5-79 修練の日々5
「では本日はこれまでです。今日聞いた事はしっかり復習して下さいね」
「起立、礼」
「「「ありがとうございました!」」」
ハリハリが終了を宣言すると子供達は樹里亜の号令で頭を下げた。
「ヤハハ、礼儀正しいですね、皆さんは。はい、こちらこそご静聴ありがとう御座います」
ハリハリは素直な子供達を好ましく思って相好を崩した。これまでも誰かの教師を勤める事はあったのだが、ハリハリほどの者を雇えるのは基本的に大貴族や王族くらいであり、それらの師弟は親の権力を自分の権力と勘違いしている者が多く、ハリハリを下男か何かと思っている者が少なくなかったのだ。それもハリハリがエルフに嫌気が差した原因の一つでもあった。
「やはり学ぶ方に熱意があると、教えているワタクシも嬉しいです、ハイ」
「ハリー兄ちゃんの話って分かりやすいんだよな~。おれ、ベンキョーキライだけど、ハリー兄ちゃんがおしえてくれたらよく分かったし」
「学校のせんせいにきいても、おこられるからきけないし・・・」
京介が勉強を嫌いなのも、勉強自体が嫌いというよりは先生が好きではないという方が正しかった。授業は教科書通り進めるだけで面白くも何とも無いし、始の言う様に難度の低い所で質問すると面倒がる教師も多いのだ。そして皆の前で「お前はそんな事も分からないのか?」と聞き、子供は益々学ぶ意欲を失い、勉強が嫌いになっていく悪循環である。
ハリハリはいつもより幾分硬い雰囲気で切り捨てた。
「そんなのは先生とは言えませんよ。人に物を教える者はそれが誰であろうとも理解出来る様に教えなければなりません。ましてや学ぶ意欲がある子達を置き去りにして進めても、それは単なる自己満足です。皆さんは分からない事は必ず聞いて下さいね?」
「「「はい!」」」
そんなハリハリが子供達に慕われるのは、難しい生徒を相手とした教育に関わった経験が大きいのかもしれなかった。
「お待たせしました、悠さん」
「急かせてしまって済まんな。だが食事から改善しなければ効率的な修行は見込めんし、それには『家事』の才能を持つ恵にやって貰うしかない。忙しいとは思うが頼む」
「いえ、私は直接的な戦いではあまりお役に立てそうにありませんから、せめて自分の出来る範囲ではお手伝いさせて下さい」
「そう言って貰えると助かる」
そう言って悠はベリッサの調理メモを取り出しだ。
「この覚え書きは一通り目を通させて貰った。流石は長く料理の世界に携わって来ただけあって、中には少ないがドラゴンに関する記述も見つける事が出来た。恵にはそれを元に幾つか作って欲しい物がある」
悠はメモを開いて該当する箇所を恵に示した。
「これは・・・飲み物ですか?」
「ああ、ドラゴンの血を千倍の水で割り、各種の薬草の汁を混ぜ合わせて効果を増強するらしい」
恵は買ってきた食材を思い浮かべながらメモに目を通した。
「これを読む限りでは、体力の増強を目的とした飲み物みたいですね?」
「ああ、本来は病などで弱った者に与える様だが、健康な者が飲んでも体力の底上げに効果があるらしい。これからしばらくは体力の強化のみに絞って鍛練を行うつもりなので、併用してみたいと思っているのだ」
「・・・なるほど、これを見る限りではそんなに手間は掛かりませんから大丈夫です」
本来、体力は急激に増えたりする様な性質の物では無い。地道な有酸素運動や成長、効率的な食事などで徐々に増していく物であるが、成長も性別もまちまちな子供達にそれを待っている時間は与えられてはいないのだから、他の物でどうにか補うしかないのだ。
「それと子供達の食生活は囚われていた時に比べれば劇的に改善されたが、まだ少々筋力に欠けるので、こちらの料理も試したいと思う」
「こちらは肉料理ですね? ・・・これ、ドラゴンのお肉って・・・あの、さっきの血もそうですけど、私達は食べられませんよね?」
「・・・」
恵が悠にそう尋ねたのには理由がある。悠や恵の居た『蓬莱』ではドラゴンは神獣であり、また魔獣であった。その肉体を死後も嬲るのは一般的にかなりの忌避行為とみなされており、精々持ち帰るのも鱗程度である。そこには最も忌むべき敵であり、最も信頼する味方であるという二律背反が存在したのだ。
だがそれを他ならぬレイラが否定した。
《構わないわよ。そもそも自然界は弱肉強食が掟なのはどの世界でも変わらないわ。勝って食らい、負けて食らわれる。私達竜は同族を食べる事は無いけれど、それを人間に強要した事は一度だって無いはずよ?》
レイラ達の精神の在り様では殺されて食べられる事に忌避感は無い。むしろ、死んだのならばそれはただの肉の塊であり、そこに必要以上の感傷を抱かないのだ。・・・もっとも、仲間と認識している者が殺されれば怒りは覚えるのだが、それはまた別の感情である。
「でも・・・やっぱりどうしても竜の皆さんの事が頭を過ぎってしまって・・・」
《駄目よ、食べなさい、ケイ。貴女達は生きて元の世界に帰るんでしょう? その為には何であろうと躊躇うべきでは無いわ。・・・これからケイ達にはもっと辛い選択が待っているかもしれないのに、この程度の事で尻込みしている様では生きて帰れない。だから食べるの。そして強くなるのよ》
「レイラさん・・・」
レイラに促されても、恵は容易には頷く事が出来なかった。むしろ、自分の為に同族の肉を食べろと言ってくれるレイラの心遣いに尚更恵は気後れしてしまっていた。
「恵、俺達は生きる為にあらゆる生命を分け与えて貰って生きている。ならば同族以外の物は分け隔て無く頂くべきだろう。命に上下など無いのだからな」
動物も植物も意思や思考の形態は違えど同じ世界で生きる者であり、そこに人間が安易な価値観を持ち込むべきでは無いと悠は考えていた。鳥は食べるが牛は食べない、穀物は食べるが肉は食べないという価値観は人間が勝手に作り出した物であって自然界の法では無いのだ。
「俺達が出来るのは日々の糧に感謝の気持ちを持って有り難く頂く事だけなのだ。そして文字通り血肉として俺達は生きて行く。それが罪深い事だとは俺は思わん。それこそが自然だ」
《そういう事。それにこの世界のドラゴンは別に私達の知り合いじゃないんだから、あまり気にしない事ね。・・・でも、そういう人間の優しさって、私は割りと好きよ?》
悠とレイラに諭され恵はしばし戸惑ったが、やがて首を縦に振った。
「・・・・・・・・・そう、ですね。私も覚悟を決めました。ドラゴンのお肉は私が心を込めてちゃんとした料理にします。それが皆の為になる事を祈って・・・」
《いい子ね、ケイ。サキはいいお母さんだったみたい》
その言葉に恵は苦笑した。
「あはは・・・お母さんは裁縫以外は全然駄目なので、そのお陰で私は料理をする様になったんですけどね・・・でも、今不思議とお母さんの失敗した料理の味が懐かしいです。あんまり美味しくなかったはずなのに、どうしても忘れられないんですよね、あったかくて・・・」
少し過去を振り返る恵だったが、今はこちらが優先だと意識を引き戻した。
「とにかく、料理については私に任せて下さい。ベリッサさんのメモを活用して上手くやってみせます」
「頼んだぞ、恵。それと、血については一月程度持つ量を検討してくれ。最初の一月の間は毎日全員に飲ませておきたいし、その際俺の分は考慮しなくていい。俺は筋力も体力も売るほどあるからな。今から肉を調理するのは大変だろうから、とりあえず飲み物だけ頼む」
悠はこの中で誰よりも体力も筋力もあるので自分を除外して皆に行き渡る様に恵に言付けた。
「分かりました。摂取量も総量から計算して決めておきます」
「では昼の準備に掛かるとするか。恵、なるべく消化の良い物で昼を作るぞ。午後からは激しく動く事になるからな」
恵と駆け足で食事計画を相談し終え、悠は恵と共に昼食を作る為に厨房へと入っていったのだった。




