閑話 夢の後1
「……」
「……」
「……」
夜の闇に包まれたシルフィードをそぞろ歩く悠とハリハリ、バローは誰からともなく口を噤んでいた。悠はともかく、こういう時はハリハリとバローが口火を切って盛り上げるのが常なのだが、ハリハリは悟ったような表情で口を開かず、バローはといえば明らかに怒っており、悠達に気付いた者達が声をかけるのすら躊躇う気配を撒き散らしていた。
だが、やはり最初に口を開いたのもまたバローであった。
「……バカだバカだとは思ってたが、ここまでバカだとはな。何百年も惚れ抜いた女を諦めるか普通?」
「バロー殿、声が大きいですよ」
「知るか! おいユウ、お前もハリハリがどんだけ惚れてっか知ってんなら止めてやれよ!」
「他人の色恋に口を挟むな。ハリハリは男として、友として、最良と思える決断を下したのだ。エースロットが戻った以上、身を退くのがいいとハリハリが判断したなら俺はそれを尊重する」
「俺は聞こえのいい正論を聞きたいワケじゃねえ!!」
バローの怒声に周囲のまばらな人影が反応して振り返ったが、剣呑な雰囲気に皆顔を逸らして足早に歩み去っていった。
バローは見かけによらず理屈や正論を解する人間であり、教養もあり、交渉事にも長けている。
だが、素のバローは感情を優先するタイプだ。その内なる自分が今回のハリハリの決断に、声高に否を叫んでいるのだった。
「ダチならハリハリを優先してやってもいいじゃねぇか!! コイツ、もう死ぬまで誰とも結婚なんかしねぇぞ!?」
「俺はハリハリの考えを尊重するといったはずだ。もしあの時、ハリハリがアリーシアの指に指輪を通したなら、俺はアリーシアの手以外は治療しないつもりだった。記憶を弄る必要はあっただろうがな。それが友の心を汲むという事ではないのか?」
「強引にくっつけちまっても良かっただろうが!」
「エースはどうなる? ハリハリの意志は? そうしたかったのはお前の刹那的な希望であって他の誰のものでもないぞ?」
《そもそもね、バローだって律儀にエースロットを部屋まで連れて来たじゃない。自分が望む結末にならなかったからってハリハリやユウに八つ当たりするのはやめなさい》
「ぐっ……!」
レイラの強い口調にバローは反論を封じられ口を噤んだ。自分の理屈が子供じみているのは重々承知しているが、それでも言わずにはいられなかったのだ。正しく、これは八つ当たりであった。
「ユウ殿、レイラ殿、もうその辺で。バロー殿はワタクシの為に怒って下さったのですから」
「ちげーよ!!」
ハリハリの取りなしにバローが声を荒げて否定したが、実際バローはハリハリだけが我慢しなければならないこの結末が気に入らないのだ。エースロットがハリハリの親友なら、ハリハリはバローにとって親友と呼んで差し支えない存在であり、アリーシアへの想いの深さは誰よりも知っているつもりであった。
だが、ハリハリに幸せを掴んで欲しいのは悠も同じである。だからこそギリギリまでハリハリの決断を神父役などを買って出てまで待ったのであり、心情としては悠もバローとさほど変わらないと言っていい。
……そんな背景があったとしても、次の悠の言葉はバローとハリハリの度肝を抜くものだった。
「……バロー、案内しろ」
「あん? どこにだよ?」
「娼館の主と縁を得たのだろう? この面子なら構うまい」
「「はあ!?」
まさか、悠からそんな誘いがあるとは夢にも思わなかったバローとハリハリはあんぐりと口を開いて呆けていたが、悠は普段と変わらぬ口調で先を続けた。
「今日は王宮には戻りたくあるまい。だが、屋敷で事情を知らぬ者達と卓を囲むのも辛かろう。かと言ってお前達は一人にすると存外陰にこもるクチだからな。そういう時は外で発散しろ」
「……驚いたぜ……ユウにそんな真っ当な感覚があるとは……」
「ええ、ワタクシもビックリですよ……」
ごく一般的な男性の精神復調法だが、それが悠の口から出たというのが2人を驚かせた。悠はそういう普遍的な手段を必要とするとは思えなかったからだ。
事実、悠は何かを乗り越える為に酒や女に逃避する事は無い。しかし、悠にも交友関係というものがあり、頻繁に誘う悪友が存在するので、それに付き合う事もあるのだった。
ただ、こうして誘ったのにはもう一つ理由があった。
「たまには良かろう。それに男3人、そろそろ女子供には言えん秘密の一つや二つ、共有するのも悪くない。その程度には俺達の付き合いも長くなったのではないか?」
不敵な表情でのたまう悠に今夜のバローとハリハリは驚きっぱなしだったが、元来察しのいい2人は悠なりにハリハリの失恋を慰めたいと思ってくれているのだと悟り、バローは破顔した。
「……へっ、へっへっへっ、しっかたねぇなあ、誘われてケツまくるんじゃ男が廃るってモンだ! 行こうぜハリハリ!!」
「え、えーと、あの、一応ワタクシこの国の名士ですし、振られた足で娼館っていうのはマズいような気が……そ、それに秘密にもなってなくないですか?」
悠の胸元に揺れるレイラとスフィーロに加え、バローも身に着けているサイサリスの竜器をチラチラと流し見ながらハリハリはもっともらしい意見を述べたが、レイラは溜息を漏らし、平坦な声で告げた。
《……いいから行ってらっしゃい。今のあなたは大賢者ハリーティア・ハリベルじゃなくて、流浪のへっぽこ吟遊詩人ハリハリでしょ。頑張ったから今晩だけは目を瞑ってあげる。スフィーロ、サイサリス、他言無用よ》
《……まあ、添い遂げられなかった悲しみは我にも理解出来る》
《想いを実らせた私が否と言うのは酷な話、好きにすればいい》
「やった! 流石レイラ姐さん、話が分かるぜ!!」
《フン、調子のいい事を……》
それきり黙ったレイラにバローは手を合わせて拝み、悠とハリハリの首に手を絡めて強引に歩き出した。
「さ、決まったんなら早く行こうぜ!! ……あ、でもよ、ハリハリはともかく俺とユウは相手がいねぇかも……」
「その時は酒と飯で我慢しておけ。代わりに今日は俺の奢りだ」
「く~~~っ! いい加減お預けは勘弁してくれよな!」
バローが上機嫌なのは別に娼館に行けるからという訳ではなく(勿論、その期待は大いにあるのだが)、それを他ならぬ悠が言い出してくれた事だった。悠がその手の欲望発散に興味があるとは思えず、らしくない真似をしてまでハリハリを励まそうとしてくれている、その心遣いがバローには嬉しかったのである。それはハリハリもまた同様であった。
(全く……感傷に浸る暇すらありませんねぇ……ワタクシには過ぎた友人達ですよ)
今日ばかりは如何に親友といえどエースロットと語り合う事は出来ないが、今のハリハリには彼に勝るとも劣らぬ得難い友人達が側に居たのである。
昨日今日でアリーシアへの想いを捨て去る事など出来るはずもないが、少なくとも辛さだけを抱えたままそれは遠い過去にハリハリが憧れ、追い求め、一度は諦めたものであった。
心が通じ合う事に種族など関係ないのだ。互いの気持ちを慮り、時には衝突し、時には励ましあえる、そんな存在であればいい。
昨日今日でアリーシアへの想いを捨て去る事など到底出来そうにないが、少なくとも辛さだけを明日に持ち越す事は無さそうだとハリハリは密かにほくそ笑み、声を張り上げた。
「……よーし、今日は吐くまで飲みますからね!? 途中で帰ろうなんて軟弱な事は言わないで下さいよ!!」
「おっ、軟弱エルフが言うじゃねぇか! ここは一つ、共同戦線を張ってユウを酔い潰してやろうぜ!」
「ヤハハ、酔って乱れるユウ殿も一度くらいは拝見させて頂きましょうか!」
「まとめてかかって来い、勝負が酒であっても俺は誰にも負けんぞ」
軽口を叩き合い、肩を組む3人は長年の友人同士のように夜のシルフィードへと繰り出すのであった。
バローじゃなく悠が言い出すとは、驚きもひとしおですね。規約に触れない範疇で頑張ります!
……規約に触れて怒られたらこの1だけで上手く繋ぎます(保険)




