10-151 ロスト・キングス1
悠の拳とドスカイオスの拳が衝突した瞬間、両者の中間地点を分かつように衝撃が走り、地面に深い亀裂が刻み込まれた。同時に悠とドスカイオスは背後に弾かれ、質量の軽い悠は数百メートルに渡って宙を滑る。
《『竜気解放』を使っているユウが押し負けるだと!?》
《体格と質量の差よ。本当に力負けしてたら今頃、ユウは赤い染みになってるわ》
「とは言え、物質体制御が使えなければ片手くらいは砕けていたな。力に加え、過剰な魔力を通した神鋼鉄の硬度は真龍鉄を超えているかもしれん」
『機神兵』には必要としなかった手札を切らされ、悠は改めてドスカイオスを観察していた。攻撃力、防御力共に高位龍を凌駕しており、隙も見当たらず、殺すだけならまだしも生かして無力化するには悠でも本気で当たらねばならないだろう難敵である。
戦闘勘も優秀だという証明は、距離が開きドスカイオスが次の手札を切った事で示された。
悠が翼を広げて体勢を立て直した時、ドスカイオスは手刀を腰に構えており、集中した力を解き放った。
ボッッッ!!!
バローの『無明絶影』のスケールを数十倍に拡大すれば同じ光景が見られただろうか、幅百メートルに達する斬撃の刃が地面を捲り上げつつ悠に向けて迫っていた。
《っ! ユウ、魔法阻害が消えたわ!》
途中で『機神兵』の核が巻き込まれ一瞬で破壊された為、周囲の魔法阻害が解かれたと知った悠は前方に飛びつつドスカイオスと同じように腰に手刀を作り、赤光に包まれた手刀を横薙ぎに振り抜く。
「『竜ノ爪牙』」
巨人の剣を竜の爪が引き裂き、逆にドスカイオスに襲いかかったが、貫通力では勝る『竜ノ爪牙』も範囲では追い付かず、掻き消し切れなかった刃の一部が遠ざかろうとするエルフとドワーフの軍に迫った。悠と他の者達を同時に狙う二段構えの一撃だ。
もしファティマが『神覧樹形図』を使わずに軍が最初の位置に留まっていれば、未来は現在となって確定し大勢の命を奪っただろう。しかし、先に退避を始めていた分、殿の2人に対応する時間が与えられた。
「『仮契約』!!」
「『竜気装纏』!!」
バローを仄かな朱色の光が、ギルザードを緑色の光が包み、迫り来る破壊を前に極限の集中を導いた。
「やらせるかよっ!! 『無明絶影・華輪』!!」
悠の『竜ノ爪牙』に似た、それよりも淡い赤光を帯びた刃は減衰しているといってもやはりドスカイオスの斬撃より小さく、押し留める事など出来そうに無かったが、バローは目を逸らさずに叫んだ。
「ブッ飛べや!!!」
ゴバッ!!!
着弾した瞬間、吸い込まれるかと思うほどの勢いで空気を吸い込み、限界まで凝縮された時、地上に大輪の花が咲いた。
何もかもを吹き飛ばす大爆発にドスカイオスの斬撃もまた飲み込まれ、今度こそ消滅したが、近距離での爆発の余波はバローとギルザードに襲いかかった。
「やれやれ、私が居なかったら死んだかもしれないぞ? ……彼我を分かて大剣よ!! 『剣山城塞』!!」
地面に突き刺したギルザードの大剣は瞬時に前方の大地を激しく隆起させ、行く手を阻む城塞として爆風を遮った。
「あぶねぇ……もうちょい近けりゃマジで死んでたぜ……」
「あの幼女の助言に感謝しないといけないね。ファティマ、ファティマか……」
被弾すれば半壊は免れなかったであろう攻撃を無効化したバローとギルザードに、その前を走っていたザガリアスの目に素直な賞賛が浮かんだ。
「あれがユウの言っていた、俺より強いかもしれん者達の内の2人か……なるほど、バローなどと甘く見ては俺も痛い目を――」
と、ザガリアスが言いかけた時、颯爽と踵を返したバローが足をもつれさせてベチャリと地面に転がった。全く無様としか言いようのない転び方で、受け身すら取れず鼻を強打しその場で悶絶しているようだ。
サイサリスが再三忠告していたように、『仮契約』からの新技は消耗が激しくその後の行動に責任は持てないという言葉通り、急激な脱力感に見舞われての事だったが、遠目にはただの間抜けにしか見えず、ザガリアスは前言を撤回して溜息を吐いた。
「……やはりバローだな。俺の目も曇ったか」
隣で呆れ顔のギルザードに担がれて荷物のように運ばれるバローからそっと目を逸らし、ザガリアスは再び先を急ぐのだった。
《バローとギルザードが上手く処理したみたいね、後で褒めてあげましょ》
「少々肝が冷えたな。距離を取って戦うのは危険か」
『竜ノ爪牙』の斬撃に追い縋りつつ、悠はドスカイオスから離れて戦う危険性を再認識していた。悠本人は凌げても、まだ退避の完了していない両軍が狙われれば次は防げないだろう。
《しかし……今のは魔力を用いた攻撃のようだったが、どこからあれだけの攻撃を可能とする魔力を得ているのだ? 『無常月夜』はもうこちらの手にあるというのに……》
《既に魔力の供給は終えていたのよ。今なら分かるわ、あの神鋼鉄の鎧が異常なレベルの魔力を蓄えているのが……魔石から魔力を引き出すように、あの神鋼鉄に一時的に魔力を充填し、そこから魔力を引き出しているのね》
核と『無常月夜』の位置を知る為には必要な手順であったが、それを感じ取れたという事は既に魔力の供給がなされていたという証でもあった。その判断を行ったのが『機神兵』かドスカイオスの『暴狂帝』かは分からないが、魔力切れを狙うのはリスクが高いと判断せざるを得ないだろう。
そうこうしている内に悠の『竜ノ爪牙』がドスカイオスを両断せんと迫ったが、これでドスカイオスが倒せるとは悠は露ほども思ってはいなかった。単にドスカイオスにエルフやドワーフ達の追撃をさせない為だけの攻撃であり、『豊穣』も有効なままだ。
その目論見通り、ドスカイオスは迫る『竜ノ爪牙』に両手を上げて迎え撃った。
神鋼鉄が蠢き、グラン・ガランで見た兵器に近しい形状を作り出すと、出現した回転式機関銃は即座に銃弾の豪雨を吐き出した。『暴狂帝』が『機神兵』の兵器を学習し、それを再現したのだ。
悠の『竜ノ爪牙』は分子結合を解く完全物理崩壊攻撃であり、理論上破壊出来ない物は無いが、何かを壊せばその分威力が減衰するのは避けられず、ドスカイオスに到達するまでに削り取られた『竜ノ爪牙』をドスカイオスは最後に思い切り蹴り上げた。
《龍王より強いのではないか!?》
「総合力ではアポクリファが上だろう。が、戦闘におけるセンスはドスカイオスの方が上だな」
力を完全に使いこなしていればアポクリファの方が強いが、現状ではスペックをフルに活用しているドスカイオスの方が強いというのが悠の観察結果であった。名剣を持つ子供より、普通の剣を持つ達人剣士の方が強いのと同じ理屈である。
『竜ノ爪牙』を蹴り上げた足が一瞬、魔力を失って本来の神鋼鉄の色に戻ったが、すぐに全身から魔力が供給され眩い光を取り戻す。
「表面に魔力の膜を纏って弱めた『竜ノ爪牙』を弾いたか」
《龍でも中々居ないわね、あんな器用な真似をする相手は》
防御させた事で接近を果たした悠の拳がドスカイオスの足を狙い、ドスカイオスは軽く足を上げて受け、そのまま膝から下だけを振って悠を蹴り飛ばしにかかる。ぞんざいな攻撃に見えて、当たればドラゴンの鱗すら貫く爪先蹴りを悠は肘で弾いて軌道を上に逸らしたが、ドスカイオスは巨体を羽のように軽やかに回転させ宙を後転、今度は悠の頭を目掛けて蹴りを放った。
頭を下げる悠の真上を大質量が通り抜け、大気を引き千切りながら後方に流れる。『機神兵』の時より収束率の高い蹴りの余波が遠くで地面に炸裂し深いクレーターを作り出すが、角度をズラしていたので後方の軍に被害は及ばない。
目まぐるしい攻防の中で、悠は確かな感動を覚えていた。恐怖、戦慄、歓喜……そしてその先にある、感動に。
(初めてだな、殴り合いで互角にやれる相手に出会うのは……)
悠のこれまで戦ってきた相手で手強かった者達はいずれも人型ではなく、戦闘手段もそれに準じたものであった。自然、竜気を用いての技で戦う事が多く、体術は補佐的な手段になりがちだったが、ドスカイオスは違った。悠の攻撃に対し最適解で応え、また応える事を要求してくるのだ。『暴狂帝』の戦闘特化思考はそれほどのレベルに達していた。
強くなるにつれ、他者は悠と対峙した時、戦意より諦観を抱くようになった。敵うはずがない、自分とは才能が違うのだ、と。体のいい逃げ口上を使わなかった者達は、悠の友人達だけだ。彼らは皆、『竜騎士』となった。
逃げ口上を口にする者達に冗談はやめろと悠は思う。悠はただ、長い年月を得ただけの凡才であると自分を認識していた。もし自分に幾許かの才能があったとしたら、レイラと波長が合った事くらいのもので、才能があると言うのは、短い期間でそれを開花させたギャランやリーンのような天才にこそ捧げられる勲章であるはずだ。エルフやドワーフに比べれば遥かに短い寿命の中で、彼らはそれぞれの分野で頂点を極めるだろう。
ドスカイオスの強さは感動的ですらあったが、ただ一つ悠は不満を感じていた。
「惜しいな……これだけの強さを持ちながら、魂が入っておらん」
力は打ち合わせる毎に鳴動し地を割り、技は精妙かつ芸術的と言って過言ではないドスカイオスだったが、そこに込められている想いが存在しなかった。機械的かつ自動的に手足が動いているだけで、『機神兵』などよりよほど兵器と呼ぶに相応しいが、だからこそドスカイオスには最も相応しくない戦い方だった。かの王は攻防全てに溢れんばかりの感情を乗せて戦うのだから。
悠の水面蹴りがドスカイオスの足を払うが、払われたドスカイオスは踏ん張らず、浮いた踵を悠の頭に振り下ろす。地に伏せていた悠は背中の翼を一打ちし、斜め後方に回避するも、爆破に等しいドスカイオスの踵落としは土砂を舞い上げ悠を襲った。防御は時間の浪費と判断した悠が一気にトップスピードで背後の土砂の擦過音を無視してドスカイオスに迫り、拳を構える時間も惜しいと流星の如き頭突きをドスカイオスの頭に叩き込んだ。
硬度で勝る悠と質量で勝るドスカイオスの衝突はやはり痛み分けに終わり、両者共に背後に仰け反る。
《ユウ、危険過ぎるぞ!! ドスカイオスを救うのは諦めよ!! 殺すだけあの技を使えば容易かろう!?》
スフィーロの叫びに悠は体勢を立て直し、ひたすらに前へと体を飛ばしつつ答えた。
「……言っただろうスフィーロ、男と男の戦いに手加減は無いが、ルールはあると。内なる誓いを守れんのなら、その時点で俺の負けだ」
《業の刃が裁くのはこの世に居てはならない悪だけ……スフィーロ、ユウはドスカイオスを救うと決めたら絶対に譲らないわよ。『竜騎士』は勝ち、そして救うと決めたのなら両方共に成さなければならないの。相手が強いからとそれを曲げるような男に竜は力を貸さないわ》
《この……頑固者共が!!》
悠より一瞬だけ体勢の立て直しが遅れたドスカイオスの頭を悠の右拳が捉えたが、それに対しドスカイオスは威力の浸透を防ぐ為に右のフックを合わせ強引に相打ちに持ち込むと、2人はそれぞれ逆方向に吹き飛んだ。
悠の方が拳に載せた威力は高かったが、ドスカイオスの超筋力は拙劣ながらカウンターとなり、悠の肋骨に罅を入れた。
戦闘に思考を割きつつ、レイラが考えるのはどうやってドスカイオスを無力化するかという事だった。悠が決め、レイラが補助する。それが2人のコンビネーションだ。
(死なない程度にダメージを与えると言っても至近距離で『竜ノ爪牙』を練る隙は無いわね。かと言ってこのまま殴り合っていても損傷が増えるばかりで埒があかないわ。迂闊に距離を取ればエルフとドワーフを狙われるし、自動的なドスカイオスに精神体攻撃は通じない可能性が高いか……『竜ノ赫怒』なんて論外、『竜砲』や『火竜ノ槍』は神鋼鉄を纏っている以上決め手にはならない……)
スフィーロに言うほどレイラは平静を保っている訳では無かった。レイラにとって一番大切なのは悠であり、ドスカイオスを殺すしかないと判断したら躊躇わずに殺すだろう。そうしないのは、悠が納得行くまでやらせてからでないと、決して判断を変えたりはしないからだ。
だからレイラは探し続ける。悠が望み、皆が望む道を。失われし王を取り戻す、幸福な結末を。
しかし、如何に強大な力を持つレイラでも、それは途方もない難事であった。総当たりで方策を練るも次々と却下を繰り返すレイラの心の天秤がドスカイオス殺害の決断に大きく傾いた時、ふと、誰かの声をレイラの感覚が捉えた。
《……え……か……》
周囲にはドスカイオス以外に誰も居らず、どんな小声でも拾う悠にすら聞こえていない声は感覚を共有する『心通話』では有り得ない。それをレイラだけが聞いたのなら、その声の主が普通の存在では無い事を意味していた。
もしそんな声が存在するのなら、それは物理的な方法で発せられた声ではない。精神か、魂が発する声だ。
レイラは思い当たった物品に最大限の注意を向け、存在しない耳を澄ませ、慎重にチューニングを試みた。
《……やは……ダメか……? 届く……が、したんだけど……ねえ、聞こえないのかい?》
今度こそはっきりと捉えた声に、レイラも『心通話』の要領で語りかけた。懐に仕舞った、回収したばかりの『無常月夜』に。
《聞こえるわ、あなたもしかして……》
《やあ! 良かった、誰にも聞こえないんじゃないかと半ば諦めていたんだ。私の名はエースロット、エースロット・ローゼンマイヤーだよ、綺麗な声のお嬢さん》
『無常月夜』は失われしエルフの王の名を、朗らかにレイラに伝えたのだった。
複数形ですからね、キングス。
エースロット、参戦です。




