5-14 修行準備3
悠は早ければ10日後の出発をローラン達に告げ、アルトに準備しておく様に言い含めるとフェルゼニアス邸を後にした。向かうは冒険者ギルドである。
(そういえば、ベロウはどうしたのかしら?)
(さぁな。あの様子だと昨日は解放されなかったのではないかと思うが)
今の今まで全く放置されていたベロウがどこに居るか気にはなったが、最後に居た冒険者ギルドに行けば多少の情報は手に入るだろう。
そんな事を考えながら冒険者ギルドに辿り着いた悠が扉をくぐると、ギルド内はまさに死屍累々といった有様であった。多くの冒険者が床に転がり、酒瓶や空いた料理の皿が林立、あるいは散乱しており、全体的に酒臭い。そろそろ日も高くなって来たというのに、明らかに健全な様子では無い。
《・・・何て言うか・・・酷いわね》
「・・・」
恐らく昨夜は大宴会となったのだろう。悠は冒険者達を踏まない様にベロウを探し求めると、その姿は中心近くの床の上にあった。片手には空の酒瓶を持ち、もう片方の手は近くで眠る冒険者の女性の尻に伸びている。余程いい夢を見ているのか、その寝顔は半笑いを浮かべていた。
「・・・・・・」
無言でベロウを足で揺り起こそうとした悠だったが、多少揺すぶった程度ではベロウの深い眠りは覚めず、しまいには足を手で振り払って女性冒険者に抱き付いてそのまま寝直してしまった。
「・・・・・・・・・」
悠は時間が無いのでさっさと覚醒させる事に決めた。と言ってもいつも通り蹴り飛ばしては暴れるベロウが周囲の冒険者に怪我をさせてしまうかもしれないし、吐瀉物がギルドの床を汚してしまうかもしれない。だから悠はテーブルの上にある口の細い水差しを手に取った。
そして眠るベロウの顔を上に向け、その鼻の穴に水をチョロチョロと流し込むと・・・
「・・・ング!? ブヘッ!? ゲハッ!!! ゲフッ!!! ガハッ!!!」
一瞬でベロウは覚醒し、その場で激しく噎せ返った。ちなみにこれは大変危険なので真似はしないで頂きたい。
「ゲホ! ゲホ! ・・・ふぇ、フェッキシ!! ・・・だ、誰だ、こんなとんでもない真似をしやがるのは!?」
「俺だ」
「や、やっぱりユウか!? もうちょっとまともな起こし方を出来ねぇのかよ!!」
咳の治まったベロウが悠の姿を見て食って掛かったが、悠は何の感情も浮かべず冷たく言った。
「まともな起こし方で起きない貴様が悪い。もう少し公衆良俗に気を払え。いい大人が人前で醜態を晒すな」
「くっ・・・クソッ」
周囲を見回してその惨状を見たベロウは反論出来ずに黙り込んだ。
「目が覚めたのなら早く起きろ。今日から忙しくなるのだからな」
「はいはい、分かったよ・・・と、その前に」
起き上ったベロウは水差しを手に取ると、コップを介さずそのまま口の中に流し込んでいった。酔いの残滓を振り払う為と、完全な覚醒を促す為だ。
「・・・プハッ!! ふーーー、ようやく目が冴えて来たぜ」
「まずはカウンターに行くぞ。昨日の報酬の計算も既に終わっているだろう」
悠がカウンターに向けて歩き出すと、ベロウも冒険者を避けながらそれに続いた。
「済まないが、昨日アイオーンギルド長と依頼を果たして来た悠とバローだ。報酬と冒険者証を受け取りに来た」
「ああ、『戦塵』のお二方ですね、話は伺っています。今マリアンさんをお呼びしますので、少々お待ち下さい」
そう言ってカウンターに座っていたギルド職員の男は奥の執務室の方へと歩いて行った。
「どれ位の報酬額になるかな」
「分からんな。だが、指名依頼の達成と魔物の討伐、魔物の素材など・・・特にドラゴンの素材の買取は相当な額になるらしいから、金貨2000枚以下にはならんのではなかろうか?」
悠の答えを聞いたベロウがヒューっと口を鳴らして笑った。
「苦労した甲斐があるってもんだな、ユウ!」
「さて、それで足りるかどうか・・・」
ベロウに聞こえない音量で悠は呟いた。準備に必要な額の算出はしていないが、相当な額になるはずだ。例え金貨2000枚の報酬があっても、その内金貨1000枚はアザリアの町に寄付しているし、共に依頼を果たしたアイオーンと折半するなら悠達の取り分は差し引き金貨500枚という事になる。更に報酬の一割をベロウに渡せば、残るのは金貨450枚だ。それでは『治癒薬』を揃えるだけで使い切ってしまうかもしれないのだ。
今の悠ならば10日もあれば金貨を数百枚稼ぐ事も不可能では無い。足りない分をどう工面するか考える悠の元に奥からマリアンが大量の金貨入れた袋を携えてやって来た。
「お待たせしました、これが今回の報酬です」
ズンと置かれる大小の袋を見たベロウは大体想像通りの金額だなと見積もった。
「まずこちらの大きい袋が金貨2000枚です。それと・・・」
マリアンは小さい方の袋を取り出して言った。
「アザリアの方々への寄付の分が白金貨で100枚、つまり金貨1000枚分です」
「あれ? ヤケに報酬が多くねぇか?」
自分達の見積もりよりも金貨1000枚分も多かった事をベロウが疑問に思って問い質すと、マリアンが書類を取り出して説明し始めた。
「内訳はこの様になっています。まず今回の依頼達成報酬は金貨500枚です。それに魔物の討伐報酬が金貨807枚と銀貨8枚、素材の買取額が金貨1942枚と銀貨2枚と大銅貨3枚、合計金貨3250枚と大銅貨3枚で、アイオーン様は今回の報酬は金貨250枚と大銅貨3枚だけ受け取るそうです。特にドラゴンの討伐報酬と素材が大きく、この書類に記載されている様に金貨500枚と金貨1600枚で合計2100枚です。ご確認下さい」
「ああ、ドラゴンの分の討伐報酬を忘れてたな。だからこの金額か、なるほどね」
「指名依頼の額も達成後に内容を精査し直して上乗せされていますよ。まさか伝説級のドラゴンが絡んで来るとは思っていなかったですから・・・ただ、貴方方の報酬がそれだけの額になるのは、アイオーン様の温情である事を理解して下さいね! 今回の買取額もⅦ(セブンス)では無くⅧ(エイス)として計算して良いと言ったのもアイオーン様なのですから」
「ああ、分かっている」
あまり悠に好意的では無いマリアンは多少語気荒く悠に釘を刺したが、悠は特に普段と変わらずに返事をするだけだった。それがまたマリアンの気に障るのだが、そんなマリアンに悠は報酬の金貨の山から10枚ほど金貨を掴み、マリアンに差し出した。
「今回の件ではギルド職員各位には苦労を掛けた。それと・・・夕べギルドを騒がせた謝罪を含めて受け取って欲しい」
「は、はぁ・・・?」
この世界の人間では考えられない常識的な対応に思わず毒気を抜かれてマリアンは金貨を受け取った。悠は呆気に取られるマリアンを捨て置き、ベロウの分の報酬を選り分けている。やがて数え終えた悠は布袋を取り出してベロウに渡した。
「お前の取り分の金貨190枚だ、バロー」
「な、なんで俺の報酬から払ってんだよ!!」
「貴様が主になって宴会をしたのだから当然だろうが、馬鹿め」
「うぐっ!?」
痛い所を突かれて二の句が継げなくなったベロウを捨て置いて、悠は再びマリアンに話し掛けた。
「マリアン、このギルドにある『治癒薬』と『魔力回復薬』を纏まった数で買い取りたい。どの程度在庫がある?」
「・・・え? えっと・・・」
カウンター横の在庫表を確認しつつ、マリアンは答えた。
「・・・今ギルドにある『治癒薬』は『下位治癒薬』が57、『中位治癒薬』が15、『高位治癒薬』が3、『魔力回復薬』が31なので・・・全て買い取るなら金貨600枚、そこからⅧ(エイス)の冒険者割引が25%引かれて・・・金貨450枚ですが?」
「全て買い取ろう。それと、このギルドで一番容量の大きい冒険鞄も貰いたい。大量の食料を保管したいのでな」
「ち、ちょっと待って下さい! 急にそんなに買い物をして戦争にでも行くつもりですか!?」
稼いだ報酬を右から左に流すような悠の剛毅過ぎる買い物にマリアンから疑問の声が上がった。周りにいる職員や冒険者達はそんな悠の買い物を目を丸くして見入っている。・・・あるいは魅入っている。
ちなみに『下位治癒薬』とは通常の『治癒薬』を指す物で金貨1枚、『中位治癒薬』は金貨20枚、『高位治癒薬』は金貨50枚である事は前述したが、クエイドが悠に譲った『魔力回復薬』は金貨3枚であり、それを10本も譲ったクエイドの厚意が透けて見えた。
この内の『下位治癒薬』や『魔力回復薬』一つですら普通の冒険者なら買うかどうか迷うレベルの品である事を思えば、悠の買い物が如何に異常であるか分かるかもしれない。
「そ、そうだぜユウ! まるで本当に戦争に行く準備みてぇじゃねぇか!?」
「そんな下らん物に参加するつもりは一切無い。これは子供達の・・・強化合宿に使う為の物だ」
少し言い方に迷った悠だったが、強化合宿という言葉に落ち着けた。これは自分の軍学校時代から引っ張って来た単語であったが、特におかしな言葉でも無いだろうと思ったからだ。
「強化合宿ねぇ・・・それでもそんなに必要なのか?」
「むしろまだ足りんな。・・・で、マリアン、『冒険鞄』は?」
「一応、一軒家サイズの容量を持つ物はありますけど・・・あ、そうだ! ちょっと待って下さい!」
マリアンは商品が並べてある棚の下にある引き出しを開けると、そこから二つの『冒険鞄』を取り出して戻って来た。
「これはギルド本部から送られて来た試作品で、内部の時間を隔離空間で止める作用を持っているそうです。つまりこの『冒険鞄』に入れた品物はずっと腐敗しないのです。今までにも同じ効果を持った鞄はありましたが、これよりずっと容量の小さい物しかありませんでした。今回の品は軍や大人数パーティーを想定した試作品です。食料を大量にというのなら、これを使ってみるといいのでは?」
「ふむ・・・ちなみに値段は?」
「本来であれば金貨1000枚・・・ですが、今回の物は試作品ですので、半額の500枚です。その代わり、使ってみて不具合などが無いかレポートを提出して貰わなければなりませんし、もし不具合があっても交換などは出来ません。致命的な不具合であれば返金は受け付けますが。そしてもう片方は通常の『冒険鞄』で一番容量の大きな物で金貨300枚です。つまり――」
「『治癒薬』類と纏めて全部貰おう。通常価格が纏めて金貨1400枚で、Ⅷの割引で1050枚でいいか?」
如何に大きな金額になるかを説明しようとしたマリアンを遮って、悠は払うべき金額を尋ねた。悠は現在金貨2000枚程度を手にしているのだから勿論買える事は買えるのだが、金貨で4桁の買い物など見た事の無い冒険者や職員は目を剥いている。
「・・・・・・た、確かに。本当にいいのですね?」
「ああ」
しばし衝撃から計算が遅れたマリアンだったが、悠の出した数字が正しいと弾き出し、再確認した。だが悠は大金を使った人間に見られる優越感なども無く、淡々とそれに回答するだけだ。
「・・・」
流石にいくら大量の資金を持っていてもその半分以上が必要であれば多少は躊躇するのではないかと考えたマリアンの予測は儚く崩れ去り、逆に自分が狼狽を見せた事に憮然としながら金貨を数えていった。1000枚を超えるとなると一人では大変なので、他のギルド職員も硬直から立ち直ってそれを手伝った。
「・・・では確かに、金貨1050枚頂きました。残りの金貨も数えていきますか?」
残った金貨はギルドに支払った1060枚とベロウに渡した金貨190枚を差し引いた750枚と小袋の白金貨100枚であるが、悠は首を横に振ってそのまま自分の『冒険鞄』へと金貨の袋をしまった。
「アイオーンの麾下にあるギルドが数を間違う様な不手際はせんだろう。このまま貰っておく。手間を掛けた」
心からそう思った訳では無いが、多少の誤差があろうと構わない気持ちで悠はそう言ってカウンターを離れて行った。
「と、当然です! って聞いて下さい!」
「悪ぃな、マリアン、ウチのユウは俺にもよく分からん性格でよ。その代わり貢献して返すから見逃してやってくれよ・・・おーい、ユウ、俺を置いて行くんじゃねーっ!」
外へと歩いていく悠の背中を追ってベロウもマリアンに軽くフォローを入れ、床に転がる冒険者をひょいひょいと避けながらそれに付いて行った。
後に残されたのは嵐の様に過ぎ去って行った2人に翻弄された冒険者達や職員、そしてマリアンだけである。
「・・・・・・何なのよ、あの2人は・・・!」
マリアンの呟きは、他の人間の心の内を如実に表していたのだった。
数字関連が込み入って長くなりました。計算が完全に合っている自信が無いですが、もし間違いをみつけたら感想欄ででも教えて下さいね。




