10-143 狂乱10
戦場に光の粒子が散ってしばらくした頃、エルフィンシードにもその粒子は飛来していた。
「何だあれは……?」
「何かの魔法でしょうか?」
それは王宮に残ったナターリアも確認したが、その効果を最初に体感する事になったのは鹵獲した『機導兵』を研究していた研究員達であった。
「な……ど、どうして急に!?」
「馬鹿な、魔石が無ければ動かないはず……ぐわっ!?」
茫然と動き出す『機導兵』を見ていた研究員達に動き出した『機導兵』が襲い掛かると、その場は瞬く間に混乱の坩堝と化してしまった。元々戦闘の心得がある者が少ない研究員が魔法阻害能力を持つ『機導兵』相手に戦う術など持っているはずがないのだ。
しかも、最初は素手で殴りかかってきた『機導兵』達もその場に研究用として置かれていた剣を見つけると、もう誰も現場を確保しようという熱意を保持する者は居なかった。
何人かが切り倒され、他の者達が逃げ出し『機導兵』が拡散し始める中、最初にその異変を正確に察知したのは密かにナターリアの護衛に付いていた『幽霊部隊』のレクサだった。
突如として『透明化』が解除されナターリアの背後に姿を現したレクサは、自分の意志によらない魔法解除を『機導兵』のものだと判断したのである。
「な、誰ですの!?」
そうとは知らないクリスティーナは突然現れたレクサを暗殺者か何かかと思い詰問したが(暗殺もレクサの任務の一部なので全くの言いがかりとも言えない)、手で制するナターリアにレクサは恭しく頭を下げ、自分の所見を述べた。
「恐れながら陛下、どうやら『機導兵』がこの近くまで迫っているようです。このままでは御身をお守りするのは難しいかと」
「『機導兵』が!? ……だが、アガレス平原で開戦の報すら届いておらんというのにどこから……」
「研究棟から漏れ出しているようですよ、陛下」
そこに気配を消してやってきたデメトリウスが割り込み、ナターリアとクリスティーナの無事を確認して頷いた。
「お爺様!」
「陛下もティナも御無事でなによりです。ですが、そこの男の言う通り、もう少し安全な場所に移動すべきでしょう」
「自分が案内します。デメトリウス様、陛下とティアリング公爵の護衛をお任せして宜しいですか?」
「本当はアルトクンと一緒に背中を預け合って戦いたい所ですが、陛下と可愛い子孫を放っておく訳にはいきませんね。……嗚呼、残酷な運命は私とアルトクンの愛を育む機会を中々与えてくれません」
大仰に嘆いてみせるデメトリウスの話に共感を抱いているのはクリスティーナだけで、ナターリアとレクサは早くしろと思っていたが、ナターリアはふとアリーシアにも危険が迫っているのだと焦りを抱いた。
「そ、そうだ、母上をお救いせねば!」
「残念ですが、そう上手く事は運ばないようですよ!」
謁見の間のドアから姿を見せた『機導兵』にデメトリウスは肉薄すると、思い切り骨ばった拳で殴りつける。『超魔甲殻』と高硬度の拳は一撃で『機導兵』をバラバラに粉砕したが、それほど遠くない場所からこちらに近付いてくる金属音にレクサはナターリアの手を引いた。
「陛下、まずは御身を大切に! あちらには自分の副官をつけております、それに護衛のサクハ殿もいらっしゃるのですから、きっと無事逃げおおせましょう!」
「このままこの場に留まれば私以外は全員死にますよ、陛下。私も多数相手にお守りするほど体術に優れている訳ではありません」
自分だけならいくら危険でもアリーシア救出に動いたであろうナターリアだったが、他の者まで巻き添えとなると言われれば我を通す事は出来なかった。
「……無念だ、だが、まだ私は死ぬ訳にはいかない! レクサ、デメトリウス、道を拓いてくれ!」
「「御意に、陛下」」
恭しく首を垂れる2人はすぐに行動を開始し、ナターリアは旅立った悠を想った。
(ユウ、お前は無事なのか? ……いや、きっと今頃はこの事態を収拾しようと動いているに違いない。私はお前が失敗したなどとは思わないぞ。また、生きて会おう……)
一度だけ強く願い、ナターリアは2人が切り開いた道を進み始めたのだった。
「おのれ、どこから!」
剣を振るうサクハは肩で息をしながら怒りと疑念を吐き捨てた。己を鼓舞する為のものだったが、粗い呼吸は容易には収まらない。
「サクハさん、代わって下さい!」
「ケイ、危ないわ! いいから逃げなさい!」
サクハに代わり龍鉄の棍を手にした恵がドアの前に出ようとするのをアリーシアが止めようとしたが、恵は小さく笑って首を振った。
「ご心配なく、これでも私、ユウ先生の教え子ですから!」
恵はサクハと切り結んでいた『機導兵』に近付くと、その頭に思い切り棍を振り下ろした。頭の半ばまでを凹ませた『機導兵』が活動を停止するが、敵は続々とこちらを目指してやってくるようだ。
「ここは長くはもたないぞ!」
同じく『機導兵』と剣を交えていた『透明化』の切れたトゥリスが言う通り、この場を守り切るのは不可能だ。恵は冒険者のランクで言えばⅤ(フィフス)程度の体術の使い手でしかなく、多数を殲滅する術を持たないのである。トゥリスも同程度であり、サクハは技量に劣る上に体力も底を尽きかけていた。アリーシアなど病み上がりの上、身体能力向上系の魔法すら使えない状態なのだ。かろうじて保たれている均衡が崩れるのはそう遠い事では無かった。
「トゥリスさん、どこかに逃げ込める場所は!?」
「ある、が、私達では突破出来るかどうか分からないぞ!」
「構いません、このままじゃいつまでもは防げませんから! せめてアリーシア様だけでも安全な所へ……」
恵は悠からアリーシアの健康を任されたのだ。ならば、悠が帰ってくるまで何としてもアリーシアを守らねばならなかった。
だが、当のアリーシアがそれに対して首を振った。
「……ケイ、私を置いていきなさい。足手まといが居なければ何とか切り抜けられるはずよ」
「アリーシア様!?」
「何を言われますか!?」
恵とサクハの言葉にもアリーシアは俯いたまま独白するように答えるだけだった。
「もう、私なんて必要ないんだもの……私を守ってあなた達が死ぬ意味なんて無いわ。無駄な危険は冒さずに私よりナターリアを守った方が効率的――」
パンッ!
頬で弾けた熱にアリーシアはきょとんとした顔を上げると、そこには両目からボロボロと涙を零すサクハの怒りの表情があった。
「いつまでグズグズと泣き言を吐かれるか!! 湿原で殉死しようとした私を少女趣味と罵った強いあなたはどこにいってしまわれたのか!!」
「サクハ……」
「何故、ご自分を卑下されるのです……力が、力だけがあなたの存在価値だとお思いですか!? 私は陛下の何者にも屈さぬ気高い姿を見、育ち、この方をお守りする事を一生の仕事にしようと心に決めて生きて参りました! 私にとって陛下は力など無くなってもお守りしたい存在である事に変わりは御座いません!」
権力があるから、魔法使いとして優れているから。そんな理由でサクハはアリーシアの側に仕えているつもりは全く無かった。もしそうならさっさと護衛の任を返上し、その力を持つ者に改めて仕えるだけである。サクハがアリーシアに敬意を抱いているのはその精神であり、生き方なのだ。それがアリーシアに伝わっていなかった事がサクハには何よりも悲しかった。
「アリーシア様、サクハさんの言う通りです。私達の先生は私達に沢山の事を教えてくれましたが、諦めるという事だけは教えてくれませんでした。……この世界に強い人は沢山居ます。私達の敵もそんな悪い人達ばかりでした。でも、私は怖いと思った事はありません。だって、私達を導いてくれる先生は何があっても決して諦めないと知っているから……。誰かを導く立場に居る人にとって、それは何よりも重要な事だと私は思います!」
『機導兵』の攻撃を弾き、恵がサクハに追従すると、アリーシアは頬を押さえて溜息を吐き、サクハに言った。
「……やってくれたわねサクハ」
「……あ……ももも申し訳御座いませんでした!!」
アリーシアの所作と言葉で自分が何をしたのかに思い至ったサクハは血の気の引いた顔で謝ったが、アリーシアは鼻を鳴らして手を振った。
「フン……この間、私も叩いちゃったからこれでおあいこね。でも、次やったら叩き返すわよ」
「は、ははっ!」
少し力の戻った目を今度は恵に向け、アリーシアは頷いた。
「ケイ、一応諦めないで頑張ってみるけど、状況は良くないわよ。今の私達にあれが突破出来るとは思えないわ」
アリーシアの指の先を見れば新手の『機導兵』が10体近くもこちらに向かって来るところであり、トゥリスが舌打ちを放った。
「くっ! ケイとやら、これ以上は保たないぞ!」
「みんな部屋に入って下さい! ギリギリまでここで凌ぎます!」
即座に判断した恵の言葉に従いトゥリスが抑えていた『機導兵』を蹴って後退すると、恵、サクハ、トゥリスの3人は素早く部屋に入り鍵を掛けた。
「……どうするケイ、ここのドアは頑丈に作られているが、ずっと籠城は無理だ!」
「王宮によくある抜け道みたいなものはありませんか?」
恵がアリーシアに尋ねたが、アリーシアは首を振った。
「逃げるのは性に合わないから、以前の改修工事で埋めちゃったのよねぇ……冬になると隙間風が寒いし」
「……潔よ過ぎですよ、アリーシア様……」
アリーシアは王宮まで攻め込まれるようではどの道負けだと思っていたので、渋るベームリューに無理矢理埋めさせてしまったのだった。いかにもアリーシアらしい決断だが、今はそれが裏目に出たという事か。
その間にもドアには『機導兵』の剣打が鳴り響いており、恵達は自分の得物を強く握り締めた。
窓の外は手がかりなど無く、10メートル以上の高さから落下すれば恵でも怪我は免れず、エルフなどは言及するまでもない。これで逃走ルートは完全に断たれてしまった。
「私がまごついていたせいであなた達を巻き込んじゃったわね……」
「諦めないと決めたはずですよ、アリーシア様。最後まで戦いましょう」
それでも恵の目に諦めは浮かばなかった。自分が諦めてしまったら、きっと悠は悲しむだろう。もし死ぬとしても、最後まで前を向いて戦うのだ。
ドアが破られた時がタイムリミットだと思うと、覚悟を決めたはずの恵であっても恐怖を堪えるのは困難であったが、悠の教えとアリーシアの存在が恵の足を支えていた。恵という少女は守るべき存在がある時こそ勇気を振り絞れる人間なのだ。
一際大きな音が響き、ドアに大きな穴が空くと、そこから『機導兵』が頭を突き出し、内部の4人を無機質な瞳で捉えた。感情が籠もっていないからこその冷たい視線に恵の心が冷やされるが、体は無意識に棍を突き込んで『機導兵』を押し返す。
(悠さん、私、言われた事を果たせないかもしれません……でも、逃げずに最後まで戦えました)
拡大していく穴は恐怖への防波堤を破壊していくように恵には思われた。だが、それに屈するのは悠への裏切りだと、恵は力を振り絞った。
「褒めてくれるかなぁ、悠さん……ううん、きっと怒られちゃうね……」
部屋に3体の『機導兵』の侵入を許した時、恵は独白し死を覚悟した。既にサクハとトゥリスは防戦一方でこれ以上支える事は不可能だ。アリーシアも覚悟を決めた目でじっとそれを見守っていた。
恵の二の腕を『機導兵』の剣が掠め、それを皮切りに幾つもの傷を負った恵の頭上に刃が輝いた瞬間――窓から何かが飛び込んだ。
「ケイさんッ!!!」
飛び込んだ勢いをそのままに、恵に剣を振り下ろそうとしていた『機導兵』を手にした剣の一撃で真っ二つにし、その余勢で部屋の中の『機導兵』を一瞬で斬り伏せた少年は、普段は穏やかで秀麗な顔にこれ以上ないくらいの焦りを浮かばせており、恵が生きているのを悟るとその身を抱き締めた。
「良かった……間に合って良かった……!」
「あ、アルト君!」
美形揃いのエルフ達に混ざっても遜色はないどころか一際輝くであろう絶世の美少年に抱きすくめられてはいかに顔馴染みであっても年頃の恵は赤面を免れなかったが、アルトの体が小刻みに震えているのを見て、柔らかな表情でその背中を撫でた。
「……ありがとう、アルト君。アルト君のお陰でみんな助かったのよ?」
「ごめんなさい……もっと早く来れればケイさんは怪我をせずに済んだのに……!」
「そんな事気にしないの」
よほど急いで駆けつけたのだろう、額に汗を掻いたアルトはただただ謝るばかりだったが、アルトが全力を尽くした事に恵は疑いなど持ってはいなかった。体が女性になっているのも、なりふり構わず『覚醒』に力を注いだからに違いなかったからだ。
「あら、何だか暑いわね。一体どこの不届き者が窓を突き破った挙げ句、謝罪もせずその部屋の主の心配もしないで勝手に青春しているのかしら?」
そこに明らかに面白がる口調のアリーシアが口を挟むと、アルトの頭は急速に冷め、慌てて恵を解放した。
「す、す、済みませんでしたっ!」
「アリーシア様、アルト君はいい子なんですからからかわないで下さい。アルト君みたいな綺麗な子、私じゃ全然釣り合いませんよ」
ね、アルト君? と目で問いかける恵に「いえ、あなたの事が心配で駆けつけました」とは言えなくなったアルトは、
「そ、そんな事も、無いかと思いますが……」
と小さな声で言うのが精一杯であった。これがバローなら「お前を守る為に急いだに決まってんだろ?」と殺し文句の一つも吐いただろうし、悠なら「俺の手の届く場所でお前に危害など加えさせんよ」と真顔で言い恵の目を潤ませたのだろうが、この手の事に関しては未だ師2人の影も踏めないアルトなのだった。
「あ、そ。とにかく、その子が居るなら避難は出来そうね。露払いをさせてあげるから精々励みなさい」
アリーシアに意気地無しと目で責められている気になったアルトが奮戦したのは言うまでもない。
隙間風が寒いからって抜け道を埋めちゃうアリーシア様パねえ!
アルトはチャンスだったのに生かせませんでした。恵ももうちょっと察してあげて欲しいですね。まあ、アルトも自分に向けられる好意の場合、多過ぎて分類出来ないんですが。




