10-148 狂乱15
エルフ軍の先頭を走るバローはふてぶてしい表情を作りながらも、内心では緊張で唾を飲み下していた。
(あれがザガリアスか……装備にも大した差はねぇな。普通にやり合えば五分五分ってとこか)
身に纏う鎧も手にした得物にも重厚な神鋼鉄の光沢があり、受け損なえばバローとてただでは済まないだろう。もし戦闘となれば最初から全力の一撃で決めるしかない。
「……サイサリス、準備だけはしといてくれ」
《『仮契約』を使うのか? 今使えばこの後の動きは保障出来ないが……》
「出し惜しみして勝てる相手じゃねえ。ギルザード、もし戦う事になったら俺が抑えている間に風穴空けてやってくれ」
「ドワーフの王と一騎打ちとは勇ましい事だな。まあ、私は物分かりのいい女だから任せるよ」
バローの覚悟にギルザードは軽く肩を竦めて頷いた。どちらかと言えば一対一で誰かを抑えるのはバローよりも防御力に秀でるギルザードに向いた役割であったが、まずは交渉からであり、弁の立つバローが請け負えば、決裂時に抑えるのも交渉者の役割となるからだ。
距離が縮まるにつれ、ドワーフとエルフの間にある緊張感は際限なく高まっていくように感じられたが、バローは後続に速度を落とすように手で指示を出すとギルザードと2人だけで突出し、ザガリアスに向かって口を開いた。
「そこにおわすはドワーフ王ザガリアス陛下とお見受けする!!」
「……如何にも、ザガリアスである」
全てのドワーフに呼びかけるようなバローの声にザガリアスが首だけで頷くと、バローは一転、砕けた表情と口調で剣を肩に担いだ。
「そっちのオモチャが勝手にそこらじゅう動き回って迷惑なんでね、持ち主なら責任取って協力してくれや」
「だ、誰に口をきいておるか!!」
バローの無礼な口のきき方に隣のドルガンが青筋を立てて怒鳴ったが、バローは鼻で笑った。
「最初に陛下って呼んだだろうがジーサン。俺ぁ別にドワーフに含む所はねぇが、一応今はエルフ軍に居るんでね。戦争してる相手の王様にへぇへぇと媚び諂ってちゃ部下に示しがつかねぇんだよ。俺だけだったら地面に這い蹲って足でも舐めてやってもいいがね」
「ふ、言いよるわ……流石はユウの仲間という事か」
背後のエルフ達の誇りの為にあえて無礼に振る舞うバローにザガリアスは苦味の混ざった笑みで応えた。状況から考えれば賢いとは言えない選択だったが、ドワーフは賢さよりも義理を優先する種族であり、バローの堂々とした態度にドワーフ達は僅かに感心を抱いていた。
何も考えずに大口を叩いているだけならザガリアスは多少痛い目を見せてやるつもりだったが、バローの砕けた態度の中、その目だけは貫くような鋭さでザガリアスの一挙手一投足に注意が向けられている事に気付き、槍でバローを示す。
「『機導兵』と『機神兵』の暴走は確かにこちらの手落ち、協力してやってもよいが……どこの誰だか分からん者にはいそうですかとドワーフは従わんぞ!! 名を名乗れ!!」
「おおよ、耳の穴かっぽじってよーーーく聞きやがれ!! 俺の名は……」
バローが十分な溜めを作って耳目を引き付け、叫んだ。
「俺はエルフの将、『剣魔術師』のバロー様だ!!!」
バローが剣を掲げ名乗りを上げると一瞬、ドワーフ達は深く沈黙し静寂が流れ……
「「「……ぷっ、ワハハハハハハハハハハッ!!!」」」
何故か大爆笑が巻き起こった。
それまで顰め面でバローに厳しい視線を注いでいたドルガンですら真っ赤な顔で俯き震えており、ザガリアスもこれ以上面白い事は無いとでもいう風に呵呵大笑して笑い続けた。
「な、なんで笑ってんだこいつら!?」
「うーむ……私が思うにバローの顔があまりに面白おかしくて我慢していたのではないかな?」
「そんな事あってたまるか!!!」
自分のドワーフ語がおかしかったのかとバローは首を捻ったが、発音も意味も正確だったはずだ。和んだのは結構だが、理由も分からず笑われるのはバローとしても大変面白くない状況であった。
「クク、クククク……バロー、バローか! そ、それがお前の名なのだな?」
「そうだって言ってんだろ!!」
「そうかそうか、バローか! ククク、いやはや、偶然か必然かは知らんが、その顔でバロー……クハハハハ!!」
妙に納得したザガリアスが涙を拭いながら背後を振り返ると、まだ笑い続けているドワーフ達に声を張り上げた。
「皆の者!!! これより我らはエルフ軍の背後から迫る『機導兵』の壁となるぞ!!! ……なにせ、勇敢なるバローに頼まれてしまったからな、これは断れまい!!!」
ザガリアスの言葉にまた新たな笑いが湧き、しかしドワーフ達は笑顔のまま大きく得物を突き上げた。それは王命の受諾としてドワーフ達に浸透していった。
交渉は成功したのだ。
「良かったじゃないかバロー、きっとユウも喜ぶぞ?」
「釈然としねぇ……後で絶対理由を突き止めてやる!!」
憤懣やる方ないといった風情でバローが剣で先を示すと、背後のエルフ軍が続々とバローとギルザードを追い越し、ドワーフ軍の間を内心では恐る恐る通り過ぎていく。魔法が使えない状況でドワーフに囲まれるなど、エルフにとっては悪夢のような状況だが、プライドの高さだけで恐怖を抑え込めるのなら大したものだ。
そこに遅れてやってきたハリハリがバローに並び、ザガリアスに恭しく頭を下げた。
「ご厚意に感謝致します、陛下」
「別にエルフの為ではない……もしや貴様が?」
「はい、ワタクシがハリーティア・ハリベルです。今はハリハリと名乗っていますが……」
「『大愚者』!?」
隠す事なくハリハリが名乗ると、ドルガンが憎々しげな目をハリハリに向けたが、ハリハリはその目を真っ向から受け止めた。
「大賢者よりそちらの方が相応しいとワタクシも思いますよ。我が友の想いを裏切り、同胞を血に酔わせた愚か者には相応しい呼称です」
ですが、とハリハリは言葉を続けた。
「ワタクシの事は信じなくても構いませんが、エースとワタクシの仲間達の事は信じてあげて下さい。もう我々は、十分殺し合いました。そろそろ新しい道を模索するべきだと思うのです」
「それで貴様の罪が雪がれるとでも!?」
ドルガンの台詞にハリハリは首を振った。
「犯した罪は消えません。たとえ許されたとしても、長い年月を経て記憶から薄れても……ですが、愚昧なる我々は、だからこそ過去を反省し未来への教訓に出来るのでは無いでしょうか? この長く愚かな戦争を再び起こさないよう、自分の罪と向かい合い、平和な国を作る事が何よりの贖罪であるとワタクシは信じています。……この細首一つで全てを丸く収めて頂けるのなら差し出すのに何ら異存はありませんが、殺す事で取り戻せるものなど何もありません。時の流れは不可逆、先へと流れ続けるだけです」
失った何かを他の何かで完全に補う事は不可能だ。それは数え切れないほどのパズルのピースの一つであり、そこにぴったりと収まるピースは一つしか無いからである。ましてや、その窪みに血肉を注ぐ事で得られるものなど一時的な慰めに過ぎず、やがて周囲のピースを汚染し、新たな血肉で贖わせる結果にしかならない。もしこの戦争で得た物があるとすれば、参加した全員がそれを痛感した事だろう。
「血と肉と、命を消費しなければ……いや、それらを膨大に注ぎ込んですら、我らは止まれなかった……ギリギリの瀬戸際でそれに気付かせてくれたのは、エルフでもドワーフでもない、中庸に立つ人族の男であった……」
ザガリアスの目が遠くで対峙するユウと『機神兵』に向けられ、その後ハリハリに固定された。
「『大愚者』ハリーティア・ハリベル、貴様に対するドワーフの憎しみはそれに気付いても尚、拭い難いものだ。貴様を殺せるなら命も要らんというドワーフは俺を含めて山ほど居るぞ」
「はい、覚悟しております」
射殺さんばかりのザガリアスの殺気をハリハリは静かな目で受け止めた。ハリハリへの憎しみがこの事態を招いたのであれば、そこから目を逸らす事はもう許されない。
全てのエルフへの憎悪を一身に集め、浄化せんとするハリハリとそれを見抜かんとするザガリアスの対峙で、先に顔を逸らしたのはザガリアスであった。
「……アリーシアとハリーティアは許せん。『火将』と『闇将』にはその非道を命で購わせてやったが……」
ザガリアスが憤りを吐き出し、感情を込めずに吐き捨てた。
「アリーシアめには相応の報いをくれてやった。そして……俺が憎む『大愚者』ハリーティア・ハリベルは、もう居らん。ハリハリなどというエルフを俺は知らんからな」
「陛下、それでは――」
ザガリアスは三叉槍を軽く振り、ハリハリの首元で止めると口上を遮った。
「俺が貴様を殺すのは、再びエルフがドワーフにその力を向けた時だ!! それまで首は預けておいてやる!!」
「……陛下の深い慈悲に感謝致します」
微笑んで頭を下げるハリハリから三叉槍を引き、ザガリアスは踵を返した。
「あの、バローとかいう小僧とユウに感謝するがいい。行くぞドルガン!!」
「はっ!」
追い付いて来た『機導兵』を止める為にザガリアスが軍を動かし始めると、黙って成り行きを見守っていたファティマがハリハリを小突いた。
「無茶するよね大賢者も。もし言葉を間違ったらそんなものじゃ済まなかったよ?」
「ユウ殿を信じていますから……って、あれ? 何か痛い……」
ふとハリハリが自分の首に指を這わせると、ヌルリとした感触が指に伝わった。
「ギャー!! き、切れてる、陛下、切れてますよ!!」
「悪いな、神鋼鉄の切れ味にまだ慣れておらんのだ、許せ!!」
「絶対ワザとですよ!! ちょこっと恨みを晴らしたでしょう!?」
「首の皮一枚でガタガタ言うな!! これだから惰弱なエルフは……」
「キィィィッ!! だからドワーフは大雑把だって言われるんです!!」
「首の皮一枚残して斬られるよりマシでしょ、唾でも付けておけば治るよ」
途端に普段の状態に戻りザガリアスに喚き立てるハリハリをファティマが呆れ顔で宥め、してやったりという表情のザガリアスを見送った。ザガリアスはこれでチャラにしておけという意味を込めてハリハリを切ったのだろう。そしてハリハリもそれに気付いていて道化を演じているに違いなかった。
「男ってバカばっかりだね。血を流さないと伝えられないなんてさ」
「……はて、何の事か分かりませんねえ。あ~痛かったぁ」
ハリハリはブツブツと文句を呟いていたが、明らかに軽くなった空気にファティマは含み笑いを漏らした。
本気で意見をぶつけ合い、後腐れ無く認め合う。もっと早くこれが出来ていれば、エルフとドワーフの間に戦争など必要なかったのだ。過去にそれを実践しようとしたエースロットという王に、ファティマは深い尊敬の念を抱いた。
(エースロット王、あなたの蒔いた種が今、芽吹き花開こうとしています。あなたの子が、友が、仲間達が、時を経てあなたの理想を叶えようとしているのです。この光景をあなたが見ていない事が残念でなりません……)
最も平和を願っていたエースロットの力を利用せんとする『機神兵』にファティマは新たな怒りを覚えた。この世界の住人の一人として、罪を実力と嘯き省みる事もない『機神兵』だけは許してはならないという思いが再燃し、ファティマを突き動かした。
「大賢者、やろう。ユウがあいつを抑えている間に『機導兵』を全部倒すんだ!」
「勿論ですとも。さあ、記念すべきエルフとドワーフの共闘を勝利で飾りますよ!」
その言葉通り、エルフ・ドワーフ連合軍は『機導兵』を完全に抑え込み、戦況は急激に傾いていくのであった。
悠、バロー、ハリハリ……それぞれの個性を生かして動いています。
バローの意味は後ほど解説する機会もあるかと。




