4-53 女の一分
ここはエルフの里、そしてエルフの国の首都でもあるシルフィード。
今シルフィードは大きな混乱に包まれていた。突如としてアザリア山脈の方角から多数の魔物が押し寄せ、近隣に多数の被害を与え始めたからだ。
折悪く、エルフはドワーフとの戦争中であり、首都には最低限の防衛兵力しか置いていなかった。その為、近隣の村などは数に押されて壊滅するケースも見られ、エルフ達は対応に苦慮していた。
襲われた村の住人達は何とか国に助けて貰おうと首都にて嘆願を行ったが、戦争で女王が不在となっていた為に嘆願する相手すら居ない始末であった。
しかしその話を偶然耳にしたエルフィンシード第一王女ナターリアは国難を捨て置けぬと単身調査を決行しようとしたが、当然ながら国の文官達に大反対された。が、折れぬナターリアに遂に文官達の方が折れ、腕利きの貴族の子弟を護衛に付け、1日だけという約束で送り出す運びとなった。
簡単な調査なら酷い事にはなるまい、また万一手に余る事態になれば即刻引き返す様にと護衛達に言い含めて送り出したはいいが、何かあれば文官全員の首が物理的に飛びかねないとあって、入れ替わり立ち替わりシルフィードの門を訪れ、姫帰還の報を待ちわびていた。
しかし、昼を過ぎ日が傾き始めてもナターリア帰還の報はやって来ず、これは調査隊を派遣すべきでは無いかとの意見が大勢を占め始めた時に、ようやくナターリア帰還の報が文官達にもたらされた。
「皆の者、今帰った」
「姫様!! ご無事に戻られましたか!? ・・・供に付けた者達は如何されました?」
現れたのがナターリア一人である事を疑問に思った文官の言葉にナターリアの顔が曇った。
「・・・居らぬ。彼等はドラゴンの牙に掛かり命を落とした。これは彼等の遺髪だ」
ナターリアは腰の袋から指輪で括られた3人分の遺髪を机の上に置いたが、文官達にすればそれどころでは無い。
「ど、ドラゴンですと!?」
「な、何という事だ!! 今すぐにでも魔法戦隊を呼び戻さねば!!」
「そんな事が出来る訳が無い!! 戦線が破綻するぞ!!」
「しかし今首都にある防衛戦力だけでは・・・!」
狼狽える文官達をナターリアは手を振って制した。
「狼狽えるでない!! 彼のドラゴンは私が追い払った!! これがその証だ!!」
ナターリアが腰からドラゴンの鱗を取り出し、テーブルの上に投げると鱗は乾いた音を立ててテーブルに転がった。
「作り物などでは無いぞ? その目でしかと検分せよ」
「ひ、姫が!? で、では失礼して・・・おお!!」
目端の利く文官の一人が手に取ってそれを見ると、強度といい内包する魔力といい、間違い無くそれはドラゴンの鱗である事が分かった。
「倒すには至らなかったが、奴の足と目を潰してやった。もう2度とこの辺りには現れないだろう。・・・国民に触れを出せ!! 最早脅威は取り除かれたとな!!」
驚愕に飲まれる文官達にそう告げると、広報担当の文官が我に返って慌てて部屋を飛び出していった。
尚も事態の急変に動けない文官達にナターリアは続けた。
「今巷を騒がせている魔物共もそれに伴い徐々に沈静化しよう。この首都の守護兵から人数を割いて近隣の村々の救援に当たらせるのだ! この首都の防備には私が居る。急げ!!」
「「「は、ハハッ!!」」」
ようやく思考が回復して来た文官達は沸き上がる感動に胸を熱くしながらもナターリアの命令を忠実に実行しようとした。魔法の才があるとは知っていたが、それがドラゴンにまで届き得るとは!! 我等が姫は英雄の卵であったかという感慨に打ち震える文官達が、背後からの言葉で不動となった。
「その必要は無いわ」
そして次の瞬間、誰一人例外無くその場に平伏する。それはどんな場合でも絶対服従の主を迎える臣下の礼であった。そして彼らがそんな態度を取る相手は一人しか居ない。エルフ女王であるアリーシア・ローゼンマイヤーその人だけだ。
「母上!? お、お戻りでしたか!?」
「ナターリア、公的な場では陛下と呼ぶ様にと言ったはずよ?」
「! も、申し訳ありません、陛下!!」
ナターリアは膝を付いて頭を垂れた。その顔からは血の気が引いて青くなっており、およそ親子の間で交わされる表情では無かった。
「ドワーフとの戦争は一端置いて今帰った所よ。途中の村には兵を割いて置いて来たからここから新たに兵を出す必要は無いわ。・・・それにしても・・・」
アリーシアが頭を下げるナターリアの顔を覗き込んだ。そうして並ぶ2人はまるで姉妹の様で溜息すら漏れそうではあったが、ナターリアの顔色は青いままだ。
「あなたがドラゴンを、ねぇ・・・ナターリア、それは本当なのかしら?」
ナターリアはアリーシアの目が恐ろしくて顔を上げる事が出来ない。もし目を合わせれば、アリーシアは全ての嘘を見抜いてしまうのではないかと思えたのだ。
「こ、この身に誓いまして!!」
それでもナターリアは最後の一線だけは譲らなかった。右手の小指に力を込め、今ここには居ない男の顔を思い浮かべてナターリアは必死に女王の圧力に耐え続けた。
「ふぅん・・・ま、いいわ。私が出向いて仕留めようかと思ったけど、せっかくナターリアが追い払ってくれたんですもの。ようやくあなたも一人前かしらね、ナターリア?」
少しだけ圧力を弱めてアリーシアはナターリアを褒めたが、ナターリアは固い表情のまま返答した。
「いえ・・・今回の事で私が如何に世間知らずであったかを思い知りました。陛下が私を戦場に連れて行かなかったのも当然です・・・私は戦場の何たるかを知らぬ、ただの小娘でした・・・」
そんなナターリアの様子を見て、アリーシアは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「それが分かったのならあなたのやった事も無駄では無かったわね。・・・でも勝手に国を空けた事を許す訳にはいかないわ。しばらく謹慎していなさい」
「そっ!? ・・・い、いえ、分かりました。謹んでお受けいたします・・ ・」
ナターリアは思わず反論しようとしたが、アリーシアに一瞥されただけでそれを引っ込めた。すぐにでもまた悠に会いたいと思っていたが、ここで下手に逆らうと謹慎期間が延長されかねないと思ったからだ。
「後は私と文官達でやるわ。下がっていいわよ」
「はい、失礼します・・・」
そう言ってナターリアは部屋を退出しようとしたが、アリーシアとすれ違う瞬間、アリーシアが小さな声でナターリアに告げた。
「・・・ところで『伝心の指輪』が片方しか無いようだけど、誰かに渡したのかしら?」
その言葉にナターリアの体が凍り付いた。何故気付かれたのかと思考が空回り、額と背中には大量の冷や汗が流れ始める。
それでもここで沈黙する事はアリーシアの発言の肯定に他ならないので、ナターリアは震える声を抑えて何とか言葉を絞り出した。
「すっ、すみ、ません・・・ゆ、指輪は戦いの最中に、お、落としてしまいましたっ」
「へぇ・・・そうなの?」
「は、はい・・・」
前を向いたままそう答えたのがナターリアの精一杯の抵抗であった。今目を合わせてはとてもではないが嘘を突き通す自信など無かったのだ。
「・・・いいわ、もう行きなさい」
「・・・失礼します」
アリーシアはそれ以上深く問い質す様な事をせずにナターリアを解放し、ナターリアも大きな溜息を漏らさぬよう注意しながら、今度こそ部屋を退出していった。
部屋を出てしばらく歩いたナターリアは誰も居ない事を確認して大きな溜息を漏らした。
「はぁぁぁ・・・これでは当分ユウとは連絡が取れまいな・・・母上に気取られかねん」
それでもナターリアは一分の意地を通し切った事に満足感を覚えた。
「ユウ、しばし待っていろ。次に会う時はきっと・・・」
そこから先は聞こえない位に小さな言葉で呟いて、ナターリアはその場から立ち去って行った。
「陛下、死亡した貴族の子弟の家にはどの様な処置を?」
文官の質問にアリーシアは簡潔に答えた。
「多少の見舞金とお悔やみでも送っておきなさい。それ以上は必要無いわ」
「し、しかし彼等は姫をお守りする為に命を・・・」
処置がおざなり過ぎるのではないかと述べる文官にアリーシアは冷たい視線を向けた。
「守るべき対象を残してサッサと死ぬ様な護衛にそれ以上する価値は無いと言っているのよ、私は。家を取り潰さないだけありがたく思いなさい」
酷薄なアリーシアの言葉に脂汗を流しながら文官は引き下がった。
そんなアリーシアは最早文官などに目もくれず、自らの思考に沈んでいた。
(ナターリア程度がドラゴンを倒すのは無理よ。追い払うのすら至難ね。ならば何者かの助力があったのは確実・・・ならばそれをやったのは誰かしら? 下手な嘘を付いていたけど、きっとその相手に『伝心の指輪』を渡したに違いないわ)
アリーシアは恐ろしいまでの洞察力でナターリアの事情をおおよそ掴んでいた。だが、そこで思考を止めた。
(ま、別にいいわ。ナターリアもそろそろ外を知ってもいい頃だし。・・・でも念の為に・・・)
アリーシアが小さく呪文を唱えると、目の前に小さな蝶が現れた。
「ナターリアを見張りなさい。見つからない様にね」
蝶はアリーシアの周りを一周してから、扉の隙間から外へと飛び去っていった。
「さて、ナターリアの気になる相手っていうのはどんな相手かしらね?」
誰も居なくなった部屋の中で、アリーシアの楽しげな言葉だけが響いていた。
これで第四章終わり・・・と思っていましたが、もう一話だけ閑話を付けます。特に書かなくてもいい内容かもしれないですが、一応。




