1-6 戦勝式典4
志津香はそれでも言うべきか言わざるべきか迷っていた。今を逃せばその機会は永遠に失われるやも知れぬ。そして悠は市井に混じるには知名度が有り過ぎる。軍どころかこの都、果てはこの国からすら居なくなってしまうかもしれないと思った志津香は戦慄した。
(悠様にもう会えなくなって、いつか私は誰か違う男性と結婚して子を成して、そしてお婆ちゃんになるまで今日の事を後悔し続けるの? 嫌! そんなのは絶対に嫌よ!! 言うのよ志津香。私とずっと一緒に居てくださいって言うの!)
今まさに志津香が悠に想いをぶつけようとしたその時、
《マコト! 次元振動だ!!》
「ムッ! 神崎竜将! 次元振動発生、何者かがこの場に転移しようとしております!!」
ガドラスからの情報に真が警戒を告げ、その言葉が言い切られる前に、悠の姿は志津香の前にあった。既に待機状態であった竜鎧もその体を覆い、兜を下ろしたそのシルエットは人間サイズの竜の顕現であった。
「西城、着装して背後を警戒。千葉はそのまま情報収集、真田は下がって防人殿に連絡を取り民衆の避難誘導準備の要請。竜器使いは円陣を組んで周囲の警戒。陛下、自分の後ろから動かないで下さい」
流石歴戦の兵たる軍人達は悠の突然の命令にも戸惑う事無く瞬時に円陣を組み上げる。それでもその顔は緊張で強張っていたのは仕方があるまい。『転移』はⅧ(エイス)クラス以上の龍が稀に持つ能力であり、その能力を生かした奇襲によって連合国家軍は有能な将兵を数多討ち取られてきた。それは竜騎士すら例外ではなく、現在真のガドラスがこれまでの観測によって兆候を感じ取る事が出来るようになったばかりである。
目まぐるしく動く状況に志津香は目を白黒させていたが、取り乱して迂闊に動くような事はしなかった。皇帝である自分が動揺すれば、この数の民衆がパニックに陥った時、相当数の被害が出る事は容易に想像出来たからだ。
「はい、神崎竜将、お任せします」
「了解しました。自分の背後には何人たりとも手出しはさせませぬゆえ」
「解析結果をお伝えします! 対象:アンノウン、熱量0、質量0・・・物質体ではありません、精神体です!」
千葉の解析結果に周囲の緊張がほんの少しだけ緩んだ。精神体に攻撃力は無く、恐らくはなんらかのメッセンジャーであると思われたからであった。
――そしてそれは具現化した。
腰まである銀髪に美しい容貌。両の目は青く大きく、年の頃は15、6といった所か。中世風の儀礼鎧を纏い、最も大きな特徴として、その背中には大きな翼が生えていた。
《お初にお目にかかります。私はバルキリー77。勇者を選定するを任務とした10級神です》
声によるものではない、この場にいる全ての者の頭の中にその言葉は響いた。
《とりあえず、パニックになられても困りますし、他の皆様には少々お眠り頂きますね》
その言葉と共に会場内に銀色の粒が舞い散った。それを浴びた者達はその場に瞬時に崩れ落ちた。
「くっ! その粒子は精神に直接作用する模様! 精神防壁を展開して下さい!!」
真の言葉に竜騎士達は即座に防壁を展開したが、前線にて展開していた竜器使い達は間に合わず、その粒子を浴びて次々に倒れ伏す。結局この場にいて昏睡していないのは悠、真、朱理達竜騎士と、後方に居て防壁が間に合った雪人(雪人は竜器使いである)と、悠の精神防壁内に居る志津香だけであった。
いや、更にもう一人。
「陛下は無事か、神崎竜将!」
会場の警備に当たっていた竜騎士の一人、防人 匠であった。
「はい、防人殿もご無事で何より」
《警戒の必要はありませんよ。単に眠って頂いただけですから。それにしても流石ですね、私の『妖精の粉』は本来人間に防げるレベルのものでは無いのですが。頼もしい事です》
この状況を作り出したバルキリー77は満足気に頷いて一人納得している。
「バルキリー77とか言ったか。貴様、何が目的だ」
頭脳担当の雪人がバルキリー77にその意図を問う。
《正式名称は長いのでナナとお呼び下さい、真田 雪人情報竜将殿》
その言葉に雪人は眉を顰める。このナナとかいう自称神はこちらの氏素性は把握済みらしい。ならば情報を引き出すにもまずは対話だ。
「そうか、ナナ殿とお呼びすれば良いかな? 無礼な口利きは謝罪しよう。それでナナ殿はどこから来て、どのような理由でここにいらっしゃったのか?」
せいぜい慇懃な口調で雪人は尋ねた。敵意は見えない事から、高圧的に出るよりも友好的に尋ねた方が良さそうだと思ったからだ。
《はい、本来私は勇者の素質を持った人間がその生を終える時、天界にその魂を導く事をその任務としています。おそらく皆様が生を終える時にも私か、もしくは私の同族がその魂を導く事でしょう。それだけの力が貴方方にはありますから》
「光栄に思えばよろしいのかな」
《いかようにも。そして私は天界から派遣されてこの世界にやって来ました。そちらの神崎 悠戦闘竜将に御用がありまして》
その言葉に周囲に緊張が走る。なにしろこの少女神の言う事が本当であれば、
「それは、悠が死ぬという事か?」
そう、生を終える勇者の魂を選定するという事は、つまり悠は死ぬという事に他ならない。
《いいえ》
しかしナナははっきりと否を告げた。
《ですから本来は、と申し上げました。この度私がここに来たのは2つの理由があっての事です》
そこでナナは言葉を切って悠に目線を移した。
《一つ目は世界の救世を果たした事による、業の限界突破です。大きく世界を変動させた者には業にボーナスがかかり、それが一定値を超えると神への転生が可能となります。偉大な宗教の祖や神崎竜将の様に世界を滅ぼせるクラスの邪神悪神の類を滅したりするとこの対象となるのです。私には分かりませんが、転生したら最低でも私以上の神格として顕現するでしょう》
悠以外の全員が唖然としていたのは無理からぬ事だろう。誰だって自分の友人や知り合いが「神様になる」と聞いたら深刻にその人間の頭か心を心配するだろう。
「そのような情報は漏らしても良いのか? 神になれる条件など、俗な人間が聞いては良からぬ事を企む者が出てくるやもしれないが」
《この場にいる皆さんは信用に足る方々とお見受けしましたので構いません。そして、良からぬ事を企む者などが人の限界を超えて神に至る事は有り得ません。それは神崎竜将を間近で見てきた貴方ならお分かりになると思いますが?》
その言葉に雪人もなるほどと納得する。この友人はその辺の修行僧など裸足で逃げ出すほどの修練を日々欠かさず積み上げてきていた。特にその精神力は異常といえる領域にある。痛みや欲望などという物にまるで揺らがないその様はさながら聖職者のようでもある、
《そして本題は二つ目の理由にかかっています。神崎竜将、貴方にはもう一度世界を救って欲しいのです》
雪人の竜器は思考加速特化です。戦闘能力は鳳佐クラスでしかありません。
匠は竜騎士最年長の36歳で、悠の教官でもありました。なので、二重の意味で悠も敬意を払っています。