10-159 お人好しの挽歌4
「それにしても、あなたも物好きな男ね……普通、魔法を使えなくなったエルフ女なんて見向きもしないわよ?」
「……」
ハリハリの額を拭いつつ独り言のように呟くアリーシアにハリハリはハイともイイエとも言えず体を強ばらせていた。エースロットが悩んでいたように、ハリハリもまたアリーシアとエースロットに種類の違う、同じ重さの感情を持っていたからだ。アリーシアに愛を告げるのは、エースロットへの裏切りであるとハリハリは思っていた。
しかし、当のエースロットは悠を通してハリハリに伝えた。愛する者の手を取る事を躊躇うな、と。固有名詞を出さなかったのは少しでもハリハリの心の重石を軽くする為だろう。
(エース、ワタクシはどうすればいいのでしょうか? 愛を肯定すればあなたへの裏切りになるというのに、あなたは愛を否定するなとワタクシに言います。愛情と友情は両立させられないと思っていましたが、違うのでしょうか?)
ハリハリが答えの出ない自問自答を繰り返していると、アリーシアは素っ気ない口調で切り出した。
「……大賢者ハリーティア・ハリベル。比類無き功臣にしてエースの親友。誰に聞いてもあなたを悪くいう者は居ないわ。王家への忠心も篤く、ナターリアもあなたを慕っている。今回もエルフィンシードの窮地において果たした役割は甚大……何も褒美をあげないんじゃ、信賞必罰の精神に悖るわね」
「は? ……あ、いえ、そのお言葉だけでワタクシは十分で――」
「私が、欲しい?」
再び硬直するハリハリを逃がすまいと、アリーシアの両手がハリハリの頬を固定した。危険な近さとアリーシアの温度にハリハリはこのままアリーシアを抱き締め、連れ去りたい衝動に必死に抵抗していたが、アリーシアの誘惑にも似た言葉は止まらない。
「どうしてもと言うのなら構わないわよ。その代わり、あなたにはこの国に留まって尽くして貰うけど。どう? 自由と引き換えに私を手に入れる? その価値がまだ私にあるのかしら?」
ミリ単位の動きで近付くアリーシアにハリハリは僅かに理性を取り戻し、意を決して真剣な表情で言い返した。
「……ワタクシにとって、アリーシア・ローゼンマイヤーという女性は全てを引き換えにしても惜しくはない方です。たとえ一時でもあなたを手に入れられるのなら、ワタクシはその後に死んでしまっても構わない」
「……そう。今のあなたはちょっとだけ男らしいわよ」
アリーシアの顔が更に近付き、唇との距離が0になる瞬間――ハリハリはアリーシアの肩を掴んで引き離した。
「ですが!」
怒り、悲しみ、後悔……様々な感情の嵐の中でハリハリはきっぱりと言い放った。
「ワタクシが愛するアリーシア・ローゼンマイヤーは他人に自分の価値を問うような弱い女性ではありません! 素直じゃなくて意地っ張りで傲慢で、気に入らないとすぐに手が出る乱暴者のクセに実は寂しがり屋で……それでも国母に相応しい、大きな包容力と強い意志を兼ね備えた魅力的な女性でした! そんな方だからこそワタクシは――ブッ!?」
口上の途中で放たれたアリーシアのストレートにハリハリはよろめき、鼻を押さえて転げ回った。『魔甲殻』も切れている今、ハリハリのダメージを和らげるものは無かったのだ。
「色香に迷って言いなりにならないなら一応合格。でも、素直に言い過ぎね。私の事が分かってるなら備えくらいしておきなさいよ」
「は、はい?」
何が何やら理解出来ないハリハリにアリーシアは腕を組んで鼻を鳴らした。ハリハリの察しの悪さを嘲るように。
「フン……ずっと一緒に居る男が何でもハイしか言わない奴じゃ詰まらないわ。私を繋ぎ止めておきたかったら今の気持ちを忘れるんじゃないわよ。式は身内だけでやるから。日取りは……明後日でいいわ。ああ、ケイにドレスを頼まないと。ケイなら1日で作ってくれるわよねぇ」
「え? え??」
「じゃ、あなたも準備しておきなさいよ」
そのままスタスタと部屋を出て行こうとするアリーシアにようやく頭が動き出したハリハリは慌ててその背中に呼び掛けた。
「シア!! じゃなかった、アリーシア様、式って何ですか!?」
「もうシアでいいわ。この流れで式って言ったら決まってるじゃない。大賢者とか呼ばれてるクセに分からない?」
「えっと……式……死期……そ、葬式?」
「大バカ。結婚式よ」
面と向かって罵倒したハリハリを屠るという意味かと思って出した答えは更に強烈な単語で書き換えられた。
結婚式? 誰の? アリーシアと……自分?
「どどどうして急に!?」
「何よ、嫌なの?」
「ムチャクチャ嬉しいですよ!!! ……じゃなかった、せ、政略結婚なんてアリーシア様らしくありません!!」
どこか拗ねた口調のアリーシアに思わず本音で答えてから、ハリハリは結婚に異を唱えた。アリーシアと夫婦になれると考えると魔法無しで空を飛べるのではないかと思えるほど嬉しいが、意に添わぬ政治の道具としての結婚などアリーシアらしくないにもほどがあるというものだ。
だが、アリーシアは振り返ると深い怒りを滲ませる目でハリハリを睨み付けながら胸倉を掴んで引き寄せた。
「私を舐めるんじゃないわよ!! たとえ国の為になろうと、どうでもいい男に肌を許すほどアリーシア・ローゼンマイヤーは落ちぶれてはいないわ!!」
「うぇ……? ……それは、その……」
真っ赤な顔のアリーシアの言葉の意味を紐解き、ハリハリは負けず劣らずの紅潮した顔で口ごもった。
つまり、アリーシアはこう言っているのだ。ハリハリはどうでもいい男ではないから結婚に踏み切ったのだと。果断でありながら素直ではない、アリーシアらしいの愛の告白なのだ。
「ほんっとバカ……私の事をよく知ってるって言ったくせに!」
「ご、ごめんなさい……」
返す言葉もないハリハリの額に自分の額を合わせると、アリーシアは小さく囁いた。
「……どうしようもないバカだけど、その方が退屈しないわ。誰よりも私を大切にしてくれるのよね?」
「はい!」
「私より先に死んだら絶対に許さないから……もう、一人残されるのは嫌なの……」
「はい!!」
「……フフ、あなた、子供みたいな顔してるわよ」
真剣な笑顔で答えるハリハリに一筋の涙を流し、アリーシアは不意打ちのようにハリハリの唇に自分の唇を重ねた。驚いたハリハリが咄嗟に体を離しかけるが、アリーシアの腕がハリハリを抱き締め離さなかった。
ハリハリの胸に去来するのは大きな歓喜と、それと同じ比重の罪悪感であった。愛する者に愛される喜びと無二の親友を裏切っているのではないかという後ろめたさに葛藤が起こったが、アリーシアの孤独と不安に触れ、ハリハリは後者に目を瞑ると、ゆっくりとアリーシアの背中に手を回した。今は少しでもアリーシアの苦痛を和らげなければと思いつつ。
初めて抱くアリーシアは世界五強に名を連ねていたなどとは信じられないくらいに細く、儚かった。しっかりと抱き締めていなければ次の瞬間には手の間からすり抜けてしまうように思われ、ハリハリはアリーシアを抱き締める手に力を込めた。
アリーシアに自分の記憶があったなら叶わなかったであろう。もしくはエースロットが存命なら……。
ハリハリには分かっていた。自分はエースロットの代わりなのだと。アリーシアの自分に対する好意もエースロットに対するものには到底及ぶまい。
だが、冷えた心と体を温めるには肉の体が必要なのだ。現世に体を持たないエースロットは、だからこそハリハリにアリーシアを託したのだろう。
これが不実の誹りを受けても構わない、アリーシアが救われるならば……。そしてこの役割だけはハリハリは他の誰にも譲るつもりはなかった。
どちらともなく唇を離すと、ハリハリはアリーシアの涙を拭って囁いた。数百年間心の奥底に封じ込めていた、愛の言葉を。
「愛しています、シア。……いえ、ずっと愛していました。これからもずっとずっと……死が2人を分かつまで、一緒に居ましょうね?」
「……うん……」
新たな涙を零れる前に拭い、アリーシアはもう一度一瞬だけハリハリに唇を重ねると、今度こそ踵を返して部屋を後にしたのだった。
ハリハリにだって選ぶ権利があるはずです。自分の幸せとアリーシアの幸せを選ぶ権利が。




