10-131 謎は謎を呼び……6
ハクレイの話は人族には謎に包まれていたラドクリフ連合の内情と生命の創生に関わる話であった。
ラドクリフ連合のラドクリフとは遥か昔、まだこの世界が出来上がって間もなく知的生命体が居なかった頃に存在した陸王ラドクリフに由来しており、伝承では己の身を砕いたラドクリフはそれを苗床とし、世界に数多の生命を作り出したそうだ。獣人らを生み出したラドクリフは世界の維持・管理を海王に任せ、分身とも言える5つの大破片、すなわち『百獣王の欠片』に意識を分割して獣人達に与え、欠片を持つ者に部族内での絶対的な権限を認め、獣人達に5人の指導者が定められた。それが現在まで続く獣人の支配者階層、五大部族である。
鳥人族、狼人族、虎人族、蛇人族、馬人族は王を選出する権利を持ち、当初は活力に満ちていたシステムも近年は堕落の一途を辿り、五大部族以外の部族は派閥に分かれて大部族に隷属を強いられていた。ちなみに、今代の獣王ガルベインは鳥人族の出身である。
「派閥内にも大きな格差があり、我々人虫族は獣とは遠い異形を蔑み、疎まれて生きて来ました。大陸の端に追いやられ、ドワーフとの交易で何とか部族を維持して来たのです。……もっとも、『百獣王の欠片』が主格たる蛇人族の手にあればそれすら許されなかったでしょうが……」
ハクレイが言うには、遠い昔に全ての部族の力を結集して臨んだ外敵との戦いの際に狼人族と蛇人族に伝わる『百獣王の欠片』は失われ、他の3部族の欠片も力の殆どを使い果たしてしまったらしい。
「辛くも敵を退けた獣人達、特に大部族にとって損失は計り知れないものでした……でも、私達下位部族は密かに期待しました。支配者の証である『百獣王の欠片』が失われたなら、我々も大部族による抑圧から解放されるのではないかと……」
だが、そうはならなかった。狼人族と蛇人族は神代の時代にラドクリフが選んだ五大部族は神聖かつ永劫であり、指導者として部族を導くべきだと主張したのである。抑圧はより苛烈さを増し、異を唱えた下位部族は容赦なく殺戮された。『百獣王の欠片』を持つ他の3部族にしても、支配体制の崩壊は望まずそれに協力したのである。
ただ、獣人全体の王に選ばれる権利を狼人族、蛇人族は奪われ、『百獣王の欠片』を取り戻した時のみ再びその権利を取り戻す事にするという項目を3部族は付け加える事を忘れなかった。
かくして陸王ラドクリフの威光は薄れ、獣人達は一部の者達の都合のいい理屈で統治され現在に至るのだ。
それなりに長いハクレイの話を頭の中で要約し、悠は口を開いた。
「……それで、人虫族は『百獣王の欠片』を手に入れる事で部族の地位を向上させたかったのか?」
「……はい……私達に使えなくても、蛇人族との交渉には使えるかもしれません。私は、虐げられている部族の為に少しでも力になりたかったのです……」
「残念だけど不可能だよ。ハクレイさん、あなたの望む形には決してならない」
これまで黙って話を聞いていたファティマは確信を持った口調で断言した。ミトラルが翻訳してくれたので悠が喋った形になったが、その意見には悠も同意であった。
「な、何故ですか?」
「さっきの男の人の物言いを聞けば簡単に予測出来ますよ。彼らが求めているのは今よりマシな地位なんかじゃない、支配者の席です。これまで自分達を貶め、蔑んで来た全ての者達に、彼らは同じ事をしてやりたいんですよ。あまりに長く置かれた理不尽な境遇に、彼らは我慢の限界なんでしょう。……失礼ですがハクレイさん、あなたは部族内では高い地位にあるのではないですか?」
幼い容姿のファティマが鋭く切り込む違和感にも気付かず、その指摘に強いショックを受けているハクレイは続く問いに反射的に答えた。
「た、確かに私は族長家の者ですが、皆とは苦楽を共にして――」
「またまた残念ながら、指導者の苦楽と民の苦楽は別なのですよ。もしかしたらあなたは彼らよりも苦労をしているかもしれませんが、下の立場に居る者は往々にして上の立場の者が自分達よりいい暮らしをし、より楽に生きていると思っています。だからといって苦労を強調しても、彼らには理解出来ないでしょうし、むしろ反感を抱くでしょうね。全く、真面目にやろうとするほど割に合わないものですが、劣等感を持つ者の視点などそんなものです」
「そんな……」
ファティマの言葉に打ちのめされたハクレイはガックリと肩を落とし、俯いてしまった。彼女自身の希望と同胞の希望の乖離はあまりに大きく、その溝を埋める術をハクレイには見いだせなかった。
「……ミトラル、今の話を聞いてどう思う?」
沈黙が重くなり過ぎる前に、悠はミトラルに語りかけた。ラドクリフ連合を作った張本人とも言えるミトラルがどう思っているのか、話がどの程度真実に近いのかを尋ねた質問に、ミトラルは簡素に答えた。
《《どうも、思わない》》
ミトラルの熱の無い返答にハクレイの顔から更に血の気が引いたが、ミトラルはそれに慮る事もなく言葉を続けた。
《《捏造、曲解多数……真実、半分以下。私、5つの部族、選んだの、無作為。頭違うだけ、何も、変わらない。『百獣王の欠片』、権威の象徴、違う。皆を守るに、使う物。堕落した、獣人には不要。ラドクリフの加護、要らない》》
ミトラルは微かに怒りと諦観が読み取れる声音で理由を語り、ファティマが要約した。
「……つまり、ラドクリフ様は別に特別な恩寵として5つの部族を選んだのでは無いと。指導者など誰がなっても同じ、『百獣王の欠片』も護符のような物で、勝手に付加価値を付け加えたのは獣人達であり、力を失ったのならもう必要無いという事ですか?」
《《聡い娘、然り》》
「……もしや、一つの部族にだけ加護を集中しなかったのも、単一独裁体制より互いに監視し合う方がマシだからか?」
《《重ねて然り。堕落は必然。欲望限りない。この事態の予見、非常に容易。だから、誰に与えても同じ》》
殆ど失神しそうなハクレイに代わってファティマと悠が会話を主導する事になったが、提示された真実は非常に現実的なものであった。
ラドクリフは未来において自分の威光を利用して獣人達が支配体制を作り上げるであろうと予見しており、それはどの部族を選んでも変わらないと半ば確信していたのだ。だが、一つだけの部族を選んでしまうと対抗勢力がなく、故に加護を分散させ、権力を拮抗させたのである。
それが正しい選択であったかどうかは断定する事は出来ないが、事実として権力機構は分立し、獣人達は辛うじて一部族のみの独裁から逃れていた。
《《だから私、もう必要無い。ずっと、ユウだけの、『守護獣』、する》》
《勝手な居候ではないか》
《《違う、私、役に立つ。愚痴しか言わない、お前、違う》》
《誰が役に立たんだとこの尾無し蛇が!!》
「俺を挟んで喧嘩をするな」
ミトラルとスフィーロの言い争いを制止し、悠は改めてミトラルに語りかけた。
「『守護獣』が何なのかも聞きたい所だが……ひょっとしてお前、獣人に必要とされなくなって拗ねているのか?」
《《…………違う。私、拗ねてない。私、拗ねさせたら、大したもの》》
答えるまでの間が本心を表しており、悠はミトラルの想いを漠然と理解した。
ミトラルも予見はしていても、どこかで期待はしていたのだろう。獣人達がラドクリフの予想に反し、互いの特徴を尊重し、健全な社会を作り上げる事を。いつか力を失っても、それを見届けたいという願いがあったのかもしれない。
だが、やはり期待は裏切られた。トウロウの反応を見れば、『百獣王の欠片』がただの権威の象徴でしかなくなったのは明らかで、そこにラドクリフへの敬意などは存在しなかった。期待などしていなかったとわざわざ言うのは、期待していた事の裏返しに他ならないのだ。
「こ、困ります! 『無尾双蛇』様がご健在だというのなら獣人達の所に戻って頂かないと……!」
ミトラルのもう帰らない発言に我を取り戻したハクレイがまくし立てるが、ミトラルはさっくりと無視し、相変わらずの冷淡な口調でハクレイに命じた。
《《人虫族の娘、『守護獣』、説明。私、認識、齟齬あるかも》》
「え!? え、ええっと……」
ここで問い詰められないハクレイは気が弱いという謗りを甘受せねばならないだろうが、話が早いのは悠も望む所だったので黙って耳を傾けた。
「『守護獣』とは……私の認識では『百獣王の欠片』に認められた者だけが引き出せる、ラドクリフ様の力の片鱗、です。一瞬でも呼び出せれば獣王に選出される権利がありますが……」
チラチラとミトラルを窺いながらハクレイが言うと、待ってましたとばかりに悪い笑みを浮かべたファティマがぶち上げた。
「あ、じゃあユウが獣王になればいいんだ! 良かったですねハクレイさん、これで問題は解決ですよ。獣人も自分達で定めた法には従うしかないよねー」
《《聡い娘、名案。私、賛成する。ユウ王様、皆平和》》
遂にハクレイは卒倒した。
ミトラルも結構イイ性格してますね。




