5-80 修練の日々6
昼食を済ませて正午も幾分か廻った頃、悠達の姿は屋敷の庭にあった。
「これより午後の鍛練を始める。これから一月の間、皆には徹底的に体力を付けて貰うが、始める前にこれを配っておく」
悠は足元に置いておいた箱から『治癒薬』を取り出した。
「鍛練中、体力の限界を感じたら飲んで体力回復に努めてくれ。一人2本渡しておくから受け取るように」
「あの、ユウ兄さん、一人2本は多いのでは? それなりに高価な物ですし、午後だけで使うには・・・」
ミリーが悠に意見したが、悠は首を横に振った。
「構わん、むしろ足りんかと思っているくらいだ。『下位治癒薬』に関しては一月で使い切ってしまうつもりでいるからな」
「「「えっ!?」」」
悠の言葉に全員が固まり、バローが恐る恐る口を開いた。
「・・・なぁ、ユウ。聞いてなかったけど、午後の鍛練ってのは何をするつもりなんだ?」
「走れ」
ベロウはしばらく待ったが、悠からはそれ以上の言葉は続かなかった。
「・・・・・・え? そんだけか? 時間は? 距離は?」
「上限は無い。倒れるまで走れ」
スパルタであった。
「走る範囲はこの屋敷の敷地内だ。それと走った距離は俺が記録しておくから、明日はそれよりも多くなるように走って貰う」
超スパルタであった。
「加えて、大人は装備を持ったまま走れ。子供達は自分の走れる程度で構わんが、お前達は全力の7割程度で走り続けろ」
ついでに大人には容赦も無かった。
「・・・鬼か?」
「泣き言は一切聞くつもりは無い。やれ」
宣言通り、悠はこの度の鍛練において厳しく接すると決めていた。ハリハリがアメであるとすれば、悠はムチに徹するつもりだ。
(おい、ユウ! こんな事してちゃガキ共がついてこれねぇぞ!)
小声でバローが悠に諫言したが、悠の意思は変わらない。
(口で覚悟を語る事は誰にでも出来るが、実際にはやってみなければ分からん。それで諦めるならそれまでだ。外で生き抜く事は出来んだろう)
(本気で言ってんのかテメェ!!)
(本気の上に正気だ。生存率を上げる為であれば俺は恨まれようと詰られようと意見を変えるつもりは無い。『竜ノ微睡』の前に問うた覚悟が上っ面だけの物ならば、誰か一人でも脱落するなら子供達は今後一切外には出さぬ。・・・バロー、お前は俺の事を勘違いしているのではないのか? 俺は子供だからという理由で適当に流す事はせんぞ?)
(・・・)
悠は子供達に対しては甘いのではないかというバローの考えは悠自身の言葉と行動で崩れ去った。悠の目を見ていれば、今言った事が掛け値無しの本音であるという事が痛いほどに伝わって来たからだ。
(・・・恨まれるぜ、ユウ?)
(恨まれ、泣かれ、倒れ、吐くだろうな。だから何だ?)
(・・・・・・分かってんならもう俺はこれ以上言わねぇ。始めろよ)
バローはふいと悠から目を逸らして吐き捨てた。2人の間に蟠る重い空気は離れる事で薄れていった。
「ではしっかりと体を解してから走り始めろ。俺も水を持って走るから、休憩する者はその際に水分を補給する様に。始め!」
こうして初日の訓練は幕を開けた。
阿鼻叫喚という言葉がある。元々は仏教の言葉であり、阿鼻地獄と叫喚地獄の二つを合わせて地獄の責め苦にあって泣き叫ぶ様を指す言葉であるが、今の子供達を見ればその様子こそが阿鼻叫喚であると嫌でも理解出来るだろう。
「うっ・・・く・・・」
「ひぃ、ひぐっ、・・・」
「うぇぇっ、ハッ、ハッ、うぇぇ・・・」
「うぷっ、ゲホッ!!」
涙を流してその場に崩れ落ち、嘔吐するのは年少組の4人だった。一番身体能力の高い京介からして既に泣きが入っている時点で他の3人の様子も押して知るべしである。
「うぅ・・・こ、こんなのがずっとつづくのか・・・!!」
「ふぐっ、ふぐぅ・・・つらいよ・・・」
「ハッ、ハッ、うぷっ・・・ハッ、ハッ、ハッ・・・むり・・・」
「も・・・立てない~・・・」
開始から30分程度で4人共にそれ以上走る事が出来なくなり、次々と倒れてしまった。
そこに水を持って周回していた悠がやって来た。
「動けなくなったか? 水を飲んで休憩しろ。『治癒薬』を飲むのも忘れるなよ」
少しだけ4人は悠がこれで終わりと言ってくれる事を期待したが、悠は普段と違い水を置くとサッサと走り去ってしまった。
「あ・・・何だよ、ゆうせんせー・・・」
「どうしたんだろ、ゆう、せんせい・・・」
「知らない、わよ・・・とにかく休みましょ」
「う~・・・お水~・・・」
這いずりながら4人は水を貪る様に飲み、『治癒薬』も飲むと少しずつ呼吸も収まってきた。
そうして休む4人の横を他の者達が走り過ぎて行く。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ」
特に明はこの中で最年少であるのに未だ走り続けていた。運動が苦手な小雪や智樹も泣き言は言わずに走り続けているし、蒼凪に至っては半ば意識を薄れさせながらも決して足を止めようとはしなかった。
「・・・ゼェ・・・ゼェ・・・ゼェ・・・ゼェ・・・」
そして唐突に4人の隣を通り過ぎた時に倒れた。
「ソーナ姉ちゃん!?」
「くすり!! きょうすけ君、くすり!!!」
慌てて蒼凪に駆け寄った2人はもう一本の『治癒薬』を取り出して蒼凪に飲ませようとしたが、吐く物を吐いた蒼凪自身がそれを拒否した。
「こふっ・・・い、いいの、私は、大丈夫。まだ、走れる・・・」
「でも・・・!」
動けるようになったとはいえ、蒼凪は最近まで立つ事すらままならなかった体であり、体力的には幼い明に劣る。そんな蒼凪が明らかに自分達よりも疲弊しきっていても尚走るのを止めない事が4人には理解出来なかった。
「どうした、蒼凪?」
そこに再び周回を重ねて来た悠がやって来た。
「な、なんでも、ありません・・・あ・・・」
強がる蒼凪に構わず悠は側に屈んで蒼凪の顎に手を当て、俯く蒼凪の顔色を確認した。
「唇が青くなって酸欠の症状が出ているし、汗を掻いているのに皮膚が冷たい。これ以上は危険だ。水分と『治癒薬』を飲んで30分休憩しろ」
「私は、まだ・・・」
「反論は聞かん、いいな?」
厳しく言い捨てて、悠は水を置いて再び周回へと戻っていった。
「・・・」
蒼凪はしょんぼりと肩を落とし、悠の置いていった水を少し飲み、更に『治癒薬』を飲み下した。
「・・・なぁ、ソーナ姉ちゃん、ソーナ姉ちゃんはなんでそんなにがんばれるんだ?」
体力回復に努める蒼凪に京介が問い掛けると、蒼凪は答えた。
「・・・約束、したから」
「やくそく?」
「私は、悠先生について行くって、約束したから、やるの・・・」
蒼凪は悠に連れて行って欲しいのでは無く、付いて行きたいのだ。その為に頑張ると言った事を蒼凪は違えるつもりは無かった。
「私は、今この中で、一番弱い。だから一番努力、しないと駄目なの」
「ソーナ姉ちゃん・・・」
「あなた達が、辛いのは、悠先生の事を、信じられていないから。本当に、命の危ない所を、悠先生に助けて貰ったんじゃ無いから」
蒼凪の言葉に弾劾する色が混じり始めた。
「樹里亜や神奈、智樹、小雪、それに私は死に掛けている所を、悠先生に助けて貰ったから、悠先生を信じてる。恵と明は悠先生の事を良く知っているから、悠先生の事を信じてる。だから誰も文句を言わずに走ってる。ここで固まって文句を言っているあなた達とは違う」
歯に衣着せぬ蒼凪の言葉に京介が反発した。
「そ、そんなことねぇよ!!」
「ある。この中では京介が一番体力があるのに、一緒にへばるはずがない。あなた達は一緒に走ってた子が諦めたから諦めただけ。本当はまだ走れるのに、無理だって決め付けてサボっているだけ」
蒼凪の強烈な弾劾にそれ以上誰も反論出来なかった。
「悠先生は私達の親じゃない。心が苦しくても、私達に厳しくしなくちゃいけない時がある。悠先生が冷たく見えるのは、今はそうしなければならない時だから。甘やかしても誰の為にもならないから」
蒼凪は誰よりも悠の考えを深く推察していた。これまでの悠の献身的な行動を鑑みれば、悠が無意味に子供達をいたぶるはずも無い。
「頑張らないのはあなた達の勝手だけど、悠先生を悪者にしたままでいいの? あなた達にだって約束した事があるんじゃないの?」
「「「・・・」」」
4人は蒼凪の言葉に押し黙っていたが、不意に始が立ち上がった。
「はじめ?」
「きょうすけ君、ぼく、走るよ。・・・ぼく、ゆうせんせいにすぐあきらめるヤツだって思われたくないから・・・ミレニアさんにもらった花のタネも、ちゃんと育てて見せに行きたいから・・・」
「・・・わたしも・・・ゆう先生と約束したもんね・・・」
「・・・またおばあちゃんの所に行くの~」
始に続き、朱音と神楽も意思を示して立ち上がった。
「みんな・・・・・・そっか。ゴメン、おれ、次はちゃんと走る。父ちゃんもあきめたら負けだって言ってたしな。多分みんなをおいていっちゃうけど、ゆるしてくれよ?」
他の3人が立ち上がったのを見て、京介も自分の行動を恥じて立ち上がった。
「だいじょうぶ、今日追いつけなくても、すぐに追いついてみせるよ!」
「ふふん、むしろ追い抜いちゃうかもね~?」
「んだとっ!? ぜってーまけねぇぞ!!」
「お先に~」
「あっ、かぐらちゃんズルイ!!」
神楽が最初に走り始めると、他の3人も我先にと競って再び走り始めた。が、京介は蒼凪の隣で立ち止まって謝った。
「ソーナ姉ちゃんもゴメン!! もうおれ、あきらめないから!!」
「・・・そう。頑張ってね、京介」
頭を下げる京介に微笑みながら蒼凪はエールを送った。蒼凪だって別に小さい子をいじめたかった訳では無いという事が、京介にもちゃんと伝わっていたのだ。
京介は蒼凪に微笑まれて頬を赤く染め、返事もせずにダッシュでその場から走り去っていった。
(皆・・・いい子だね・・・。頑張れ、頑張れ!)
蒼凪はもう一度、声に出さずに4人にエールを送ったのだった。




