、給水はそこで行ってくれ。今日は俺も全力で走るので皆に給水して回る事が出来んからな。それと、バローとシュルツ、俺も今日は妨害せんから真面目に走れよ」
「うおっし!! 普通に走りゃあ俺が一番・・・じゃねぇな、2番だって事を教えてやるぜ!!」
「委細承知しました、師よ。この汚い髭面に自分の器という物を思い知らせてやりましょう」
「へっへー、しょうぶしようぜ、始!」
「負けないよ、きょうすけ君!」
「フフ、今なら40キロくらいは走れるかな?」
「良く考えたら十代半ばでそんなに走れるんなら、これで食べて行く事だって出来そうだね」
「同年代であたしらに付いて来れる人間なんて居ないだろ? それに今日は本気だもんね!」
最早子供達ですら一流のアスリートを超える持久力を身に付けており、本気で走る事への悲壮感はまるで無い。むしろ自分の実力を測る事に楽しみすら見出していた。
それは悠の次の発言で更に盛り上がった。
「もし俺の半分まで周回出来るなら、俺が出来る範囲で一つだけ願い事を叶えてやろう。子供達限定だがな」
「「「本当ですか!?」」」
「ああ、本当だ。複数居るのならば達成した者全てな。先着一名などとケチ臭い事は言わんよ」
「・・・悠先生、ちょっと待って貰えますか? 今から少しだけ作戦を練る時間を下さい」
「許可しよう、やれる限り手を尽くすといい」
樹里亜の申し出を悠が承諾し、短い作戦タイムとなった。
「皆集まって!! 全員が達成する事を目標に作戦を練るわよ!!」
集まった子供達の目は皆真剣だった。悠は一度口にした事は必ず守ると信じているので、達成出来れば可能な限り願いを叶えてくれるはずなのだ。真剣にならない理由が無かった。
「今回はいつもの鍛練とは違うわ。だから、ポイントは如何に休まずに長く走り続けられるかね。そこで、本職の選手の方式を使おうと思うの」
「それはどんなだよ、樹里亜?」
「私もそこまで詳しい訳じゃ無いけど、今までみたいに力尽きるまで走ってから『治癒薬』を飲んで回復っていう方法だと悠先生には追いつけないわ。鍛練ならそれもいいけど、今回は真剣勝負だしね。だから走りながら給水と『治癒薬』で回復して休むのよ。具体的には各自が限界を感じる一歩手前で『治癒薬』と水を飲んでペースを落とすの。そしてまた早く走れる様になったら徐々にペースを上げていく。この方法なら今まで休んでいた時間も少しずつでも距離を延ばせるはずよ」
樹里亜はマラソン選手の給水方法を持ち込んで作戦を皆に語ったが、智樹から質問が挙がった。
「これまでとまるで違うやり方ですが、悠先生が許してくれるでしょうか?」
「勿論許可が取れたらの話よ。・・・悠先生!」
「何だ?」
「今回、私達は少し特殊な方法で走ろうかと思うのですが、ご許可を頂けますか?」
樹里亜の申請に悠は頷きを返した。
「自分の力だけで走るのであればどの様な走り方でも構わん。だが魔法は禁止だぞ」
「分かっています。ありがとうございます」
悠の許可を得た樹里亜が再び皆に振り返った。
「これで大丈夫ね。後は細部を詰めていくわ」
こうして樹里亜の発案の元、最終日の鍛練・・・というよりレースが開始されたのだった。
「ぬおおおおおおッ!!」
「・・・・・・・ッ!!」
レースは序盤から爆発的なペースで開始された。まず悠が圧倒的な速度で全員を置き去りにする後ろをバローとシュルツが追いかけ、その後ろをビリーとミリーが追従する。それにやや遅れて子供達が一塊になって付いて行く展開である。
本気と言った悠の言葉に偽りは無く、この日は重力鋼にも竜気を通していない。一周500メートルを走破するのに40秒を切る異常な速さであった。
瞬く間に周回を終えた悠がまだ半分を越えた所に居た子供達を抜き去っていく。
(流石悠先生、とんでもなく速い!! もう少しペースを上げないと、後半で疲れた時に置いて行かれる!!)
一周で悠の力を感じ取った樹里亜がペースを上げると、他の者も事前に言われていた通りに各自ペースを上げ始めた。ここで悠の半分以下しか走れないなら、自動的に脱落が決定すると理解しているからだ。
幸い、この一月の鍛練でこのペースでも苦にする者はまだ居なかったが、いつまでもつかは各自の体力と気力に掛かっている。
1時間が経過すると、既に全員がかなりバラけた状態になっていた。
トップは当然ながら悠で90周を既に超えており、次点以下がバローとシュルツの65周、ビリーが60周、アルトが55周、ミリーの54周という具合である。
子供達も全員が45周を越えていたが、この辺りで体力に劣る年少女性陣の3人、朱音と神楽、明の速度が落ち始めた。
「ハァッ! ハァッ! ・・・くっ、そろそろ・・・!」
「んっ、んっ、・・・ふぅ~・・・少しお休み~」
「ふっ、ふっ、めいも~」
3人は事前に言っていた通りにペースを落として『治癒薬』を飲みながら水の入ったコップを止まらずに掴み、回復に努めた。
それを皮切りに数周の差で他の者達も回復し始めたが、一人『治癒薬』を飲まずにひた走る者が居る。
「ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!」
その一人とはアルトだった。アルトも苦しく無い訳では無く、これはアルトなりの作戦であったのだ。
アルトの才能である『勇気』はアルトの心が折れない限り、アルトに力を注ぐ才能であるとこの一月で分かっていた。そしてその才能は追い詰められるほどに効力を発揮するという事も。
だからアルトは敢えて自分を極限状態に追い込んで、更なる力を引き出しているのだ。
その結果、アルトはここに来て更に速度を上げて周回を重ねる事が出来たが、言ってみればこれは蝋燭の最後の輝きであり、『勇気』が強まれば強まるほどに自分の限界が近い事を示す物でもあった。
それでもアルトは倒れる限界近くまで粘り切り、子供達の中ではトップの55周を1時間の中で走り切ってみせた。
そしてレースも終盤戦。残す所あと10分。
この時点で75周以下の者は誰も居ない、超ハイペースのレース展開が続いている。初日であれば、悠の半分という目標は全員が達成出来たであろう。しかしこの日の悠は韋駄天もかくやという一切手を抜かないペースを維持し続け、既に周回は180周を過ぎている。残り時間から計算すれば、恐らく100周前後走らなければ悠の半分に到達する事は厳しいだろう。
この時点で年少組は全員が脱落している。年長組でも恵はこれ以上ペースが上がらず、小雪とリーンも同様に脱落濃厚である。達成出来る見込みがあるのは、樹里亜、神奈、蒼凪、智樹、そしてアルトの5名に絞られていた。
その中で最初に脱落したのは樹里亜であった。
(疲労を誤魔化しながら走ってたけど、もう限界ね・・・途中のペース配分を間違えたわ)
残った5名の中で最も体力に劣っていたのは樹里亜であったが、持ち前の生真面目さと冷静さでここまで食らい付いて来たものの、最初の『治癒薬』での回復を上手く取る事が出来ずにペースを上げる事が出来なかったのだ。
(自分から言っておいて失敗してちゃ世話無いわ。・・・皆、後は頑張って!!)
徐々にペースを落とす樹里亜に他の者達も気付いていたが、皆自分の事で精一杯でそれを気にしている暇は無かった。
残った4名の中で智樹、蒼凪がまだ残っている事は初日の結果から考えれば快挙と言えたが、その2人にしても限界ギリギリである事は間違い無い。
智樹も蒼凪も体を鍛えては居なかっただけで、この一月の鍛練で見違えるほどの体力を身に着けていた。智樹は元々子供達の中では男子の最年長であり、現時点での伸び代は誰よりも大きかったのだ。そして走る事に楽しみを見出してからはその体力を爆発的に向上させる事に成功していた。
それと異なる理由で成長したのが蒼凪である。蒼凪は一番自分が劣っている事への劣等感と悠への忠誠心を柱にして、誰よりも強く激しく鍛練に臨んでいた。それが結果として現れたと言っていい。
そんな2人をしても悠に追いつくというのはやはり大変な難行であったのだ。
まず智樹がペースを落とし始め、それに遅れる事数周で蒼凪もペースを落とし始めてしまった。両者共に体力気力共に既に限界を超えてしまってのだ。
(せめて後1週間、いや、3日あったら!!)
(もう少し、もう少しなのに!! 悔しい!!)
そして2人だけ、神奈とアルトだけが達成圏内に残った。
ある意味順当と言えるかもしれないが、神奈は幼い頃から体を鍛え続けていたアドバンテージが生きていた。特に神奈の流派は単なるスポーツ空手では無く実戦派であるので、毎日の走り込みは日課だったのだ。初日の時点で神奈の体力は誰よりも高い水準にあった。
そしてアルトには『勇気』がある。だが、『勇気』は回復能力では無いので、そのダメージはアルトの体に蓄積されている。一度限界を迎えてからはアルトの限界を迎える速度は早まっていた。
アルトは『勇気』の才能で現在子供達の中でトップの周回を重ねていたが、既に『治癒薬』も使い切っており、次に限界を迎えればそのまま立つ事は出来ないだろう。
微妙な勝負の綾を残したまま、2時間が経過する。
《時間よ、ユウ》
「それまで!! 全員正面に集まれ!!」
悠は丁度正面を越えた所だったのでそこで土煙を上げながら急停止し、拡声器を使って敷地内に呼び掛けた。その声を聞いて皆が集まり、そして全員がその場に腰を下ろした。
「ハァ、ハァ・・・各自、5分休憩だ。俺も、息を整える」
呼吸を乱す悠という珍しい物が見られたが、全員それどころでは無く、何人かはえづきながら天を仰いでいた。
そのまましばし荒い呼吸音だけがその場を支配したが、その5分で呼吸を整えた悠が口火を切った。
「ふぅ・・・それでは各自の周回を発表する。自分で数えていた者も居るだろうが聞いてくれ」
その言葉に皆が上体を起こして聞き入った。
「明81周、京介88周、始88周、朱音85周、神楽84周、アルト106周、小雪88周、リーン87周、智樹94周、蒼凪96周、恵86周、樹里亜91周、神奈99周、ミリー100周、ビリー116周、シュルツ125周、バロー125周、以上だ」
全員が80周40キロ越えを達成した事に喜びはあったが、皆の興味はその先にあった。
「あの・・・悠先生は?」
「俺か? 俺は・・・」
悠の口元に全員の視線が集中し、粘りつく口内の唾をゴクリと飲み込んだ。
「俺は198周だ」
その答えに全員の脳裏に自分の周回との計算が成され、該当者2人に視線が集中した。
「・・・あっ!? や、やった!! ギリギリだけどやったぞーーーーー!!!」
「・・・」
その2人、神奈とアルトの反応は対極的であり、喜びを露わにする神奈と違ってアルトはどこか浮かない表情をしている。
「なんだよアルト~、せっかく達成出来たのに嬉しく無いのか? あたしは嬉しいぞ!!!」
「・・・あの、僕のは無かった事にして下さい」
神奈に答えず突然奇妙な申し出をして来たアルトに皆の顔に疑問が浮かび、悠が真意を問い質した。
「何故だアルト? お前はやり遂げたのだから別に辞退する理由は無いと思うが・・・?」
「そ、そうだぞアルト、何言ってんだよ!?」
共に達成した神奈もアルトに翻意を促したが、アルトは小さく首を横に振った。
「いえ・・・僕が達成出来たのは、僕だけの力じゃありません。『勇気』の才能があったからです。それがなかったらとても達成は出来なかったでしょう。だから僕は最初から決めてたんです。達成周回数に10周足した分で達成出来なかったら辞退しようって。だから、お願い事を聞いて貰える権利はカンナさんだけの権利です」
アルトの『勇気』は受動的な才能であり、今の所自分の意思では制御出来ない。そのためアルトは最初から高い水準を自らに課していたのだった。また、そうで無くてはフェアでは無いと考えていたのだ。
誰もが言葉無くアルトを見つめ、そして悠を見た。
「・・・アルトがそう思うのならそれでいい。だが『勇気』もお前自身の力なのだ、それを後ろめたく思う事は無いのだという事だけは覚えておけ」
「はい、ありがとうございます!」
こうして最終日の鍛練は円満に幕を閉じたのだった。
長いので誤字がありそうです。見つけ次第修正しますので。




