10-139 狂乱6
ドスカイオスは、いや、『機神兵』は自分がドスカイオスにされたように、悠がひしゃげて吹き飛ぶと思っていた。もしくは、バラバラに引き千切れるかだ。どちらにせよ、既に見た悠の実力では自分の突進は止められず、落命は確定的――
「《ぐ、グググ……! な、何故だ、何故止められる!?》」
激突した肩と肩はその場で停止し、破壊の余波だけが部屋の中を荒れ狂うのを『機神兵』は信じ難い思いで目の当たりにした。
「《貴様の全力は入力済みのはず……まさか手加減をしていたのか!?》」
「流石は下種の発想だな。男と男が本気でぶつかり合う時、ルールはあっても手加減などせんよ。あの時と今では全力の限界値が異なるだけだ」
「《戯れ言を!! ぬうううんッ!!!》」
より一層の魔力を『暴狂帝』に込め、『機神兵』は悠を押し潰さんとしたが、それに呼応するように悠もまたギアを一段上に上げた。
「『竜気解放・壱』」
「ぬ、ぐ、ぐぎぎ……ッ!」
一瞬押し込んだと思われた形勢は悠の『竜気解放』であっさりと押し戻され、重心の高い『機神兵』の足下に浮遊感が生まれた刹那、その巨体が高々と舞い上がった。
「《ガアアアアアアアッ!?》」
高い天井にぶち当たり、落ちて地面を跳ねる『機神兵』にザガリアスがあんぐりと口を開いて呟く。
「ち、父上の突進を……神鋼鉄の重装甲を纏っているのだぞ……」
「これは……儂らが間に入れる戦いではありませんな……」
ドワーフ2人は似たり寄ったりの有様であったが、ファティマは感動に潤んだ瞳を悠から逸らさず微笑んだ。
「当たり前だよ、私が信じたユウは絶対、誰にも負けないんだから……」
未来が見えるファティマには信じられるのは自分の才能だけだった。人は容易に変節し、ファティマを裏切るのだから……。誰かを信じるなど、ファティマには愚かな事にしか思えなかった。人など信じるものではない、信じさせるものなのだ。
ならばこの胸を満たす感動は何なのだろう? これが信じて、そして報われるという事なのだろうか?
「『神覧樹形図』なんか、あっても無くても良かったんだ……私は、私の人生を精一杯生きて、そしてユウに出会えた。それだけでもう何も要らない。とても深く、満たされた気分だよ……」
「《ふぅぅざけるなああああああッッッ!!!》」
安らぎすら感じているファティマとは真逆の激情を迸らせ、『機神兵』が転がったまま床を叩いて立ち上がった。
「《き、貴様のような者が……『暴狂帝』の力を上回る者がこの世界に居るはずが無いのだああっ!!!」
「狭い了見で判断しても誤った答えしか導けんよ。……いや、貴様の存在が既にして誤りなのだ。虚無の底に還るがいい」
悠が『機神兵』を上回っている事はもはや明らかで、悠が進むと『機神兵』は一歩、二歩と後退を余儀なくされた。今のままでは悠には勝てないと、あらゆるデータが『機神兵』を焦らせた。
(く、クソックソックソッ!! 油断した、まさかこんな化け物が居ようとは!! まだ防壁の解除には時間がかかる、何とか時を稼がねば……!)
「《ぐ、オオオオオオオオオッ!!!》」
悠に向けて腕を向けた『機神兵』の小手の四方を囲むように細い筒が現れても、悠以外の者にその用途は理解出来なかったが、それに類する兵器を知る悠は歩みを止めた。
《ユウ、あれは……》
「分かっている」
「《食らえいッ!!!》」
破裂音が連続し、金属を乱打する轟音と閃光にファティマは耳を押さえ、ラグドールとザガリアスは顔を顰めた。4本の筒は回転し、先端は火を吹き続ける。
それは回転式機関銃というべき代物だ。方式が火薬式ではないだけで、弾丸を飛ばして攻撃するという用途は全く同じものであった。もし生物に対して使用すれば、ものの一分で判別不能の死体が出来上がるだろう。
――ならば、『竜騎士』は尋常な生物の枠から遠く離れた異物である。
「『閃烈脚』」
悠の足が消失し、その眼前で火花が散れば、『機神兵』は悠が何をしているのか理解せざるを得なかった。床にキンキンと転がるのは、吐き出された弾丸の成れ果てである。
すぐに撃ち尽くし空しく回転する回転式機関銃を止める事も忘れ、『機神兵』が愕然と漏らす。
「《び、秒速10発の弾丸を叩き落とすだと!?》」
「純魔銀の弾丸程度当たってもどうという事はないが、逸れて他の者に当たっても困るのでな。それと、俺に当てたいなら最低でもその十倍の速度は出さんと弾の無駄だぞ」
100人の兵士でも秒殺出来る兵器が無意味と断じられ、『機神兵』は自分が追い詰められた事を自覚した。この程度の時間を稼いだだけでは切り札は切れないのだ。
だが、その僅かに稼いだ時間が場に転機をもたらした。
「こ、ここですか慮外者は!? こ、こ、このブロッサムが成敗してくれます!!」
手に重そうに武器を持ち、穴の開いた壁から顔を出したブロッサムを見た瞬間、悠と『機神兵』はほぼ同時に動いていた。
「《ウオオオオオオオッ!!!》」
「チッ!」
「え? きゃあっ!?」
『機神兵』の空裂拳がブロッサムの真上の天井に直撃し崩落を始めると、悠はその救出の為に動かざるを得なかった。
数十トンにもなる落石にブロッサムは己の死を確信して目を閉じたが、悠はブロッサムに飛びつくと、自分の体を盾にして崩落から逃れ、床を転がった。
「……ブロッサム、勇ましいのは結構だが、命を粗末にするものではないぞ」
「ふえ? …………あっ、ゆ、ユウ!? え、え、だって、腕が、目も、え、え、え?」
自分を助けた騎士が悠だと知るとブロッサムは疑問符を乱発したが、今はゆっくりそれに答えている場合ではなかった。
悠の注意が逸れた隙に距離を置いた『機神兵』は壁を殴って穴を空けると、その縁に手をかける。
「《忌々しいが、この場の勝ちは貴様に譲ってやろう! だが、次は必ず殺す!!》」
「逃がすと思うか? 俺の勝ちだと言うなら大人しく武装を解除しろ」
「《大口を叩けるのもこれが最後だ、見よ!》」
『機神兵』が腕を振ると部屋に張り巡らされていた光の根が砕け、壁や天井を透過してグラン・ガランに散っていった。何かの攻撃かと悠は身構えたが、それ自体は攻撃の為のものではなかった。
だが、効果はそれ以上に大きく街を混乱に陥れた。
「《ククク……急いだ方がいいぞ? たった今、この街に存在する全ての『機導兵』を無差別殺戮モードで起動したからなぁ! さて、何人死ぬかな?」
「な、何だと!?」
愕然とするザガリアスの耳に金属の足音が響いたかと思うと、壁の穴からわらわらと『機導兵』が湧き出し、ザガリアス達に向け剣を手に襲いかかった。
「ザガリアス、使え!」
ブロッサムの手から取り上げた槍の中ほどを掴み悠が投擲すると、槍は長大な矢となって襲いかかった『機導兵』を刺し貫いた。
「助かる! っ、ブロッサム……お前、俺の槍を勝手に持ち出したな!?」
「ひ、非常時ですもの!」
悠が投げた槍は修理が終わったばかりのドスカイオスからザガリアスに受け継がれた神鋼鉄の三叉槍であり、勝手に私室から持ち出したのは明白であった。
「陛下、今はそれを詰問している場合ではありませんぞ!」
「ぐぬっ……ええい、叱責は後回しだっ!」
腰の剣を抜いて対応するラグドールの言う通り、今は街中に溢れた『機導兵』を殲滅するのが先決である。実際、三叉槍は殆ど手応えを感じさせない滑らかさで『機導兵』を纏めて貫き、大いにザガリアスの力になっていた。
「《……ここにある分だけでは不足だな。残りは……クク、お誂え向きに戦場か!》」
外に身を乗り出し、最後に一度振り返って『機神兵』は捨て台詞を吐き捨てた。
「《ドワーフの悲願とやらを叶えてやろう!! エルフを蹂躙し、引き裂き、国土を血で染め上げてやる。男も女も、ガキも年寄りも皆殺しにしてな! ドワーフも大勢巻き添えになるだろうが、恨みを晴らせるなら本望だろう? ガッハッハッハッハ!!!》」
宙に身を躍らせた『機神兵』を破壊するだけならば悠には可能だったが、その場合はブロッサムが『機導兵』の脅威に晒されるのは必至であり、足下から炎を噴き出して空を飛び去る『機神兵』を見送った。
「ユウ、逃げちゃうわ!」
「今は優先順位はこっちだ。お前を害させる訳にはいかん」
「ユウ……」
場違いに惚けた表情で瞳を潤ませるブロッサムだったが、そこにムッとした顔のファティマが割り込んだ。
「遠回しに邪魔だってユウは言ってるんだよ! 怪我が無いなら自分の足で立てるだろデカ尻姫!!」
「ひゃん!?」
ファティマに尻を叩かれ悠の腕からブロッサムが落下し視界から消え去ると、ファティマは気を取り直して悠に話しかけた。
「ユウ、どちらにせよ今あいつを殺すつもりは無かったんだろ?」
「流石はファティマだな、その通りだ」
「いたた……な、何でですか!?」
「そりゃ当然、中身が操られたドスカイオス様だからだよ」
付き合いは短いがファティマと悠の相性は良く、互いに考えている事は同じだった。ドスカイオスは寿命を迎えつつあるが、悠ならばきっと救おうとするだろうとファティマは読んでいたのである。
「ユウ、斟酌は無用だ。父上ならば、尚更殺してでも止めねば……!」
近場の『機導兵』をラグドールと共に排除し、三叉槍を杖に悠の下にやってきたザガリアスの言葉はブロッサムにとって酷薄に響いた。
「大兄様、何という事を……!」
「王族に生まれたからにはその責を果たさねばならん!! 父上とてそれをお望み――」
《ユウ》
「応」
「ヘブッ!?」
レイラの声に瞬時に反応した悠の平手が厳めしいザガリアスの頬を打ち、ザガリアスは一回転して尻餅をついた。
「な、何をする!?」
「殺す前に手を尽くさんか、馬鹿者。妹を泣かす前にまだやれる事があるかもしれんだろうが」
「もう遅いのだ……あれを見よ!」
ザガリアスが指した先に転がるのは血塗れのベヒモスの死体であり、虚ろな表情が陰惨な印象をより深めていた。
「おそらく、父上も無事ではあるまい……あれを見てもまだ助けるなどと言えるのか!?」
悠を責めるような口調でありながら、ザガリアスの表情は完全にそれとは裏腹の懇願するものであった。ザガリアスとて、ドスカイオスを殺したいはずが無いのだ。それでもザガリアスは王としてドワーフを守る事を最優先しなければならなかった。
だから悠は涙を流すブロッサムに視線を移し、問うた。
「……ブロッサム、何を望む?」
「え……?」
悠の言葉に束の間、ブロッサムの涙が止まる。
「お前の兄は王で、かつドワーフらしく強情でな、本当に言いたい事を言えんのだ。だから、お前が言ってやれ。お前達の本当の望みを」
「あ、ああ……ユウ、ユウ!!」
虚脱から回復し、ブロッサムが悠の足に取り縋って思いの丈をぶちまけた。それは、意地っ張りで強情なドワーフの心の叫びであった。
「助けて! お父様を助けて!! あなたに無理なら諦める、諦めるから、お願い!!」
「承った。しかし、王女殿下は少々涙腺が緩う御座いますな」
「ば、バカッ」
いつかのようにブロッサムの涙を指で掬うとブロッサムは泣き笑いの表情で悠の足を叩いた。悠なりに気を使ってくれているのが胸に温かく、そして少しこそばゆいなと思いながら。
つと、視線をザガリアスに移してもザガリアスは何も言わなかったが、ただ小さく頭を下げた。礼を口に出せはしないが、感謝の念だけは深く受け取り、悠も小さく頷き返す。
「……じゃ、行こうか。追いかける前に製作者に話を聞くのが一番だと思うんだよ、私は」
ファティマの現実的な提案に否を唱える者は居なかった。
ちょっと長くなりましたが、第一ラウンド終了です。今回起こった事についての解説は次にでも。