閑話2 鬼を喰う鬼2
「殺せえええええッ!!!」
そこに一つの方向性を与えたのはガストラのその言葉であった。恐慌を来たした男達は弾かれる様に扉から突き出る手に向かって殺到していく。だがその為に男達は被害を拡大させる事になってしまった。
その突き出た手が瞬時に引っ込むと、今度は扉自体が大音響と共に吹き飛んで近付いて来た男達を薙ぎ払ったのだ。
「「「ギャアアアア!!!」
5、6名が吹き飛んだ頑丈な扉を食らってその場に倒れ伏した。なまじ頑丈な扉にしたせいで男達のダメージは甚大で、鼻が折れて出血の止まらない者や腕があらぬ方向を向いている者、その場に反吐をぶち撒けている者など、あっという間に戦闘不能に陥ってしまった。
だが部屋の中に居る者達はそんな惨状すら目に入らないかの如く、失われた扉があった場所を見つめ続けていた。――室内の光を浴びて浮かび上がる鬼の面を。
「ら、ラクシャス・・・!」
「俺の名を呼ぶか、咎人共」
その声に応えるように、ラクシャスは足音を立てずに室内へと入って来た。それに伴って鬼面以外の部分も露わになっていく。
本職の盗賊が見てもその忍び足は完璧であり、目端の利く者達は階段を軋ませたのはワザとであり、警告の意味を含んでいたのだと悟った。
「俺はラクシャス。貴様らを地獄へ落とす為にやって来た。・・・ジョナス、コッコス、ガストラ、以上3名を引き渡せば他の者達はこの場は見逃してやろう。俺が10数える間に対応を決めろ。・・・邪魔をするなら・・・ここが貴様らの墓場だ。10・・・」
一方的に言い捨て、カウントダウンを始めるラクシャスに唖然とした男達だったが、ジョナス、コッコス、ガストラの3人は素早く目配せをすると、自らが引き連れてきた構成員に指示してラクシャスに対して半包囲網を築いた。
更に後衛では魔法を使える者達が陣を構築していく。万が一にも撃ち漏らさない態勢であった。
それを見たガストラ達の顔に余裕が浮かび掛けたが、ふとラクシャスを見ると腕を組んだまま、まるで意に介さずにカウントダウンを続けており、その不自然なまでの自然さが3人の背筋に冷たい予感を走らせる。
3人の頭に浮かぶのは先ほどのヘイロンの言葉だ。即ち・・・家畜は肥えさせてはから絞めるに限る、と。
特大の悪寒を感じたガストラが先んじて攻撃を開始させようとした瞬間、ラクシャスのカウントダウンが終わりを告げた。
「・・・1・・・0。返答は受け取った、では力ずくで連れて行こう」
ラクシャスが幽鬼の如くゆらりとその場から動き出すと、極度の緊張を感じていた男達はガストラの合図も待たずにラクシャスに向かって魔法を撃ち込み始めた。
屋内である事を考慮して水や風の矢が主体の魔法がラクシャスに殺到する前に、足を上げたラクシャスの眼前に一枚の壁が出現した。
破砕音を響かせながらも魔法を受け止めきった壁の正体は、先ほど蹴り破った扉であった。ラクシャスは始めの一歩で男達に肉薄しようとしたのでは無く、この扉を盾にする為に動いていたのだ。
立ち上がった扉を後ろから足で支えていたラクシャスは魔法の乱打が途切れるのを自分の空けた穴から見計らって、再び前蹴りで扉を射出した。
魔法の余波から目を背けていた男達はそれを防ぐ事もかわす事も出来ずに将棋倒しに薙ぎ倒されていく。
「・・・ハッ!? ら、ラクシャスはどこだ!?」
それに気を取られていた男達の大半がラクシャスの姿を見失ったが、包囲網の横に居た者達だけはその姿を見付ける事が出来た。・・・見付ける事が出来ただけであったが。
「と、扉の後ろだぁっ!!!」
その言葉が示す通り、ラクシャスは扉を蹴り出すと同時に扉を目隠しに包囲網の前衛との肉薄を果たしていたのだ。
やがて扉が支えを失って倒れ掛けたがその途中で横から手によって支えられ、フワリと水平に浮き上がった。
扉は多少魔法で破砕されてはいたが、その重量は少なくとも人間一人分位はあるはずなのに、それを片手で軽々と持ち上げているという事実が男達の意識を一瞬空白にする。そして、ラクシャスには一瞬の時間があれば事足りた。
「シッ!!」
そのまま横にした扉を男達に向けて投げ付けたのだ。扉は如何なる膂力が加わったのか、横回転し唸りをあげてボウリングのピンの様に男達を弾き飛ばしていく。
血と汗と涙と男達が部屋の中を乱舞し、刹那の間に阿鼻叫喚の地獄絵図を描き出す。弾かれた者達は更に他の者を巻き込んで地獄が拡大していった。
「あ・・・あぅ・・・」
「お、おれのうでが、うでが!!!」
「・・・・・・」
この1分にも満たない攻防で、実に20人以上が無力化され、残った者達の9割方は戦意を喪失してしまった。怨嗟渦巻く部屋の中で、ラクシャスだけが静かに歩みを続けている。
ラクシャスは歩きながら後ろ手に2本の短剣を抜き放った。キンと乾いた音がやけに部屋に大きく響く。
黒く焼かれた刃はラクシャスが闇の住人である事を知らしめるかの様に、漆黒の存在感を持って全員の心をその場に縛り付けていた。
やがて誰にも遮られる事無く、ラクシャスはガストラの正面に相対した。
「手足を切り落として運ばれるのがいいか、自分の足で歩くのがいいか?」
「あ・・・ぐ・・・」
その異様なまでの迫力にガストラほどの長く裏社会に揉まれ続けて来た男が呑まれていた。最早戦う事も逃げる事も叶わないと知りつつも、ガストラは必死にこの場を生き残る術を探し続けた。
その機は別の場所からやって来た。
「ひ、ひ、ひ、ひぃいいいいいい!!!」
隣に立っていたジョナスが悲鳴を上げて一目散に逃げ出そうとしたのだ。部下も同業者も見捨てて逃げ出すジョナスの頭には、未来の絵図などありはしなかった。ただ、この恐ろしいモノから逃れる事だけが彼の頭の中にあった。
だが、その逃走はたった一歩で中断を余儀なくされる。
ラクシャスがチラリとそちらに目をやると、左手の短剣を逃げるジョナスの足に投擲したのだ。特に力を入れたとも思えないその短剣は飛燕の如き速度でジョナスの脹脛に深々と突き立った。
「あ゛ーーーーーーーーーッ!!!!!」
ジョナスの口から断末魔に近い悲鳴が上がり、それを見た者達が武器を取り落とした。敵と認定されてこれ以上酷い目に遭っては堪らぬと観念したのだ。
ガランガランと武器が転がる中、ただ一人違う行動を取った者が居る。ラクシャスの目の前に居るガストラだ。
(今しかねぇ!!)
ガストラは注意を逸らしたラクシャスに向けて渾身の力で拳を突き出した。テーブルを破壊した事からも分かる通り、ガストラの拳は本気で振るえば人間の頭蓋を砕く事も可能だ。例えラクシャスであろうとも、一撃さえ決まれば必ず殺す自信がガストラにはあった。
周囲に響く武器の音でラクシャスはこちらに気付いていない。これで勝ったとガストラは確信を抱いた。
そのままラクシャスの顔にガストラの拳が吸い込まれていき・・・当たったと思った瞬間、それはラクシャスの顔を貫通した。
「なっ!?」
いくらガストラが力自慢であろうとも、手応えも無く顔を突き抜けた事を訝しく思う間も無く、ガストラの脳が凄まじい痛みに漂白された。
「おああああああああああッ!!!!!」
伸ばしたガストラの腕が手首でズレ、ポトリと床に転がる・・・だけで無く、続いて肘から下が滑り落ち、更に肩から下が血の海に転がった。
「ヒギ!? あああっ!? ギャアアアアアアアッ!!!!」
自らも血の海にのたうつガストラを冷たく見下ろしながら、変わらずその場にあったラクシャスが詰まらなそうに言った。
「済まん、あまりに鈍いので3度も斬ってしまった」
そんな言葉ももうガストラの耳には入らない。ただ終わらない痛みに悲鳴を上げるだけだ。
「で・・・お前はどうする、コッコス。こいつらと同じ目に遭いたいか?」
「こここここ降参します!!! つ、つ、付いて行きますからもう何もしないで下さい!!!」
手足が血に濡れるのも構わず、その場に這いつくばったコッコスは恥も外聞もかなぐり捨ててラクシャスに許しを請うた。
「そうか? ならばそこに転がっている2人に縄を掛けろ。歩けぬ様なら貴様が担ぐなり肩を貸すなりして運べ」
「はい!!!」
コッコスは弾かれる様に立ち上がり、部屋にあった縄で怪我に喘ぐジョナスとガストラを縛り上げた。2人の口から怨嗟が漏れたが、コッコスとしてはもう死に体の2人などよりも目の前の鬼面の男の方がずっと恐ろしかったので、全く意に介さなかった。
そんな作業を詰まらなそうに見ているラクシャスがふと顔を逸らし、周囲の男達を見て一歩踏み出したが、そこに一人の男が立ち塞がった。
「・・・もう、いいだろ? もう誰もアンタには逆らわねぇ。だから、ここに居る奴らは勘弁してやってくれ、この通りだ!!」
そう言ってラクシャスに頭を下げたのはメロウズであった。そんなメロウズを見て、他の者達の顔に微かな感謝の色が浮かぶ。
一方それを何の表情も無く――面のせいで表情は分からないのだが――しばし見つめていたラクシャスだったが、やがて踵を返し、メロウズに宣言した。
「・・・貴様に免じてこの場はこれで退いてやろう。・・・だが、忘れるなよ? 王都にはこのラクシャスが居る事を。今後、非道な行いが俺の耳に入ったならば・・・貴様らは全員殺す。顔は覚えたぞ」
ラクシャスの恫喝と共に吹き付けた殺気を受けて、数十人がその場で失神し、また失禁した。
「いくぞ、コッコス」
「は、はひ・・・!」
片手でジョナスを支え、肩にガストラを背負ってラクシャスは来た時と同じ位唐突に姿を消した。
それでもしばらくは立ち去った方向を見ていた男達だったが、数分過ぎても帰って来ない事で立ち去ったと確信し、失神していない者もその場に腰を下ろして安堵の溜息を付いた。
「こ、殺されるかと思った・・・!」
「お、俺、もう武闘派のファミリーからは足を洗う!!」
「俺もだ・・・あんなのが居ちゃ商売にならねぇよ・・・」
「それにしてもあのラクシャスに立ち塞がるなんて、メロウズさんも大したお人だな!!」
「ああ、メロウズさんが止めてくれなかったらどうなっていた事か・・・」
助かった者達から尊敬の視線を浴びて、メロウズは頭を掻いた。
「よしてくれ、俺はただ他の奴らはそこまでされるほど悪じゃねぇと思っただけだよ」
「いやいや、助かったぞい、メロウズや」
謙遜するメロウズの後ろでヘイロンがその功を労った。
「お前さんのお蔭でどうにかワシらは生き長らえた様じゃ。今度とも、お前さんの才覚には期待させて貰いたいのぅ」
「ヘイロンの爺様まで煽てないでくれよ。・・・ま、皆、殺されなくて良かったな。俺はしばらく鬼って付く奴にはゴブリン(小鬼)にすら会いたくねぇや」
その冗談にようやく少し雰囲気が和らぎ、起きている者は怪我をした者や失神した者の介抱をし始めた。
この一件で凶悪なグループはほぼ一掃され、王都の裏社会は穏健派が舵を取って行く事になる。そしてその功労者には若き顔役、メロウズの名が刻まれるのだった。
(ふぅ・・・俺は上手くやったぜ? 今後は妙な話を俺に持って来ないでくれよ、ラクシャス・・・?)
メロウズの心中の独白に答えられる者はどこにも居なかった。
い、一体誰なんだラクシャスはっ!? って思ってくれる人が居たら、貴方はいい人です。その純粋な心をいつまでも持ち続けて下さい。主に私が助かります。
次回はネタバラシです。




