3-20 修練と成長1
翌朝はまだ暗いが、良く晴れた空が広がっていた。
悠はいつも通りに起床し、身支度を済ませて庭に出た。息を吸い込むと、朝特有の冷えて澄んだ空気が肺を満たし、体が動く準備を整える。
柔軟を入念に行い、体の調子を確認すると、悠はいつもの通りの型をなぞり始めた。
右手で突き、戻して左手で突き、更に戻して体を沈めて肘を放つ。これらの動作を非常にゆっくりと行い、ブレ無く仮想の目標に寸分違わず打ち込む。
そんな型の中盤で、悠は動作を区切って声を掛けた。
「見るのなら近くで見た方が良いです。そこでは見にくいでしょう」
「ひゃっ!?」
悠の後方の建物の影から驚く声が上がった。
「ご、ごめんなさい!」
そう言って出て来たのはローランの息子であるアルトだった。
アルトは昨日早く寝たせいで朝早くに目が覚めてしまい、外をぼんやり眺めて居ると悠が庭に出て行くのが見えたので、着替えて見学に来ていたのだ。しかし、その真剣な様子に声を掛ける事が出来ず、そのうち拳法の型に魅せられ、悠に声を掛けられるまで見入ってしまった。
悠は型を続けながらアルトに言った。
「謝る事はありません、若様。自分は構いませんから、どうぞ」
「あ、は、はい!」
そう言ってアルトは近くに寄って来て、ちょこんと腰を下ろして悠の型を見始めた。
「僕・・・私の事はアルトと呼んで普通に目下に接する様にして下さい。私も武術を習っている時はユウ先生と呼びますから」
「・・・分かった、アルト。聞きたい事があるなら聞いてくれ」
今日から師弟となるのだから、先に少し教えてもいいだろうと思い、悠は軽く質問を受け付ける事にした。なにより、アルトが色々聞きたそうな雰囲気を出しているのだ。
「えっと、早速なんですが、ユウ先生、なんでそんなにゆっくりやっているんですか?とても綺麗な型だと思いますけど、それだと相手に当たらないんじゃ・・・」
「なるほど・・・ではアルト、そこに立っていてくれ」
そう言って悠はアルトを立たせて正面から向かい合った。
「はい?これでいいですか?」
「ああ、では今から俺がアルトにゆっくりした攻撃を仕掛ける。アルトはそれを防御するか避けるかしてくれ。それだけでいい」
「分かりました・・・?」
あんなにゆっくりした攻撃なら子供でも避けるのは簡単だとアルトは思った。だから腑に落ちないままに悠の言葉を了承した。
「ではいくぞ」
そう言って悠は腰を落として右拳を引き、いつでも放てる姿勢になる。
(ユウ先生は何がしたいのかな?こんなの簡単・・・え!?)
そう思った時には悠の拳はアルトの目の前でピタリと止められていた。
「動けたか?アルト」
「す、すいません!も、もう一回お願いします!!」
今見た物が信じられなくて、アルトはもう一度目を凝らして悠に再度頼んだ。
「何度でも。いくぞ」
今度は悠は構えを逆にして左拳を放てる様に構えて放った。
「・・・あ!あれ?なんで・・・?」
その左拳もアルトが気が付くと既に目の前にある。速度は全く無いのに、どうしてもアルトにはその拳が認識出来ないのだ。
「連続でいくぞ、そのまま立っていろ」
そうして悠は次々に先ほどの型の通りにアルトに寸止めを繰り返した。それは拳であったり、肘であったり、蹴りであったりしたが、そのどれもがアルトには避ける事も防ぐ事も出来なかった。
「い、一体何が・・・?」
「最後の一撃だけ変えてみよう、いくぞ」
そうして最後の一撃の右拳が放たれると、今度はアルトの目にもなんとか反応出来たので、アルトは大げさな動きでそれをかわした。
「うわっ!」
「さて、どうだったアルト。かわすのは簡単だったか?」
「わ、訳が分かりません!何で僕はかわせないんでしょうか?」
いつの間にか一人称がまた僕に戻っていたが、悠は構わずにアルトに説明した。
「人は予測で動くものだ。例えば攻撃の時は殴るのなら半身になり、拳を握って引き、足を踏ん張り、腰を回転させ、歯を食いしばり、呼吸を止め、目で目標を捉え、体を大きく動かして相手に放つ。それらを察知して人は回避や防御を行う。しかしそんな攻撃が相手に伝わらないはずが無い。だから動作の無駄を削ぎ落とし、それが分かりにくくなる様に工夫するのだ。レベルが上がれば上がるほどにその動作は小さくなり、やがて見えているのにかわせない、必中の一撃となる。俺のやっていた型はその確認の為でもあるのだ。だから早くやっては駄目なのだよ。最後の一撃だけ大げさにしたから見えただろう?」
その説明をアルトはぽかんとして聞いている。意味は分かる。しかし、そんな事が出来る様になるのかが分からない。こうして実演して貰って見ても、まるで魔法より魔法のようだ。
「少し本気で攻撃すると・・・アルト、もう一度立て」
「は、はいっ!」
弾かれた様にアルトは立ち上がって直立不動の姿勢を取った。
悠は立ち上がったアルトから5歩ほど離れ、もう一度腰を落として右拳を放つ構えを取る。
「目だけは閉じるな、いくぞ」
その言葉と共に、アルトの目には悠が霞んだかの様に見えた。と思った次の刹那には凄まじい勢いで顔に向かって風が吹き付けて来て、アルトは思わず尻餅をついてしまった。
「うわぁ!!!」
悠は右拳を突き出した姿勢でアルトから5メートル近くも離れているのに、その拳の勢いにアルトは頭を吹き飛ばされた様な錯覚を覚えていた。
「突きは目標の遥か後方を射抜く様に。しかし大振りにならぬ様に」
悠は姿勢を崩してアルトに近づくと、尻餅をついているアルトに手を差し伸べた。
「大丈夫か、アルト?」
「え、ええ・・・いえ、はい」
半ば呆然としつつ、アルトはその手を取って立ち上がった。
「俺は今見た通り、教え方が洗練されているとは言えない。剣はバローに習えばいいが、体術は俺が教える事になるだろう。無理そうなら止めるが、どうする?」
その言葉でアルトは覚醒してはっきりと言った。
「いえ!ユウ先生の様な人は初めて見ました!!是非とも僕に体術を教えて下さい!!」
アルトは今の一幕ですっかり悠の体術に魅せられていた。最初はただ綺麗だと思っていたその技は、恐るべき達人の域にある事をアルトは悟ったのだ。
「先生、僕は!・・・あ、私は・・・!」
「アルト」
興奮して上手く言葉が紡げないアルトの頭に手を乗せて、悠はアルトを宥めた。
「自分の事を僕と言いたいのなら言えばいい。貴族として立派になりたい気持ちは分かるが、今の自分を偽る必要は無い。揺ぎ無い自分を持て。呼称など、時が自ずと身の丈に合った物に変えてくれるさ」
「・・・はい!」
アルトは初めて、悠に打ち解けた笑顔でそう返事を返したのだった。




