10-134 狂乱1
話は数日前に遡る。
エンジュ軍を撃退したエルフは束の間の勝利の余韻を味わっていたが、これで終わりではないと知る首脳陣は多忙な日々を送っていた。
失った兵力の補充、魔法だけに頼らない練兵、滞っていた各地の陳情の処理、決戦に向けた戦術の構築など挙げていけばキリがなく、更にアガレス平原のドワーフ達に動きがあるとの情報がもたらされると、ナターリアは頭を抱えたくなった。
「この忙しい時に……!」
「仕方ありませんわ、ドワーフはドワーフの都合で動いていますもの。でも、無視は出来ませんわね」
「此方も兵を出さねばならないか……」
応じたクリスティーナにナターリアは憂鬱げに溜息を吐いた。少し前までは戦場に出て功を上げる事を何よりも望んでいたというのに、今のナターリアにとって戦争は厄介の種でしかない。
ナターリアに今欲しい情報は、ただ一人の男の安否であった。
「……ユウはまだ帰らないのか、ですか?」
「っ!?」
思わず口を押さえたナターリアに、クリスティーナは猫のような気まぐれな笑みを浮かべた。
「別に声に出してはいませんわ。ですが、陛下はもう少し感情を隠すという事を学んだ方が宜しいですわね。そうでなくては私も張り合いがありませんもの」
「う、うるさい! 私はそんな事……」
ナターリアの言い訳じみた言葉に肩を竦めるだけで応じたクリスティーナは実務的な方面に思考を切り替えた。ナターリアはアリーシアと違い、分かり易過ぎてからかう相手としては物足りないのだ。
「なし崩し的に決戦が始まるかもしれません、ハリーティア様達にお知らせして指示を仰いだ方が宜しいかと」
「そうだな……分かった、では『六将』への伝達はお任せしよう。ハリー小父様には私が直接伝える」
「……そちらも私がお伝えしたいのですけれど?」
「小父様は母上をお訪ねになっている。あそこは限られた関係者以外は入室禁止だからな」
表面上は平静を保っていたが、クリスティーナはハリハリにこそ理由を付けて会いたいのであり、その愛しい相手が他の女の所に足繁く通っているというのは気分を害するには十分な理由だった。
「とにかくそちらは頼んだぞ」
「畏まりました、陛下」
今度隙を見て耳でもかじってやろうと決め、クリスティーナは恭しく頭を下げるのであった。
「ご機嫌如何ですか、アリーシア様?」
「たった今悪くなったわ」
「アリーシア様、そんな邪見にしてはハリハリさんが可哀想ですよ!」
「ふん……」
相変わらずアリーシアはハリハリに対しては冷たく、側で見ている恵は許される範囲でアリーシアを窘めたが、アリーシアにとってハリハリはただの知らない男である。何かと合間を見てはやってくるが、警戒感が先に立つのは無理もない話だ。
ハリハリにとってこれ以上ないほど苦しい状況であろうが、ハリハリは恵に気にするなという風に首を振り、アリーシアに話しかけた。
「元気ならそれでいいのです。アリーシア様のお加減が悪いと皆が心配しますから」
「ケイが居るから大丈夫よ。それに、もう私なんか居なくても国は回るわ」
「そんな風に仰らないで下さい。エースロット様も活発なアリーシア様を好まれていたではありませんか」
「……いちいちエースを引き合いに出すのはやめてくれない? さも私は事情を知っていますっていう口振りが癇に障るのよ」
「ヤハハ……申し訳ありません」
アリーシアの苛立ちはハリハリが事情に通じていると理解しながら、自分はそれを理解出来ないという事が起因していた。記憶があれば昔話に花を咲かせる事もあったのだろうが、ハリハリの事を覚えていない今、そんな話をしてもちぐはぐになるだけだった。
それに、ハリハリの態度も良くないのだ。自分でもかなり言いたい放題言っている自覚がアリーシアにはあったが、ハリハリはそれに対し悲しげな目をする事はあっても決して声を荒げたりはしなかった。その後ろめたさがまたアリーシアの態度を硬化させるのである。
(めげない男ね……)
困ったような笑みを浮かべるハリハリを見ていると、不意に何かを思い出しそうになる。ずっと昔に、いつも自分の近くでそんな笑みを浮かべていた男が居たような……。
「っ!」
「アリーシア様っ」
急な頭痛を感じ、アリーシアが頭を押さえると、恵がそれを和らげようと背中をさすった。
「大丈夫よ……ちょっと、頭痛がしただけ」
「そうですか……あの、ハリハリさん……」
恵の申し訳なさそうな表情にハリハリは椅子から立ち上がった。
「はい、ワタクシはそろそろお暇します。アリーシア様、ご自愛なされますよう」
自分に原因があると悟ったハリハリはすぐに退室の旨を告げると踵を返したが、その背中にアリーシアが声をかけた。
「……また、来るんでしょう?」
「え? え、ええ、ですが、アリーシア様が来るなと仰るなら……」
「いいわよ、別に二人きりで会う訳じゃないんだし。でも、次に来る時は上っ面だけの堅苦しい挨拶だけじゃなくて、少しは楽しい話を持って来なさい。女を楽しませられない男なんて下の下よ」
「ほ、本当ですか!?」
「暇だしね。ただし、エースの話は無しよ。いくら楽しくても、最後には悲しくなるもの」
「お、お任せ下さい! 不詳ハリハリ、面白く楽しい話にかけては余人に勝るものなしと専らの評判で――」
喜び勇んで振り返ろうとしたハリハリだったが、その時部屋のドアがノックされた。
「失礼、ハリー小父様がこちらにいらっしゃると伺いましたが……」
「っとと、はい陛下! ……残念ですが楽しい話はこの次という事で」
「一応、楽しみにしてるわ」
「はい! では失礼します!」
来た時よりも随分と生き生きと退室していったハリハリを若干おかしく思いながら、アリーシアは恵に話しかけた。
「ねえケイ、あのハリハリって男、私の事好きなのかしら?」
「え!? え、ええと、その、あ、アリーシア様の事は皆お慕いしていると思います!」
未亡人で身持ちの固いアリーシアにそりゃもう大好きですよとは言えず、恵の返答は濁らざるを得なかったが、アリーシアは薄く笑って恵の頭を撫でた。
「いいのよ、それくらい見ていれば分かるわ。……それに、良い機会かもしれないしね。王位も譲って力も無くなったし、そんな女でもいいと言ってくれる変人ならエースも許してくれるかもしれないわ……」
アリーシアは弱くなったと自覚のある笑みで独り言のように続けた。
「長いエルフの寿命を共有出来る相手もなく生きるのは辛いものね……」
「アリーシア様……」
仮にも大賢者とまで呼ばれている人物を王家に繋ぎ止める事が出来るのなら、アリーシアは自分の体くらいは惜しくないと思っていた。だが、そんな現実的な思考とは別に、ただ心の隙間を埋めてくれる者を求める気持ちは日増しに大きくなっていたのである。
まるで自分を慰めるかのように、アリーシアは恵の頭を撫で続けるのだった。
「女の肌の温もりが恋しいぜ……」
「おいおい……まだ日も高いってのに、『剣魔術師』の称号が泣くぜ?」
「うるせー、女に苦労しない野郎の言葉なんざ聞きたくねー……」
探索者ギルドで剣を教えつつ愚痴るバローにゲオルグが呆れるが、バローは逆にギロリとゲオルグを睨んだ。
「ここじゃ人間の男が入れる娼館なんざどこにもねぇんだぜ!? いい加減、下半身を持て余すってんだ!」
「とか言いつつこの間、違法に客を取らせてた娼館をぶっ潰したのは誰だったかねぇ……」
「俺は無理矢理ヤりたいんじゃねぇんだよ! ガキも死んだ目ぇした女もお断りだ!!」
どうにも収まりがつかなくなったバローが夜な夜な徘徊し、客引きに案内されて訪れた娼館の惨状を見て大立ち回りを演じてからまだ2日であった。関係者は護衛も含めて全員半殺しにし、店主と思しき男は股関を蹴り潰してやったが、傷付いた女達を抱こうという気には到底なれず、何人か懐いて来た者達は漏れなく子供であり、バローの欲求は募るばかりであった。
「はぁ……ヴェロニカの奴、いいケツしてんなぁ……」
「やめとけよ、あいつはもう意中の相手が居るんだ、下手に声かけたらぶっ殺されるぜ」
と、男2人がヒソヒソと下世話な話に興じていると、その眼前を鎖鞭が鋭く空を切り裂いた。
「うおっ!」
「そういう訳ですので諦めて下さい。私、そんな軽い女じゃありませんので」
「わーってるよ、クソ、いい女はみんなユウに靡きやがる……!」
ヴェロニカに浮いた話は無く、慕う人物など限られているのでバローは面白く無さそうに断定して地面を蹴った。どうして悠には美女が集まり、自分には子供しか集まらないのだろう、顔の造作は同レベルのはずなのに……(バロー主観)。
「あー……前々から言おうと思ったんだが……」
バローを不憫に思ったのか、ゲオルグが頬を掻きつつ口を開くとバローの注意がそちらに向けられた。
「何だよ?」
「もしかしたらだが、今よりはモテるようになるかもしれない手はあるぞ?」
「なにいっ!?」
驚愕に目を見開いたバローは思わずゲオルグの肩を掴み、真剣な表情を近付けた。
「なんだ、どうやる、どうすればいい!?」
「ちょ、近い近い! 落ち着けよ!」
「掘られたくなかったらサッサと吐けやコラァ!!」
「わ、分かった、分かったからは・な・せっ!!」
バローに握られていた肩を嫌そうに払い、ゲオルグは顎を指した。
「コレだよコレ! お前の髭が良くないんだ!」
「どこがだよ、カッコイイだろうが!」
「そりゃ人族の感覚だな。俺達エルフにとっちゃ、髭ってのはドワーフの象徴だ。そんなモンをわざわざ生やしてたら嫌われる要因にはなっても好かれる要因にはならんよ」
理由を聞いたバローは盲点を突かれた顔でグッと言葉に詰まった。そもそも文化が違うのだ、人間社会の常識がエルフの社会で通じるとは限らないのである。
出来れば剃りたくはない。だが、それでモテるようになるのなら……!
「……ロー殿、バロー殿ってば!」
「……あん? なんだ、ハリハリじゃねぇか。ちょっと待ってろよ、今俺は髭を剃るかどうかの重要な決断をだな……」
「そんな伸るか反るかみたいな話は後にして下さい。髭くらい剃ってもバロー殿の顔が整う訳じゃありません」
「ああ、全くだ……ってブン殴るぞテメェ!!」
同時に振った拳をヒョイとかわし、ハリハリは僅かに緊張を込めて繰り返した。
「おっと、漫才も後です。アガレスで動きがありました、出兵の準備をして貰わなくてはなりません」
「何? ……チッ、懲りねえ奴らだな……!」
「俺も行った方が良さそうだな」
俄かに引き締まった表情で頷き合った3人はそのまま王宮に向かったのだった。




