5-57 諸事3
ところでギルドといえば、以前とは少し雰囲気が変化していた。
まず悠を必要以上に恐れる人間が減り、気さくに声を掛けて来る者が増えた事だ。
「きょうかーん、良かったらちょっとお話でもどうですかー?」
「済まんな、今日この街を発たねばならんのだ。またの機会にしてくれ」
「教官、今度お時間のある時にまた一手ご教授願いたいのですが・・・?」
「構わんが、攻撃の前に右手を捻る癖は早く矯正しておけよ?」
「教官!! こ、今度一緒にか、か、狩りにでもいいい行きませんか!?」
「悪いが依頼が溜まっていてな。もう少しこのギルドにもランクの高い者が増えれば俺も楽になるのだが・・・」
この様に、悠が教官を務めた冒険者達の態度が軟化していた。妙な真似をしなければ悠が暴力に訴える事など無いと気が付いたのだ。それどころか悠は表情こそ変わらないが受け答えに手を抜く事も無いし、質問に関しては出来る限りの的確な助言を惜しまなかった。つまり、その呼び方が示す通り、同業者として慕われているのでは無く、厳しいが面倒見の良い先生として慕われているのだ。
なので、悠が何度言っても「教官」という呼び方が改まる事は無く、やがて悠も訂正する事を諦めた。
また、訓練場の利用者も増加していた。悠の作った攻撃想定障害物は対人間用としては非常に実戦的で冒険者達はこぞってその列に並んでは少しでも早く、そして滑らかにクリア出来るように鍛錬している。帰る前にどうしてもと請われ、上級者バージョンを各武器系統毎に追加して帰る羽目になった。
それに反し、剣を扱う者からは悠は未だに恐れられたままであったが、そちらはベロウが人心を掴んでいる。口が達者で人当たりも悪くないベロウは今最も新しい英雄の一人として剣士達から羨望の眼差しを受ける存在なのだ。
『戦塵』は弱者は受け付けぬという噂もしっかりと根付いた。500人以上の人間が参加した訓練において『戦塵』に加わる事を許されたのが巷でも名を知られた『双剣』シュルツだけだったという事がその決定打になった。
冒険者を単なる職業と見なしている者もそれなりに居るが、いつか一旗揚げて自らの名を残したいと切望する者はそれより遥かに多かった。そもそもただの腕自慢ならば兵士にでもなればいいし、狩りが上手いだけなら猟師になればいいのだ。それなのに冒険者を選んだ者は、多かれ少なかれ心に燻るものを抱えて生きていた。悠との訓練はそんな心の種火にほんの少しの燃料を投下したのだ。
そういう意味ではコロッサスが考えた合同訓練は閉塞感が漂っていたギルドに爽やかな一陣の風をもたらした。『戦塵』の名は、古き悪習すら塵に帰した改革者の名として益々広がって行くのだった。
「ユウ、ハリハリの野郎、居なかったな」
「ああ、探すと見つからんとは難儀な輩だ。やはりクエイドに先に話を聞くとするか」
ギルドに来たもう一つの目的はハリハリに返事を保留する事だった。悠達はこれから街を発ち、そして間を置かずに修行に入り、また王都に舞い戻る予定だ。その為一応ハリハリに声を掛けておこうと思ったのだが、そのハリハリは朝から姿を見せていないという事だった。もし居ればあれだけ目立つ人物なので誰も覚えていないという事も無いだろう。
「奴の事はこの際置いておき、厄介事が片付いたらまた話を聞く事にするしかあるまい」
「アイツ自体が厄介事なんだと思うけどな」
「ユウのアニキ、出発しますよー」
ビリーが御者席から悠に声を掛け、悠もそれに頷いた。
結局、悠は王都に来てから一睡もする事無く再び屋敷へと帰還する事になったのだった。
さて、旅が始まると言えば当然寝る場所が必要である。その為には『虚数拠点』が必要になるので、悠は街からそれなりに離れた場所で『竜騎士』に変身した。前回、カロン達を置いて来た時に回収しなかったのは、あのまま出られない空間に親子を隔離するのは拉致に等しいと思ったからだ。
「それが師の仰っていた『竜騎士』ですか?」
「ああ、そうだ」
《あんまり驚かないのね、シュルツ?》
「師と手合わせした際、何となくは感じていました。師が本気を出した時はこんな物では無いのではないかという思いを。だから拙者は師に弟子入りを志願したのです、レイラ様」
《様は止めて。そう呼ばれるのは帰ってからだけで十分なの》
「畏まりました、レイラ殿」
悠の真の相棒であるレイラにもシュルツは慇懃に接しているのだが、レイラとしては畏敬を抱かれるのはあまり好む所では無いのだ。『蓬莱』でも散々その様に扱われて来た反動かもしれない。
「俺は一足先に行って屋敷を回収して来ようと思う。その間、お前達は護衛を・・・」
そこまで言った悠が背後を振り返ったが、そこには何も無く気配も無い。
「ん? どうした、ユウ?」
「師よ、如何されましたか? 拙者にも何も感じませぬが?」
「・・・・・・」
ベロウとシュルツも急に黙り込んだ悠の視線の先を見たが、そこには特に異常らしき物は無かった。ただ街道がフェルゼンに向かって伸びているだけだ。人間の痕跡はおろか、魔物の気配も無く、長閑な昼下がりにしか見えない。
だが悠はその街道の先を見つめたまま微動だにしなかった。それどころか徐々にその体が闘気に覆われ始めるに至り、ベロウも悠の様子がただ事では無いと悟り、剣に手を掛けた。
「どうした!? 何が居るんだ、ユウ!!」
街道の先だけでは無く、前後左右に地面と空にまで警戒するベロウだったが、それでもその目、その耳には何の違和感も感じる事が出来なかった。
そのベロウの疑問に答えたのは悠では無くレイラだった。
《・・・信じられないわね、50メートル四方まで確かに何も無かったはずなのに・・・前方10メートルに突然反応が現れたわ。それでも肉眼での視認は不可能。数は2。恐らく人間型。全員最大級の警戒を!!》
レイラの警告に弾かれる様に悠以外の4人が馬車を囲んで警戒態勢に入った。・・・だが、その4人にしても10メートル先を見ても何も発見する事が出来ず、背中に冷たい汗が滴り落ちた。
「レイラ殿、本当に居るのか? 拙者には何も感じられぬが・・・」
《居るわ。少しずつ近付いてる・・・現在9メートル・・・・・・8メートル・・・・・・》
レイラの接近報告にビリーは唾をゴクリと飲み下し、ミリーは滴る汗を拭った。ミリーの脳裏には見えない敵という事に引っ掛かる物を感じ取っていたのだが、それは中々形にならず焦りばかりを募らせる。
透明な相手は焦らしているのか、はたまた移動速度が遅いのかは分からないが、普通の人間の半分程度の速度でしか近付いて来ないのだが、それが逆に一同の不安を煽った。
《6メートル・・・・・・5メートル・・・・・・》
「そこまでだ、それ以上進むなら警告無しに攻撃する」
悠が見える様に投げナイフを指に挟み、投擲姿勢を取った事でその移動は止まった。
《4メートルで対象停止》
「何者だ? 俺も透明な相手とやり合った事はあるが、ここまでレイラの目を謀った者はそうは居らん。用があるのなら姿を現せ」
悠が警告し、警戒する4人の武器を握る手に力が入る。沈黙は数秒の事であっただろうが、待つ者達には数分間はたっぷり経過したのでは無いかと思われるそれを破ったのはどこかで聞いた事のある音色であった。
哀切なリュートの響きである。
「ヤハ、せっかく勿体ぶって演出しましたのに、簡単に見破られてしまいましたね。ワタクシ、とても悲しいのでその思いを曲に表してみました。中々良いと思いませんかネ?」
それを皮切りに何も無い空間に突如2人の人物が浮かび上がった。一人は言うまでも無く謎の吟遊詩人ハリハリであり、そしてもう一人は・・・
「ハリハリに・・・リーン?」
ハリハリの服にしがみ付いているのは、昨日別れたはずのリーンであった。




