3-40 鋼神と呼ばれた男1
明くる朝、ユウはいつもどおりの時間に起きて朝の稽古に向かったが、途中の廊下に蹲る人物を見つけて足を止めた。
「おはようアルト。どうした?」
「お、おはようございます・・・っ、ユウ先生。ちょ、ちょっと体が痛くて・・・」
夕べにベロウが予見して笑っていたのはこの体の痛み――筋肉痛であった。
アルトはこれまで本格的に体を鍛えた経験が無いと言っていた事から、悠もベロウも恐らく筋肉痛は避けられないだろうと半ば確信していたのだ。
悠はアルトの額に手を当ててレイラによる診断を行った。
「一応レイラに診て貰おう。レイラ、頼む」
《はいはい、動かないでね?》
「す、すいません・・・」
アルトは起き上がろうとしていた体から力を抜いてその場で腰を下ろした。そして目を瞑って悠の手を受け入れた。
《・・・筋肉の炎症による鈍痛、つまり筋肉痛ね。特に左半身が痛むはずよ》
「あ、はい! 特に左側が痛くって・・・」
「時間が経つか、軽く動くと緩和されるがどうする? 今日は稽古の日では無いのだから休んでいてもいいんだぞ?」
無理に体を動かす必要も無いと思っての悠の言葉だったのだが、アルトは若さゆえかそれに反発して勢いを付けて立ち上がろうとした。
「だ、大丈夫ですから! ほら! ・・・あっ」
立ち上がった直後に発生した痛みにアルトの膝が折れて転びそうになった所を悠が支えた。
「やる気があるのはいいが、やり過ぎても体を壊すぞ」
「でも、僕やりたいんです! ユウ先生、お願いします・・・」
痛みと情けなさで泣きそうになりながらもアルトの目には強い意志の光が宿っている事を見て取った悠はしばしアルトを見つめ、そしておもむろにアルトを横抱きにして立ち上がった。
「わっ」
「いいだろう、そこまで言うなら俺はもう止めん。が、その有様では庭に出るまでに食事の時間になってしまうだろう。庭までは連れて行ってやる」
「は、はいぃぃ・・・」
その返答を是と取った悠はアルトの体重など感じていないかの様に庭に向けて歩き出した。悠の胸に抱かれるアルトは恥ずかしさと情けなさ・・・そして若干の憧れで顔を真っ赤にしながら、どうか途中で誰かに出会いません様に、と神に向かって祈ったのだった。
神はちょうど不在だったらしく、庭に出た悠とアルトの目の前には既に柔軟を始めているベロウの姿があった。
「お、来たな・・・って、何やってんだお前ら? プッ、ククククク・・・」
悠達に気付いたアルトは最初は不思議な物を見る様に、そして途中からは面白い物を見る様な目で2人を見つめ、やがて堪えられずに笑い出してしまった。
「お、お姫様みたいで可愛いぜ、アルト姫? クックックッ」
「も、もう!! からかわないで下さい!」
悠はアルトをそっと庭に下ろすと、アルトに柔軟の指示を出した。
「アルト、座ったまま柔軟を始めろ。今日はいつもより長くな」
「はいっ」
アルトはベロウからぷいっと視線を逸らしてその場で柔軟を始めた。そこにベロウもやって来て悠に声を掛けた。
「動けないアルトを連れて来てまで稽古させるユウが厳しいのか、それでもやる気のアルトを連れて来てやるのが優しいのか、相変わらず判断に迷う奴だよ、お前さんは」
「別に優しくも厳しくも無い。ただ、俺は本人が本気でやるという事を止める気が無いだけだ。そしてアルトは本気だったから連れて来たに過ぎん」
「やれやれ・・・次からはもう少しアルトの面目も考慮してやれよ。そろそろ男の矜持を感じる年頃だぜ? それが女みたいに運ばれちゃ、アルトの立つ瀬がねぇよ」
《ユウはどうにもデリカシーに欠ける所があるのよね。バローが上手くフォローするのよ?》
それについてはかなり心当たりのある悠は反論せずに黙った。ベロウはレイラの言葉に嫌そうに顔を顰めている。
「レイラの姐さんがそんな風にならない様に止めちゃあくれないかね?」
《誰が姐さんよ。私が悠にこの話を何回したと思ってるの? シヅカやアリサが苦労するわ》
初めて聞く女性の名に、ベロウの目がキラリと光った。
「おっと、朴念仁かと思ってた悠にも女が居たのか、意外だな? ・・・で、どんな女だ? 美人か? 年はいくつだ? まさか結婚はしてないよな?」
そして柔軟を続けながらも根掘り葉掘り悠とレイラにあれこれと質問を重ねて来た。その隣ではアルトが柔軟を真面目にやっている・・・様に見えて実はその話にかなり意識を持っていかれていた。
「お前に答える筋合いは――」
《アリサは軍の後輩で19歳。最近竜騎士になった娘で結構可愛いわよ? シヅカは皇帝陛下で18歳。容姿は・・・まぁ、人間であれ以上はそうそう居ないんじゃないかしらね? ちなみに結婚はしてないわ》
「こ、皇帝って・・・ユウ、やめとけ。とんでもない美人らしいが、お前さんみたいな男がそんな所に婿入りしても絶対周りの貴族からやっかまれて面倒なだけだぜ? 愛人くらいならいいが・・・落とすならそのアリサって娘にしとけよ。これは俺の心からの忠告だ」
「す、凄い!! ・・・ユウ先生、皇帝陛下とお付き合いしていたんですか!?」
「・・・・・・誤解だ。俺は誰とも付き合う気は無い。俺が生涯を共にするのは、俺と同じくらいか、俺より強い女と決めている」
その言葉にベロウとアルトがポカンとした表情になって言った。
「・・・お前より強い女ってどんなのだよ・・・それ、人間じゃねぇだろ?」
「・・・ユウ先生、それは結婚するつもりは無いっていう遠回しな宣告ですか?」
2人に言われて悠は黙り込んだ。この手の話は周囲の人間からも散々言われ続けて来たのだ。雪人などは以下の様な策を朱理に提示したくらいだ。
「おい、竜騎士を全員集めろ。それでレイラにも『心通話』で協力依頼するんだ。後は寝込みに多重飽和攻撃をかまして半殺しにして、やったのは志津香様ですと言っておけばいい。なぁに、皇帝の血脈に代々伝わる真の力が覚醒したとか何とか言っておけば何とでもなる。目撃者として俺や西城が証言してやれば世間的には完璧だ。これが最上の手だと思うのだが?」
「襲うまではいいとして、目撃者が私と真田先輩では残念ながら悪ふざけと取られかねませんね」
「じゃあ真でいいだろう?」
「いいですね、ソレ」
「よくありませんよ!! 頭腐ってるんですか!?」
この様なやり取りの末、結局は却下されたのだが、雪人や朱理は未だに諦めていない気配を漂わせていたとは真の言である。
2人の生暖かい視線から悠は視線を逸らした。悠にも苦手な分野の一つや二つはあるのだ。