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神様になる前にもう一つ世界を救って下さい  作者: Gyanbitt
第十章 二種族抗争編
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10-166 王は戻れり3

お久しぶりです、前より時間がかかるとは思いますが更新再開です。

悠とハリハリが訪れ依頼された『無常月夜ムーンフェイス』を差し出すと、アスタロットはニヤリと相好を崩し悠の胸を叩いた。


「流石は俺の見込んだ男だな! 可能性は万に一つと見ていたが、こうして無事に持ち帰るとは!!」


「エルフとドワーフの戦争も終わった。これでもう無駄に争う事も――」


「そんな事はどうでもいい、バカ同士が何百年も殺し合おうがワガハイの知った事ではないからな! さあユウ、それをワガハイに……」


『無常月夜』以外は目にも耳にも入らぬとばかりに手を伸ばすアスタロットだったが、その手が『無常月夜』を掴む直前で横から伸びた手に遮られた。怒気を宿したアスタロットの視線の先には真剣な表情のハリハリがアスタロットの腕を掴んでいた。


「……ハリーティア、何の真似だ?」


「それにはエースの魂が宿っています。まさかとは思いますが、一体何の為にこれを必要としたのか答えて下さい。もし嘘や悪しき目的があると感じたら、これは持ち帰らせて貰います……ユウ殿には嘘は通じませんよ?」


アスタロットがエースロットの魂を悪用するとはハリハリも思っていないが、既に一度利用された経緯があり、万に一つの可能性も除去したいのだ。


ゆえにハリハリは可能性として二番目に・・・・大きなものを口にした。


「一応言っておきますが、エースの『森羅万象ユニヴァース』で貯めていた魔力マナは紆余曲折あって空になっています。何かに利用する事は出来ませんよ」


「利用? 魔力? フン……多少は事情を知ったようだが、下らん邪推は止めて貰おう。貴様ならいざ知らず、可愛いエースをワガハイが私欲の為にどうにかしようなど下衆の勘ぐりというものだ」


「……」


アスタロットの目が不快感を宿したのを見て取ったハリハリは無言でアスタロットの手を解放した。図星を突かれたなら動揺や疚しさが現れただろうが、アスタロットの反応は心外以外の何物でもなかったからだ。


「これ以上は止めておきましょう。アスタにもワタクシの結婚式に出て欲しいですから」


「結婚? ……ほう、記憶を失ったとはいえよくあのヒステリー女を口説き落としたものだ」


ハリハリが結婚を口にすると、アスタロットは皆まで聞かずとも相手が誰なのかを察したようで、熱の無い拍手をパチパチと送ってみせた。全く癇に障る仕草であり内容であったが、アスタロット相手にこの程度で怒っていては話が進みようがない。


「それで、出席して頂けるので?」


「本当に結婚出来るなら行ってやってもいいが、さて……」


謎めいた笑みを浮かべ、アスタロットは再度悠に向き直り手を差し出した。


「そんな事より、今ワガハイが欲しいのは『無常月夜』だ。疑いが晴れたのなら早く渡せ」


大して興味も引かれなかったアスタロットが本題に戻るが、悠もまたアスタロットに言うべき言葉があった。ハリハリが一番可能性が高いと感じ、しかし悪用とは言えないからこそ口にしなかった利用法をだ。


「ドワーフの国で俺は一人の少女と知り合った。いや、実際には少女とは言えんがな」


「……ユウ、勿体ぶるな、グラン・ガランでの事なら後で聞いて――」


苛立つアスタロットを無視し、悠は言葉を続けた。ファティマと出会った事で、悠やハリハリはアスタロットが何をしようとしているのかを察したのだ。内容を聞けばアスタロットは無視出来ないという自信が悠にはあった。


「ファティマ・ラティマという名の女性だ。本人の話が正確なら本来は千年前に死んだ人間らしい。彼女は生前、死の間際に己の魂を魔道具に封印し、この現代に適合する肉体を得て俺を助けてくれた。魂を保存しても適合する肉体がなければ結局は意味を成さないというのが彼女の言葉だった」


「っ!?」


アスタロットの表情が強張り、視線が揺れるのを見て悠とハリハリは自分達の予測が正しかった事を確信した。それでも悠は淡々と語るのを止めなかった。


「ファティマは適合する肉体を見つけるのに千年の時を要した。つまり、全くの赤の他人の肉体では適合する確率が非常に低いという訳だ。それは未来での復活を夢見て果たせた者の話を聞かない事からも察する事が出来よう。……さて、本人の体では無いが、全く同じ肉体と言うならば世界には例外が一つだけ存在するな。同じ種から分かれ同じ腹の中で育ち、同じ時に産まれたもう1人の自分とも言える存在が」


「……」


悠の言葉に、今度はアスタロットが沈黙で応える番であった。それは悠の言わんとしている事が的外れではないという無言の肯定である。


「エースとお前は双子……本人以外の魂の適合率でこれに勝る存在はあるまい。加えてお前はエースの為なら命すらも厭うまい。俺とハリハリの予測は間違っているか?」


「……点数をくれてやるなら70点だな。全く、要らぬ知恵を……」


悠達の予測にアスタロットは憮然とした表情で頷いてみせた。自分の肉体をエースロットに明け渡すというアスタロットに後悔の気配は皆無だ。


「魂だけを保存しても殆ど意味がない事は数百年も前から分かっていた事だ。数々の人体実験の果てに出た結論は他人の体に魂の定着はほぼ不可能という、ごく真っ当なものでしかない。……別にワガハイがやった実験ではないぞ? ともかく、そのファティマとかいう娘、よほどの幸運の持ち主だな……」


大きく溜息を吐き、アスタロットは椅子に体を沈めた。伏せられた目は遠い過去を遡り、半ば無意識に口から漏れ出す。


「王家は常に断絶の危険性に気を払わねばならん。ごく僅かな可能性だとしても、双子が産まれねば意味がないとしても……実際役に立ったのだから我が父の目は確かだったと言えよう。ワガハイに万一の時はエースに体を譲ってやってくれと言われても、ワガハイに否はなかった。エースの為ならこの出来損ないの兄の体くらいいくらでもくれてやる」


父王ブルームハルトの遺言を果たすべき時がやってきたと、アスタロットは懐から自分の『無常月夜』を取り出して握り締めた。双子専用の魔道具であり、どちらかが死んでももう一方の肉体に魂を移し替える恐るべき魔道具を。


「他の機能は目くらましに過ぎん。魂の保存と移動、それが『無常月夜』の真の力だ」


「やはりそうでしたか……我々が知らぬ間にあなたの自殺を手伝わせるつもりだったのですね?」


疑問形でありながら厳しい断定口調のハリハリだったが、顔を上げたアスタロットは不敵な表情で笑っていた。


「ハリーティア、ワガハイは70点と言ったはずだ。エースが死んだ頃のワガハイなら100点をくれてやっても良かったが……時の流れはワガハイにも未練を生んだ」


思わぬ部分否定にハリハリは首を捻った。アスタロットの言動を紐解くならエースロットは復活させるが、自分も生き残るという二律背反を含んでいたからだ。未練がマハという女性であろうとは予想出来たが、他人の体に魂が馴染まないならそれは矛盾する言葉であった。それともアスタロットはこの200余年で都合良く適合する体を見つけたのだろうか?


「言っておくが、適合する別の体を見つけた訳ではないぞ。そのような極小の可能性を求めるほどワガハイは自分が幸運であると思っておらんしな」


「で、ではどうやって!?」


「……『異邦人マレビト』の知識は時にこの世界の常識を覆すという事だ」


アスタロットの視線の先には無音で佇むスケルトンのマハがおり、その時だけはアスタロットの力が緩み、穏やかな眼差しを注いでいた。『異邦人』の知識と言ってもハリハリには何も思い当たらなかったが、悠は智樹から聞いた医学知識が思い浮かび、つと口に出した。




「…………無いなら作るしかあるまい。おそらくは複製クローニングか」




「っ!! ……クク、ククク、ハハハハハッッ!!」


悠の言葉にアスタロットの慈愛の笑みが狂気に塗り替わり、額を押さえたままアスタロットは悠に向き直って哄笑をあげた。危険な色を帯びるアスタロットにハリハリは意味を掴みかねたまま思わず身構えたが、アスタロットの目には悠しか映ってはいなかった。


「やはり『異邦人』には既知の技術なのだな!? ユウ、お前は見た事があるのか!?」


「いや……俺の世界では聞いた事は無いが、保護した子供達の中に知っている者が居ただけだ。倫理的な問題から完全複製は法で厳しく制限されていると……」


「ユウ殿、一体何の話ですか!? 複製? 同じ肉体をどうやって作ると!?」


「詳しい理論までは聞いてはいないが、作られた複製体は双子以上に本人そのものの肉体であるらしい。自然に生まれる双子が天の配剤なら、複製は超医学の賜物だろう」


「い、命を創るなど、神の御業ではありませんか……!」


「下らんな。神などではない、単なる人の業であろうが。そこらの獣だろうと交われば子を成すのだからな」


ハリハリは複製に禁忌の匂いを嗅ぎ取り畏れを滲ませたが、アスタロットは全く意に介さなかった。アスタロットにとって重要なのは移り変われる肉体を創れるのかどうかだけだったからだ。法は無く、倫理はアスタロットを止められなかった。


それが善か悪かは悠にも口出し出来ない事だ。悠もまたやり方は異なるがマッディに新しい肉体を創りマルコとして転生させたのだから。


「しかし、この世界の医学では概念すら存在しない技術をどうやって実現したというのだ? マハに全てを語る医学知識があっても容易に実現はすまい?」


「マハは詳しい理論など知らんよ。だが、天才には発想さえあればよく、この世界にはこの世界の方法があるという事だ」


アスタロットは本棚に収まっている物の中でも、恐らく最古の部類に入るであろう、刻石された石板を重そうに取り出し机に置くと、他に幾つかの資料を引き出し、石板のあったスペースに手を差し入れ、何かを操作し始めた。


……ゴゴン。


重い錠の外れる音が響き、アスタロットが本棚を引っ張ると、闇に閉ざされた新たな部屋が現れた。ハリハリは僅かに驚いた表情を浮かべたが、悠はごく自然な態度を崩さない。元より感情を表に出すタイプではないが、レイラの感知を遮る仕掛けがあると気付いた時点でこの部屋にも何かしらのギミックがあると察していたからだ。アスタロットのように他人を信じない者が目に見える範囲に全ての研究を置いていると考える方が不自然であった。


「貧弱なハリーティアでは厳しかろう。ユウ、その石板を持って中に入れ」


「せめて明かりくらいは点けてくれませんかね?」


「勿体ぶって明かりを消している訳ではない。成長には闇が必要・・・・・・・・なのだ」


アスタロットは要領を得ない言葉を置いてさっさと中に入ってしまい、ハリハリは肩を竦め、ひょいと片手で石板を掴み上げた悠と共にそれに続いた。


アスタロットが入るとごく僅かな照明が部屋に灯るが、大きなダンスホールを思わせる部屋の内部の輪郭すら露わにする事はなかった。おまけに床は土間になっていて寒々しい印象を強めている。


もっと秘密の研究所じみた物を想像していたハリハリは当てが外れ首を傾げた。こんなに暗い、広いだけで作りかけのような部屋でアスタロットは何をやっていたのだろうか?


目を凝らすと部屋の真ん中当たりに何かしらの大きなシルエットが見え、ハリハリはそれが樹木の陰であろうと見当をつけた。夜の森にでも行けばすぐにでも見られるものだ。


「……こんな光も差さない地下深くで栽培を?」


「普通の木がこんな場所で育つはずがなかろう。ユウ、その石板が見えるか?」


「ああ、視力には自信がある」


持ってきた石板に悠とハリハリが目を落とすと、そこには文字は無く、掠れた絵が上下に2つ描かれていた。


上の絵は一本の木の周りにデフォルメされた人物が複数描かれ、1人だけ横たわった人物を木に捧げているように悠には見え、下の絵はその人物の目が見開かれ、周囲の者達が踊っている絵だ。


「何ですかこれ? もしかして死人を蘇らせる木でも存在すると?」


「バカが、そんな物があったら世界単位で奪い合いであろうが。仮にも大賢者と呼ばれるくらいなのだからもう少しあ・た・ま・を使ってくれんかな?」


「むっ」


トントンとこめかみを指すアスタロットに温厚なハリハリも流石に気分を害するが、アスタロットと言い争いなどしても無駄とむっつりと口を噤んだ。


「その石板はダル・ガンダル付近で出土した物だ。遥か過去にはあの辺りにも住んでいる者が居たのだろう。が、それは別にどうでもいい。問題はその石板に描かれている木だ」


アスタロットは部屋の中に置かれていた机の上にある、年季の入った書物を手にとって広げてみせた。


「伝説にかくある。『二柱、地と海を司りけり。地の一柱、大いなる白樹により数多の命を創りたもう。命の樹、即ち『世界樹ユグドラシル』なり』とな。創世神話の一節だが、ここに出て来る『世界樹』は実在する。エルフが部族単位で争っていた頃から半ば伝説となっていたが、存在だけは今も伝わっていたからな」


光陽樹サンリーフの祖と言われる世界樹が実在する!? 馬鹿馬鹿しい、かつてあったのだとしても、それは遥か過去に失われたものです! その証拠に、エルフの長い歴史の中でも誰も『世界樹』を見た者は居ません!」


「秘されていたのだよハリーティア! ……ククク、建国王は、ローゼンマイヤーの血は貴様が想像するよりも遥かに業が深いのだ!」


アスタロットの手が再び『無常月夜』を握り締めた。王家は常に断絶の危険性に留意すべしとは、何も『無常月夜』だけに限った話では無いのである。


アスタロットの背後に歴代のローゼンマイヤー王家の妄執が透けて見えた気がしてハリハリは思わず半歩退いていた。


「遺産の大半はエースが引き継いだが、ワガハイにも分配表に沿って幾つかの品が渡された。一見しても用途の分からぬ物や古いだけで何の役にも立たぬゴミもあり、エースは恐縮して自分の分からワガハイに施そうとしたが……その中にあったのだよ、厳重に保管された『世界樹』の枝がな」


立ち上がり、『世界樹』に向けて歩き出したアスタロットを追い、悠とハリハリもそれに続いた。徐々に露わになる白い枝を伸ばす白樹こそアスタロットの言う『世界樹』なのだろう。


「建国王がどういう経緯でこれを手に入れたのか、何処で、もしくは誰から入手したのかは不明だ。栽培法や生命創造の方法も勿論分からなかった。分かっているのは日光に当てては駄目だという事だけだ。使えなかったからこそ『無常月夜』などに頼ったのだろう……当時のワガハイも何とかエースの『無常月夜』を取り戻せないかとそればかり考えていた。取り戻し、ワガハイの体を使ってエースを復活させようとな。老公に助力したのもその一環だったが……」


そこまで語った所でアスタロットは首を振って一度言葉を切った。


「マハとの事は余人に語るような話ではないから割愛するぞ。とにかくマハの話を聞き、ワガハイは真剣に『世界樹』について調べ始めた。古代の資料、星の数ほどもあるそれも到底真実とは思いがたい物も探し出し、取捨選択し、整理し、整合性を持たせるのにどれだけの歳月を要したか……人族なら短い寿命を使い果たしていたであろう。伝来の『世界樹』の若木は5本だけ、決して無駄には出来なかった。結局、この原始的な石板が最も雄弁な資料だったがな。原初の地の神はどうやって……」


「で、ですが、『世界樹』は天をつく巨大な樹木であっと伝わっています!」


内なる疑問を独白するアスタロットをハリハリの質問が引き戻すと、アスタロットは即答した。


「既に力を失いかけている『世界樹』の若木では全生命を創造したという原初の『世界樹』の再生は不可能だ。精々一本につき一人が限度だろう。それが分かるまでに2本駄目にしたが、結果はこの通りだ」


と、言われてもハリハリには木の影しか見えないのだが、悠は既に樹上にある2つの気配を捉えていた。そして悠が知覚しているならば当然相棒たるレイラも知覚しているという事でもある。


(《眠っているみたいだけど、それにしても反応が弱すぎるわ。まるで……》)


レイラが言いにくそうに語尾を濁すのも無理はないくらいに、樹上の反応は微弱であった。特に精神と魂の反応が皆無と言ってよく、肉体を保っているのが不思議なレベルだ。また、奥の方は見知った・・・・反応であるだけにお世辞にも健康体とは言い難かった。


「自分だけ手を抜いたのは何故だ?」


「……見えすぎるのも考えものだな……」


悠が全てを察しているのを感じ取り、アスタロットは観念したかのように大きく息を息を吐いた。


「これを育てるのには莫大な金と稀少な素材が必要だ。金で手に入るならまだいいが、いくら待っても手に入らん物をいつまでも待ってはおれん。ならば優先するのはどちらか、言うまでもあるまい」


「惚れた女の為なら我が身も厭わんか」


「ワガハイは博愛などには全く興味はないが、だからこそ真に愛しく思う者には惜しみ無く注ぐべきだと思っている。愛情は有限であり、エースとマハでワガハイの分は品切れだ」


アスタロットの中では他者と間に明白な境界線が引かれているのだろう。普通は隠すそれを全く隠さないからこそアスタロットは他人との断絶を生むのだが、そんな事はアスタロットにとって些事でしかない。


非常に付き合いにくい性質の持ち主だが、悠には雪人という、アスタロットに似た性質を持つ友人がおり、破綻具合もいい勝負なので気にならないのだった。むしろアスタロットの方が好意を口に出す分、分かりやすいくらいだ。アスタロットも悠が過剰反応せず受け入れているからこそ悠に対しては胸襟を開いているのかもしれない。


が、今重要なのはアスタロットの性格ではなかった。


「自分用の素材はケチったが、必要最低限には育っているはずだ、早速始めるぞ。ユウ、そこに生っている実を落として受け止めてくれ。分かっていると思うが、手前がマハ、その奥がワガハイの肉体だ。注意事項として、実が『世界樹』と繋がっている間は絶対に『世界樹』に触れるなよ。全てが台無しになるからな」


「心得た」


短いいらえの余韻が残っている間に悠の体は重力など働いていないのではないかと思われる軽やかさで宙を舞い、いつ抜いたのか忽然と手の内に現れたナイフを振るったかと思うと、2メートルほどもある巨大な赤い果実を抱えたまま音もなく降り立った。アスタロットはおろかハリハリにも悠が何をしたのか正確には分からなかったが、結果から類推するにそういう事なのだろう。数十キロはあるはずの果実を無きが如く扱うなどどう考えても尋常ではないのだが、悠に対していちいち驚いていては身がもたないと2人は学習していた。


近くで見ると表面に血管のような筋が走り、微かに脈動する『世界樹』の果実は胎盤を思わせグロテスクと称するに相応しかったが、悠がそんな些細な事を気にするはずもない。


「開くか?」


「ああ。……いや、その前にハリーティア、お前にマハの肌を見せる気は毛頭ない。後ろを向いていろ」


「……」


どうして悠はよくて自分は駄目なのかという反論をぐっと飲み込みハリハリが無言で後ろを向くと、アスタロットは悠を促した。即座に悠の手が閃き、果実の表面に引かれた朱線から真っ赤な果汁が吹き出して返り血の如く悠を彩るが、それが様になって見えるのは悠の業故であろうか。


一切の感情を宿さず淡々と果実を開いていく悠は解剖を行う医者さながらであったが、それは迅速でありながらも乱暴さが全く感じられないせいかもしれない。命を容易く奪えるからこそ、悠は命に対してどこまでも細心なのである。


血肉のような果肉を慎重に掻き分けていくと中から徐々に褐色の肌が見え隠れし始め、顔が露出した瞬間、アスタロットは土に汚れるのも構わず地面に膝を付き、中を覗き込んだ。


「マハ……!」


「アスタロット、時間がない」


「っ、……そ、そうだな……すぐに始め……あ、いや、その前にもう1つの実を回収しておかなければ……」


理性では十分に理解していたのだろうが、失われたはずのものとの再会はアスタロットの心を激しく揺さぶった。アスタロットにとっては不本意だろうが、その動揺する姿はハリハリに親近感を覚えさせていた。


(アスタがエース以外でこんなに取り乱す女性とは……)


マハの事はアスタロットの個人的な事情に過ぎないが、ここまで深くアスタロットの心に刻まれるマハを無事に取り戻せるように協力してもいいかと、ハリハリはアスタロットへの蟠りを一時棚上げし、アスタロットに呼び掛けた。


「……アスタ、魂を移す術式を見せて下さい。どうせやるならより完全な方がよいでしょう?」


「ハリーティア?」


「意外そうな顔をしないで下さいよ。エースの方はいいとして、マハさんは『異邦人』、巻き込まれただけなのです。それに、マハさんが目を覚ました時、あなたが居ないのでは悲しむでしょう? 幸いワタクシはごく最近似た魔法を見た事がありましてね。全く、内面は似てないようでいて、あなた方はやっぱり双子ですよ」


兄弟揃って魂の移動術式に行き着いたのも運命なのだろうか。しかし、今アスタロットが死ねばエースロットとマハは負い目を感じるに違いない。悠が居れば何とかしてくれるとは思うが、それがハリハリが全力を出さない理由にはならなかった。


「ハリハリ、マハとアスタロットの肉体は『世界樹』から切り離すと長くはもたんようだ。その間は俺が管理するからお前はそちらを頼む」


「了解しました」


「……」


反して、アスタロットの胸中は複雑だった。ごく少数を除いて他人嫌いのアスタロットだが、ハリハリの事を嫌っているのには一応の理由があったのだ。エースロットほど善でもなく、アリーシアほど苛烈でもないハリハリをアスタロットは芯の無い、優柔不断で八方美人的な人物だと思っていたのである。その場その場の状況に流されるような者を信用する必要をアスタロットは認めなかった。


しかし、今のハリハリからは以前には感じられなかった確固たる軸のようなものがアスタロットには感じ取る事が出来た。


(時が……いや、出会いがハリーティアを変えたのか……)


エルフの人生は長く、時の流れに身を任せているだけでは変わるものではない。自分を省みるまでもなく、誰かがハリハリに影響を与えた事をアスタロットは疑わなかった。


いや、誰かではない。間違いなく悠だろう。


(分からんでもない。このワガハイが会って間もないというのに信じる気になったほどの男だからな)


悠に視線を向ければ、回収したマハと痩せ細ったアスタロットの肉体に触れながら、目はアスタロットに向けられていた。急かすでも責めるでもないのに、まるでアスタロットの感情を見透かしているように思え、アスタロットは思わず目を逸らした。


居心地が悪いのは悠のせいではない、自分の心に疚しい所があるからだ。悠の瞳は鏡となってアスタロットの胸中を反射しているに過ぎなかった。すなわち、何か言うべき事があるのではないか、と。


「……っ」


煩わしい人付き合いを遠ざけ、好きなように生きてきた。他人に頼る事を嫌い、孤独を選んだ。だが、いくらアスタロットが優秀で恵まれた立場であろうと、個人の力では限界があった。


掛かっているのが自分の命だけならそれもいいだろう。しかし、マハの命と自分の意地を秤にかけるのは間違っている。ハリハリにしてもエースロットはともかく、マハやアスタロットにまで責任を負う義務などなく、善意で協力しているのだから。


ならば、アスタロットは言わなければならなかった。


(だが……)


魔法という分野において、エルフではハリハリ以上に詳しい者は現代に至ってもまだ現れておらず、完璧を期するならハリハリの協力を得るのが最善なのは言うまでもない。『無常月夜』に刻まれた術式をアスタロットなりにアレンジして作り上げたが、実際に上手く動作する確証など何処にも無かったのである。その畏れとマハへの愛がアスタロットの口を開かせ、しかしこれまでの生き方と羞恥が口を鈍らせた。


(尤もらしい理屈をつけようと今更ハリーティアを頼るなど恥知らずだ……恥知らずだが、それがマハやエースの為ならば何を迷うか!)


節を曲げるのではない、自分もハリハリも昔のままではないのだ。


「…………助かる……」


エルフの聴覚でも拾えるか拾えないかのギリギリの声量ではあったが、アスタロットは初めてハリハリに礼の言葉を絞り出した。


「……やめましょう、ワタクシも後悔しているのです。難物だと決めつけてワタクシはあなたを遠ざけました。我々がお互いに歩み寄っていれば或いはもっと早く……」


しかしそれはハリハリに優越感をもたらす事はなく、砂を噛んだような苦い感覚だけが残った。結局は逃げ出した自分と違い、アスタロットは1人となっても何も諦めなかったのだ。もっと言葉と誠意を尽くしアスタロットの信頼を勝ち得ていればアスタロットも事情を語ってくれたかもしれず、そうなれば必然的にハリハリやアリーシアの行動も変化し異なる未来があったに違いなかった。アスタロットとは話しても無駄と考えたのはハリハリの勝手な決めつけでしかない。何故なら現に、紆余曲折があったにせよアスタロットは変わったのだ。少なくとも、嫌っていた相手にでも礼を言える程度には。


「ハリハリ、アスタロット、今は歩を進めるべき時だ。アスタロットは別にして、マハにも問題がない訳ではないぞ」


「えっ!?」


悠の言葉にハリハリがマハに視線を向けると、ハリハリは初めて露出したマハの顔を直視した。褐色の肌が最大の特徴かと思えたが、よくよく見れば確かに他の『異邦人』とは明らかに異なる点が1つある。


尖った長い耳だ。


「エルフ? ……いえ、他の『異邦人』の子らはこの世界の人族と同じでした。マハさんは一体……?」


《……混ぜたのよ。そうでしょう、アスタロット?》


「……」


レイラの言う混ぜたの意味が理解出来ないのはこの場ではハリハリだけであった。だが、文脈に沿って発言を紐解けばそれが示す答えは1つだ。


すなわち、マハに何かを混ぜたのだ、と。


「……マハはこの世界が体に合わなかったのだ。原因は全く不明で徐々に衰弱し、回復の見込みもなく、如何なる魔法や薬でも気休めにしかならなかった……。マハをマハのまま復活させても同じ事を繰り返すだけだ。ワガハイはマハを再び苦しめる為に蘇らせたい訳ではない、生を謳歌して欲しいのだ! たとえ、それが完全な元の肉体ではないとしても!」


「エ、エルフの誰かを混ぜたのですか!?」


「そうだ。現代のエルフではない、老公の時代より以前から伝わるエルフの遺骨をほんの少しだけマハの後に『世界樹』に吸収させた。その影響で見た目はエルフに近くなったが……ワガハイがこれに気付いたのは失敗による偶然の産物だった」


《この『世界樹』は与えられた生体情報を吸収して再生させる力があるんだわ。あの子に聞けばもっと詳しい事が分かるかもしれないけれど……》


アスタロットが悠に『世界樹』に触れるなと戒めた理由がこれであった。生命体の情報を取り込み、果実として実らせるのだ。ミトラルならばもっと詳しく話してくれただろうが、この力を用いてミトラル達が世界に数多の生物を生み出したのだろうと悠は推測した。2つ以上の生物を掛け合わせられるのなら、例えば人間と獣を掛け合わせる事で獣人を創り出す事も可能であろう。


「問題は体が世界に適合しても、魂が適合するかどうかだ。ベースがマハであっても彼女は既に別人と言っても過言ではない。これは賭けだぞアスタロット?」


「ユウ殿! これはやはりあまりにも命を蔑ろにしすぎなのでは……!?」


「ハリーティア、我々魔法使いは時に死者を利用する事もあるはずだ。スケルトンやゾンビは許されてもこちらは許されない理由は何なのだ?」


「そっ……れは……」


魔法使いは時に他者の死体を操る事もある。たとえ疑似生命体だとしても、素体は生きていた誰かなのだ。ハリハリは答えに窮したが、アスタロットは頭を振って問いを中断した。


「……分かっている、お前が言いたいのはそういう事ではないというのは。責任も罪もワガハイが背負おう、もしマハが復活しえないのであればワガハイもエースに体を譲り、この命で償っても一向に構わん。マハと生きられないのであればワガハイに未練などない」


エースロットとマハを復活させる事。それだけがアスタロットの生きる目的であった。もとよりマハが復活しえないのであればアスタロットにこれ以上生きるつもりは無く、自分の為に他者の体を弄ぶ罪をアスタロットも自覚しない訳ではなかったのだ。


アスタロットの覚悟を宿した目とマハ、そして骨と皮ばかりのアスタロットの複製を順に見やり、ハリハリは大きく溜め息を吐いた。


「……今更この体を無駄にする訳にはいかないでしょう。ユウ殿、10分ほどお時間を。今この場でアスタの魔法を調整します」


《私も手伝うわ。こういう真似はあまりすべきじゃないとは思うけど、私達にはマルコっていう前例があるからね……》


「多少|鍵穴(器)が違っても本質的には近しいはずだ、マルコの時よりマシだと考えよう。アスタロット、そちらも準備を」


「あ、ああ!」


ここまで材料を揃えてあっては無駄にする事も躊躇われ、悠達はエースロットとマハの復活へと踏み出した。この面子で成功させられないなら他の誰にもなし得ないとアスタロットが術式に入ろうとした時、悠が視線を奥の闇に向けアスタロットに語りかけた。


「アスタロット、もし上手くいったら一つ頼みたい事があるのだがな……」


抱えていた問題に光明を見出だした悠はそんな風に切り出したのだった。

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