10-125 いつか、平和な空の下で7
重くなった空気を引きずったまま店を出た悠達はザガリアスの下へと向かおうとしたが、そこでファティマの預言通り、非好意的な視線を察知した。悠の隣を歩いていたファティマが悠にだけ分かる得意げな笑みで応えると、悠は悪意の発生源へと歩き出した。
「な、何だテメェ……!」
「俺に用なら手短にしてくれんか? この後は陛下に謁見を申し込んでいるのでな、腹芸をやっている時が惜しいのだ」
「……そりゃ、俺らに喧嘩を売ってるって事かよ?」
悠に反応した一団の中央に居た、一際凶相の鎧を纏ったドワーフが気を取り直して悠に凄んだが、悠の表情は変わらず、淡々とそれに応じた。
「逆だな。それだけ不細工な殺気を振りまいていれば、駆け出しの新兵でも喧嘩を売られていると理解すると思うが、ドワーフは随分と寛容なのだな。それとも鈍いのか?」
「減らず口を……!」
挑発的な悠の言動にあっさりと乗った男達が悠を囲むと、ラグドールが眉を顰めた。
「怪我人相手に多対一とは卑怯だぞ!」
「うるせえ! 俺ら自警団の目が黒い内は人族なんぞに好き勝手させやしねえ!! お前ら、やっちま――」
「遅い」
「がっ!?」
周囲の仲間をけしかけようとした直後、悠は男の鎧に足を添えると、捻りを加え貫くような勢いで男を背後に吹き飛ばした。普通なら片足で百キロの重量にもなる成人男性を吹き飛ばすなど有り得ないが、悠の軸足の強靱さと瞬発力の妙がそれを可能とし、突き飛ばされた男は仲間達を巻き添えにしながら地面を転がり、兜を被っていない仲間達は口や鼻から血を撒き散らして結構な惨状となった。
「ラグドール隊長、やっておいて何ですが、自警団とやらと揉めても構いませんかな?」
「……好ましくはありませんが致し方ないでしょう。それに、自警団というのは単なる自称で、実際は荒くれ者の集まりが勝手に吹いているに過ぎません。よく揉め事を起こす馬鹿者共なので、少し痛い目を見た方がいいでしょう。ただ、そんな輩でも国民の一員、なるべく殺さぬように願います」
特に熱心さもないラグドールの要請に悠は頷き、数人が一瞬で倒されて腰が引けている自称自警団に向け、悠は指で招いた。
「『天鎧衆』の隊長、ラグドール殿のお許しが出たぞ。日頃の鬱憤を晴らすいい機会だ、貴様ら纏めてかかってこい」
「舐めんじゃねえッ!!」
挑発に激発した自警団が悠に一斉に襲いかかるが、ラグドール、そしてドスカイオスというドワーフの上位者と手合わせして来た悠にとって連携も上手く出来ていないそれらを回避するのは体調を差し引いても難事ではなく、すれ違いざまに膝蹴りやローキックで悶絶させながら次々と撃破していった。
「だらしないぞ、ドスカイオス様はお一人で俺に手を使わせたが、貴様らは何人なら俺を地に這わせられる?」
「こ、この野郎!!」
破れかぶれで掴みかかっても隙が大きくなるばかりで、悠の天を穿つ垂直蹴りで顎を蹴り抜かれたドワーフが縦回転し、耳に優しくない音を立てて地面に大の字を描くと、動きの鈍った男達の顎を悠は回し蹴りで纏めて薙払った。
全員が地面を舐める羽目になるまで3分かからず、観客となっていたドワーフからは悠ではなく男達を罵る声が上がった。
「情けねぇぞブルート!! その気になりゃ『天鎧衆』相手でも互角に戦えるってのは口だけか!?」
「ちょっとはいいとこ見せてみろよ!!」
「う、うるせえ!!」
最初に突き飛ばした男――自称自警団の頭目でブルートというらしい――は、ヤジに怒鳴り返すと槍を杖に、震える足で立ち上がった。
「中々頑丈だな。それだけは兵士並かもしれんが、鈍重な鎧のままでは俺には届かんよ」
「まだまだだ!!」
殺気だけは衰えないブルートの攻撃は大振りで見え透いており、精緻を極める悠の体術からすれば扇風機に等しいものだったが、どれだけ空振ろうと攻撃を止めないブルートに悠は興味が湧き、回避しながら尋ねた。
「そこまで恨まれる筋合いは無いと思うが、お前もエルフに恨みがあるクチか? それとも、単に人族が気に食わんのか?」
「ゼェ、ゼェ……んな事関係ねえ!! 俺はお前が許せねぇだけだ!!」
「俺が?」
どうもブルートは戦争や種族に関係無く、悠個人に怒りを抱いているようで、悠としては思い当たる事を脳内で検索したが、導き出された答えは一つしかなかった。
「ドスカイオス様との勝負はルール上俺の勝ちになっただけで、実際は――」
「どうでもいいんだよそんな事ぁ!!」
真横に振り抜かれる槍を避ける悠が見る所、ブルートは嘘を吐いている様子はなく、そもそもそんな忠義心の持ち主でもなさそうで、悠の心当たりはあっさりと底をついてしまった。
「お前は……お前だけは……!」
だが、ブルートの怒りは深く、無視するには大きいように思えたので、悠は叩き伏せる前に再度尋ねてみた。
「何か不調法があったなら謝っても構わんが、理由も言わずに絡むなら俺も相応の対応を取らざるを得んぞ。疚しくないなら言ってみろ」
「そ、れは……っ」
「それは、何だ?」
悠の言葉に槍と目が泳ぐブルートは言うべきか言わざるべきか逡巡したが、悠に再度促されると、槍を高々と掲げて叫んだ。
「恐れ多くもぶ、ブロッサム様に触れるなど許さんッ!!! あの方は俺の太陽だ!!!」
…………。
季節外れの妙に冷たい風が吹き抜け、悠は珍しく何と返すべきか言葉が浮かんで来なかった。誤解だと言っても信じないだろうし、どちらかと言えば手の無い悠は触れるより触れられる機会の方が多かったはずだが、そんな事を言っても火に油を注ぐだけだ。
が、悠が迷っている間にブルートの心の叫びは周囲の男性達から少なからぬ共感を呼び起こしていた。
「……俺、ちょっとブルートの気持ちが分かるな……」
「ああ……飛び入りの人族に国一番の美姫を奪われるってのは正直面白くないぜ」
「あの慎み深いブロッサム様にあんな熱烈になぁ……」
「いや、別にそれほど慎み深くは無かっ」
「「「何だとこの野郎!!」」」
悠の知るブロッサムと彼らの知るブロッサムには齟齬があるように思われたが、悠の突っ込みは敵を増やすだけの結果に終わったようだった。正直であらねばとドワーフの流儀に従ったというのに何とも理不尽だが、普段通りの悠と変わらないデリカシー0の発言だなとスフィーロは呆れた。ブロッサムはドワーフの男性にとって正しく偶像なのだろうという事くらいはスフィーロでも分かるというのに。
焚き火をしていたら延焼して手が着けられなくなった大火を見るような意外感を僅かに含んだ目で悠は背後のファティマを振り返った。
「ファティマ、話が違うぞ。問題など起こらないと言ったではないか」
「……キミの空気の読めなさ、いや、読まなさには私もびっくりだよ。余計な事は言わずに早く蹴散らしてしまえば良かったのに……自分の行動の責任は自分で取りたまえ。私は知らないよ」
「ユウ殿、時間が押しておりますので5分以内にお願いします」
ぷいと顔を背けたファティマと、どこか事務的なラグドールに突き放され、悠は仕方なく復活した自警団……もとい、ブロッサムファンクラブと一般のファン相手に大立ち回りを演じる事になるのだった。
――余談であるが、この大立ち回りの噂は尾ひれがついてブロッサムの耳にも入り、「人族がブロッサム様への愛を証明する為に百人のドワーフ達を叩きのめした」と誇張され、ブロッサムを大いに悶えさせた事は追記しておこう。
「……怪我人のクセに大人しくしておれんのかお前は……」
「不可避の戦闘だ」
「戦闘は不可避だけど、拡大は可避だったよ」
「儂がついていながら申し訳ありません」
街中での騒ぎは城にまで届いており、ザガリアスは疲れた顔で悠を窘めたが、ドワーフは殴り合いなど日常茶飯事で、かつ勝者はよほど凶悪でない限り罪に問われる事もない戦闘民族なので小言以外にお咎めはないようだ。
このグラン・ガラン城にも謁見の間はあるが、話す内容が衝撃的になりかねないので、一行はザガリアスの私室に移っていた。
「……しかし、恐ろしい才能があったものだ。『神覧樹形図』といったか、それがあれば思うがままの未来を掴めるではないか」
ザガリアスがファティマに視線を移してそう評したが、ファティマは全く同調しなかった。
「思うがままの人生とはなんだい、ザガリアス王? 一度も戦いに敗れない事かい? それとも、普通なら手には入らない高嶺の花を摘み取る事かい? ……もしそういう意味で言っているなら、視た後で手首を掻き切りたくなるから改めた方がいいよ」
「む……」
子供とは思えない実感と絶望に満ちた声にザガリアスは口を噤んだ。
「先など見えないから皆努力が出来るんだ。自分が死ぬ気で鍛えても大して強くなれないと知ったら誰も努力などしないよ。逆に強くなれるとしても、限界が分かってしまえば鍛えるのは空しい作業さ。良き異性を得るのはもっと悲惨で、愛した相手がいつ死ぬかまで分かってしまうんだからね。子供は何人でどう生きていくのかまで知ってしまったら、伴侶にする意味はあるのかい? 嬉しい事も悲しい事も事前に知ってしまったら誰かの書いた物語を読んでいるのと同じ、感動なんてありゃしない。そんな無味乾燥な人生をお望みかな?」
「……」
未来視があろうとただそれをなぞるだけの人生を送りたいかと言われれば、ザガリアスもファティマの言いたい事は理解出来た。それは全く味気のない、焼き増しや写本のような生き方だ。500年に及ぶドワーフの生を何の感動もなく生きるのは苦痛を通り越して絶望である。
国を司る者としては垂涎の才能だが自分では持ちたくない、それが『神覧樹形図』という才能だった。
よほどの精神力の持ち主でも心に破綻を来すであろう才能を活用してみせたファティマに、ザガリアスの目に賞賛の色が浮かんだ。おそらく、大方の者は才能に潰されてしまうだろうと思えたからだ。
だが、ファティマは才能を持ち上げられた時よりも更に嫌そうに顔を顰めた。
「私は自分の人生から逃げただけだよ……頼むから勘違いしないでくれ」
ファティマは贖罪というお題目を作る事で自分の人生から目を逸らしたのだと知っていた。罵倒や軽蔑ならば甘んじて受けるが、称えられるのは耐え難いのだ。
「私の事はいいんだよ、所詮は千年前に死んだ人間だ。今更仮初めの人生の意味なんて――」
「それは違うぞ」
悠の強い否定がファティマの言葉を遮り、平気な振りをするファティマの瞳を覗き込んだ。
「贖罪はお前の義務かもしれん。だが、ファティマ・ラティマという一人の知的生命体として、お前は、お前だけの夢を持つ権利があるはずだ。それ自体は何人たりとも妨げる事は出来ん」
「……夢? 夢だって?」
「やりたい事でも目標でも何でもいい。たとえ未来が視えても実際に体験するのは別種の感動があるとお前にも分かるだろう? もし今回の件がファティマの協力で無事に終息するなら、俺に出来る事であれば何であろうと協力すると約束しよう」
悠の冗談の成分が皆無な視線に、ファティマは逆に気恥ずかしくなって頭を振った。
「か、軽々しく何でもするなんて言うべきじゃないね。いや、キミはいつも重々しいけどさ……」
「俺は約束に関して嘘を言った事は無い。ペコや他の者に害が無いなら何であろうと協力するぞ」
悠の性格と実際の行動を見て来た3人はさもありなんといった表情で納得し、全員の視線がファティマに集まると、妙に焦ったファティマはいつからか考えた事もなかった自分だけの望みというものに思考を費やし、頭に浮かんだものをポロッと口に出した。
「…………そ、空、を……飛んで、みたい……」
ファティマは何故自分がそんな事を言ったのか口に出してから困惑したが、おそらくは悠の話が引き金になったのだろう。自由に大空を舞う『竜騎士』は、幼い時分に抱いた空への憧れを具現化した存在であった。
自分の人生に見切りを付けてから、ファティマが空を仰ぐ事は無くなっていた。どこまでも広がる空や鳥達は自由の象徴のようで疎ましくなってしまったからだ。
だが……もし贖罪以外に許される事があるのなら、一度だけでいいから鳥のように空を飛んでみたかった。心のままに西に東に飛び、夕日を追い続け暮れない時を過ごしたり、夜空の星々に手が届きそうなくらい高く遠く舞い上がり、夜が明けるまで戯れたい。
ふと、そんな望みが如何にも少女じみているように感じられ、ファティマが冗談で誤魔化そうと口を開こうとする直前に、悠は深く頷いた。
「分かった、ケリをつけたら大陸見物と洒落込もう。尽力して手に入れた平和な空の下を存分に目に焼き付けるといい」
「決まっちゃった、のかい……?」
「ああ、決めた。だから勝手に居なくなるなよ」
「ふ……ふふふ……そうか、決まっちゃったのならしょうがないね……」
漏れ出る笑いを噛み殺し、ファティマが目尻を拭って悠に手を差し出した。
「じゃあ予約しておくよ。お代はエルフィンシードとグラン・ガランの平和で!」
「異論はない」
悠の指をしっかりと握り、ファティマは初めて年相応の笑顔を見せたのだった。
さて、ここから先が本題ですね。




