1-5 戦勝式典3
「・・・すいません、もう一度言って頂けますか?」
志津香は一番近くで聞いていながらも、もしや自分の聞き間違いではないかと思い、悠に再度尋ねてみたが、
「はい、退役のご許可を頂きたく思います」
やはり聞き違いではない。この国一番、いや、この星一番の英雄たる神崎 悠が軍人を辞めさせてくれと言っているのだ。軍の統帥権は皇帝に帰属するものであり、当然人事の権利も皇帝が持っているが、あくまでそれは建前である。皇帝陛下を前線に送る事など無いし、好き勝手に親しい者をコネで栄達させても戦死するばかりである。この時代の軍隊の上層部に弱兵などいないのだ。ましてや悠は実働部隊のトップであり、最強の兵士でもある。こと軍に関してであれば、皇帝よりも発言権は大きいのだ。だからこそ悠が望んでいるならば皇帝といえどもそれを無碍には出来ない。
「り、理由をお聞きしても良いですか?」
声が震えるのを必死に押し止めて志津香は悠に理由を問うた。周囲は痛いほどの静寂に包まれており、悠の言葉を聞き逃すまいと耳を研ぎ澄ませていた。
「はい、陛下。理由は大戦が終わったからであります。この国の民や陛下に仇なす龍共の首魁は先日、打ち滅ぼされました。雑魚はまだ多少はいるでしょうが、Ⅴ(フィフス)クラス以上の存在の消滅は先の大戦の終局にて千葉虎将が確認済みであります。それは竜器使い達で十分に対処可能であり、最早自分の戦場はありません。役目を終えた兵器は――過分な力はこの先の治世においては無用の長物であると愚考致します。ですので、これを機に軍を離れ、一人の人間として、ただの神崎 悠として生を全うするつもりであります」
そう締めくくると、悠は皇帝に敬礼をして一歩引き下がった。その目は澄んでいて、後悔など微塵も感じさせなかった。
「貴方の後はどうするのですか? まだ軍には貴方の力を必要とする者達が沢山居るのではないですか?」
なんとか悠を翻意させようと志津香が悠の後ろに立ち並ぶ軍人達にちらりと目線を向ける。部下たる彼らも皇帝の目線を受けて盛んにに首を上下させている。
「おい、悠。貴様そのような重大事を一人で決めてはいそうですかと認められると思っているのか!? 貴様はこの東方連合軍の総大将なのだぞ!!」
すぐ隣でまず雪人が口火を切った。が、雪人は長年悠と過ごしてきた友人である経験から、悠に翻意を促すのが殆ど不可能であると悟ってもいた。だからこそ理屈に情に権力にといくつも可能性を検証するが、どれも効果は無いだろう事も分かってしまう。そして国家の軍であるという性質上、あまりに過大な戦力は後々を考えれば害になりうる。ただ今は皆その輝かしいばかりの武勲に目を奪われていて気付いていないだけだ。そんな事をすぐ思いつく自分の小賢しい頭を雪人は殴ってやりたくなっった。
「乱世においての事だ。治世にはもっと見識豊かな人物が上に立つべきである。防人殿がその任に当たられれば、戦う事ばかりの自分よりも余程上手く軍を指揮して下さるだろう。龍の殲滅に関して言えば、轟が復帰した後、千葉を補佐に付ければ問題無く終わるだろう。轟の復帰が遅れるならば、千葉が竜器使い達を並列指揮して事に当たればよい。自分で無くとも出来る事だ。それくらいは分かっているのだろう、真田」
そして悠も雪人がその思考に行き着く事を知っていた。だからこそ、前々からこのような事を考えていたのだ。戦死するならばよし、生き残ったなら軍を辞す、と。
「そして部下の事か・・・総員!! 気をつけぇぇいいッ!!!」
突然の悠の怒号に部下達は雷に打たれたように慌てて姿勢を正した。この広い会場がただ一人の人間の声によってビリビリと震動している。
「あれだけしごいてやったのにまだまだ貴様等は甘えが抜けんとみえる。なぜ「神崎など居なくてもこの国は我々が守ってやる」という気概をみせん!! 貴様らは栄えある東方連合国家の軍人であろうが!!! 大馬鹿者共がっ!!!」
悠の本気の怒りを感じたこの場の軍人達は最早真っ青で、暑くも無いのに額と背中は汗が噴出している。表情を変えずに殺気すら滲ませながら激を飛ばす様は死線を潜り抜けてきた彼らすら恐れ慄かされた。そしてその怒りの波動に初めて触れた志津香は青を通り越して既に顔は土気色である。
「貴様等の本懐はなんだ!!! 千葉ぁ!!!」
鋭い視線と共に垂下された千葉はとっさに敬礼をしながら答えた。
「ハッ、龍共を撃滅し、国を守る事であります!!」
「それは俺が居らんと出来ん事か!!」
「否! 断じて否であります!! 神崎竜将の育てた軍は、一人一人がその意を胸に持ち、日夜戦って参りました!! 例え神崎竜将が居なくとも我らは最後の一兵まで意を挫かれる事無くその任に当たるものであります!!!」
「貴様等もそうか!!!」
悠は千葉の更に後ろに立つ軍人達に問いかける。
「「「ハッ!! 我ら最後の一兵まで、この国の礎であります!!!」
千葉の言葉に奮い立った兵士達は見事な敬礼と共に唱和した。
「ならばよし」
先ほどまでの波濤のごときオーラが凪を思わせる静かなものに治まった。そこには親しい者達だけが分かる深い満足感が見て取れた。
「という訳だ、何か問題はあるか、真田」
「全く貴様は・・・もう俺は知らん。勝手にしろ。後は陛下のお心のままに、だ」
やはりという思いと共に雪人もそれ以上の説得を諦めた。元々こうと決めた事は必ずやり通す男である。これ以上は最早蛇足にしかなるまい。
「神崎竜将の仰る事は分かりました」
志津香も雪人の様子を見て深い溜息と共に言葉を吐き出した。二人のやりとりを見て、大よその事情も察知した。悠、ひいては竜騎士の戦闘能力、諜報能力の危険性はこれまでにも議論されてきた事であるが、その筆頭たる悠の国への献身と貢献は計り知れないものであり、とりあえず枷が填められる事無くこれまではやってきた。しかし平時においては再燃するのは間違いない議題であり、その場合、結局悠にはなんらかの不愉快な出来事が起こったであろう事は想像に難くない。今居る部下と切り離されるか、適当な名目で名誉職へ追いやられるか、はたまた辺境へ飛ばされるか。
それもこれも、自分が考えていたこの後の悠への求愛が上手く行っていれば何の問題も無く済んだのだ。皇帝の伴侶、もしくは悠自身が皇帝となったとしたら、その力が振るわれるのはこの国を守るためのものである。私的な一個人では無く、連合国家の最高位に鎮座する軍神の姿は逆に人々にこの国への深い忠誠を感じさせるだろう。
・・・ここで注釈すると、雪人や志津香の考えは結果的には間違っていた。現実的に、そして歴史的に見るならば二人の懸念は正しい。乱世の英雄は治世の奸雄となりかねないと。実際にそのような議論がなされたのも確かである。しかし悠が積み上げてきた信頼はそのような危惧を持つ人々の心すら変えてしまった。連合国家の人間は上から下まで、例え誰が挫けようとも、また裏切ろうとも、戦場の最前線に神崎 悠は在り続けるであろうと確信していたのだ。その力が罪無き者に振るわれる事が無いとも。志津香の相談役とも言える朱理も雪人や志津香と同じく現実的な思考をしており、志津香との交際、または婚姻は突発的に進めなければ邪魔が入ると踏んでいた。だからこそのこの場であったのだが、公的に進めても実は問題が無かった。
皇帝たる志津香は係累も無く、歳の頃も18歳と適齢期であり、むしろ何かあった時に後継者になる者が居ないのである。先の朱理の認識ではないが、志津香には世継ぎを産んでもらわなければならない。それも出来れば3人以上。そしてその候補となると、志津香が身篭っている間、政務に勤めて貰わなければならず、結婚して皇位についてもらう可能性が高い。であれば民衆が納得する人物がそれに当たらなければならず、尚且つこの国では強い者が尊ばれる。そうすると軍人、また釣り合いと実力から考えて雪人か悠。そして実働部隊を指揮している悠にと絞られていくのは当然の流れだった。
しかし官吏達も流石に皇帝に「神崎竜将と結婚して皇位を退いて下さい」とは恐れ多くてとても進言出来ない。志津香もそんな事を迂闊に漏らせば悠に迷惑がかかると思って言い出せない。このような悪意の無い思いやりが今日の様な事態を招いてしまっていた。