5-70 フェルゼンの休日5
全員が合流を果たしたのは昼の鐘(正午)が鳴ってから小一時間も経ってからの事だった。
「すいません、ユウ兄さん!! 私が付いていながら遅刻なんて・・・」
肩を落として謝るミリーと女性陣だったが、悠は首を振った。
「いや、丁度良かったかもしれん。今日はどうも混み合っているようでな? どこかを散策でもして時間を潰そうかと思っていたのだ。今から昼食を食べる所を選んでいる内にこの人数でも入れる店が出来るだろう。だからそんなに気にしなくていいぞ」
これがデートであるならば男を待たせるシチュエーションは男の甲斐性が試される場面であろうが、団体行動中では肩身が狭いだけである。それでも悠の気遣いをありがたく受け取って一同は食事出来る店を探し始めた。
「と言っても俺達にはこの街の土地勘は無いからな。さて、どこにするか・・・」
「・・・こっちからいいにおいがするぅ~・・・」
その時、空腹で大分グロッキーになっていた神楽がフラフラと覚束ない足取りでどこかに向かって吸い寄せられるかの様に歩き出した。
「ちょ、ちょっとかぐら!!」
それを追って朱音も走り出し、見失わない為に全員がその後に付いて小走りで追い掛けると、神楽はやがて一軒の店に吸い込まれる様に入って行った。
「ここは・・・飯屋か?」
「いらっしゃい。客なら通路に突っ立ってないで座んなさいな」
薄暗い店内に入った悠達を出迎えたのは気難しそうな老婆であった。白髪を三角巾で包み、白く皺一つ無いエプロンを纏うその姿はシャンとしていて年齢を感じさせないが、細く鋭い目が周囲を威圧している様にも見える。
「すんすん・・・このお店が一番いい匂いがする~」
「何だいこの娘は?」
「済まん、今丁度昼を取れる店を探していたのだが、ここは食事処だろうか?」
「それ以外の何物でも無いよ。食っていくつもりなら座って待ってな。昼は固定のメニューしか無いがね」
それきり老婆は悠達から視線を外して料理に没頭してしまった。
「・・・感じの悪い婆さんですね・・・」
「大丈夫かしら、この店で・・・」
ビリーとミリーは小声で囁き合ったが、老婆にじろりと睨まれて慌てて口を噤んだ。
小さな店内は大所帯の悠達が入るとテーブルもカウンターも全て埋まってしまったが、カウンターに付いた神楽と恵は老婆の動きに目を奪われていた。
「・・・何見てんだい? あんたらみたいな小娘が見ても面白いモンじゃ無いだろうに」
老婆が手を止めずに鋭い目つきのまま、神楽と恵に言い捨てた。
だが神楽はそんな雰囲気などどこ吹く風とばかりに顔にヘラっとした笑みを浮かべて答えた。
「食べ物が~、美味しいごはんになるのを見てるのすきだから~」
恵は恵で真摯な口調で答える。
「私、あまり他の方が料理をしているのを見た事がありませんでしたから。わっ、そうやって捌くんですね?」
「・・・そうかい。それならちょっとこっちに来な」
老婆が恵を指差した後に自分の隣を指差した。
「えっ? あの・・・?」
「そっちから見てたんじゃ包丁をどこに入れてるか分からないからこっちに来なって言ってるんだよ。ホラ、早く!」
「は、はい!」
唐突な老婆の申し出に面食らった恵だったが、有無を言わせぬ老婆の口調に押されて慌てて厨房へと回り込んで行った。
周囲の者達も急な状況の変化に戸惑いを抱いたが、特に危険が及ぶような状況でも無いので黙ってその推移を見守った。
「あの、いいんですか? 他のお客さんが来たりしたら・・・」
「他の客なんて来やしないさ。いいからアンタはアタシの手元を見てりゃいいんだよ」
「す、すみません!」
恵が他の客が来た時の心配を口にしたが、老婆は取り合わずに叱りつけた。
老婆は鳥らしき物を捌く手は緩めずに、時折質問される恵の言葉にぶっきらぼうに言葉を返し、一通りの作業が終わった所で包丁を置いた。
「今見た通りにやってみな。良く考えてやるんだよ」
「え? わ、分かりました・・・」
何故か実際に料理までする事になった恵は手を洗い、包丁を清めて丸のままの鳥を捌き始めた。その前に座って楽しそうに見つめる神楽の鼻歌が狭い店内に響いている。
「・・・」
老婆はそんな恵と神楽を腕を組んで見守るだけだったが、その目には何となく懐かしい物を見る様な色が見え隠れしていた。
『家事』の才能を持つ恵と言えど、鳥の丸捌きは初めてであり、老婆の2倍の時間を掛けて何とか終える事が出来た。
「で、出来ました!」
「どれどれ・・・」
老婆は恵の捌いた肉をじっくりと丁寧に眺め、一通り検分すると恵に尋ねて来た。
「・・・アンタ、これを捌く時に何を考えて捌いてたんだい?」
「え? そ、その、先ほど見せて貰った事を・・・」
「そんなのは当然だろ。それだけじゃないよ、アンタは何を考えて不揃いに切り分けたんだい? その包丁捌きからして、料理はそれなりにやった事があるんだろ?」
老婆の指摘通り、良く見ると恵の捌いた肉は大きさもマチマチで均等に揃えて切り分けられている老婆の物と比べると見栄えが悪かった。大きい物や小さい物が混ざり合っていて、恵らしからぬ失敗をしたのでは無いかと皆は心配して恵を庇おうと声を上げかけたが、悠がそれを遮った。
「静かに。恵、ご婦人に説明して差し上げろ」
「は、はい! あの、お婆さんの切り分け方だと――」
「アタシはアンタのお婆さんじゃ無いよ。ベリッサってちゃんとした名前があるんだ」
「あ、す、すいません! ・・・それで、ベリッサさんの切り分け方だと、小さい子達には少し大き過ぎるんです。だから私、食べ易い様に小さく・・・」
恵は必死に舌を動かして自分の意図をベリッサに伝えた。恵は下ごしらえする時から小さい子供達の口に合う物を普段から切り分ける様にしているので、その癖が出たのだ。
「それで、私がやって見せたのを変えて切り分けたってのかい?」
「は、はい、そうです・・・」
せっかく見せてくれたのにその通りにやらなかった事で、ベリッサが機嫌を損ねたと感じた恵の言葉は徐々に尻すぼみに小さくなったが、ベリッサはニヤリと相好を崩した。
「そうだ、それでいいんだよ。アタシは別にアンタの料理の試験官じゃ無いんだ。アンタが考えるのは食べる人間の事であってアタシの事じゃ無い。いつだって料理する人間は食べる人間の事を考えなけりゃならない。例えその事で他の奴に何を言われようと知ったこっちゃ無いんだよ。その気持ちを大切にしな」
「あ・・・! ありがとうございます!!」
「別に礼を言われる様な事をしたつもりは無いね。それにアンタ、多分才能持ちなんだろ? それを差し引いて見れば、アンタの料理はまだまだ未熟に過ぎる。もっと精進するんだね」
「私が才能持ちだって見ただけで分かるんですか!?」
「これでも料理一筋55年だよ。そのくらい見てりゃ分かる」
何でもない事の様に言ってベリッサは料理を再開した。
「ほら、下ごしらえを続けるよ。アンタ・・・いや、ケイ、隣で一緒にやりな。そろそろ飛ばして行かないと、ちっさいのの涎でカウンターが濡れちまう」
ベリッサの言う通り、お腹の減りが限界に来た神楽の涎がタラーっとカウンターに垂れ掛けたのを慌てて隣の朱音がハンカチで受け止めた。
「もうちょっとだけ待ってな。今とびきり美味いモン食わせてやるよ」
最初より幾分か雰囲気が和らいだベリッサの料理が完成したのはその10数分後であった。
口の悪い老婆ベリッサ。恵の才能を見抜くあたり、中々の慧眼を持っているようですが・・・




