5-72 フェルゼンの休日7
とりあえず警備の兵を呼び、男達の凄惨な状況と顛末を話して解放されたベロウ達はベリッサの店に戻った。・・・あまりに凄惨な現場だった為、最初はベロウが連行されそうになったが、ベロウが『龍殺し(ドラゴンスレイヤー)』である事を知っている者、街の支配者であるローランと懇意である事や警備責任者のシロンとも親しい事を覚えている者が応援に駆け付けた事で簡単な事情聴取だけで済ませる事が出来たのだった。
「クソ、何で俺がユウの尻拭いまでやんなきゃならねぇんだよ・・・」
「まぁまぁ、一応やったのは『鬼面』のラクシャスって事になってますから・・・」
店内に戻ったベロウが見たのはいつの間にか消えていつの間にか戻って茶をすする悠の姿だった。
「ご苦労だったな」
「・・・・・・・・・いつの間に着替えたんだっての・・・」
疲れた口調で言うベロウなど素知らぬ風に悠はベリッサに問い掛けた。
「さて、一応巻き込まれた人間としては事情を伺いたいと思うのだが?」
「・・・そうだね、別に隠す様な事じゃ無いよ。アイツらの狙いはこれさ」
ベリッサが既に用意していた紙の束を悠に手渡し、悠はその最初に書かれているタイトルを読んだ。
「『ベリッサ・ロア調理覚書』・・・料理のメモか?」
「ああ、簡単に言えばそうさ。・・・そこの嬢ちゃん、アンタはアタシの正体を知ってるんだろ?」
「・・・はい、『孤高』のベリッサと言えば、ミーノスの王宮で総料理長を務めた女傑だと聞いています。何の変哲も無いありふれた料理を作っても、その味は山海の珍味に勝る味だったとか、雇う為に金貨を山ほど積んだとか・・・でも、確か・・・」
そこでミリーは言い難そうに口を噤んだ。
「別に気にしなくて結構だよ。『孤高』の名前が示す通り、アタシは料理に関しては誰とも馴れ合おうとはしなかった。料理の世界ってのはおかしなモンでね。偉くなればなるほど周りには男しか居なくなんのさ。だからその内部下として使っていた野郎共はアタシにコキ使われるのが嫌になったんだろ・・・事もあろうに、アタシの作った料理に細工して王と貴族に出しやがった。妙な物を食わされた王と貴族は激怒してアタシを宮廷総料理長から罷免して王宮から追い出し、代わりに部下だった男を総料理長に据えた。・・・ま、よくある陰謀さ、別に珍しい事じゃ無いよ」
悠からメモを受け取るベリッサの口調はサバサバとしていて、今も恨みを引きずっている様には見えなかった。
「ちょうど貴族共にメシを作るのも飽き飽きしてた所だから逆に良かったよ。指を一本持って行かれたけど、別に料理出来ない訳じゃ無いからね。その男も結局は王が満足する味を出せなかったとかで辞めさせられたし、アタシはアタシでフェルゼニアス公爵の知己を得てこの街で小さいながらも料理を続けられたし」
そう言われてよく見れば、ベリッサの左手の小指は他の指と違った光沢をしているのが分かる。恐らくは義肢なのだろう。
「で、本題だけど、アタシは『料理』の才能持ちでね。適当に作ってもそれなりに美味いモンは作れるんだが、アタシはそれだけじゃ満足出来ずに古今東西のあらゆる調理法やその薬効なんかも研究してたんだ。アタシが作るとその薬効も才能のお陰で常人の数倍は出るんだよ。だからアタシは王の健康管理も担ってたんだ。このメモはその全てが記された虎の巻って事さね」
「それを何故チンピラが狙うのだ?」
「・・・それを欲しがっているのはあんな奴らじゃ無いよ。その後ろに居る奴さ」
苦虫を噛み潰したような顔をしてベリッサが吐き捨てた。
「そいつは今現在王宮で総料理長をしているんだが、王の体調が思わしくないらしくてね。どこで聞き付けたんだか、再三アタシにこのメモを譲れって煩いんだよ。アタシがそれを突っぱねていると、その内ああしてチンピラを使って嫌がらせしてくる様になってね。最近じゃ客も寄り付きゃしなかったんだけど、偶然アンタらが居て、今日の奴らは災難だったねぇ・・・クックック・・・」
人の悪い笑みを浮かべてベリッサが膝を叩いた。
「警備に相談したりはしなかったのか?」
「これ以上貴族に借りを作るつもりは無いよ。どうせ王が亡くなれば止む事さ」
ベリッサの貴族や王族への不信感は相当強いらしく、例え恩があるローランにすらこれ以上関わって欲しく無いらしい。
「だがそれまでまだ幾らか時間が掛かろう。その間も営業に差し障るのではせっかくの腕も宝の持ち腐れというものではないか?」
「そりゃそうだけどね・・・って、アンタ、普通の人間なら王の生き死にを軽く扱ってるアタシを諌める所だよ?」
「俺は別にこの国の生まれでは無いのでな。尊敬を得られぬ王の事など知らんよ」
眉一つ動かさずに王を扱き下ろす悠にベリッサの口元が愉快そうに吊り上がった。
「アンタも言うねぇ! 久々に一本芯の通った男に出会ったよ!! アタシがあと10歳若けりゃ危なかったかもね?」
「・・・10歳若くてもババアじゃねぇか・・・」
「聞こえてるよ、小僧。男が陰口なんか叩いてんじゃないよ、みっともない」
「ぐ・・・く、口の減らねぇ婆さんだな・・・!」
ベロウが憤っていると、再び扉を開く音が聞こえて来た。
「おーい、ベリッサさん、大丈夫かい?」
「あん? 大丈夫に決まってるだろ。あんな奴らにどうこうされるアタシじゃ無いよ」
「良かった、心配してたんだよ・・・っと、今日は千客万来だね、ベリッサさん」
「アンタらもこんな所に来てないで、家に帰って母ちゃんのメシでも食いな」
どうやら今度は真っ当な客らしく、ベリッサを心配して数人で店の様子を見に来たらしかった。
「いやぁ、ウチのメシとは比べ物になんないよ。週に一度はどうしてもここのメシが食いたくなってさ。それに今日はもう危なそうな奴らも来ない・・・って、『龍殺し(ドラゴンスレイヤー)』のバロー様!?」
その中の一人がベロウを指して大声を上げた。周囲の者達も驚きで言葉を失っている。
「なんだい、この憎たらしい小僧は有名人なのかい?」
「だ、ダメだよベリッサさん!! このお方は今一番新しい『龍殺し』として名高いⅧ(エイス)の冒険者のバロー様だよ!! ・・・でもあのチンピラ達が敵わないはずだ、まさかバロー様が客としていらっしゃってただなんて・・・!」
「運の悪いチンピラ共だな!!」
「おい、俺は別に・・・」
勘違いしてベロウを褒め称える男達の言葉を訂正しようとしたベロウを、ハリハリの発言が遮った。
「正にその通りです!! この店の味に感動されたバロー殿は是非フェルゼンに来たらまたこの店で食事をなさりたい、懇意にしたいと思っていた所に邪魔が入り、ついつい力が入ってしまったという次第で・・・もしまたあのような輩が現れたら、自分が叩きのめしてやるとベリッサ殿にお約束していた所だったのですよ!!」
「おお、ハリハリ殿もいらっしゃるという事は間違いないですね!! 良かった、これでこの店も安泰だ!!」
「バロー様と言えば、この街を治めておられるフェルゼニアス公爵様とも懇意と聞くからな!! もうあんな三下共じゃこの店に手は出せまい!!」
「おい、ハリハリ、お前何を・・・」
「シッ、ここは黙って私に乗って下さい」
益々勘違いの度合いを増大させるハリハリにベロウが小声で問い掛けたが、ハリハリはここは任せろとばかりに片目を瞑った。
「ですので、皆様には是非この店が安泰だと伝えて頂きたい! 何しろこの店の常連にはあの『龍殺し』バローが居るのだとね!!」
「へへっ、お安い御用だ!! バロー様、この店を守ってくれてありがとう御座います!! おい、皆、今日の夜は酒場で男共を集めるぞ!!」
「よし来た!! いやぁ、本当に良かった良かった!!」
「些少ですが、飲み代に当ててくれとバロー殿から預かっています。今度ともこの店をご贔屓にお願いしますね?」
そう言ってハリハリは金貨を1枚取り出して先頭に居る男の手を取って握らせた。
「い、いいんですかい? こんな大金を・・・!」
「余ったならこの店の飲食にでも使って下さればいいんですよ、遠慮無く受け取って下さい」
「ならばありがたく受け取っておきます!! おい、皆!! 行くぞ!!」
「「「おう!!」」」
意気揚々と引き上げて行く男達の背中を見やりながら、ベリッサが呆れた口調でハリハリに言った。
「なんとまぁ良く口の回るアンちゃんだこと。第一、あのチンピラ共を叩きのめしたのは怖い面を付けた男だろう? いいのかい、嘘の噂なんか流して?」
ベリッサには悠がラクシャスである事は分からなかったらしい。勿論、悠がその様に行動したからであるが。
「『鬼面』のラクシャスが居なければバロー殿が叩きのめしたはずですから、嘘のつもりはありませんよ? それに、色んな人間がこの店を守ったという事になっていれば余計に妙な輩は近付き難くなるのですから、別に構いません。人助け出来て結構な事です、ヤハハ」
「フッ、食えないアンちゃんだ。・・・どうやらアンタらに借りを作っちまったみたいだね。・・・ケイ!!」
「は、はい!?」
唐突に名前を呼ばれた恵が思わず立ち上がると、ベリッサは手にした紙の束を恵に手渡した。
「え・・・?」
「アンタにやるよ。それを見てちっさいのに美味いモン食わせてやりな」
「で、でもこれって貴重な物なんじゃないですか!?」
恵の言葉にベリッサは首を振った。
「使う人間がいない資料なんてタダの紙屑さ。それにアンタは本当に短い間だったけど、アタシの最後の弟子だ。餞別の一つくらいあげないと師匠として格好がつかないだろ?」
「ベリッサさん・・・」
「アンタにゃ料理の技術についちゃ殆ど教えてやれなかったけど、料理において一番大切な物を教えたつもりだよ・・・もっとも、アンタはそれが何か分かってたけどね。技術なんてモンはその紙を見りゃ、大抵の必要な事は分かるさ」
ベリッサは小さく頷いて今度は神楽を見た。
「ちっさいの、名前は何て言うんだい?」
「わたしは~かぐらって言います~」
「そうかい、カグラ、こっちにおいで」
「ん~?」
名を呼ばれた神楽はトコトコとベリッサの側に寄って行き、ベリッサは優しく神楽に問い掛けた。
「アタシの料理、美味かったかい?」
「うん! とってもおいしかった~!」
「そうかいそうかい。じゃあ一つだけアタシのお願いを聞いてくれないかい?」
「いいよ~」
快諾した神楽に向けてベリッサは両手を大きく広げて言った。
「一回だけ・・・アタシに抱っこさせておくれ?」
「うん~」
神楽は大きく広げた手の中に体を預け、ベリッサに抱き付くと大きく息を吸い込んだ。
「おばあちゃん、色んな美味しそうな匂いがする~」
「ハハハ! アタシはずっと色んな料理をしてたからね。何だって作れるんだ。そう、何だって・・・色んな、料理を・・・・・・メリッサ・・・」
ベリッサが俯き、神楽を抱く手の力が強まった。
「・・・おばあちゃん?」
「何でも無いよ・・・何でも無いんだ。・・・また食べにおいで、カグラ・・・」
「うん、またゆう先生につれて来てもらうの~」
「そうかい、あっちの若いのは小僧と違って甲斐性がありそうだから期待出来るね」
後ろでベロウが嫌そうな顔をしたが、雰囲気の厳粛さを読んで口には出さなかった。
「さ、おいき・・・。済まなかったね、若いの。・・・この子が嬉しそうにアタシの料理を眺めたり食べたりするのを見てると、つい娘の事を思い出しちまったよ」
「いや、子供達に美味い物を供してくれて感謝する。また近い内に寄らせて貰おう」
「・・・ホント、いい男だね、若いの。ケイやカグラの事を頼んだよ?」
余計な事を聞かずに再訪を約束する悠に目元を一擦りしてベリッサが微笑んだ。
「さ、今日はもう昼はお終いさ。アンタらもこんなババアに構ってないで観光でも楽しんで来な。迷惑料だ、金は要らないよ」
「厚意は有難く受け取らせて貰おう。皆、行くぞ」
「あの、悠先生、ベリッサさんの指を治してあげないんですか?」
立ち上がり店を後にしようとした悠の後ろで恵が小声で問い掛けたが、悠は小さく首を振った。
「聞いてみるといい。俺の出る幕は無いな」
そのまま外に出て行ってしまった悠に困惑しながらも、恵は最後にベリッサに聞いてみた。
「あの、ベリッサさん、・・・もしその指を取り戻せるとしたら、どうしますか?」
「要らないね」
ベリッサはハッキリと恵に即答した。
「この傷はアタシの過去の栄光と過ちの全てさ。治そうと思えばとっくに治してたよ、金には困ってないからね。この僅かな不自由さがアタシの心を慰めてくれる・・・って言っても若いアンタにゃ分からないだろうけどね。だから、このままでいいのさ」
「・・・分かりました。このメモは大切にします」
「精進するんだよ、ケイ。・・・カグラや子供達の健康に気を付けておやり」
「はい、ありがとう御座いました・・・師匠!!」
ニヤリと人の悪い笑みを浮かべるベリッサに恵も精一杯悪そうな笑みを返して、悠達はベリッサの店を後にしたのだった。
結構長い力作の一話になりました。このベリッサの覚書が後の修行で役に立つ事になります。




